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日本の外交官再教育論

2017-01-24 21:15:13 | 日記

な アメリカという国 は思うにつけ 奇怪なくにがらである。

あるときは 世界の警察官となり 【我に敵するものは 正義に歯向かうものとして

強大な 軍事力で 制圧したかと思うと 突然、家ごもりして 【アメリカ第一】

と 相手国を制圧していく。】文明国になったり 野蛮な国らになったりする。

建国の歴史が 浅いからだろう。力に任せた民主主義と銃を押し付ける。

そういう国柄である。

そんなとき 私はよく 関ケ原の戦いに 敗れた薩摩国の そのあとの処理

を思い出す。幕府は 外様の島津つぶしに 頭を痛めることになる。

宝暦の美濃川の治水工事を島津藩に命じた。物凄い資材と家老以下の

命を飲んで治水工事を完成する。その後 薩摩藩は膨大な財政に苦しむことになる。

そのあと 調所 笑左衛門の抜擢により密貿易を幕府に届けず行い さらに 

借財の過酷なまでの切り捨てで 藩の財政を立て直す。 その時の資金が

やがて明治維新の 資金源となる。

生麦事件 島津久光の 参勤交代の 行列を横断した イギリスの領事館員を

切り捨てたことが 原因で薩英戦争が始まる。東郷平八郎少年も 砲台の弾運び

て参戦している。イギリスの旗艦に薩摩郡の砲弾が着弾して 艦長が戦死

するということになり 英艦隊は 湾外に引き上げていった。

その後イギリスから賠償を求められるが その賠償金は幕府がししはらうことで収まる。

さて、そののち薩摩藩は 英国に留学生を派遣する。東郷もその一員である。

初代大阪商工会議所の会長五島友厚などである。

その時代の 日本の指導者たちの 思慮と胆力の強さが今の日本外交に備わっていたら

今のようなアメリカの属国のような 無様なことにはならないはずである。

小国 日本大国イギリスゃフランス オランダなどに 見せた外交手腕は

どこにきえたのだろう。毅然とした武士道外交したら きっと世界の尊敬を集めたと思う。

原爆反対を国策として 核なき世界つくりに貢献したら日本は大いに

世界の指導者として尊敬されたであろうに。

なぜかアメリカ追随外交は 世界の心ある国のひとたちの期待を裏切り続けている。

亜細亜人でありながら アジアを軽侮して 西欧の文化にあこがれる。

中國の覇権主義は悪いだが 中國の敵視政策はなおわるい。

沖縄をいじめて いじめつくす日本人の 姿は何ごとぞ。

沖縄人は日本人ではないのか。菅官房長官 いかが。

沖縄の負担軽減は 基地の半分を山口県に移すことである。

 


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