川の中に楮を並べ流水で不純物やアクを洗い流しまんべんなく太陽にあてて白くします。
これは手漉き和紙の工房でも川沿いにえる数軒しか行っていなかったものですが、私が弟子入りした美濃竹紙工房では先代の故竹一さんが引き継いで行っていました。
歳をとり体力的に出来なくなってからは美濃和紙の里会館(美濃市営)が引き継ぎ、竹一さんが指導をし繋げて。
さらに、本美濃紙保存会が研修として囲いを作り、手すき和紙協同組合が手すき和紙の晒す工程をするようになりました。
ちなみに川沿いじゃない工房はどうするかというと、山水を引き込んだ晒し場に広げたり、砂利の上に広げる「あげ晒し」などを行っています。しかし山水は冬期水が枯れることがあり安定しないので、今は地下水で晒しているところが多くなりました。
元に戻り、、
地形や気候をよんで水の流れを読み、
石をさらったり積んだりして。
水量画多すぎると晒した楮が流されるし、少ないと不純物が出て行かない。
丁度良いように調整するのです。
河川工事と似ていますね。
ゴロゴロした石を取り除いた後は砂利をさらい川底に沈んでいる葉っぱやゴミなどを浮き上がらせて流す。その後平たい石を敷き詰めるので、皆で石を探してウロウロしてますが、なんだかゾンビの様で可笑しくなってきました。
そこで気付いたんですが、台風なや長雨などの水量が多いと石が流されますが、その水量に押されて石がみんな下流に向かって傾いてるのです。
上流からみるとみんな下流側に傾いてるので、平たい石かな?と思っても裏に厚みがあった言うこともしばしば。
しかし下流側から上流を見ると石が立ってるので平たい石が見つけやすい!足下ばかり見てないで少し前を向いた方が良いのです。(なんの教訓だ)
ゴロゴロした石を取り除いた後は平たい石を敷き詰めるので、皆で石を探してウロウロしてますが、なんだかゾンビの様で可笑しくなってきました。
この囲いの少し上でも水量調整をしています。
まて、報道の方や写真家、観光の方が滑らないようにと石についたコケなども取り除いてます。
晒しは次の日。
また水量調整し、あらかじめ水に浸しておいた楮を並べていきます。
私が教わったとき(16.7年前)は楮を間を開けずに並べたものですが、最近は人が通れるぐらいにあけています。
何故かというと、、
上流で河川工事を行っていて、3日ほど止めてもらっているのです。これってすごく大変なこと。なので午前中に晒したら、お昼過ぎにはあげてしまうのです。
あげた楮は和紙の里会館の晒し場に移し地下水に浸しておきます。
この水に浸けて晒すというだけの工程も、水の影響か白くなる水(土地)と、あまり白くならない水があります。
その為その後の工程で少し調整なんかをしています。
こういった事は今は行っていない為、「パフォーマンス」的な所があり、辞めるのは簡単ですが、辞めた途端数年で何もわからなくなります。
途絶えたものを復活させることはとても大変で、時間もかかります。
パフォーマンスでもいい、細々とでもいい、繫いでいくのはとても大切な事だと感じています。その為には極寒の川の中にも入るし、思い石も運びます。
岐阜は清流の国。川と共に暮らしてきた土地なので、川で培った文化は絶やさず伝えていけるようしていきたいです。
それが土地に根ざした伝統工芸の役割なのかなと。