東京でカラヴァッジョ 日記

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ドムシー男爵 - ルドン 秘密の花園(三菱一号館美術館)

2018年02月13日 | 展覧会(西洋美術)
ルドン 秘密の花園
2018年2月8日~5月20日
三菱一号館美術館
 
 
   ロベール・ド・ドムシー男爵の城館の大食堂壁面を飾った16点の装飾画が一堂に会するルドン回顧展。
 
 
   ロベール・ド・ドムシー(Robert de Domecy)男爵の城館ドムシー・シュル・ル・ヴォー城(Château de Domecy-sur-le-Vault)は、フランスのブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏ヨンネ県のアヴァロン郡にある小村ドムシー=シュル=ル=ヴォー(Domecy-sur-le-Vault)にある。
 
 
ヴィクトル・プティ著
『ヨンネ県の都市と田舎について』
1870年刊
   62-63頁の「DOMECY-SUR-LE-VAULT」の項が開かれている。「ヨンヌ県で最も重要な城となるドムシー城の建設が1866年に始まったと書かれている」とのこと。建設? 新築ということか、改築または増築ということか?


   ドムシー男爵は、1862年に生まれる。1880年父親を亡くす。


右「ドムシー男爵の出生証明書(1862年10月20日、ゴメルヴィル)写し」
左「ロベール・ド・ドムシー男爵の父、アンリ・ド・ドムシーの死亡通知状(1880年)」
   上記書籍にある城館の建設は、父親の代のことである。
 
 
「1892年5月8日付議会の選挙結果表(写し)」
   1892年5月8日に行われた自治体ドムシー=シュル=ル=ヴォーの議会選挙の結果、ドムシー男爵は2位以下に大差をつけた92票を獲得し、トップ当選を果たす。選挙時の肩書は年金(金利収入)生活者の独身となっている。この9日後に男爵は結婚する。


右「ロベール・ド・ドムシー男爵とジャンヌ・フロティエ・ド・バニューの結婚証明書(1892年5月17日付)写し」
左「ロベール・ド・ドムシー男爵とジャンヌ・フロティエ・ド・バニューの結婚通知状(1892年5月18日付)」
  お相手の女性は1870年生まれ、男爵より8歳年下である。
 
 
 
   1893年、ドムシー男爵はルドンと面識を得ると、ルドンの「黒」の時代の作品を購入し始め、やがてパステル、油彩も購入する。さらに夫人の肖像画も依頼する。
 
   本展にはドムシー男爵の旧蔵品だった2点の油彩画が出品されている。
《神秘的な対話》
1896年頃、油彩
岐阜県美術館
 
《ドムシー男爵夫人の肖像》
1900年、油彩、74.3×68.5cm
オルセー美術館
 
 
   左の作品について。ルドンの出納帳には1897年12月16日の男爵から本作品への支払いが記録されているとのこと。一人の女性が持っている「赤い小枝の付いた枝」が意味深、でも、画家はこれについて何も語っていないとの説明。
 
   右の作品について。1999年のオルセー美術館展以来の来日。1900年の制作だから、夫人30歳頃の肖像となる。
   画面の左半分を占める「微妙な色彩のニュアンスに包まれた、しかし余白としか呼びようのない背景」が意味深。左半分、そして右半分を隠して絵を鑑賞してみると、何か発見することがあるかもしれない(学芸員さんの示唆)。
   なお、ルドンによる夫人の肖像画は、本作のほか、同じ頃制作のポール・ゲッティ美術館所蔵のパステル画(61×42.4cm)が存在する。
 
 
 
 
   そして、1900年、ドムシー男爵は、ほとんど小品しか描いたことのなかったルドンに対して、城館の大食堂壁面の装飾画を依頼する。
   ルドンは総計で36平方メートルを下らない巨大な壁面を、当初は18分割することを考えたとされるが、最終的には16点の装飾画を仕上げたようである。1901年11月には完全にルドンの手を離れたとされる。




 会場内の画像は、ブロガー内覧会時に、主催者の許可を得て撮影したものです。
 
(続く)


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