当直の合間、医局の大きなテレビでオリンピック観戦。4年に一度の至福の瞬間です。
ロンドンオリンピック開幕から約1週間。時差は日本が+8時間ということで、中継開始あたりの時間帯は問題ないのですが、最後の方まで見ているとさすがに寝不足気味です。しかしその寝不足も、日本勢がメダル争いをしていればこそ。嬉しい悲鳴ということになりますね。
それにしても、昨夜の体操個人総合、内村航平選手の見事な金メダル。私「くりぼう」も、テレビの前にかじり付きになって声援を送りました。一夜明けて歓喜の日本列島。何度みても身震いのするような演技でしたね。またその数日前には、地元金沢市出身の女三四郎・松本薫選手の大会第一号となる金メダルの朗報に、大いに沸きました。一部、ジャッジへの執拗な抗議や無気力試合など神聖なオリンピックに水を差すような出来事もありましたが、そういう嫌な話題をカバーして余りある日本勢の戦いぶりではないでしょうか。
ところで、私事で恐縮ですが、もうすぐ6歳になる私の長女が体操クラブに通っていたりします。床や鉄棒、跳び箱、トランポリンなどで汗を流していまして、側転なんか結構綺麗に決めていたりします。側転をしている最中に見える景色や、逆上がりで持ち上げた脚が鉄棒を捉えた時の感覚など、これまでの35年間(そしておそらく今後一生)一度も経験したことがない運動音痴の私を、早くも超えて行ってしまいました。
そんな経緯もあってか体操への関心は結構大きく、内村選手を初めとする日本体操勢の今後の活躍も、4年に一度とは言わずに注目していきたいと思っています。
さて、ウチの医局との関連が「大きなテレビ」しかない今回の内容ですが、娘が通う体操教室の先生から教わった教訓をひとつ。それは、本番では絶対に練習以上の結果が出せないのが体操である、ということです。要するに、まぐれが絶対に起こらない。練習中にその時点での自分の限界がはっきりし、その絶対に越えられない限界を目指した戦いであるというわけです。一流アスリートが、最後は自分との闘いと異口同音に語るのも頷けます。
そしてこれは、おそらく我々医者稼業にも通ずるところがあります。覚えたことを次々に忘れてしまうことはあっても、持っている以上の知識は絶対に沸いてきませんし、普段上手くいかない手技が患者さんを前にして突如出来るわけがありません。医師もしばしば孤独な戦いを強いられますので、焦りや気持ちの揺れが本来の力を発揮出来なくさせてしまいます。しかし、だからといって上手くいかなかったことを正当化しているようでは、それはプロの仕事とは呼べないのであって、上手くいかなかったときにも大過なく手技を遂行出来るような日頃のトレーニングが必須ということです。
練習で15点台の演技が当たり前のように出来る体操選手でも、オリンピック本番では12~13点台で涙をのんでいたのが印象的でした。今の自分に最低限求められる医療の水準や質は大体分かっているのですが、それを安定して発揮するために必要な練習量というのは、簡単には把握出来ません。一度でも上手くいかなければ「確実に足りていない」、だいたい上手くいっていても「多分まだ足りない」というくらいの認識でいるべきなのでしょう。
一流の一流たる所以が何なのか、寝不足で迎える当直の夜に、そんなことまで考えさせてくれる超一流のアスリートたち。日本勢が勝っても負けても、寝不足の日々はまだまだ続きそうです。
これからも精進しましょう.てか,早く僕より上手になってね.
励ましのコメント、有難うございます。
先程、バドミントン女子ダブルスの決勝を観戦して、フジガキの不屈の闘志と絶やさぬ笑顔に熱いものが込み上げてきました。
週明けの手術は、五輪の感動を自分自身のエネルギーに変換して、気合いを入れて臨みたいと思います。