観光産業の苦境
新型コロナウイルス感染症のパンデミックが始まって3年近く経ち、漸く収束の灯りが微かに見えるようになりました。
今回のパンデミックで世界的にも人の移動も減って、観光産業も大きな打撃受けました。水際対策として厳しい対応を取らざる得ない日本、空港施設も閑散としていていて人の気配がなくなりました。
頼みのインバウンドも、肝心のオリンピックの開催が1年延期となり、加えて無観客開催となりましたので、当初、見込んだ経済効果も得られず負債だけが残りました。もっともその裏て私腹を肥やした人もいましたが。とにかく皆さん大変なご苦労をされました。
観光産業の特性
観光産業は、地域へ与える経済効果が大きく、
1.消費者が生産地訪れる
2.付加価値の高い産業
3.消費が多くの業種に波及する
4.人に依存するサービス産業である
5.立地が植物型産業である
6.生産即消費の産業である
7.消耗の少ない、再利用が可能である
参考・引用『観光学ー基本と実践』(溝尾良隆著/古今書院/2003/7/1)
などの特性があります。
観光産業はとにかく裾野の広い産業なので、その産業が疲弊することは即ちその国や地域自体の疲弊を意味します。
その打開策として、国は観光産業を支援するための経済対策「GoToトラベルキャンペーン」を行いましたが、新型コロナウィルスの再拡大などで批判もあり、結局充分な効果を得ないうちに終わってしまいました。
コロナの前には為す術もなく観光産業を生業としていらっしゃる多くの方々を思うととても複雑な気持ちです。
ところで、
観光という言葉
そもそも「観光」と言う言葉は、どこからきたのでしょうか? 今は観光地とか、観光バスとか普通に使っていますが、日本で観光という語が使用されたのは、1855年(安政2)にオランダより徳川幕府に寄贈された木造蒸気船スームビング号を幕府(実際は長崎奉行の永井尚志)が中国の古書『易経』の「観国之光」の「観」と「光」の二文字から軍艦として「観光丸」と命名したのが最初とのこと。その意図は、国の威光を海外に示す意味が込められていたと言われています。(参考:『観光学ー基本と実践』(溝尾良隆著/古今書院/2003/7/1)
易経に由来
このように、「観光」の語源は、中国の『易経』の「観」の(観察についての項)に由来し、「観国之光 利用賓于王」(国の光を観(み)るは、もって王の賓たるによろし)から生まれた語で、その本来の語義は「他国の制度や文物を視察する」から転じて「他国を旅して見聞を広める」の意味となり、また同時に「観」には「示す」意味もあり、外国の要人に国の光(威光)を誇らかに示す意味も含まれているという説もあります。(参考:日本大百科全書(ニッポニカ)の解説/小谷達男)
戦後に流行る
なお、戦前の日本では観光という言葉はあまり使われず、遊山、漫遊、遊覧が好んで使われていました。また、観光地は、勝地、景勝地などが使用されていました。また、「観光」という言葉が多く使われるようになったのは、戦後のことと言われています。
もっとも「観光」の語源となった肝心の中国では、参観と観を用いる例はあるものの、観光という言葉はあまり使われず、旅游や遊覧を当てているそうです。
一方、
旅について
旅については、江戸時代に、幕藩体制維持のための思想上の寺社参詣や石高維持のために農民の健康維持目的とした湯治場通い、この二つの旅行目的に限って潘外への移動が認められました。寺社参詣としては、伊勢参りや大山詣りが良く知られています。大山詣りは、落語の演目にもなっています。(参考:『観光学ー基本と実践』(溝尾良隆著/古今書院/2003/7/1)
伊勢神宮(©︎いらすとや)
落語『大山詣り』(©︎いらすとや)
日本書紀の時代から日本人は温泉好きなので、健康増進のため湯治場通いだけは認められたのだと思います。
このように、古くから庶民の娯楽だった観光、旅行も今回のコロナ禍では、我慢せざるを得ませんでした。
漸く第7派、オミクロン株の収束により、ウィズコロナの取り組みを加速する国内の観光需要喚起策「全国旅行支援」や外国人観光客の入国制限を撤廃する取り組みが昨日10月11日から始まりました。
外国の方は、3回目のワクチン接種や72時間前の検査で陰性などを条件に入国制限を緩和しました。ただ、マスクの着用など感染予防対策は従来どおりとのことで、外国方にどのように映るかはわかりません。
なお、お隣の中国では依然としてゼロコロナ政策が継続されていますので、中国人観光客の来日や消費はあまり期待できないようです。まぁ、それはそれでそれも良いかもしれませんが。
何れにしてもおトクなクーポンを頂けるそうで温泉でもとは思っていますが、さて?
終わり