家の下水道の工事がいったん終了した。いったんというのは工事の途中でむくむくと貧乏根性が頭をもたげてきて、後々のメンテナンスの事も考えて見積もりとは違うが生コンを入れなければ費用も安く済むだろうと思い始め、石で固めて終わりにしようと思って業者に生コンを入れないで土と石で固めて終わりにしようと申し出た。その方法での工事がいったん終了した。ただ出来上がりをみてみたら、固めた裾の方で小石がボロボロっとこぼれるのをみて雨でも降れば心許ないと考え直し、業者の方には迷惑だが当初通りの「現場復帰」にしてもらうことにした。お金が豊富にあればこのような迷いは生じないと思うが、この歳になっても惑うことは多いものだ突然夜中に目が覚めて思い悩んだりすることがある
最初の迷いは少し安上がりにできないかと思い惑い、出来上がってからはやっぱり生コンで固めた方がいいんじゃないかと思い直した。「40歳にして惑わず」という言葉があるが60歳すぎても惑いばかりだ
孔子曰く「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」
だが、実際の私は「割って見せたや私の心、割れば色気と欲ばかり」(江戸時代のどどいつらしい)のようです