06/02/22(WED) お昼休みに
■西村美智子/Wonderland/epSITE
■桑原英里(DONA)/PARADISE/epSITE
EPSON COLOR IMAGING CONTEST 2005受賞作品展"what・am・i・to・…?"。
街中で「心惹かれ」たものに真横からストロボ一発、カタログのように羅列された西村作品。人形、玩具、商標、派手な紛争をした少女…、とにかくカラフル。その中に、おそらく作家の身近な友人であろう人物の素直なポートレイト。「ポップ」という言葉が思い浮かぶ。身の回りには、こうして主張し人に媚びた物体が氾濫していること、そして、普段の自分の撮り方は、こうした物を無意識かつ徹底的に排除していることに気付かされた。 モノクロームで、これらを逆に取り込んでいくことはどうにも難しそうだ。
桑原作品は、落ち着いた彩色のグラフィック作品。パラダイスと題した大画面作品と、布地の「図案」が散りばめられた壁面。ぎっしり書き込まれた絵って、どうにも宗教的。
06/02/21(TUE) 人間ドックが早々に終わってしまい、
■荒 多恵子/胸神(munakami)―乳がんになった日から―/新宿ニコンサロン
乳房を失った作家の心の彷徨いなのか、うつむいた視線の先と、幸せそうな周囲の人々。「季節がなくなった」とのキャプションが、深い。男には理解しきれない喪失感に違いないが、茫然自失からかすかな立ち直りへのふらつく足取りのドキュメントとして共感できたつもり。実際に目の前を移ろうものは、漫画や映画のようにわかりやすいものではなく、こういうものだと。
開展早々だったらしく、芳名録は一番乗りの須田先生の次に書かせていただいた。
■東京造形大学視覚伝達専攻写真コース2005年度卒業制作作品展
卒展シーズンなのに今年は本展が初めて。もったいない。
出展者11名にほぼ共通するのは「葛藤」。切れ味のいいスナップが見たいなあなんて気分だったもので、青臭さが目立った。年を取って自分の可能性がどんどん狭まって行く、なんてセリフが安物のドラマにはよく出てくるが、極めて漠然とした話ながら、可能性の存在量自体は、例えば20代と40代とを比べたくらいではたいして変わらないのではないか、20代の可能性の有無を見極める能力の欠如による錯覚に過ぎなくて、逆に達成能力としては40代の方が絶対上のはず、…なんてことを考えてしまった。度胸や持久力に欠ける若者だったせいかも。本展に全然関係のないアホらしい感想になってしまった。
06/02/19(SUN) 撮り歩きながら寄り道休憩
■大西健太、加原敏巳、嶋田源三、末松千明、田中靖、寺元博昭、林誠治、蛭田英紀/裸犬(ヌーケン)第2期/Roonee 247 photography
「写真ワークショップ須田塾の有志による女性ヌードをモチーフとした写真作品」。引いた感じの作品があってやや興ざめ。迫力のハダカばっかりなのも暑苦しいけど。取り尽くされた題材ながら、それでも、というかそれゆえにというか、いろんなアプローチがあるんだなあと思わされる。撮りたい気にはならないが。
■水谷幹治/Cold Sun/PLACE M
正面に太陽の写り込んだ遠景、ひたすら。光る水平線。黒い空。クールだ。焼きのコントラストが高すぎて、もっとディテールを見たい不満が募ってしまう。もう少し大きい画面の方が好みかな。
■近藤善照/Night/コニカミノルタプラザ
レチキュレーション、だっけ。生のプリントは初めて見た。どろどろした妖しい夜の街景に、奏功している。特殊技法を差し引いても、かなりレベルの高いプリントではないか。「撮るのは終電まで…」なんて作家の話が聞こえてきたが、それ以降の時間に踏み込む日は近いのではないだろうか。
■星 ミキヤ/Nomadic garden」―ウズベクの人―/コニカミノルタプラザ
ウズベキスタン。行って来た人がいたっけなあ。たぶん一生行くことはないような、そう決めつけるのは寂しいような。親密なスナップに感心。
■2005コニカミノルタプロフォトコンテスト入賞作品展/コニカミノルタプラザ
写真館撮影作品のコンテスト。選定基準なんて意に介す必要はないが、この不自然な笑顔の連続には、これでいいのか?と思ってしまった。よその家のアルバムを見せられたような落ち着かない気分にも。
今年が最後、との断り書きは、コニカミノルタの写真事業撤退によるものか。プラザはどうなるんだろう。
■西村美智子/Wonderland/epSITE
■桑原英里(DONA)/PARADISE/epSITE
EPSON COLOR IMAGING CONTEST 2005受賞作品展"what・am・i・to・…?"。
街中で「心惹かれ」たものに真横からストロボ一発、カタログのように羅列された西村作品。人形、玩具、商標、派手な紛争をした少女…、とにかくカラフル。その中に、おそらく作家の身近な友人であろう人物の素直なポートレイト。「ポップ」という言葉が思い浮かぶ。身の回りには、こうして主張し人に媚びた物体が氾濫していること、そして、普段の自分の撮り方は、こうした物を無意識かつ徹底的に排除していることに気付かされた。 モノクロームで、これらを逆に取り込んでいくことはどうにも難しそうだ。
桑原作品は、落ち着いた彩色のグラフィック作品。パラダイスと題した大画面作品と、布地の「図案」が散りばめられた壁面。ぎっしり書き込まれた絵って、どうにも宗教的。
06/02/21(TUE) 人間ドックが早々に終わってしまい、
■荒 多恵子/胸神(munakami)―乳がんになった日から―/新宿ニコンサロン
乳房を失った作家の心の彷徨いなのか、うつむいた視線の先と、幸せそうな周囲の人々。「季節がなくなった」とのキャプションが、深い。男には理解しきれない喪失感に違いないが、茫然自失からかすかな立ち直りへのふらつく足取りのドキュメントとして共感できたつもり。実際に目の前を移ろうものは、漫画や映画のようにわかりやすいものではなく、こういうものだと。
開展早々だったらしく、芳名録は一番乗りの須田先生の次に書かせていただいた。
■東京造形大学視覚伝達専攻写真コース2005年度卒業制作作品展
卒展シーズンなのに今年は本展が初めて。もったいない。
出展者11名にほぼ共通するのは「葛藤」。切れ味のいいスナップが見たいなあなんて気分だったもので、青臭さが目立った。年を取って自分の可能性がどんどん狭まって行く、なんてセリフが安物のドラマにはよく出てくるが、極めて漠然とした話ながら、可能性の存在量自体は、例えば20代と40代とを比べたくらいではたいして変わらないのではないか、20代の可能性の有無を見極める能力の欠如による錯覚に過ぎなくて、逆に達成能力としては40代の方が絶対上のはず、…なんてことを考えてしまった。度胸や持久力に欠ける若者だったせいかも。本展に全然関係のないアホらしい感想になってしまった。
06/02/19(SUN) 撮り歩きながら寄り道休憩
■大西健太、加原敏巳、嶋田源三、末松千明、田中靖、寺元博昭、林誠治、蛭田英紀/裸犬(ヌーケン)第2期/Roonee 247 photography
「写真ワークショップ須田塾の有志による女性ヌードをモチーフとした写真作品」。引いた感じの作品があってやや興ざめ。迫力のハダカばっかりなのも暑苦しいけど。取り尽くされた題材ながら、それでも、というかそれゆえにというか、いろんなアプローチがあるんだなあと思わされる。撮りたい気にはならないが。
■水谷幹治/Cold Sun/PLACE M
正面に太陽の写り込んだ遠景、ひたすら。光る水平線。黒い空。クールだ。焼きのコントラストが高すぎて、もっとディテールを見たい不満が募ってしまう。もう少し大きい画面の方が好みかな。
■近藤善照/Night/コニカミノルタプラザ
レチキュレーション、だっけ。生のプリントは初めて見た。どろどろした妖しい夜の街景に、奏功している。特殊技法を差し引いても、かなりレベルの高いプリントではないか。「撮るのは終電まで…」なんて作家の話が聞こえてきたが、それ以降の時間に踏み込む日は近いのではないだろうか。
■星 ミキヤ/Nomadic garden」―ウズベクの人―/コニカミノルタプラザ
ウズベキスタン。行って来た人がいたっけなあ。たぶん一生行くことはないような、そう決めつけるのは寂しいような。親密なスナップに感心。
■2005コニカミノルタプロフォトコンテスト入賞作品展/コニカミノルタプラザ
写真館撮影作品のコンテスト。選定基準なんて意に介す必要はないが、この不自然な笑顔の連続には、これでいいのか?と思ってしまった。よその家のアルバムを見せられたような落ち着かない気分にも。
今年が最後、との断り書きは、コニカミノルタの写真事業撤退によるものか。プラザはどうなるんだろう。
プロフォトコンテストは、営業写真のコンテストですから、いかに表現として、同時に商品として、理想の肖像写真に近づくか、という要素が大きいかと思われます。純粋に作家としての高みを目指すコンテストとは、少し切り離した方がよいかと思います。
コニカミノルタは、フィルムの仕切が他社より少々安かったせいで、ずいぶんと営業写真館に食い込んでいました(フジのラボを使っているところも、135判はコニカのフィルムだったりして)。スクールフォトシステムといった、見本出し用のナンバー付きプリントを自動で出して管理するシステムなんかもやっていましたしね。
それはさておき、コニカミノルタ、露出計はどうするんでしょうかね~。特にコニカミノルタ独占状態のカラーメーターとか(私はセコニック派)。
それにしても管理人様、これだけの写真展を巡っているのはすごいです。見習わなきゃ…(私は今年は実はまだ…)。
「理想の肖像写真」、やっぱり営業写真としての押さえどころがあるわけですね。やや不自然なところが、素人目に肖像写真とはかくありき、と思わせる戦略なのかも。
あー、露出計まだ買ってない…。