筆者は半世紀前に短いがコンピュータ産業に関わった経験が有り、この間に友人が立ち挙げたソフト開発の会社に関わったり、米国系の会社の2社にも関わったのでこの産業の素人ではない、但し合計しても10年以内だから短い、若い頃だけで有った。基本性分に合わないと思ったから直接的には関わらなかったが、間接的には長く関わったので、節目の時代は知って居るのだ、日本のソフト産業は、その時代には良くやった方だと、今でも思っている。20代の中頃より米国や英国に行く機会が有ったので、この両国を比較しても米国の方が先行していた、英国で銀行に口座を開いたが、当然ハンコでなくサインで済ませる、問題は当時でも日本は通帳への記載は有ったが、英国はオンライン化が進展してなく、店単独での手作業で有った、同じ銀行の他店舗で引き出したら、当然引き出した金額が書いて無く、これは不味いと感じた記憶が有る。 米国で口座を開いたのは、行きだした数年後だから既に多店舗での引き出しはオンライン化されていたから英国での間違いはなかった、しかし口座管理費みたいなのが年に1回引き落とされる事を知った。
今では当たり前の店舗でのPOSシステムを調査した事が有る、日本での導入機運が有った時期で、早目に事例を知って、導入コンサルにしたい気持ちが有った。当時には開発には関わってないので、導入の為の事前知識の普及が狙いで有った。コンサルは早い時がお金に結び付くので、遅いと雑誌系が特集記事を書くので新鮮味が薄れる、こんな事を幾つか経験して、30代後半時期には人工知能の普及に取り組んだ、この時期を第2世代人工知能と言う雑誌が有ったが、20代の始めにはシステムを使っていたので、人工知能なんて聞いた記憶はない、国産のマシンなんかエアコンが効いた部屋で無いと、長時間は稼働できない程に開発レベルは低かった、IBM360のマシンも導入されていたが、エアコン室に設置されていたが、長時間の稼働は問題なかった。言語はアセンブラーが主力で有って、いわゆる機械言語の応用で有ったので、後に人工知能第一世代としたか、もしれないが人工知能と言う言葉になったのは10年以上後の出来事だ。 この時に人工知能関連の講習会を何度か開催した、UCLAでの学会にも参加した、夏休み時期で有ったのでキャンパス内での寮が宿泊先で有った。3泊した記憶は今でも有る。
帰国前にシリコンバレーに寄って、そこには米国人工知能学会の事務局が有ったので会員登録をする。シリコンバレーはその数年前に1年3か月位を滞在していたので、詳しい地域で有る。 当時から言われていたIT関連が勃興したのはスタンフォード大学の存在なしでは語れない、HP社は既に完成されたコンピュータ会社で有った、卒業性が起こした会社だ、ゼロックスの研究所も有ったし、アップル社も有った、その他数千規模のスタートアップした会社が存在していた地域で、実は広範囲に点在していた。シリコンバレーは北はメンロパークで南はサンノゼ間を言う、それぞれの街は小さいので、企業規模も小から中程度の会社ばかりだった、自宅のガレージが仕事場になる、ガレージと言っても広さは10坪から20坪は有る、アップルもガレージがスタートの会社だ。
約半世紀まえのスタート時期だから、こんな会社が当り前状態で有っただろう。日本でベンチャーとかスタートアップと言われたのはかなり後の事だ、6畳一間のアパートで立ち上げた人も居た様だが成功者は居なかった。これが現実の日本の姿だ、脱皮出来ないし、独立系でのキャピタリストが育ってないし、今有るのか銀行系が主力だ。散々銀行系には邪魔されたから、こんなのが存在している事が日本でベンチャービジネスが開花しない原因の一つだ。ユニコーン企業になると騒がしい部分は有るが、いずれも内弁慶を脱出できないで居る、支援の在り方、マスコミのヨイショ、政府の規制だらけを無くせるか、銀行がこの市場から去ってくれるのか等全体がアクセルとならないで、ブレーキだけだ、これが進歩に邪魔だ。
経済界も年寄りだらけの老人クラブだから、進歩的なのが生まれない。日本の閉塞感だ。