私の出身地は新潟県の上越市、その高田地区です。「この下に高田あり」という言葉があるくらいの、昔は豪雪地帯でした。
雁木通りから少し曲がった通りに実家はありました。子どもの頃よく遊んだ公園は歩いて3分位のところの幸町公園です。
で、その幸町に「小川未明生誕の地」がある、ということは何となく知っていました。
鉄工所の屑鉄が山になった空地のその一部分に、いつからか未明の石碑が建ち、屑鉄と石碑のコントラストが子ども心に不思議な感じでした。
高田を離れて数十年経っているので、その後どうなったのかよくわかりません。
最近、ジュンク堂で『小川未明三十選』宮川健郎/著(春陽堂)を見かけて、それを図書館で借りて読んで、巻末の小川未明を巡るあれやこれやを知りました。
未明童話を読むと、高田の言葉(言い回し)が出てきてとても懐かしく、寝る前の一冊にしておいたのですが、一話読むとなんだかとても満足してすぐに眠りにつけたのです。
独特の言い回しや展開の仕方は、この人の個性なんだろうなとずっと思っていたのですが、それが、私が子どものころは批判されていたのですね。
高田の深い雪の中の、あの湿気に共感できる人とそうでない人の違いでしかないような気がするのですが。
大学で文学を専攻する人は児童文学の歴史もやるでしょうから、こういった論争があったことくらい知識として知っておられるのでしょう。皆さんは知識を得てどのように思ったのか、尋ねてみたい気もします。
それとは別に、偶然『平成23年度国際子ども図書館児童文学連続講座講義録』(国立国会図書館国際子ども図書館/編集・発行)も借りてあって、
「この監修者はあの三十選の人と同じ人だ」と思ったりしていました。講義内容も三十選巻末の説明と同じ部分もありました。
実はここ数年、年度初めのバタバタが落ち着いた5月頃に、前年度の『絵本BOOKEND』と『この絵本が好き!』から必要な情報をピックアップする習慣があったのです。その情報の中、児童文学関係の研究資料に国際子ども図書館の講義録が挙がっていました。それで読む気になったのです。
私は児童文学などにはあんまり興味がないのですが、20年近く前に図書館ボランティア講座で「宮澤賢治が良くて、小川未明はだめ」という教育を受けて、その奇怪さに茫然としたことがあり、その思いをずっと引きずっていたのです。
今はそんなことはないだろうと思いきや、「話の結末が満足できるもの」「子どもが前向きな気持ちになれるようなもの」「生きていくのもまんざらでもないという気持ちになれるもの」という指導は、今もされているのではないかと思います。
小川未明の童話にも、そういうものは結構あるのに、どうして排除の対象になったのでしょうか。
いずれにしろ、新美南吉や宮澤賢治も含め「童話」の文章は長いので、おはなし会のプログラムに入れにくく、「あんまりそういうことに近寄らないでいよう」という考えになっていったような気がします。
たとえば「おはなし」にして短くして語ったとしても、独特の文体があってこれらの作家の良さがあるので、文体を崩すのはちょっと勇気がいりますね。