日々、行ったり来たりの状況で生活する父。
調子の良い時もあれば、とことん悪い時もある。
そういう時は「話が通じない」「作話に付き合わされる」のどちらかで、私の精神は本当にすり減っていくのだ。
一月。
私と父の関係は少しずつ悪化していたように思うが、いくら何でもここまで酷くはなかった。
春になれば大阪へ墓参りに行こうと予定も立てていたし、実際そのつもりでホテルも予約した。
その計画が実行されることはなかったけれど、まだ父との会話は「まとも」だったのだ。
二月。
どことなく不穏な空気。
一週間に一度、何かおかしな事をいうようになった。
夢か現か・・・・
本人に聞いてもわかるはずがない。
三月。
春を迎え、暖かくなってきたら少しはマシになるだろうと期待した。
が、いつまで経っても寒いまま。
ファンヒーターをしまうことが出来ず、父もずっと寒がっていた。
この頃は本当に薬の所為にしたかった。
実際は「病の進行」が原因なのかもしれないが、私自身、「薬の所為」にすれば楽になれる気がした。
デイサービスを本気で考え始め、ケアマネさんを立て、とにかく全てが早急に必要な事ばかりだった。
四月。
デイサービスを利用するようになり、少しだけ楽を覚えた。
最初は週に一回。
しかし先週からは週に三回。
本当は「毎日」、家にいないで欲しいと願う。
父と対峙することは、それほど疲れる仕事なのだ。
「今日は皆帰りはったけど、どうしたらええんや?ここに居ったら’〇〇’が迎えに来てくれるんか?」(自室にて)
「あっちに大阪のホテル出来たやろ?あそこ、ここから近いな・・・昨日、すごく早かった・・・・モニョモニョ」(キッチンにて)
「そろそろお風呂入らしてもらうな。」(朝入浴済み)
別次元で生きているかのような父と、一体どんな会話をすればいいのか解らない。
買い物に出かけていても、同じネタを軸に、何度もコールが鳴る。
相手に混乱を生じさせてはいけないと、嫌々ながら電話に出るが、当然優しい対応なんて出来ない。
親を相手に、憎しみが芽生えているのが本当のところ。
昨日は「お願いやから早く死んで!」と泣いて頼んだ。
しかし「暖簾に腕押し・糠に釘」。
父には少しも響かない。
これぞ虚しさの極致。
さあ、この地獄のような介護、いつまで続く?
とても正気を保てない状態だと思います。
私なら絶対に逃げ出してた・・・・
今でこそ、テレビや雑誌で「認知症介護」の難しさがうたわれるようになりましたけど、昔は理解されませんでしたよね。
在宅介護の辛さ、しんどさは、経験した者󠄂でないとわかりません。
私も義父の時にそれを痛感しました。
自身の精神が病んでいく様子を目の当たりにし、これは相当な仕事なのだと。
今回私は少しだけ楽になりましたが、果たして退院後、どうなるのか。
今のうちに色々頭を巡らせたいと思います。
お優しいコメントありがとうございました。