千葉県君津市にある三石山観音寺に行ってきました。
観音寺がある三石山の由来は……山頂に大きな三つの石があることから三石山と呼ばれるようになったと伝えられているそうです。
…まんまですね…(;'∀')
歴史
室町時代の応永16年に覚恵上人がこの山の霊気にいたく感動し、ご開山されたと伝えられている。
1409年(応永16年)覚恵上人が岩下の岩窟に十一面観世音菩薩像を安置したのが始まりとされている。その後岩窟崩壊によって十一面観世音菩薩像は失われてしまったが、しばらくして像が忽然と姿を現したため、1611年(慶長16年)岩下に観音堂が建立された。1873年(明治6年)本尊を山麓の蔵福寺に遷して廃寺となったが、1879年(明治12年)に再興された。
古くから「三石観音」の名で親しまれ、航海安全や縁結びにご利益があることで知られている。
観音堂の裏から岩の隙間を抜けた上にある奥の院には、縁結び祈願のために訪れた参拝者のハンカチが多数奉納されていました。
影巫女もハンカチを結んできましたよ( *´艸`)
よいご縁がありますように……
*参照したもの*
・Wikipedia
・君津市公式ホームページ
千葉県南房総市にある延命寺に行ってきました。
延命寺には地獄極楽絵図という絵が保管されており、毎年8月16日には一般公開されています。
歴史
寺伝によると、1520年(永正17年)里見実堯は吉州梵貞を招いて開山とし、田園を寄付して菩提寺にしたという。里見氏から寺領217石余が安堵された。観音堂に安置されている十一面観世音菩薩は、平尾山大通寺の本尊で、当寺の裏山にあったという。裏山に里見実堯・里見義堯・里見義弘の墓所がある。大正12年(1923年)関東大震災により、境内の小道を横断して出現した断層が、延命寺断層と命名されている。
影巫女が訪れた際にはご住職が不在で、お賽銭をして書置きの御朱印をいただきました。
延命寺は小さい頃から何度か訪れており、一般公開される地獄極楽絵図を見に行った際には子どもながら怖くて毎回泣いてました( ;∀;)
「絵本地獄 千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵」という本も一般公開時に販売されており、冥途への旅立ちから極楽浄土までの様子が描かれている地獄極楽絵図の解説付きの本です。
*参照したもの*
・Wikipedia
・房総タウン
千葉県南房総市にある日運寺に行ってきました。
日運寺といえば『房総のアジサイ寺』として有名なところですね。
歴史
古くは勝栄坊と称する真言宗(天台宗とも)の堂宇で、文永11年11月5日、日蓮が鎌倉より小湊への帰路宿泊し、住職行然が難問抗論するが、日蓮が法華の真理を以って説いたことにより敬服し日蓮宗に改宗。
元亀2年(1571年)勝浦城主正木時通の子で僧の林清を中興開山とし、正木時通・頼忠兄弟が再興し、時通の法名より「勝栄山日運寺」とした。のちに徳川幕府より寺領13石の朱印地を給せられた。
こちらが日運寺の御朱印です。
紫陽花のスタンプがあってかわいいですね(⋈◍>◡<◍)。✧♡
日運寺の紫陽花は2万株あるそうで…たくさんの紫陽花が綺麗でした。
*参照したもの*
・Wikipedia
・房総タウン
千葉県鴨川市にある両親閣妙蓮寺に行ってきました。
このお寺は日蓮聖人のご両親の墓所として建てられたそうです。
歴史
当寺は、日蓮聖人の両親のご廟所(墓所)です。聖人はご両親をとても大切にするお方でした。
建長五年(1253年)清澄寺のお山で立教開宗し、ここに聖人を祖とする日蓮宗が始まりましたが、山から降りた聖人は、第一に父母を教化し、父に「妙日」、母に「妙蓮」という法名を与えた後、自らを日蓮と名乗るようになりました。
今日では大孝根本(たいこうこんぽん)の霊跡と言われる親孝行のお寺です。
日蓮の父(正嘉2年(1258年)没)と母(文永4年(1267年)没)がともに葬られた地に、大本山誕生寺(3世)を引退した日蓮の弟子で中老僧の日静を開山に創建された。
このお寺は町中にひっそりと建つお寺で、参拝したとき町中にあるのにどこか物静かな印象でした。
*参照したもの*
Wikipedia
両親閣妙蓮寺 ホームページ