東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

細川祐子著『ロンドン・ナショナル・ギャラリー』を読む。

2020年12月02日 | 書籍
細川祐子
『ロンドン・ナショナル・ギャラリー  名画がささやく激動の歴史』
明石書店、2020年11月初版
 
   都心の大型書店の美術書コーナーの平台に積まれている。
   この時期に、新刊のロンドン・ナショナル・ギャラリー本? あと4ヶ月くらい早ければ。ただ、大阪会場の会期には間に合っている。
 
   目次を見る。全15章。
   各章とも、LNG所蔵作品を取り上げ、その作品や画家を巡る話を展開させている。
   以下、各章が取り上げる画家・作品。
 
序章:ヘンリー・ジェームズ『抗議の叫び』
1章:《ウィルトンの二連祭壇画》
2章:ウッチェロ《聖ジョージとドラゴン》
3章:マセイス《醜い老婆》
4章:ラッファエッロ《教皇ユリウス2世》
5章:ベッリーニ《ロレダン総督》
6章:ホルバイン《大使たち》
7章:ホルバインのチューダー・ポートレート
8章:モローニ
9章:カラヴァッジョ《エマオの晩餐》
10章:ブリューゲルとアーフェルカンプ
11章:カナレット
12章:ホガース《当世風結婚》
13章:ルブランとダヴィッド
最終章:ドラロッシュ、クリヴェッリ、ファン・エイク
 
   「昔」限定で、選択がマニアック。
    LNG展の出品作に関係する章もあるが、全くスルーされている北方美術に関する章も多い。
    私のような人間が購入しないならば、誰が購入するだろうか、と意気込んで購入する。
 
(蛇足だが、序章は画家ではなく、作家・小説。因みに著者は、最近この小説の翻訳書を出したようだ。)
 
 
 
   関心の高い章から順に、半分強の章を読んだところだが、興味深い。
 
   材料が一杯詰め込まれている感。
   その分、構成・文章がこなれていないなあと感じる箇所や、一読だけでは誤読しそうな箇所も見受けられる。また、正確ではないと思われる箇所も(気付いた範囲では、p26のゴンザーガ家のヴィンチェンツィオ1世にかかる記述、p418のクリヴェッリ作品の発注年にかかる記述の2点)。
 
   その辺りを留意すれば、西洋美術をこのような形で語ってくれる書籍は近年出会ったことがなく、貴重な存在だと思う。
 
   この書籍から得た情報をきっかけに、自ら調べていければと思う。
 
 
 
   私が本書により初めて知った情報を1点だけ。
   ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》について。
 
   ナショナル・ギャラリー所蔵作品とパリ・ジャックマール=アンドレ美術館所蔵作品のほかに、もう1点《聖ゲオルギウスと竜》を描いた作品が存在するとのこと。
ウッチェロ
《聖ゲオルギウスと竜》
1430年頃、62.2×38.8cm
メルボルン、ヴィクトリア国立美術館
 
   後年の2作品とは、随分違う。
   「馬から降りて、なんとドラゴンと取っ組み合いをしている」聖ゲオルギウス。
   「この展開に興奮を隠せない姫の目つき」。
   手元の東京書籍刊のウッチェロ画集には掲載されていない作品。
 
 
 
   もう一つ、パリ・ジャックマール=アンドレ美術館所蔵作品について。
   本書では個人所蔵と記載。よく分からないが、どちらも正しいのかもしれない。
   また、サイズが52×90cmと記載。もっと大きかったはず、と確認すると、52×90cm説(前述の東京書籍本)もあれば、103×131cm説(芸術新潮2020年4月号)もある。本家の美術館サイトには、103×131cmとあるので、それが正しいのだろうが、何故このような大きな差が出たのだろうか、気になるところ。
 
 
   あと、詩人U.A.ファンホープ(1929〜2009)がLNG所蔵の本作を見て綴った「Not my best side」という詩。英語詩を読む能力はないが、面白そう。
 
 
   という感じで、本書を楽しんでいる。


6 コメント

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ウッチェロのこと(1) (むろさん)
2020-12-07 01:09:05
メルボルン・ヴィクトリア国立美術館の作品のカラー図版を掲載いただき、ありがとうございます(この作品は初めて見ました)。今回の西美LNG展に先立ち、私もかつてないほどにウッチェロのことを調べてから展覧会に臨みました。聖ゲオルギウスの3作品について(多少長くなりますが)コメントを書きます。

日本語で読めるウッチェロ単独の本は、本文記載の東京書籍版(原著はSCALA)の他は平凡社版ファブリ世界名画集64辻佐保子1972 だけだと思います。この他、本の中の一部として取り上げているものでは、NHKフィレンツェ・ルネサンス3と小学館世界美術大全集11イタリア・ルネサンス1ぐらいでしょうか。また、ヴァザーリの芸術家列伝(白水社版と中央公論美術出版の全訳版)収録のウッチェロ伝、朝日文庫世界名画の旅3イタリア編1989 収録のウッチェロの話もなかなか面白く読めます。なお、これらの本にはどれもメルボルンの聖ゲオルギウスのことは出ていません。

手持ちの洋書でウッチェロ単独の本はRIZZOLI(L’opera completa di Paolo Uccello 1971 伊語版)だけです(RIZZOLI集英社版は日本で有名な画家の分だけで、ウッチェロは日本語訳されていません)。この伊語版RIZZOLIのカタログ部分を見てもメルボルンの聖ゲオルギウスは扱っていません(メルボルンの同館所蔵で掲載されているのは女性の半身横顔の像だけで、しかも「他の帰属作品」欄に簡単に紹介のみ)。
この他の手持ち資料では、ナショナルギャラリーカタログ「15世紀イタリア絵画Vol.1」2003(英語)が、フラ・アンジェリコ、マザッチオ、フィリッポ・リッピ、ウッチェロ他数人のLNG所蔵作品のことを詳細に記載していて、ウッチェロではサン・ロマーノの戦いと聖ゲオルギウスの2点を扱っています。西美LNG展のウッチェロ作品の準備資料として最も役に立った本ですが、今回見直してみたらメルボルンの聖ゲオルギウスのことも書かれていました(図は掲載なし)。それによると、「ウッチェロと彼の工房による作品で現存する聖ゲオルギウスとドラゴンの絵は、LNG作品の他に2点のバージョンがある。メルボルンの絵はウッチェロでは大変早い時期の多少出来が悪い作品で、かつて『カールスルーエの幼児キリスト礼拝の画家』の作とされていた。Daviesはバーリントンマガジン1959で、LNG作品とメルボルン作品が同じ画家によるものではないことを示すために、この2点を詳細に比較している。その後1978~80年に『ボローニャの幼児礼拝の絵』に1431か37の年記があることが発見され、これがウッチェロの作と考えられ、さらにカールスルーエの絵と同じ手によるものと判断されるので、カールスルーエの絵もウッチェロの作である可能性が高く、メルボルンの絵もウッチェロの作とされた。」とあります。
カールスルーエ国立美術館の幼児礼拝は
http://www.ipernity.com/doc/1654608/38782184
ボローニャのSan Martinoの幼児礼拝は
http://senzadedica.blogspot.com/2014/12/ladorazione-del-bambino-di-paolo.html

メルボルンの聖ゲオルギウスの写真を見た私の感想は、「ウッチェロとは作風が違う」。特に王女様の顔つきはウッチェロらしくないと思うし、上部の金地背景も例がありません。ウッチェロの描く女性像の典型は、LNGやジャクマール・アンドレの聖ゲオルギウスの王女様、NYメトロポリタン美の横顔の女性像、(作者には異論もありますが)プラート大聖堂の聖母誕生場面のフレスコ画女性像(東京書籍SCALA版P18、横顔や斜め前向きの女性等)などです。一方、メルボルンの絵の城壁に囲まれた建物、岩山、馬、ドラゴンの羽の丸い文様などはウッチェロに近いものを感じます。ボッティチェリやフィリッポ・リッピの工房作、周辺作、模倣作などを見ていて感じるのですが、全体のスタイルはよく似ているのに、聖母や天使の表情が全くその画家本人の作風を感じられないという絵がよくあります。このメルボルンの絵もそういった作品のような気がします。あるいは部分的に後世の改変の手が入っていることも考えられます(傷んだための補修あるいは時代の要請による流行の表情への描き直し等)。ただ、上記ナショナルギャラリーカタログに書かれているように、初期作品ということなら、例えばフィレンツェSMノヴェッラの緑の回廊のフレスコ画のうち、アダムとイブの画面のような1430年代の作品と比べてみる必要があると思います(今後の課題です)。1971年のRIZZOLIのカタログに出ていないのは上記のように1978~80年にボローニャの幼児礼拝に年号が発見されたためであり、RIZZOLIカタログにはボローニャの絵も掲載されていません。なお、カールスルーエの絵は掲載されていますが、1443~56?というやや遅めの年代設定(サン・ロマーノの戦いが1456年なのでそれより前)となっています(新事実の発見により年代判定が見直される例)。

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ウッチェロのこと(2) (むろさん)
2020-12-07 01:11:16
ついでにLNGとジャクマール・アンドレの聖ゲオルギウスのこと、そしてウッチェロについて最近考えていることを書きます。上記のナショナルギャラリーカタログでは、聖ゲオルギウスについてはロンドン作品とパリ作品が描かれた前後関係も論じています。パリ作品は板絵/テンペラ、ロンドン作品はカンヴァス/油彩であること、両者の遠近法の表現の差(ロンドン作品の方が進化している)、ウフィッツイ所蔵の騎馬像の素描も加えて考えると、パリ作品→ウフィッツイ素描→ロンドン作品の順とするのが様式上相応しいこと、パリ作品は「1465年の文献(フィレンツェ商人が1465年の記録に書いたウッチェロ作の聖ゲオルギウス板絵の寸法など)との関連」(後で詳しく書きます)から年代が推定される等々が書かれています。東京書籍SCALA版P22には「様式からロンドン作品の方が古い」としていますが、これは通説と逆であり、他のほとんどの本に書かれている通りロンドン作品はパリ作品の発展版だと思います。私も西美LNG展でジャクマール・アンドレの作品の写真を準備してじっくり見比べましたが、一見同じように見える王女様の表現も、パリ作品の王女様が真横から見た表現であるのに対し、LNG作品の王女様は手や胸の表現に前後差をつけることで奥行を表していることなど、LNG作品の方が後だろうと感じました。

ロンドン作品はフィレンツェ周辺で最古の油彩画なのか
芸術新潮2020年4月号ではLNG展出品の聖ゲオルギウスがフィレンツェ周辺での油彩画の古作の一つとしています。この件についても今回考えてみました。芸術新潮2007年6月号のレオナルド受胎告知来日記念特集に、1470年頃にはポライウォーロ(ウフィツィの六美徳寓意像)やヴェロッキョ(LNGのトビアスと大天使)の絵にも部分的に油彩を使っていると書かれています。レオナルド・ダ・ヴィンチならヴェロッキョ工房にいた1472~75年頃の受胎告知やキリスト洗礼の天使を油彩で描いたということに疑問はありませんし、遠近法研究に夢中になっていた「変人」のウッチェロなら晩年(1470年頃)になって油彩画に挑戦してもおかしくないと思います。一方、ボッティチェリの初期作品であるウフィツィの「ロッジアの聖母」(1466~67年頃のフィリッポ・リッピの影響があり、ヴェロッキョに関係する前の時期の作)が、以前は全ての本で板絵/テンペラとしていたのに、最近の本では油彩/板とされています(都美ウフィツィ美術館展図録及び渋谷ブンカムラのボッティチェリとルネサンスMoney and Beauty展図録の解説。2014年と2015年に来日)。これは私が目にしたフィレンツェ周辺での油彩とされる最も早い時期の例であり、最近の科学的分析により、従来テンペラとされてきた作品のうち油彩と判断されるものが出てきたことなのかと思いますが、こういう早い時期にボッティチェリ周辺で油彩が使われていたのかをきちんと評価した研究は見たことがありません。こういう例は美術館側が修復や新規購入のタイミングに合わせて外部の分析機関に依頼して出てきた結果を、そのまま無批判に掲載しているだけということもあるのではないかと思います。LNGのウッチェロ作聖ゲオルギウスは1470年頃のフィレンツェ周辺ではごく初期の油彩画の例ということですが、ウフィツィのボッティチェリ作ロッジアの聖母(1466~67年頃)はもっと古いということになります。しかしボッティチェリが20代前半の1467年頃、ヴェロッキョ工房に関係する前(リッピがスポレートに移った1467年以降にヴェロッキョ工房に関係したのは確実)に油彩画を描いたとはとても思えません。1470年前後にはフィレンツェでもいろいろな画家が油彩に取り組み始めていたので、ウッチェロ作LNG聖ゲオルギウスを1470年頃まで下げるということなら、必ずしもこの絵がフィレンツェ周辺で最古の油彩画とは言えなくなるのかと思います。(1470年の直前にヴェロッキョ工房、ポライウォーロ工房、晩年のウッチェロが油彩を使っていたことを認める一方で、晩年のフィリッポ・リッピとその弟子のボッティチェリが油彩に挑戦することはありえないと考えるのは私の偏見かもしれませんが。)
ボッティチェリ作ウフィツィのロッジアの聖母は下記(このウフィッツイのサイトでも油彩となっています)。
https://www.uffizi.it/opere/madonna-loggia-botticelli

次に聖ゲオルギウスの絵の寸法について、上記の手持ちの洋書では、
RIZZOLIカタログ:LNG作品 57×73、ジャクマール・アンドレ作品 52×90
LNGカタログ:LNG作品 58.5×75.7、ジャクマール・アンドレ作品 52×90、額縁を入れて62.6×102 cm
私がジャクマール・アンドレ作品を見たのは数十年前の初めてパリへ行った時で、記憶もはっきりしていませんが小さい絵だった覚えがあり、今回西美で見たLNG作品と同じぐらいだったような気がします。(なお、ジャクマール・アンドレへ行ったのはボッティチェリ晩年の工房作である「エジプトへの逃避」を見るためですが、残念ながら展示されていませんでした。その後ボッティチェリ初期作品?の聖母子も美術館に入っているので、将来また挑戦してみたいと思っています。)
https://www.musee-jacquemart-andre.com/fr/oeuvres/fuite-en-egypte
https://www.musee-jacquemart-andre.com/en/oeuvres/virgin-and-child-0

そして、何故このジャクマール・アンドレ作品の寸法にこだわるかというと、上記の1465年の記録に関する論文(James.Beck1979年、仏Gazette des Beaux-Arts誌93号)では、板絵の寸法からこれをジャクマール・アンドレ作品のことと判断し、その記録より少し前(1460年頃)に描かれたとして年代が推定されています。これに連動してLNG作品の年代を従来考えられていた時期より遅らせて1470年頃としています。そうなるとLNG作品がフィレンツェ周辺での最古の油彩/カンヴァス作品と言えるのかという問題につながってくる、ということです。J.Beck論文は読んでいませんが、寸法のことについては上記のナショナルギャラリーカタログの聖ゲオルギウスの解説に論文の内容が引用されていて、「1465年のフィレンツェ商人ロレンツォ・ディ・マッテオ・モレッリの記録に書かれている聖ゲオルギウス板絵の画家はウッチェロ、額縁作者は木工家のヤコポ、絵の値段は何フロリンで、寸法は長さ1.5ブラッチオ、幅1と1/8ブラッチオ」(1braccio Fiorentino=58.36cmなので、65×87cm)、そして「パリ作品は上部が切断されている」、「パリ作品は52×90 cmを測る」、「Blondelの非公刊カタログでは額縁を含む寸法として62.6×102 cmを与えている」とあります。65cmあったものの上部が切断されて52cmになった(87cmと90 cmは誤差範囲)と考え、1465年の記録とジャクマール・アンドレ美術館の絵のサイズがほぼ一致しているので同一作品と判断されるということです。私は板絵の寸法は52×90 cmが正しいと思います。なお、芸術新潮2020年4月号のP83下に書かれている「1465年の文献とを関連づける研究」というのがこのJ.Beck論文のことです。
(ジャクマール・アンドレ美術館サイトのデータには他の部分にも疑問点*があり、私は103×131cmの数値を含めこのサイトのデータを全面的には信用していません。*制作年代を1430~35年としていて、少し古く見積もり過ぎていると感じます。J.Beck論文の1460年頃という推定を採用しない方針だとしても、J.Beck論文が出る前に出版されたRIZZOLIカタログでは、1456-60年頃としていて、年代推定としては遡っても1450年代前半ぐらいまでだと思います。また、このサイトで1470年頃の上記のジャクマール・アンドレのボッティチェリ?の聖母子を油彩としていることも疑問です。なお、RIZZOLIカタログではLNG作品を1456年頃としていて、LNG作品とパリ作品の順序は通説とは逆の年代判定になっています。)

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ウッチェロのこと(3) (むろさん)
2020-12-07 01:13:11
ウッチェロに関するその他の話題
ロンドン作品では、王女様がドラゴンに生贄として囚われているというよりも、まるで鎖につないだペットを連れて散歩しているように見えるので、15世紀後半のフィレンツェにしては随分と稚拙な表現だとずっと思っていました。今回のLNG展に合わせて、手持ちの黄金伝説(藤代幸一訳 黄金伝説抄 新泉社1983年)を読み直したところ、「(ゲオルギウスの槍の一撃で倒れた竜の首に王女の帯をつなぐと)まるで飼い犬のように、竜は彼女の後からついて来ます」と書かれていたので、稚拙どころかとても物語に忠実な表現をしていることに驚き、ウッチェロを見直しました。これも今回の発見の一つです。

ヴァザーリの芸術家列伝が伝える「遠近法が可愛くて」の件
ウッチェロが遠近法に熱中していたことを示す有名な話として、ヴァザーリのウッチェロ伝の最後のところで、「妻がもう寝るようにと夫に声をかけると、彼は『ああ、この遠近法というのは可愛い奴でなあ』と答えるのが癖だった。」(白水社版より)という文章があります。イタリア語の原書ではO che dolce cosa è questa prospettiva !(直訳:おお、この遠近法はなんて素晴らしいことでしょう。)イタリア語dolceの意味は通常「甘い」ですが、これを「素晴らしい」とか「可愛い奴」と訳しています。上記の朝日文庫版世界名画の旅3では、(ドルチェ=「甘いお菓子」のことを書いた後に)「本当にウッチェロはdolceという言葉を使ったのか?という問いに対し、ウフィッツイのカネバ女史は、ヴァザーリの創作かもしれないが、いかにもウッチェロが言いそうな、ぴったりの言葉だわ、という答えだった」とあります。

私がこのdolceという言葉に注目しているのは、当時の人がボッティチェリを「aria virile男らしい作風」としているのに対し、フィリッピーノ・リッピとペルジーノの作風をドルチェ、甘いとしていることからです。このボッティチェリらしくない評価の真意は何であるのかについて、研究者の間では長年議論されてきた問題で、文庫版春の戴冠の東大小佐野先生の解説や都美ボッティチェリ展図録P27のネルソン氏論文「フィリッピーノ・リッピ、ボッティチェリの弟子にしてライバル」にも書かれています(フィリッピーノはpiu dolce=より甘い作風、ペルジーノはmolto dolce=とても甘い作風)。この問題は上記ネルソン氏論文でvirileとは遠近法の扱いなどがしっかりしていることを意味するとして、フィリッピーノよりもボッティチェリの遠近法の方が優れていることを例にして説明しています。同じドルチェという言葉に関して、遠近法に熱中したウッチェロが使ったとヴァザーリが述べている言葉と遠近法の技術的な差について当時の人が使った言葉が同じだったことに何か不思議な因縁を感じています。

辻佐保子氏とウッチェロ
ファブリ画集日本語版について、なぜ中世ロマネスク美術の研究者である辻佐保子さんがルネサンス期のウッチェロを執筆しているのかと以前から思っていましたが、今回よく読んでみたら辻さんのウッチェロ愛やウッチェロ作品の魅力もよく分かりました。辻氏によると、「ウッチェロの作品は一度その魅力に呪縛されると容易に逃れようのない魔力をそなえている」そうです。これを読んで石鍋先生がカラヴァッジョ伝記集で「カラヴァッジョに噛みつかれた者はカラヴァッジョの真実への旅を永遠に続けなければならない」と書いていることを思い出しました。石鍋先生から以前聞いた話ですが、辻佐保子氏の生前に辻氏の弟子の金原由紀子氏と一緒に辻邸を訪れて、蔵書などを見せてもらった(都内のマンションならば、辻邦生の書斎も合わせてかもしれません)ということなので、石鍋氏と辻佐保子氏は同じ西洋美術史研究者仲間として親しくされていたようで、この記述は元々誰か欧米の研究者が言った言葉であり、石鍋氏は辻氏の話を聞いてカラヴァッジョについても同じような表現をしたのかもしれません。癖があるけれども魅力的な画家として、クリヴェッリやフィリッポ・リッピなどと同様、ウッチェロについても今回の一連の確認で、このように思う気持ちがよく分る気がしました。辻佐保子氏は専門であるロマネスク絵画・彫刻に通じる素朴で愛らしい表現と同じものをウッチェロに感じ取っていたのだと思います。

ウッチェロの1枚の絵(LNGの聖ゲオルギウス)をこれだけ長時間眺めていたのも初めてであり、この絵をきっかけにしていろいろ調べた結果、ウッチェロのことをよく理解できたし、ウッチェロの魅力も少しは分かってきたと思っています。メルボルンの聖ゲオルギウスのこともこのブログで話題にしていただいたことをきっかけにして、いろいろ調べることができました。コロナ問題で海外旅行もできず、美術展も減り、大学図書館にも行かれない状況の中で、過去に集めた本やコピーなどの資料だけでもかなり多くのことを調べることができるのが分かったので、今は充電期間だと思って、興味のあるテーマがあったら今後も深く追求していくつもりです。

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Unknown ()
2020-12-07 22:20:13
むろさん様

コメントありがとうございます。たいへんな情報量にびっくりです。いろいろとご教示いただきありがとうございます。

メルボルン作品については、手元の書籍(と言っても、東京書籍の本と、雑誌の週刊グレート・アーティスト42巻の2冊のみです。)に見当たらないので、本人作ではなく、工房作、追随者、または「伝」作品だろうなあと漠然と思っていたところです。
美術館サイトには「1430年頃、ヴェネツィアに滞在中に描いた」程度の情報でした。
『ボローニャの幼児礼拝の絵』(画像紹介ありがとうございます)→『カールスルーエの幼児キリスト礼拝の画家』(画像紹介ありがとうございます)→メルボルン作品、という経緯でウッチェロに帰属となったのですね。

パリ作品の寸法について、52×90cmと103×131cmとでは、誤差の範囲を大幅に超えていますし、縦横比も大きく異なりますし、画像の縦横比を見る限りでは52×90cmが妥当に思えますけど、何故このような事態が発生したのか不思議だなあ、と漠然と思って記載した次第です。過去の記録にある作品と同定できるか否かの観点から、非常に重要なポイントだったのですね。

黄金伝説の記述は、細川祐子氏の著書にも紹介されていました。ロンドン作品は、記述に忠実な表現をしているのだ、と感心していたところです。また、その竜は、「聖人に刺される」と「姫に青い帯につながれる」という二つの時を、一つの姿で描かれているのだそうです、なるほどですかねえ。

ウッチェロの代表作と言えば、「サン・ロマーノの戦い」三部作と、《ジョン・ホークウッド騎馬像》と、サンタ・マリア・ノヴェッラの回廊壁画、あとオックスフォードの《森の狩り》あたりになるのでしょうか。私的には、ウルビーノの《聖餅の奇蹟》も気になります。
しかし、日本にいながらにして、ウッチェロ作品を実見できる日が来るとは想像もしませんでした。LNG展関係者に感謝です。

話が変わって、辻佐保子氏の『たえず書く人 辻邦生と暮らして』の該当章を読みました。いずれファブリ画集日本語版のウッチェロも読んでみたいと思います。
ただ、その前に、私的な優先課題として、以前ご教示いただいた岡田温司氏の『ミメーシスを超えて』の該当章およびその関連資料を読まなくては、と認識しているところです。
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ウッチェロのこと(4) (むろさん)
2020-12-11 22:01:06
辻佐保子著ファブリ名画集日本語版64「ウッチェロ」には、カールスルーエ「三博士礼拝図」の画家のこと及びドルチェ・プロスペッティーヴァ(甘美なる遠近法)という言葉が出てきます。以前読んだ時にはこのへんは読み流していましたが、今回メルボルンの絵との関連や朝日文庫世界名画の旅3(dolceのこと)、そしてヴァザーリ芸術家列伝の原語(下記アドレス。1568年の第2版ジュンティーナ版全文)を確認したことで、辻氏の文章の意味が理解できました。このファブリ画集は古い本ですが、大きな図書館にはあると思います。
http://www.memofonte.it/home/files/pdf/vasari_vite_giuntina.pdf
(431/1249のページI268からUccello伝。次がGhibertiで、その直前の下から4行目にOh che dolce cosa è questa prospettiva! の文章があります。なお、Botticelli伝はI470)

これまでウッチェロは特に好きでも嫌いでもなく、教会や美術館巡りをする時に、そこにあれば見るという程度でしたが、今思い返してみるとかなり多くの作品を見ていました。代表作としては上記コメントで挙げられたものの他には、LNGとジャクマール・アンドレの聖ゲオルギウス、(異論はあるが)プラート大聖堂アッスンタ礼拝堂壁画ぐらいでしょうか。オックスフォードへ行ったのはラファエル前派、バーン・ジョーンズの天使のステンドグラスを見るのとアシュモレアンへ行くためでしたが、ステンドグラスはクライストチャーチが閉まっていて見られず、アシュモレアンもウッチェロの絵以外何を見たのか記憶がありません。鹿狩の解説の本があったので、それだけは買ってきました。鹿狩の遠近法を解析して馬の位置を平面図に書き落とした図(横長の絵なので視点が画面と平行に何か所もあり、遠近法の消失点=鹿の位置 を見るポイントとは別の視点で馬を描いている)とかギリシャ美術以来の西洋美術史における狩りの絵の主題についてなどの解説が載っています。プラート大聖堂はフィリッポ・リッピのフレスコ画を見るために行ったのですが、隣の礼拝堂に推定ウッチェロのフレスコ画もありました。見たことは覚えていますが、あまり時間はかけていないので、将来また行く機会があったら今度はウッチェロの方もじっくり見ようと思います(リッピのキリスト割礼の絵があるスピリト・サント教会を時間切れで見逃したことと、私が行った後に大聖堂のリッピの壁画は修復されたので、一生のうちにもう一度プラートへは行きたいと思っています。例の若い尼さんルクレツィア・ブーティとの騒動の舞台となった旧修道院やリッピの家の旧跡などを訪ねてみたいという気もあります)。ウルビーノは行ったことがないので、是非行ってみたいと思っている町の一つです。

ご紹介の細川祐子著ロンドン・ナショナルギャラリー、私も数日前に近くの本屋で確認しました。確かに黄金伝説の聖ゲオルギウスのことも書いてありました。その他の部分でも、情報のいくつかは役に立ちそうなので、そのうち地元の図書館に入ったら借りようと思います。以前に黄金伝説抄という本を買ったのは、絵の出典を知るのに役に立つだろうと思ってのことです。数カ月前に貴ブログで聖セバスティアヌスとローマ・アッピア街道のセバスティアヌスの墓のことを書かれた時にも、この本を出してきて確認しています。しかし、この本は抄訳なので全体を訳したものがあればいいと思っていたら、ご紹介の本の参考文献の欄に全訳と思われる平凡社ライブラリーの黄金伝説のことが書かれていて、地元の図書館で調べたら本館にあったので取り寄せるつもりです。絵のテーマの出典さがしについては、昔ボッティチェリの絵を見始めた頃に、聖書外典(ユディト)とデカメロン(ナスタジオ・デリ・オネスティ)を、最近ではカラヴァッジョのメデューサの楯関係でギリシャ神話やオウィディウスの転身物語などの該当部分をコピーしています。黄金伝説はいろいろな絵に関連するので、昔取りあえず買ったものです。黄金伝説という書名を初めて知ったのもボッティチェリの絵(ウフィッツイ・サン・バルナバの聖母のプレデㇽラ:柄杓で海の水を汲む幼児キリストと聖アウグスティヌスの話)からですが、新泉社の黄金伝説抄には聖アウグスティヌスの話は掲載されていないので、平凡社ライブラリーの本を確認してみます。LNGの聖ゲオルギウスは2つの時点を一つの姿で描いているとのことですが、ルネサンス美術で同様の例として思い浮かぶのは、ボッティチェリの神曲素描です(地獄編32歌、煉獄編29歌、天国編3歌)。ダンテの頭部を2つ描いて、わずかな時間変化や心の動きを表現しているそうですが、こういう描き方はルネサンス美術でもあまり見かけません。レオナルド・ダ・ヴィンチなら(ボッティチェリより7歳年下の同世代ですが)絶対やらないでしょうね。ウッチェロやボッティチェリは15世紀の古い時代の画家、レオナルドは16世紀の新しい時代の人間というのがこのへんにも現れている気がします。

また、この細川祐子著ロンドン・ナショナルギャラリーのウッチェロの項目で、署名のある作品はウフィッツイのサン・ロマーノの戦い(左下部分の楯)が唯一とありますが、これは誤りで、もう一つ、サンタ・マリア・デル・フィオーレのホークウッド騎馬像の台座にも大きく書かれたPAVLI VCIELLI OPVS の銘があります。本文には「他の見学者の迷惑になるほど視点を移動しながら眺めていた」と書かれているのに、この大きな文字に気がつかないはずはないと思います(執筆中には忘れていたのでしょうか)。掲載のホークウッド騎馬像の写真でも文字は見えます。

なお、上記コメント(2)でボッティチェリ初期の聖母子を油彩画とする分析結果についての疑問を書きましたが、この件についてはウッチェロの油彩のこととも関連して再度検討しています。まとまったら後日また。

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Unknown ()
2020-12-12 18:16:37
むろさん様

コメントありがとうございます。

西洋美術との関係で黄金伝説に関心を持ち始めた頃、書店には人文書院刊の単行本全4巻が並んでいました。1巻が1979年刊、4巻が1987年刊と10年近くかけての刊行だったようです。ある日、意を決して、最寄りの書店で全4巻を注文したところ、1・3巻は品切れですがそれでも購入されますかと確認連絡があり、2・4巻のみ購入しました。それから何年後でしょうか、2006年に平凡社ライブラリー入りしたことで、残る1・3巻を入手できました。よって、我が家には単行本2冊と文庫本2冊が並んでいます。全訳です。必要に応じて参照しています。重宝しています。

細川氏の書籍、ウッチェロの章に誤りがありましたか。これは知らないと気付かない誤りですね。
ウルビーノはいつの日か行きたい街です。ピエロ・デッラ・フランチェスカとウッチェロが目当て(あと、来日したことのある《理想都市の景観》とラファエロ作品との再会)ですが、アクセスがちょっと厳しく、短期旅行だと旅程が組みにくいのが難点です。そしてプラートも。こちらはフィレンツェからアクセス容易ですね。
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