コリント人への手紙 第2
解説2
2023.5.26
○
パウロが第一の手紙を書いた後に,
教会に間違った教えが
入り込みました。
偽りの教師たちは,
パウロに敵対するように
なりました。
パウロは,コリントの人々に,
彼の勤めについて語り,
彼らに助言を与えました。
○
慰めに満ちた神,イエス・キリスト
(2コリント1:4,5)
「神は,
どのような苦しみのときにも,
私たちを慰めてくださいます。
こうして,私たちも,
自分自身が
神から受ける慰めによって,
どのような苦しみの中にいる人をも
慰めることができるのです。
それは,
私たちにキリストの苦難が
あふれているように,
慰めもまたキリストによって
あふれているからです。」
○
違反者を赦す
(2コリント2:7)
「あなたがたは,むしろ,
その人を赦し,慰めてあげなさい。
そうしないと,
その人はあまりにも深い悲しみに
押しつぶされて
しまうかもしれません。」
○
新しい契約
(2コリント3:3-6)
「あなたがたが私たちの奉仕による
キリストの手紙であり,
墨によってではなく,
生ける神の御霊によって書かれ,
石の板にではなく,
人の心の板に
書かれたものであることが
明らかだからです。
私たちはキリストによって,
神の御前で
こういう確信を持っています。
何事かを
自分のしたことと
考える資格が
私たち自身にあるというのでは
ありません。
私たちの資格は神からのものです。
神は私たちに,
新しい契約に仕える者となる
資格を下さいました。
文字に仕える者ではなく,
御霊に仕える者です。
文字は殺し,
御霊は生かすからです。」
○
主イエス・キリストを宣べ伝える。
(2コリント4;5)
「私たちは
自分自身を宣べ伝えるのではなく,
主なるキリスト・イエスを
宣べ伝えます。
私たち自身は,
イエスのために,
あなたがたに仕える
しもべなのです。」
この手紙の主題です。
○
土の器
(2コリント4:7)
「私たちは,この宝を,
土の器の中に入れているのです。
それは,この測り知れない力が
神のものであって,
私たちから出たものでないことが
明らかにされるためです。」
○
信仰に生きる
(2コリント4:16)
「ですから,
私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの外なる人は
衰えても,
内なる人は日々
新たにされています。」
○
天にある永遠の住まい
(2コリント5:1,4)
「私たちの住まいである
地上の幕屋がこわれても,
神の下さる建物があることを,
私たちは知っています。
それは,人の手によらない,
天にある永遠の家です。
私たちはこの幕屋にあってうめき,
この天から与えられる住まいを
着たいと望んでいます。
それを着たなら,
私たちは裸の状態になる
ことはないからです。
確かにこの幕屋の中にいる間は,
私たちは重荷を負って,
うめいています。
それは,
この幕屋を
脱ぎたいと思うからでなく,
かえって天からの
住まいを着たいからです。
そのことによって,
死ぬべきものが
いのちにのまれて
しまうためにです。」
○
神のため
(2コリント5:13)口語訳
「もしわたしたちが,
気が狂っているのなら,
それは神のためであり,
気が確かであるのなら,
それはあなたがたのためである。」
パウロは「気が狂っている」
と言われたようです。
「神のため」でした。
信仰熱心なゆえに,
理解されなかったようです。
イエスも「気が狂った」と
思われたことがありました。
(マルコ3:21)口語訳
「身内の者たちはこの事を聞いて,
イエスを取押えに出てきた。
気が狂ったと思ったからである。」
○
和解させる任務
(2コリント5:17,18)
「だれでも
キリストのうちにあるなら,
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って,
見よ,すべてが新しくなりました。
これらのことはすべて,
神から出ているのです。
神は,キリストによって,
私たちをご自分と和解させ,
また和解の務めを
私たちに与えてくださいました。」
(2コリント5:21)
「神は,罪を知らない方を,
私たちの代わりに罪とされました。
それは,
私たちが,この方にあって,
神の義となるためです。」
○
極度の忍苦にも,患難
(2コリント6:4,5)口語訳
「あらゆる場合に,神の僕として,
自分を人々にあらわしている。
すなわち,極度の忍苦にも,
患難にも,危機にも,
行き詰まりにも,
むち打たれることにも,
入獄にも,騒乱にも,
労苦にも,徹夜にも,飢餓にも,」
パウロには,極度の忍苦にも,
患難がありました。
詳しくは
2コリント11:22-27に
のべています。
続いて,パウロはこの忍苦,
患難に関して,
次にように言います。
(2コリント6:9,10)口語訳
「人に知られていない
ようであるが,
認められ,
死にかかっているようであるが,
見よ,生きており,
懲らしめられているようであるが,
殺されず,
悲しんでいるようであるが,
常に喜んでおり,
貧しいようであるが,
多くの人を富ませ,
何も持たないようであるが,
すべての物を持っている。」
○
パウロの苦難
(2コリント11:22-27)
口語訳
「彼らはヘブル人なのか。
わたしもそうである。
彼らはイスラエル人なのか。
わたしもそうである。
彼らはアブラハムの子孫なのか。
わたしもそうである。
彼らはキリストの僕なのか。
わたしは
気が狂ったようになって言う,
わたしは彼ら以上にそうである。
苦労したことはもっと多く,
投獄されたことももっと多く,
むち打たれたことは,
はるかにおびただしく,
死に面したこともしばしばあった。
ユダヤ人から四十に一つ足りない
むちを受けたことが五度,
ローマ人にむちで打たれたことが
三度,
石で打たれたことが一度,
難船したことが三度,
そして,一昼夜,
海の上を漂ったこともある。
幾たびも旅をし,
川の難,盗賊の難,
同国民の難,異邦人の難,
都会の難,荒野の難,
海上の難,にせ兄弟の難に会い,
労し苦しみ,
たびたび眠られぬ夜を過ごし,
飢えかわき,
しばしば食物がなく,
寒さに凍え,
裸でいたこともあった。」
旧約聖書のイザヤは
次のように宣べています。
(イザヤ49:8)口語訳
「主はこう言われる,
『わたしは恵みの時に,
あなたに答え,
救の日にあなたを助けた。
わたしはあなたを守り,
あなたを与えて民の契約とし,
国を興し,
荒れすたれた地を
嗣業として継がせる。』」
○
生ける神の宮
(2コリント6:16)
「神の宮と偶像とに,
何の一致があるでしょう。
私たちは生ける神の宮なのです。
神はこう言われました。
『わたしは彼らの間に住み,
また歩む。
わたしは彼らの神となり,
彼らはわたしの民となる。』」
○
みこころに添った悲しみ
(2コリント7:10)
「神のみこころに添った悲しみは,
悔いのない,
救いに至る悔い改めを
生じさせますが,
世の悲しみは死をもたらします。」
○
キリストの富
(2コリント8:7)
「あなたがたは,
すべてのことに,
すなわち,信仰にも,ことばにも,
知識にも,あらゆる熱心にも,
私たちから出て
あなたがたの間にある愛にも
富んでいるように,
この恵みのわざにも
富むようになってください。」
(2コリント8:9)
「あなたがたは,
私たちの主イエス・キリストの
恵みを知っています。
すなわち,
主は富んでおられたのに,
あなたがたのために
貧しくなられました。
それは,あなたがたが,
キリストの貧しさによって
富む者となるためです。」
○
献金の勧め
(2コリント9:6-8)
「私はこう考えます。
少しだけ蒔く者は,
少しだけ刈り取り,
豊かに蒔く者は,
豊かに刈り取ります。
ひとりひとり,
いやいやながらでなく,
強いられてでもなく,
心で決めたとおりにしなさい。
神は喜んで与える人を
愛してくださいます。
神は,あなたがたを,
常にすべてのことに満ち足りて,
すべての良いわざに
あふれる者とするために,
あらゆる恵みをあふれるばかり
与えることのできる方です。
○
(2コリント10:4-6)
「私たちの戦いの武器は,
肉の物ではなく,
神の御前で,
要塞をも破るほどに
力のあるものです。
私たちは,さまざまの思弁と,
神の知識に逆らって立つ
あらゆる高ぶりを打ち砕き,
すべてのはかりごとを
とりこにしてキリストに服従させ,
また,あなたがたの従順が
完全になるとき,
あらゆる不従順を罰する用意が
できているのです。」
○
パウロの誇り
(2コリント11:5,6)
「私は自分をあの大使徒たちに
少しでも劣っているとは
思いません。
たとい,
話は巧みでないにしても,
知識については
そうではありません。
私たちは,すべての点で,
いろいろな場合に,
そのことを
あなたがたに示して来ました。」
パウロは,
自分を大使徒に
劣らないといいます。
キリスト者にとって,
大切な言葉です。
私たちは,
パウロの手紙を
神の言葉としているからです。
○
弱さを誇る
(2コリント12:2)
「私はキリストにある
ひとりの人を知っています。
この人は十四年前に
──肉体のままであったか,
私は知りません。
肉体を離れてであったか,
それも知りません。
神はご存じです,──
第三の天にまで
引き上げられました。
(2コリント12:7-10)
「また,その啓示が
あまりにもすばらしいからです。
そのために私は,
高ぶることのないようにと,
肉体に一つのとげを
与えられました。
それは私が
高ぶることのないように,
私を打つための,
サタンの使いです。
このことについては,
これを私から
去らせてくださるようにと,
三度も主に願いました。
しかし,主は,
「わたしの恵みは,
あなたに十分である。
というのは,わたしの力は,
弱さのうちに
完全に現れるからである」
と言われたのです。
ですから,
私は,
キリストの力が私をおおうために,
むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。
ですから,
私は,キリストのために,
弱さ,侮辱,苦痛,迫害,
困難に甘んじています。
なぜなら,私が弱いときにこそ,
私は強いからです。」
○
真理のために何でもできる
(2コリント13:8)
「私たちは,
真理に逆らっては
何をすることもできず,
真理のためなら,
何でもできるのです。」
○
弱さを誇る
(2コリント12:9)
しかし,主は,
「わたしの恵みは,
あなたに十分である。
というのは,
わたしの力は,
弱さのうちに
完全に現れるからである」
と言われたのです。
ですから,
私は,キリストの力が
私をおおうために,
むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。
2023-08-09