今期(2022/3/18〜5/8)の「MOMATコレクション」の戦争記録画展示コーナー。
「日本画と戦争」と題し、日本画家による作品5点が展示される。
「比較的若手で、戦前から日本画の新しい表現に取り組んでいた画家たち」による「日本画の画材による戦争の表現を模索した」作品。
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小堀安雄
《イサベル島沖海》1943年
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山口蓬春
《香港島最後の総攻撃図》1942年
当時、「静的なピトレスクな絵画的効果」、「大和絵風の描写をうまく生かして、陥落三日前の香港島をうまく描き出している」と評価されたという。
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福田豊四郎
《英領ボルネオを衝く》1942年頃
この1作のみで福田は作戦記録画を離れるが、引き続き日本画の戦争表現を追求する作品を発表している。
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吉岡堅二
《カリジャティ西方の爆撃》1942年
空爆による破壊を写実的に描く。
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川端龍子
《輸送船団海南島出発》1944年頃
輸送船団に、日月と南十字星。日月の意匠には天に命運を祈るという意味合いがあり、南十字星は当時、南方への領土拡大のシンボルであったとのこと。
画家による戦争協力は、陸海軍の委嘱による作戦記録画の制作にとどまらない。
日本画家たちはまた、作品を売ってその収益を軍に献納することでも戦争に協力する。
今期は、戦争記録画ととともに、1942年開催の「軍用機献納作品展」の出品作品184点のうち5点が展示される。
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(右より)
吉岡堅二《雉子》1942年
福田豊四郎《黄蜀葵(とろろあおい)》1942年
山口蓬春《残寒》1942年
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(右より)
川崎小虎《白菜》1942年
横山大観《春風万里乃濤》1942年
本館1階で開催中の企画展「没後50年 鏑木清方展」。
同展の出品作のひとつ、1942年制作の《初東風》(同館蔵)は、初東風(新年になって初めて吹く東風)のもと、空を飛ぶ多くの凧を見上げる若い女性を描く。
会場内解説では、本作は「新年をことほぐ意味を込めた美人画」だが、時代は「祝意は何でも戦勝祝に読み替えられた時代」だと記している。
また、会場内で放映される映像から、画家本人の「戦争などで世相が不穏になると、ひそかなる反抗としてことさら美人画を描いていた」旨(*)の音声が響いている。(*)展覧会公式Twitterのリツイートから引用
ただ、《初東風》の画風からは、「祝意は何でも戦勝祝に読み替えられた」ご時世であることを利用して、一見戦争とは無関係な美人画としながら、戦時体制を描いた気配が濃厚。
そのあと常設展に移って「日本画と戦争」の解説を読み、《初東風》も、1942年の「軍用機献納作品展」の出品作だと知る。
あの時代の画家の身の処し方を考えさせられる。