「夢十夜」 第二夜
『こんな夢を見た。和尚の室を退がって,廊下伝いに自分の部屋へ帰ると…』
「侍なのに無を悟れていない」と和尚に馬鹿にされた自分は,悟りを開いて和尚を斬るか,悟りを開けず切腹するかの二択を自らに課し,悟りを開くため無についてひたすら考える。
「隣の広間の床に据(す)えてある置時計が次の刻(とき)を打つまでには,
きっと悟って見せる。悟った上で,今夜また入室(にゅうしつ)する。
そうして和尚の首と悟りと引替(ひきかえ)にしてやる。
悟らなければ,和尚の命が取れない。
どうしても悟らなければならない。自分は侍である。」
「趙州(じょうしゅう)曰く無(む)と。無とは何だ。」
第2夜は,「悟り」の問題です。
悟りには命をかける価値があること,
あるいは命を捨てないと得られないことを示しています。
そして,悟りは,「無」と関係しています。
夏目漱石は,間違いなく,ここまで知っていました。
「悟り」が人生の問題を解決することなら,
聖書では「救い」に当たります。
どちらも,「悟った」「救われた」という,
人生のあるときの決定的な事柄です。
どちらも,自分の内になく,外から与えられます。
わたしは,仏教の「悟り」はキリスト教の救いとは全く違うものだと考えています。
キリスト教の救いは,
イエス・キリストの死をとおしてだけあたえられるからです。
しかし,「悟り」はキリスト教の「十字架体験」というものによく似ていると思います。
「十字架体験」とは,
自分がイエス・キリストの十字架と共に死んだと信じるものです。
わたしは,「悟り」は,
聖書の「救いの体験」に似た体験と考えます。
悟ったからと言って,
神が救ってくださったということではないと考えます。
(ガラテヤ2:20)
「私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が,この世に生きているのは,
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているのです。」
これは,パウロの体験です。
救いはイエス・キリストを信じる者すべてに当てはまりますが,
体験としては個人的です。
客観的に救われていても,主観的に救いがわからない人がいます。
ですから,パウロは「私」と表現します。
「夢十夜」 第二夜 夏目漱石著 青空文庫から
こんな夢を見た。
和尚(おしょう)の室を退(さ)がって,
廊下(ろうか)伝(づた)いに自分の部屋へ帰ると
行灯(あんどう)がぼんやり点(とも)っている。
片膝(かたひざ)を座蒲団(ざぶとん)の上に突いて,
灯心を掻(か)き立てたとき,
花のような丁子(ちょうじ)がぱたりと朱塗の台に落ちた。
同時に部屋がぱっと明かるくなった。
襖(ふすま)の画(え)は蕪村(ぶそん)の筆である。
黒い柳を濃く薄く,遠近(おちこち)とかいて,
寒(さ)むそうな漁夫が笠(かさ)を傾(かたぶ)けて土手の上を通る。
床(とこ)には海中文殊(かいちゅうもんじゅ)の軸(じく)が懸(かか)っている。
焚(た)き残した線香が暗い方でいまだに臭(にお)っている。
広い寺だから森閑(しんかん)として,人気(ひとけ)がない。
黒い天井(てんじょう)に差す丸行灯(まるあんどう)の丸い影が,
仰向(あおむ)く途端(とたん)に生きてるように見えた。
立膝(たてひざ)をしたまま,左の手で座蒲団(ざぶとん)を捲(めく)って,
右を差し込んで見ると,思った所に,ちゃんとあった。
あれば安心だから,蒲団をもとのごとく直(なお)して,
その上にどっかり坐(すわ)った。
お前は侍(さむらい)である。
侍なら悟れぬはずはなかろうと和尚(おしょう)が云った。
そういつまでも悟れぬところをもって見ると,御前は侍ではあるまいと言った。
人間の屑(くず)じゃと言った。
ははあ怒ったなと云って笑った。
口惜(くや)しければ悟った証拠を持って来いと云ってぷいと向(むこう)をむいた。怪(け)しからん。
隣の広間の床に据(す)えてある置時計が次の刻(とき)を打つまでには,
きっと悟って見せる。
悟った上で,今夜また入室(にゅうしつ)する。
そうして和尚の首と悟りと引替(ひきかえ)にしてやる。
悟らなければ,和尚の命が取れない。
どうしても悟らなければならない。
自分は侍である。
もし悟れなければ自刃(じじん)する。
侍が辱(はずか)しめられて,生きている訳には行かない。
綺麗(きれい)に死んでしまう。
こう考えた時,自分の手はまた思わず布団(ふとん)の下へ這入(はい)った。
そうして朱鞘(しゅざや)の短刀を引(ひ)き摺(ず)り出した。
ぐっと束(つか)を握って,赤い鞘を向へ払ったら,
冷たい刃(は)が一度に暗い部屋で光った。
凄(すご)いものが手元から,すうすうと逃げて行くように思われる。
そうして,ことごとく切先(きっさき)へ集まって,
殺気(さっき)を一点に籠(こ)めている。
自分はこの鋭い刃が,無念にも針の頭のように縮(ちぢ)められて,
九寸(くすん)五分(ごぶ)の先へ来てやむをえず尖(とが)ってるのを見て,
たちまちぐさりとやりたくなった。
身体(からだ)の血が右の手首の方へ流れて来て,
握っている束がにちゃにちゃする。唇(くちびる)が顫(ふる)えた。
短刀を鞘へ収めて右脇へ引きつけておいて,それから全伽(ぜんが)を組んだ。
―趙州(じょうしゅう)曰く無(む)と。
無とは何だ。糞坊主(くそぼうず)めとはがみをした。
奥歯を強く咬(か)み締(し)めたので,鼻から熱い息が荒く出る。
こめかみが釣って痛い。
眼は普通の倍も大きく開けてやった。
懸物(かけもの)が見える。
行灯が見える。
畳(たたみ)が見える。
和尚の薬缶頭(やかんあたま)がありありと見える。
鰐口(わにぐち)を開(あ)いて嘲笑(あざわら)った声まで聞える。
怪(け)しからん坊主だ。どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならん。
悟ってやる。無だ,無だと舌の根で念じた。
無だと云うのにやっぱり線香の香(におい)がした。
何だ線香のくせに。
自分はいきなり拳骨(げんこつ)を固めて自分の頭をいやと云うほど擲(なぐ)った。
そうして奥歯をぎりぎりと噛(か)んだ。
両腋(りょうわき)から汗が出る。背中が棒のようになった。
膝(ひざ)の接目(つぎめ)が急に痛くなった。
膝が折れたってどうあるものかと思った。
けれども痛い。
苦しい。
無(む)はなかなか出て来ない。
出て来ると思うとすぐ痛くなる。
腹が立つ。
無念になる。
非常に口惜(くや)しくなる。
涙がほろほろ出る。
ひと思(おもい)に身を巨巌(おおいわ)の上にぶつけて,
骨も肉もめちゃめちゃに砕(くだ)いてしまいたくなる。
それでも我慢してじっと坐っていた。
堪(た)えがたいほど切ないものを胸に盛(い)れて忍んでいた。
その切ないものが身体(からだ)中の筋肉を下から持上げて,
毛穴から外へ吹き出よう吹き出ようと焦(あせ)るけれども,
どこも一面に塞(ふさ)がって,まるで出口がないような残刻極まる状態であった。
そのうちに頭が変になった。
行灯(あんどう)も蕪村(ぶそん)の画(え)も,
畳も,違棚(ちがいだな)も有って無いような,無くって有るように見えた。
と云って無(む)はちっとも現前(げんぜん)しない。
ただ好加減(いいかげん)に坐っていたようである。
ところへ忽然(こつぜん)隣座敷の時計がチーンと鳴り始めた。
はっと思った。
右の手をすぐ短刀にかけた。
時計が二つ目をチーンと打った。
2010-01-04