東京でカラヴァッジョ 日記

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ドムシー城食堂装飾画 - ルドン 秘密の花園(三菱一号館美術館)

2018年02月14日 | 展覧会(西洋美術)
ルドン 秘密の花園
2018年2月8日~5月20日
三菱一号館美術館


   1900年、ドムシー男爵は、ほとんど小品しか描いたことのなかったルドンに対して、城館の大食堂壁面の装飾画を依頼する。
 
   ルドンは総計で36平方メートルを下らない巨大な壁面を、当初は18分割することを考えたとされるが、最終的には現存16点の装飾画を仕上げたとされる。
   現在三菱一号館美術館が所蔵する、装飾画の中心となるパステル画《グラン・ブーケ(大きな花束)》と、現在オルセー美術館が所蔵する、主に薄くのばした油絵具を広げたうえに、膠を使ったデトランプという技法で描かれた15点の作品である。

   1901年4月頃のドムシー男爵からルドンあての手紙で、パステルが無事届いたことを知らせているので、その頃までに《グラン・ブーケ》が完成していたことが分かる。大食堂全体の装飾画は、1901年11月には完全にルドンの手を離れたとされる。



ドムシー城食堂装飾画配置図
 
A面、B面、C面、D面の4面がある。
 
 
 
B面の4図
小文字bは暖炉が、cは扉があったことを示す。dはなぜか説明ないが、扉のようである。
 
3階の一番大きな展示室に展示。
 
 
 
C面の4図
小文字e、fは窓があったことを示す。
 
3階の一番大きな展示室に展示。
   ただし、《グラン・ブーケ》については、実物ではなく、実物大(たぶん)のパネル展示となっている。
 
   《グラン・ブーケ》実物は、《グラン・ブーケ》が展示されるときはいつもそこに展示される美術館2階の小さな暗室に今回もある。パステルであることから状態優先の措置なのだろう。
 
 
 
D面の3図
小文字gは窓があったことを示す。
 
3階の一番大きな展示室に展示。
 
 
 
さて、A面の5図。
小文字aは別にタペストリーがあったことを示す。
17世紀のタペストリーで、左右の端に木立、中央に田園風景が広がり、前景に羊が織られたものだとのこと。
 
 
  3階ではなく、2階の《グラン・ブーケ》の暗い展示室の一つ手前の小さな展示室に、一壁面ではなく、三壁面を使っての展示となっている。単にキャパの関係なのだろうか、それとも別の理由があるのか?
 
 
  城館の食堂では装飾画は随分高い位置(2メートル以上の高さ)に置かれたようである。このことを踏まえ、ルドンは絵の下部はきっちりと、上部は大まかに描いたようである。
 
 
 
 
   さて、ドムシー男爵は1946年に死去する。ルドンの装飾画は男爵の子供(3男7女に恵まれたとのこと)が受け継いだのだろう、世間の目には触れられないままひっそりと城館食堂に飾られている状態が続く。
 
 
   男爵の死去から30年が経過し、油彩の15点の装飾画はドムシー城を離れる。1978年に別人の手に渡ったらしい。1980年、日本で公開される。新宿の伊勢丹美術館ほか国内計6会場を巡回した「ルドン展」。なんとこれが油彩15点の世界初公開である。さらに、1988年、相続税の代物弁済としてフランス政府の所有となり、オルセー美術館に入る。
 
 
   その間も、《グラン・ブーケ》については、引き続きドムシー城に残り、ひっそりと食堂の壁面に置かれていた。
 
 
   さらに30年が経過し、《グラン・ブーケ》が売りに出される。2010年8月、三菱一号館美術館が購入する。そのままフランスに留め置いて2011年3月、パリのグラン・パレで開催されたルドンの大回顧展にて、他の油彩15点とともに展示される。《グラン・ブーケ》世界初公開となる。三菱一号館美術館での初公開は翌2012年1月のこと。以降も何度か公開されている。
 
 
  そして、2018年。三菱一号館美術館念願の全16点を揃えての展示が実現する。
 
 
 
   三菱一号館美術館の展覧会のもう一つの楽しみ、休憩コーナーにある参考書籍の棚。
   上段3冊は本展の図録。
   中段右から2冊めが、2011年グラン・パレでのルドン展図録。《グラン・ブーケ》が三菱一号館美術館所蔵として掲載されている。
   下段の一番右が、1980年伊勢丹美術館でのルドン展図録。15点の装飾画が原色または白黒写真で掲載されている。個人蔵とある。図録からは特別扱いの雰囲気は伺えないけど、実は世界初公開。
 
 
会場内の画像は、ブロガー内覧会時に、主催者の許可を得て撮影したものです。
 
 
(続く)


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