東京でカラヴァッジョ 日記

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カラヴァッジョ≪聖マタイの召命≫(名作を追う)

2014年05月16日 | 西洋美術・各国美術

須賀敦子『トリエステの坂道』所収「ふるえる手」

【1991年春】
 『マッテオの召出し』がある左手の祭壇は、窓になっているはずの壁面も二幅の絵でふさがれているために、外光が完全にさえぎられて、まっ暗なものだから、壁にとりつけた鉄製の小箱に二百リラのコインを入れると、ぱっと照明がつく仕掛けになっている。

  もっと近くから見たい。そう思った途端、照明が消えた。二百リラ分の観覧が終わったのだ。観光客がざわめついて、だれかがもう一回コインを小箱に入れる音がした。そういうことがなんどか繰り返されて、そのたびに、見学人がざわざわと入れかわった。こんどこそ前に出ようと思うのだが、団体客の壁にはばまれて、私はいつも後ろにとりのこされる。

【その半年後】
  まだ早い時間のせいか教会のなかには旅行者のすがたもなく、がらんとした薄闇だけが沈黙につつまれていた。用意したコインをつぎつぎと箱に入れて、こんどこそ思いのままに時間がすごせるはずだった。

  二百リラ分の照明が切れるたびに、あわただしくつぎのコインを入れなければならない。(略)小学生の一群が若い男の教師に引率されてはいってきた。まだ画学生のようにみえる若い教師が絵の説明をするのを、子供たちは神妙に聴いている。そのうちに、私は奇妙なことに気がついた。照明が消えると、教師は、そっぽを向いたままで、私がコインを入れるのを待っているのだ。そして照明がもどると、また子供たちに説明をはじめる。なにやら鼻白んだ気持で、その場を離れることとした。すると、もうひとつ、奇妙なことが起こった。私の近くにいた何人かの子供が、おばさん、ありがとう、と小声でいったのだ。



私も加わりたい。コインを入れたい。
8年前の夏に敢行した、5泊7日のローマ・ナポリ旅行で実現。

絵を見る。
照明が消える。すぐに誰かがコインを入れる音がして、照明がつく。
絵を見る。
その繰り返し。

入れてもらってばかりだと悪いから、たまには私も小箱にコインを入れる。
小箱近くの人が、私に軽く礼をする。
コインを入れた権利だとばかり、前面に出ていって見る。
逆にコインを入れてもらっているときは、遠慮して後方から見る。
その繰り返し。


マッテオの手は光を浴びて輝いている。
質が悪い写真では限界があるが。







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