70も前の熱い夏 、敗戦を迎え うちしおれて 復員してきたとき
それから一年間は ただ 茫然と過ごしていた。
両親も 何も言わなかった。すでに二人の兄たちを 戦場で失った
二人であれば 命 拾って帰ってくれた 息子に きずかっていたのであろう。
翌年 進学したが 爆撃の余波で 建物はすべて 灰燼と化していた。
其れまで食べて寝ることしか しなかった わたしに まるで火が
ついたように 忘れていた 読書欲が忽然として沸き起こってきた。
不思議なもので 衣食住がおよそかたずいてくると 無性に活字に接したくなる。
焼け残った 唯一の建物に図書館があった。それから 学校をさぼっての図書館
通いが 始まった。
貸し出しの本の中に 翻訳された アダムスミスの「国富論」を見つけた。
ノートも 筆記道具も 不足していた。藁半紙を買い込んで 円費「津をなめながら
夢中で国富論を 模写した。
初めて自由主義経済学に接したときである。「自由」言葉は 兄の本だ゛あった
フランスのジェームス・ミルの『真理』という本に夢中になっていた
中学2年生の頃であった。
「国富論」千語初めての私の教師゛あった。
顧みると 今、新自由主義と言われているその原点手もある。
そのあと ヒルファディングの 「金融資本論」から 左の方に向いて
走ってゆく自分がいた。
そんなとき 学校の建設資金の 御願いが 父のもとにおくられてきていた。
金額は 300円くらいのものであったろうか。友人の一人が 家の倉庫に
製氷機があるということを話していた。「その製氷機あったら こちらに
送ってくれないか。」「なにするんだ」「氷屋を始めようではないか。」
学校の復興資金稼ぎを手伝いしようということになって ひと夏学生
氷屋を開業した。こんなアルバイトは珍しいのか 新聞社から 取材に
来た人が たまたま私たちの先輩で会った。
翌朝新聞紙上に華々しく掲載され 学校からもお礼に学長が来られたという
塩梅でこのアルバイトで 6000円ほどの建設資金を寄付したことがあった。
そんなとき 氷の配給に力を貸していただたのは わたしの軍隊時代の分隊士
で偶然のた出会いであった。共産党の事務局にいらっしゃった。
私たちの 青春はハチャメチャな青春であった。良いことをしたかと思うと
闇商売の手伝いしたり、夜の辻立ちのお姉さんたちと 友達になって苦労
話の聞き役に鳴ったり、引揚者の面倒見たりいろいろなことをやった。苦しい
思いだしたくもない青春時代は私たちにはなかったような気がした。
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