影巫女の部屋

御朱印紹介や、趣味の小説を主に投稿していきます。

御朱印 誕生寺

2023-03-27 14:35:00 | 御朱印

千葉県鴨川市にある誕生寺に行きました。

誕生寺を言えば、日蓮聖人ですよね。このお寺には日蓮聖人の幼き頃の像や、日蓮聖人がご誕生になった際、水が湧き出てその湧き水で体を洗ったとされる『誕生水』も有名ですよね。

歴史

聖人は幼名を善日麿といい12歳までこの地で暮らした。

文永元年(1264)聖人は母梅菊の病を祈願し蘇生させる。延命した母梅菊はそれを記念し、「菩薩荘厳堂」を創建。

その後直弟子日家上人が建治2年(1276)10月、聖人生家跡に一宇を建立し高光山日蓮誕生寺と称したのが当山の始まりである。

明応7年(1498)、元禄16年(1703)の2度の大地震、大津波の天災にあい、その後現在の地に移る。

26代日孝上人は水戸家の外護を得て七堂伽藍を再興し、小湊山誕生寺と改称す。しかし、宝暦8年(1758)の大火により仁王門を残し全山を焼失。49代日闡上人が弘化3年(1846)現在の祖師堂を再建し、当時関東随一と称された。
また、国守里見家、正木家より御朱印を賜る。

江戸時代の不受不施派(悲田宗)禁政のため幕命により天台宗に改宗するところだったが身延山が日蓮誕生地の由緒で貰いうけ一本山に格下げ(悲田宗張本寺の谷中感応寺、碑文谷法華寺は天台宗に改宗された。現谷中天王寺、碑文谷円融寺)。昭和21年大本山に復帰。

明治に入り大正天皇御幼少時、病弱の為病気平癒の御祈願を行った。その際、大正天皇の病気平癒の廟所が建立。
昭和から平成にかけて、50万人講を発願し諸堂を復興し、平成4年5月落慶式を行う。現在日蓮宗の大本山として全国信徒の参拝の地となっている。

誕生寺がある小湊地区は鯛が有名ですよね。天然記念物になっている鯛が入っていて、かわいらしいいかつ重みのある御朱印です。

なぜ、鯛がこんなにも有名なのか…それは日蓮聖人のご誕生と深いかかわりが……。

『日蓮聖人は、貞応元年(1222)2月16日、小湊片海の地に降誕した。

その時、庭先から泉が湧き出し産湯に使った「誕生水」

時ならぬ時に浜辺に青蓮華が咲いた「蓮華ケ渕」

海面に大小の鯛の群れが集まった「妙の浦」

という不思議な「三奇瑞」が伝えられている。』

この『三奇瑞』…とても考えられないことばかりですよね…。

話が変わって…2021年は日蓮聖人生誕800年という記念の年なんだそうです。

そのため生誕800年記念御朱印があるそうです。それはまた次回ご紹介しますね。

*参照したもの*

誕生寺 ホームページ

Wikipedia


御朱印 出雲大社(いすみ市)

2023-03-06 15:24:00 | 御朱印

今回は、前回の国吉神社でちらっと出てきた出雲大社です。

千葉県いすみ市にある出雲大社です。

出雲大社といえば島根県にある出雲大社が有名ですよね。

御神体

大国主命

歴史

出雲大社の本宮は島根県出雲大社町に鎮座し、大国主大神をお祀りしてある神社です。
大国主大神は、古事記・日本書紀等の神話の中で日本の国土を代表する葦原中国の主催者として語られており、天之冬衣神と刺国若比売の間に生まれた神様で、混乱していた我が国を平定し開拓を進められた神様です。

ところが、高天原の天照大神が遣わした使者の求めに応じて、国土の支配権を高天原に譲り渡して、自らは霊魂の逝く幽冥界の主宰進となった。また、神話「因幡の白兎」の中で語られているように医薬に通じ、苦しむ者を見捨てないで、生命の危機を救う神様としても語られています。
 
中世以降、大国主大神は大黒点(七福神の恵比寿大黒様)と習合し、福の神や縁結びの神としておおくの人々を惹きつけてきた。

十月を神無月と呼ぶのは全国の神々が出雲大社に集まり、留守となるためと云われており、出雲大社に集まった神々は、大国主大神の前で縁組の相談をするなどとも伝えられている。
今日では、縁結びの神、農耕の神、福徳、出世、開運の神として厚く信仰されている神社です。

実は、いすみの出雲大社は、島根の出雲大社から分祀された由緒正しい神社なのです。

関東では相模原とこのいすみの2箇所にしかないという貴重な神社なのです。

また、いすみの出雲大社の右隣には日御碕神社があります。(大元は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社です)
出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集めています。

国吉神社の案内看板を見て、出雲大社があることを知った影巫女は

「え!?出雲大社って島根県のあの…?!え?なんで?どういうこと??」

と内心パニックになってました。

後々、神主さんからお話を聞いたり文献を調べてみると……

『出雲大社で内紛があったとき、御領地だったいすみ市に避難されていた一派がいた。

その一派がいすみ市を大変気に入ったのだそう。
それで出雲に帰る時に怪力の大男を連れて帰って、相撲大会に出させたらその大男が優勝。

褒美として御神体をいくつかと神職2人をこのいすみ市に送ったので、この地に出雲大社が鎮座した。』

ということなのだそう。

なんとも不思議な縁ですね。

*参照したもの*

千葉県いすみ市苅谷鎮座 国吉神社・出雲大社上総教会 ホームページ
NPOいすみライフスタイル研究所


御朱印 国吉神社

2023-03-03 15:23:00 | 御朱印

千葉県いすみ市にある国吉神社に行ってきました。

いすみ市でも有名な神社なんだそうですよ。

御神体

明治時代に苅谷周辺の神々が集められ、現在では二十八柱の神々が祀られています。

歴史

千葉県中央部がまだ上総国となる1500年の昔までこの地域はいくつもの小国に分かれており、長生・夷隅地域を伊甚国造(いじみのくにのみやつこ)が治めていました。

第27代安閑(あんかん)天皇の御代、国造は春日皇后に屯倉(みやけ)(御料地)を献上し、現在の神社の鎮まるいすみ市苅谷の地に勅使を迎える為の仮屋(かりや)が設けられ、後にこの仮屋跡に伊甚国造の祖である天穂日命(あめのほひのみこと)(出雲国造の祖でもある)と建比良鳥命が仕えた大国主命の御子神である健御名方命がまつられたのが始まりです。

後に各地の神々が合祀され国吉神社と称されるようになり、厄除け・八方除け・交通安全・家内安全の神社として信仰されています。

境内には出雲大社もあり、そちらの御朱印もいただきました。

出雲大社の商会はまた今度……。

*参照したもの*

千葉県いすみ市苅谷鎮座 国吉神社・出雲大社上総教会 ホームページ

NPOいすみライフスタイル研究所


御朱印 瀧口神社

2023-02-28 15:23:00 | 御朱印

千葉県勝浦市にある瀧口神社へ行ってきました。

勝浦の海沿いにある神社で、波の音を微かに聞きながら参拝してきました。

御神体

吉備武彦

大伴武日連

歴史

遥か昔、御祭神がこの地に参られ人々に害をなす大蛇を払い平定しました。
​その由緒によりこの地が“蛇原”と呼ばれるようになり、現在の“部原”となったと言われております。

御祭神に感謝し、ご功績を讃え、祠を建てました。
その祠はお参りすると怪我や病気治る“霊場(れいじょう)”として噂が広がり、近隣はもとより遠方からも多くの方がお参りに来ていたそうです。

時は流れ…今から1200年以上前の延暦元年(782年)に、その祠のある場所に社殿が建てられたのが、瀧口神社の始まりです。

この近隣の7つの村の総鎮守であり、古くは里見氏の祈願所として佐馬守より刀を賜り、また江戸時代の植村土佐守以降、勝浦藩城主より年に2度正月と例祭の日に供進(きょうしん)がありました。供進の際は7つの村から名主さんも裃(かみしも)を着て、かばん持ちを従えてその列に参列されていたそうで…その時の様子はそれはたいそう荘厳であったと文献に載っております。

また、瀧口の大神様のご活躍を謡われた琵琶曲があったり、市内には瀧口の大神様のご功績によりついた地名が各所にあるなど、歴史のある神社です。

瀧口神社は古くから「神威赫杓―シンイカクシャク―」と表記され、大神様のお力が赤々と燃えるように光り輝いていると言われてきました。
大神様の様々な功績により現在伝わるご利益・ご神徳も多岐にわたります。

影巫女が訪れた際、ちょうど春限定の御朱印もあるということだったので、そちらもいただいてきました。

瀧口神社には春夏秋冬にちなんだ限定御朱印があるそうです。興味のある方は四季の限定御朱印を集めてみてはいかがでしょうか?

*参照したもの*

瀧口神社 ホームページ


御朱印 人見神社

2023-02-18 15:50:00 | 御朱印

千葉県君津市にある人見神社に行ってきました。

富津岬に近い場所にある神社で、境内から東京湾と富士山が見える景色が綺麗でした。

御祭神
・天之御中主神 あめのみなかぬしのかみ

・高御産巣日神 たかみむすびのかみ
・神産巣日神 かみむすびのかみ

歴史

人見神社は小糸川の河口、東京湾をのぞむ獅子山(人見山)の頂に鎮まり、古来より二総六妙見(上総の人見神社・久留里神社・横田神社、下総の千葉神社・印西妙見宮・飯高妙見宮)の一社として人々の篤い崇敬を受けてきました。

古く、日本武尊が相模から房総へむかう海上で嵐に遭ったとき、妃の弟橘姫命は自ら海中に身を投じて龍神の怒りを解き、暴風を鎮めたといいます。無事、上総へ渡った武尊は獅子山に登り、妃を追慕しつつ海路を「不斗(ふと)見そらし給う」たので「ふとみ」すなわち「人見(ひとみ)山」となったといわれています。
当社は奈良時代以前、孝徳天皇の代に日向国より勧請されました(別当・青蓮寺の「妙見縁起」)。あるいは昔、近郷の大堀の地にわずか二戸しかなかった頃、うち太右衛門が草刈をしていて妙見尊像を見つけ、もう一人の市右衛門と相談して獅子山に祀ったという「妙見隠し」の伝承も残されています。

また、天慶三年(940)、平忠常が上総介として赴任した折に、武蔵国より北辰妙見の神霊を上総・下総各地に勧請しその中の代表的な一社が当神社です。忠常の祖父、平良文(千葉氏の祖)は高望王の子で、東国へ下って妙見菩薩を祀るなど、代々、妙見信仰の念が篤かったのです。
源頼朝も治承四年(1180)、相模石橋山の合戦に敗れ、再起を期して内房の礒根伝いを舟で進軍の折、小糸川河口に着岸し、当社に武運長久の祈願文を捧げたと伝えられています。天正19年(1591)には徳川家康より良田五石の朱印の寄贈があり、元禄4年(1691)には当地方の領主、小笠原彦太夫より大刀の献納がありました。小笠原氏は以来、例祭に奉幣参拝を欠かしませんでした。そして寛政9年(1797)、小笠原兵庫と氏子らが浄財をもって春日造の社殿を造営しました。
明治に入ると神仏分離の国策を受けて人見神社と称し郷社に列せられ、妙見菩薩は観音堂に祀ることになります。

人見神社には、リラックマ守りというリラックマが刺繍されているかわいいお守りがありました。

影巫女が訪れた際、本殿は改修工事が行われていて中に入ることができませんでした😢

現在は改修工事は終了しており、中に入れるようですよ。

*参照したもの*

人見神社 ホームページ