
2025年3月12日、DIC株式会社公表
「DIC と国際文化会館がアート・建築分野を起点とする協業に合意 ~建築ユニット SANAA が「ロスコ・ルーム」を設計~」
2025年3月12日、日経新聞記事
DIC川村記念美術館は、保有する戦後アメリカ美術のコレクションを中核に、東京・六本木の国際文化会館に移転するとのこと。2030年をめどに再開業するとしているようだ。
ロスコ「シーグラム壁画」や、ポロック、ステラ、さらにはモネの保有を続けるらしい。
そして、国際文化会館が建設を予定している新西館に「ロスコ・ルーム」を設置予定だという。
2025年3月14日、ブルームバーグ記事
DIC美術品移設を非難、時価1000億円超相当の保有不適切とオアシス
DIC川村記念美術館 1990–2025
作品、建築、自然
2025年2月8日〜3月31日
DIC川村記念美術館

2025年3月、前々月・前月に引き続き、DIC川村記念美術館に行く。
千葉・佐倉での最後のコレクション公開となる展覧会の再訪である。
前後期で一部作品に展示替えがあること、ロスコ・ルームをもう少し見ておきたいこともあるが、前回2月訪問時にジョゼフ・コーネルの作品に初めて興味をもったことが大きい。
JR佐倉駅から始発(9:00)の無料送迎バスに乗る。2月時は、京成佐倉駅から来たウォーホルのラッピングのバスであったが、今回はJR佐倉駅始発の普通の大型観光バス。乗客が明らかに増えている。乗り場には、係員も配置されている。
切符売場では、先に到着した京成佐倉駅発の送迎バスで来たのだろう人たちが列を作っている。現金限りの自動販売機2台のうち1台が故障中なのは1月時から変わらない。
多くの人は、切符売場には寄らず、美術館敷地に入っていく。2月から販売を開始した日付指定オンラインチケットなどを事前入手しているようだ。私も送迎バスのなかで、日付指定オンラインチケットを購入している。
1月時は、開館時刻(9:30)まで門の前で待ったが、2月時・今回とも、開館時刻を待たずして、敷地内に入れる。

開館時刻までは、美術館の前で待つ。
2月時より、列が長くなっている。
〈参考:2月時〉

今回も106室「ロスコ・ルーム」に直行する。
マーク・ロスコによる7点の「シーグラム壁画」を展示するため用意された、変形七角形の薄暗い部屋。
「美術館の照明はLEDに移行していますが、本展示室のみ、画面の繊細な凹凸を拾うためにハロゲン灯の使用を継続しています」。
三番乗り。
今回も、早々に部屋の中央に置かれたソファーに空きがないような状況となるが、2月時より、盛況な印象。
他展示室を回ってから戻ってくると、入室が規制されている。意外にも?回転が早いようで、すぐに入室できる。
7枚の大画面の絵。
《無題》 1958年、264.8×252.1cm
《「壁画 No.1」のためのスケッチ》 1958年、266.7×304.8cm
《無題》 1959年、266.7×455.9cm
《壁画セクション1》 1959年、266.1×453.8cm
《「壁画 No.4」のためのスケッチ》 1958年、265.8×379.4cm
《壁画スケッチ》 1959年、182.9×228.6cm
《壁画スケッチ》 1958年、167.6×152.4cm
2月時と同様の見方、壁、壁の跡や壁のシミを現実離れした色彩で描いた作品、描かれた壁とその暗色系の色彩を楽しむ作品として、鑑賞する。
これまでは目が慣れて画面が見えるようになるまでに多少の時間を要したが、今回は、入室して即見えることに驚く。
2022年訪問時に、若いカップルが106室に入ろうとした瞬間、彼女が「気持ち悪い」と呟き、2人は足を踏み入れることなく即座に、文字どおり踵を返して立ち去った光景に出くわした。
今回、ロスコの前に立つ、赤髪で黒のスーツの若い女性を見かける。その後ろ姿は、ロスコ・ルームに似合うなあと思う(しげしげとは見ていません)。
ところで、六本木のロスコ・ルームは、佐倉のものよりも部屋面積が拡大されるのだろうか。
2009年開催の「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」展ポスター

館所蔵の《無題》 1958年、264.8×252.1cmが使用されている。
続いて、200室。
左右に大きなガラス窓が広がる、明るくて、白い壁面の展示室。
本展では、何も展示されていないが、「当初バーネット・ニューマン《アンナの光》の真っ赤な絵画を展示するために計算された展示室であったため、「建物を作品に返す」意味を込めてあえて展示を行いませんでした」との説明。
展示室の白い壁面を見つめていると、超大型の真っ白な絵画を見ているような気になってくる。
2010年開催の「アメリカ抽象絵画の巨匠 バーネット・ニューマン」展ポスター

《アンナの光》の部分図。
これだけだと、ただ赤く塗られただけの画面。
105室。
「箱のアーティスト」ジョゼフ・コーネルの、館が所蔵する17点、箱の作品7点とそれ以外10点の全てが一挙公開されている。
2月時に、初めてコーネルの箱の作品に興味を持った私。
立体のコラージュ、作家の思い入れのある(ように思わせた)品たちで構成される小世界を楽しむ。
《海ホテル(砂の泉)》1958-59年頃
《無題(ラ・ベラ[パルミジャニーノ])》1950-56年頃
《無題(オウムと蝶の住まい)》1948年頃
《鳩小屋:アメリカーナ》1950年代初め
《鳥たちの天空航法》1961年頃
《無題(星ホテル)》1956年頃
《無題(ピアノ)》1947-48年頃
2022-23年のコレクション展示のポスター

コーネルのコラージュ作品1点を新たに収蔵したことを機に、館所蔵のコーネル作品全17点が一挙公開されたようだ。なお、そのときの展示室は110室。
ほかに、モネ、レンブラントや、後期展示のマグリット《冒険の衣服》1926年などを楽しむ。
1992年開催の「レンブラント 彼と師と弟子たち」展ポスター

2002年開催の「モネ「睡蓮の世界」」展ポスター

*展覧会ポスターの画像は、第1ギャラリーで開催中の「展覧会クロニカル」にて撮影。
本展の最後の壁に、「結び」の言葉が掲示されている。
以下、抜粋。
DIC川村記念美術館は、作品と見る人の出会いを大切に、作品が発する言葉を解説という形で代弁するのではなく、作品自体に語らせる展示を心がけてきました。
これにより、美術作品の表現する人間の感情や感覚、あるいは思考や意志に応答しようとするあなたの内なる声を先回りせずに、表出させることのできる余白を残すと考えてきたからです。
そして何より、あなた自身が自分の発した内なる声を聴きとる場となることを願ってきました。
思えばこのような自由で成熟した場を目指して、34年もの間活動できたことは奇跡に近いかもしれません。
帰りは、12:45発の送迎バスに乗る。
京成佐倉駅行き(JR佐倉駅は経由しない)と、JR佐倉駅行きが、それぞれ普通の大型観光バス1台。それでは乗り切れないことに備え、ラッピングバス各1台が用意され、実際に少なくともJR佐倉駅行きは発車された模様。