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朝の光(聖書の言葉)

ガラテヤ人への手紙 3  4-6章 解説  


ガラテヤ人への手紙 3  4-6章 解説




イエスの降誕

 
(ガラテヤ4:4)

「時の満ちるに及んで,
神は御子を女から生れさせ,
律法の下に生れさせて,
おつかわしになった。」

 
イエス・キリストは

人として来られた神です。


救いはこの時から,始まります。





「アバ父」と呼ぶ,御子の御霊


(ガラテヤ4:6)

このように,
あなたがたは子であるのだから,
神はわたしたちの心の中に,
『アバ,父よ』と呼ぶ御子の霊を
送って下さったのである。」 


イエスを受け入れた者は,

信じると神の子となります


(ヨハネ1:12)

「彼を受けいれた者,
すなわち,その名を信じた人々には,
彼は神の子となる力を与えたのである。」



イエス・キリストを信じると,

心に聖霊が下ります。

すると,神を「アバ父」(お父さん)と

呼べるのです。

そして,神の子として,

神の恵みを相続します。



(ガラテヤ4:6-9)

「このように,
あなたがたは子であるのだから,
神はわたしたちの心の中に,
『アバ,父よ』と呼ぶ御子の霊を
送って下さったのである。 
したがって,
あなたがたはもはや僕ではなく,
子である。
子である以上,
また神による相続人である。 
神を知らなかった当時,あなたがたは,
本来神ならぬ神々の奴隷になっていた。 
しかし,今では神を知っているのに,
否,むしろ神に知られているのに,
どうして,あの無力で貧弱な,
もろもろの霊力に逆もどりして,
またもや,
新たにその奴隷になろうとするのか。」



☆彡



神の子の恵みは次のようなものです。


1.

霊的祝福

(エペソ1:3-5)
「ほむべきかな,
わたしたちの主イエス・キリストの
父なる神。
神はキリストにあって,
天上で霊のもろもろの祝福をもって,
わたしたちを祝福し,
みまえにきよく
傷のない者となるようにと,
天地の造られる前から,
キリストにあってわたしたちを選び,
わたしたちに,
イエス・キリストによって
神の子たる身分を授けるようにと,
御旨のよしとするところに従い,
愛のうちに
あらかじめ定めて下さったのである。」


2.

御子イエス・キリストとすべての恵み

(ローマ8:32)
「ご自身の御子をさえ惜しまないで,
わたしたちすべての者のために
死に渡されたかたが,
どうして,
御子のみならず万物をも
賜わらないことがあろうか。」




♪ 「御霊は天より」

    (新聖歌135番)                                       

1.
御霊は天(あめ)より われに降りて
喜び安きを 見たし給えり
わが心静かなり 嵐はやみて
イエス君の御声のみ 明(さや)かに聞こゆ

2.
御霊の満たしを 賜(たま)いし時に
疑い恐れは われより去れり
わが心静かなり 嵐はやみて
イエス君の御声のみ 明(さや)かに聞こゆ

3.
まことに御霊は 光のごとく
心の闇夜を 照らし給えり
わが心静かなり 嵐はやみて
イエス君の御声のみ 明(さや)かに聞こゆ

4.
御霊に満ちたる 心のうちに
主はその御顔を 映し給うなり
わが心静かなり 嵐はやみて
イエス君の御声のみ 明(さや)かに聞こゆ



☆彡



「キリストが形づくられる」


(ガラテヤ4:19)

「私の子どもたちよ。
あなたがたのうちに
キリストが形造られるまで,
私は再びあなたがたのために
産みの苦しみをしています。」


わたしたちの性格と行いが,

イエス・キリストと同じになることが,

イエス・キリストを信じる者の

最終的な目標です。


(エペソ4:13)

「わたしたちすべての者が,
神の子を信じる信仰の一致と
彼を知る知識の一致とに到達し,
全き人となり,
ついに,
キリストの満ちみちた徳の高さにまで
至るためである。」


(1ヨハネ2:1)

「わたしの子たちよ。
これらのことを書きおくるのは,
あなたがたが
罪を犯さないようになるためである。
もし,罪を犯す者があれば,
父のみもとには,
わたしたちのために助け主,
すなわち,
義なるイエス・キリストがおられる。」


パウロは,ガラテヤの信徒が,

福音の真理に立ち返り,

心の中にキリストが形造られるまでは,

パウロ自身が

生みの苦しみをすると言います。


同じように,わたしたちも,

こころにキリストが形造られるまでは,

私たち自身が苦しみます。


わたしたちは,

わたしたちの内に

キリストの形を造るべきです。


私たち自身を

つくろうとしてはいけません。


イエス・キリストご自身が,

わたしたちの心の中にいるということが,

わたしたちの生き方です。





「恵みの主イエスよ」

(新聖歌121 バッハ編曲)

恵みの主イエスよ 
心のうちに

尊き御姿(みすがた) 
記(しる)させ給え

十字架のイエスを 
こころに刻(きざ)み

わららの隠(かく)れ家(が) 
救いとし給え





キリストの形(2)


(ガラテヤ4:19-20)

「ああ、わたしの幼な子たちよ。
あなたがたの内に
キリストの形ができるまでは、
わたしは、またもや、
あなたがたのために
産みの苦しみをする。
できることなら、
わたしは今あなたがたの所にいて、
語調を変えて話してみたい。
わたしは、あなたがたのことで、
途方にくれている。」


「キリストの形ができる」のは,

聖霊ご自身の助け,

導きによる恵みのみわざによります。


神の人の創造をもとにして(創1:27)

イエスの再臨において完成します。

(参照1ヨハ3:1‐3)


人は完成の途中にあります。


聖霊ご自身による

みわざによっていますが,

パウロは「産みの苦しみ」

をしているといいます。




自由人


(ガラテヤ4:30)

「しかし,聖書はなんと言っているか。
『女奴隷とその子とを追い出せ。
女奴隷の子は,
自由の女の子と共に
相続をしてはならない』
とある。」


アブラハムの奴隷の女を通して

うまれたイシュマエルは

人間的な努力によるものでした。


わたしたちは,

自由の子

(イエス・キリストの贖いにより,

信仰によって,義とされ,

自由にされた者として)

として,生きるのです。




奴隷のくびきにつながれてはならない


(ガラテヤ5:1)

「自由を得させるために,
キリストはわたしたちを
解放して下さったのである。
だから,堅く立って,
二度と奴隷のくびきに
つながれてはならない。」


人間のわざでなく,

神への信仰による生活を

送るようにと言っていいます。



(ガラテヤ4:21-31)

「律法の下にとどまっていたいと
思う人たちよ。
わたしに答えなさい。
あなたがたは
律法の言うところを聞かないのか。 
そのしるすところによると,
アブラハムにふたりの子があったが,
ひとりは女奴隷から,
ひとりは自由の女から生れた。 
女奴隷の子は肉によって生れたのであり,
自由の女の子は
約束によって生れたのであった。 
さて,この物語は比喩としてみられる。
すなわち,
この女たちは二つの契約をさす。
そのひとりはシナイ山から出て,
奴隷となる者を産む。
ハガルがそれである。 
ハガルといえば,
アラビヤではシナイ山のことで,
今のエルサレムに当る。
なぜなら,それは子たちと共に,
奴隷となっているからである。 
しかし,上なるエルサレムは,
自由の女であって,
わたしたちの母をさす。 
すなわち,こう書いてある,
『喜べ,不妊の女よ。
声をあげて喜べ,
産みの苦しみを知らない女よ。
ひとり者となっている女は
多くの子を産み,
その数は,
夫ある女の子らよりも多い』。 
兄弟たちよ。
あなたがたは,
イサクのように,
約束の子である。 
しかし,
その当時,肉によって生れた者が,
霊によって生れた者を迫害したように,
今でも同様である。 
しかし,聖書はなんと言っているか。
『女奴隷とその子とを追い出せ。
女奴隷の子は,
自由の女の子と共に
相続をしてはならない』
とある。」




キリスト者の自由


(ガラテヤ5:5,6)

「わたしたちは、
御霊の助けにより、
信仰によって
義とされる望みを強くいだいている。
キリスト・イエスにあっては、
割礼があってもなくても、
問題ではない。
尊いのは、
愛によって働く信仰だけである。」 



ここで、

「もう一つ別の福音」(誤った教え)

(ガラテヤ1:7)が何か、

その問題、

そしてそこからの決別を教えます。


律法の行いが,

救いのために必用だというのは

誤りなのです。




信仰により,

聖霊の働きによる愛によって,

神に喜ばれる働が勧められます。


☆彡


(ガラテヤ5:2-6)

「見よ、このパウロがあなたがたに言う。
もし割礼を受けるなら、
キリストは
あなたがたに用のないものになろう。
割礼を受けようとするすべての人たちに、
もう一度言っておく。
そういう人たちは、
律法の全部を行う義務がある。
律法によって
義とされようとするあなたがたは、
キリストから離れてしまっている。
恵みから落ちている。
わたしたちは、御霊の助けにより、
信仰によって義とされる
望みを強くいだいている。
キリスト・イエスにあっては、
割礼があってもなくても、問題ではない。
尊いのは、
愛によって働く信仰だけである。」 





互いに愛し合う


(ガラテヤ5:13)

「兄弟たちよ。
あなたがたが召されたのは、
実に、自由を得るためである。
ただ、その自由を、
肉の働く機会としないで、
愛をもって互に仕えなさい。」


互いに愛し合うことが,

イエス・キリストを信じる者に与えられた,

神からの戒めです。



イエスは次のように言っています。

(ヨハネ5:12-14)

「わたしのいましめは、これである。
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互に愛し合いなさい。
人がその友のために
自分の命を捨てること、
これよりも大きな愛はない。
あなたがたに
わたしが命じることを行うならば、
あなたがたはわたしの友である。」 


☆彡


(ガラテヤ5:13-15)

「兄弟たちよ。
あなたがたが召されたのは、
実に、自由を得るためである。
ただ、その自由を、
肉の働く機会としないで、
愛をもって互に仕えなさい。
律法の全体は、
『自分を愛するように、
あなたの隣り人を愛せよ』
というこの一句に尽きるからである。
気をつけるがよい。
もし互にかみ合い、
食い合っているなら、
あなたがたは互に
滅ぼされてしまうだろう。 」




☆彡  ☆彡



ここまでのガラテヤ書をまとめると、


1.イエス・キリストへの信仰によって義とされる。

2.キリストと主に十字架につけられ、

キリストが内に生きる信仰に生きること。


次に、教えているのが

3.聖霊によって生きること。

そのために、神はわたしたちに

御霊を送ってくださっています。


4.新しい創造を待つ




1.

イエス・キリストを信じる

(ガラテヤ2:16)
「キリストを信じる信仰によって
義とされるためである。」



2.

十字架につける

(ガラテヤ2:19―20)
「わたしは,神に生きるために,
律法によって律法に死んだ。
わたしはキリストと共に
十字架につけられた。
生きているのは,
もはや,わたしではない。
キリストが,
わたしのうちに生きておられるのである。
しかし,
わたしがいま肉にあって生きているのは,
わたしを愛し,
わたしのためにご自身をささげられた
神の御子を信じる信仰によって,
生きているのである。」



3.

御霊に生きる

(ガラテヤ5:16)
「わたしは命じる、
御霊によって歩きなさい。」

御霊によって生きるために,

聖霊によって、「御霊の実」が与えられます。


(ガラテヤ5:25)
「御霊の実は,
愛,喜び,平和,寛容,
慈愛,善意,忠実,
柔和,自制であって,
これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は,
自分の肉を,
その情と欲と共に
十字架につけてしまったのである。
もしわたしたちが
御霊によって生きるのなら,
また御霊によって進もうではないか。」


4.

新しい創造を待つ

(ガラテヤ6:15)
「ただ、新しく造られることこそ、
重要なのである。 」

新しい創造は,

イエス・キリストを信じたとき受け取りますが,

イエス・キリストの再臨のとき,完成します。



☆彡  ☆彡


御霊によって歩く


(ガラテヤ5:16)

「わたしは命じる、
御霊によって歩きなさい。」


わたしたちが御霊によって歩くために、

御霊も実を与えてくださっています。


ガラテヤ人の書かれた当時は,

イエス・キリストを信じた人は,

水のバプテスマを受けました。


その時,聖霊が下り,

聖霊のバプテスマを受け,

異言を語りだしました。


ですから,

御霊の働きが顕著であったと

思われます。




御霊の実


(ガラテヤ5:25)

「御霊の実は,
愛,喜び,平和,寛容,
慈愛,善意,忠実,
柔和,自制であって,
これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は,
自分の肉を,
その情と欲と共に
十字架につけてしまったのである。
もしわたしたちが
御霊によって生きるのなら,
また御霊によって進もうではないか。」



☆彡


十字架の赦しに生きる

(ガラテヤ5:14-26)
「 律法の全体は,
『あなたの隣人を
あなた自身のように愛せよ』
という一語をもって全うされるのです。
 もし互いにかみ合ったり,
食い合ったりしているなら,
お互いの間で滅ぼされてしまいます。
気をつけなさい。
 私は言います。
御霊によって歩みなさい。
そうすれば,
決して肉の欲望を
満足させるようなことはありません。
なぜなら,肉の願うことは御霊に逆らい,
御霊は肉に逆らうからです。
この二つは互いに対立していて,
そのためあなたがたは,
自分のしたいと思うことを
することができないのです。
しかし,御霊によって導かれるなら,
あなたがたは律法の下にはいません。
肉の行いは明白であって,
次のようなものです。
不品行,汚れ,好色,
偶像礼拝,魔術,敵意,
争い,そねみ,憤り,
党派心,分裂,分派,
 ねたみ,酩酊,遊興,
そういった類のものです。
前にもあらかじめ言ったように,
私は今もあなたがたに
あらかじめ言っておきます。
こんなことをしている者たちが
神の国を相続することはありません。
しかし,御霊の実は,
愛,喜び,平安,寛容,親切,
善意,誠実,柔和,自制です。
このようなものを
禁ずる律法はありません。
キリスト・イエスにつく者は,
自分の肉を,
さまざまの情欲や欲望とともに,
十字架につけてしまったのです。
もし私たちが
御霊によって生きるのなら,
御霊に導かれて,
進もうではありませんか。
互いにいどみ合ったり,
そねみ合ったりして,
虚栄に走ることのないようにしましょう。





御霊に導かれる


(ガラテヤ5:25)

「もし私たちが
御霊によって生きるのなら,
御霊に導かれて,
進もうではありませんか。」


イエス・キリストを信じる者は

聖霊に満たされ,

聖霊に導かれて行動すべきです。


私たちの信仰によっての行動とは,

御霊に導かれることです。






6章



重荷を負い合う


(ガラテヤ6:2)

「互いの重荷を負い合い,
そのようにして
キリストの律法を全うしなさい。」


律法は,神を信じ,

人を愛することに要約されています。


この愛は神の賜物です。


(1コリント13:4-6)

「愛は寛容であり、愛は情深い。
また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、
不作法をしない、
自分の利益を求めない、
いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。」 



イエス・キリストは,

わたしたちの重荷を

背負ってくださっています。


(マタイ11:28)

「すべて,疲れた人,
重荷を負っている人は,
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを
休ませてあげます。」


つぎに,わたしたちは互いの

「重荷を負い合う」ように

勧められています。


☆彡


(ガラテヤ6:1-10)

「兄弟たちよ。
もしだれかがあやまちに陥ったなら,
御霊の人であるあなたがたは,
柔和な心でその人を正してあげなさい。
また,自分自身も誘惑に
陥らないように気をつけなさい。
互いの重荷を負い合い,
そのようにして
キリストの律法を全うしなさい。
だれでも,りっぱでもない自分を
何かりっぱでもあるかのように思うなら,
自分を欺いているのです。
おのおの自分の行いを
よく調べてみなさい。
そうすれば,誇れると思ったことも,
ただ自分だけの誇りで,
ほかの人に対して
誇れることではないでしょう。
人にはおのおの,
負うべき自分自身の重荷があるのです。
みことばを教えられる人は,
教える人とすべての良いものを分け合いなさい。
思い違いをしてはいけません。
神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば,
その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は,
肉から滅びを刈り取り,
御霊のために蒔く者は,
御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
 善を行うのに飽いてはいけません。
失望せずにいれば,
時期が来て,
刈り取ることになります。
 ですから,
私たちは,機会のあるたびに,
すべての人に対して,
特に信仰の家族の人たちに
善を行いましょう。」




種を蒔く


(ガラテヤ6:7)

「思い違いをしてはいけません。
神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば,
その刈り取りもすることになります。」







世界は十字架につけられる


(ガラテヤ6:14)

「しかし私には,
私たちの主イエス・キリストの
十字架以外に誇りとするものが
決してあってはなりません。
この十字架によって,
世界は私に対して十字架につけられ,
私も世界に対して
十字架につけられたのです。」


「世界は私に対して十字架につけられ」とは,

世界がわたしに対して,

力も価値もなくなったということをあらわしています。


十字架につけられたとは死を意味します。


この世は自分とは関係なくなったと言う意味です。



(ローマ6:6)

「私たちの古い人が
キリストとともに
十字架につけられたのは,
罪のからだが滅びて,
私たちがもはやこれからは
罪の奴隷でなくなるためであることを,
私たちは知っています。」



(ヘブル12:2)

「信仰の創始者であり,
完成者であるイエスから
目を離さないでいなさい。
イエスは,
ご自分の前に置かれた喜びのゆえに,
はずかしめを
ものともせずに十字架を忍び,
神の御座の右に着座されました。」


♪ 「栄えの主イエスの」

(新聖歌 117)

1.
栄えの主イエスの 
十字架を仰げば
世の富誉(ほま)れは 
塵(ちり)にぞ等しき

2.
十字架の他には 
誇(ほこ)りはあらざれ
この世のもの皆 
消えなば消え去れ

3.
見よ 主の御頭(みかしら) 
御手(みて)御足(みあし)よりぞ
恵みと悲しみ 交々(こもごも)流るる

4.
恵みと悲しみ 一つに溶け合い
茨(いばら)は眩(まばゆ)き 
冠(かむり)と輝く

5.
ああ主の恵みに 
報(むく)ゆる術なし
唯(ただ)身と魂(たま)とを 
献げて額(ぬか)ずく



ペテロは次のように言います。

(1ペテロ2:22-25)

「キリストは罪を犯したことがなく,
その口に
何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても,
ののしり返さず,苦しめられても,
おどすことをせず,
正しくさばかれる方に
お任せになりました。
そして自分から十字架の上で,
私たちの罪をその身に負われました。
それは,私たちが罪を離れ,
義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに,
あなたがたは,いやされたのです。
あなたがたは,
羊のようにさまよっていましたが,
今は,自分のたましいの牧者であり
監督者である方のもとに帰ったのです。」






十字架につけられ、

よみがえられた主と共に生きる私たちは、

信仰生活の途上にあります。

信仰生活の完成は、

主の再臨における新しい創造においてです。




新しい創造 


(ガラテヤ6:15)

「割礼を受けているか受けていないかは,
大事なことではありません。
大事なのは新しい創造です。」



イエス・キリストを信じる者は,

新しく造られた者です。

「割礼を受けているか受けていないかは,大事なことではありません」

大事でないことを救いの必要な条件とする誤りに,パウロは戦います。


「新しい創造」によって,

イエスが再び来られる時,

主なる神が天地を創造された目的が完全に成就するのです。

(参照2コリント5:17,1ヨハ3:2‐3,4:17),


「新しい創造」が,新天新地の希望が「大事」なことだといいます。





「天なる喜び」(新聖歌211)


天(あめ)なる喜び  
こよなき愛を
携(たずさ)え降(くだ)れる  
我が君イエスよ
救いの恵みを  
顕(あらわ)に示し
卑(いや)しきこの身に  
宿らせ給(たま)え


命を与うる  
主よ留(とど)まりて
我らの心を  
常宮(とこみや)となし       
朝(あした)に夕べに  
祈りを捧(ささ)げ
称(たた)えの歌をば  
歌わせ給(たま)え

※常宮・・・永久に変わらない宮


我らを新たに  
造り清めて
栄えに栄えを  
いや増し加え
御国(みくに)に昇(のぼ)りて  
御前(みまえ)に伏(ふ)す日
御顔の光を  
映させ給(たま)え




イエスの焼き印


(ガラテヤ6:17)

「これからは,
だれも私を
煩わさないようにしてください。
私は,この身に,
イエスの焼き印を
帯びているのですから。」


わたしたちの「焼き印」は,

「聖霊の証印」である,

内なる御霊です。


(エペソ1:13)
「あなたがたもまた,
キリストにあって,真理の言葉,
すなわち,あなたがたの救の福音を聞き,
また,彼を信じた結果,
約束された聖霊の証印をおされたのである。」




祈り


(ガラテヤ6:8)

「兄弟たちよ。
わたしたちの
主イエス・キリストの恵みが、
あなたがたの霊と共にあるように、
アァメン。」


☆彡



(ガラテヤ6:15-18)
「割礼のあるなしは問題ではなく、
ただ、新しく造られることこそ、
重要なのである。 
この法則に従って進む人々の上に、
平和とあわれみとがあるように。
また、
神のイスラエルの上にあるように。 
だれも今後は、
わたしに煩いをかけないでほしい。
わたしは、
イエスの焼き印を
身に帯びているのだから。 
兄弟たちよ。
わたしたちの
主イエス・キリストの恵みが、
あなたがたの霊と共にあるように、
アァメン。」 



2019-08-09





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