私の好きな My favorite life

写真付きで my favorite life
を書く

Diario 5:16  雑感

2022-05-16 07:39:50 | 日記

 何の花だったのだろう? 忘れてしまっている。 ユリノキだったかな?
 4月末 妻と小旅行に行ってきた。 瀬戸内芸術祭である。 もう10年以上前から是非とも行ってみたいと念願していた。1~2月のコロナ6波がこの頃には落ち着くだろうと予測して計画を立てていた。
 4泊5日、高松から船で 4島を巡ったきた。 この回る順路は 妻が予定を立てた。 妻は2度目である。多少勝手がわかるので、ここもあそこもと細かに 欲張っての順路であった。 自宅に戻って、充実した日々であったと満足感も一杯であったが、 私にはかなりの疲労が残り、案の常その後の天候不順のため、風邪引きこじらせてしまった。もう2週間以上体調不良が続いている。
 仕事は細々とでも続けている。私がもう辞めると言えば、この職場もおそらく立ち行かなくなるだろうし、ほかの仲間も職を失うことになるだろう。けれど仕事内容はそれほど、社会に役立つことではない。
病気を背負い、細々と働く自分の今の人生、一体何の為にいきているんだろう?と、ふと疑問に思えて来る。生きていても、何の生産性もなく、社会への貢献もなく、・・・あーなんとなく 優性思想のようだ! これは困る。これまで自分なりに社会の一員として精一杯頑張ってきたとも自負がある。余生は、もっと自分のしたいことを楽しみたく思う。また余力があれば、息子や孫達の幸せの手伝いをしたい。これが一番の楽しみかな。 昨日は、彼らの好きな 角煮を作った。

Diario 4.18 ピースボート乗船者

2022-04-18 08:08:52 | 日記
 先日 友人宅に招かれて出かけた。7人ほどが集まっていたのだが、そのうち5人がピースボート乗船のの経験者達だった。私は、まだない。 ただ、長男がピースボートに長く勤めていたことから縁があり招かれたのである。同じ船の中で 3月も一緒であったなら仲間意識も生まれて下船後もグループでの交流が続いているようである。中には、2度3度4度と乗船している人もいる。私は、息子からこのピースボートの裏方の仕事についていろいろと聞いていたが、乗客の話には興味深かった。乗船者はこれまでの略歴等全く関係なしに、一人の人として気の合ったもの達で自然とグループが出来てゆくそうだ。
 その中で、今76歳という男性の方の話。退職した時に100か国を巡ろうと老後の目標にした。そして今97か国まで達したと。そして中には、その土地の人々との交流が生まれ、今もって続いていると。ところがいま一歩で、資金が潰えてしまったと。この人のこれまでの人生を聞いて、人生思い切りが出来ないと何もなしえないなと思った。 まだまだ体力もありそうだし、人柄も非常にフランクでこれからも人生を楽しんで行かれそうに思った。これから、何をされるのか聞いておけば良かった。
 他の方の話を聞いていても、皆さん意欲的で活動的であった。外(ピースボート乗船、グループとの懇親会、その他)に出掛けるために、普段は倹約を心掛けてるそうだ。
 まぁ、それぞれに楽しんでおられるようで、じゃぁ私はというと40坪ほどの庭の手入れで、この春の芽吹きを楽しんでいるといった程度で、思い切って何かをなすことはなさそうだ。


私の住む 長野市郊外の戸隠キャンプ場 2月の雪景色
写真を撮りに行っただけれど 若い頃が懐かしく思い出された。

Diario 3.27 これから先

2022-03-27 11:26:25 | 日記
 前回の投稿より半年以上が過ぎている. 恐ろしいもんだ。この間あっという間に過ぎているが、確かに 忙しく様々のことがあった。思い出すと、仕事も遊びも実に以前にも増して忙しく生活していたと思う。 
 親を看取り、息子達もそれぞれ家庭を持って生活している。私は今も細々と仕事を続けている。これからの私の役割?仕事?は何だろう。 しかしその前に自分の健康をいかに維持してゆくかが大前提である。70歳にもなれば、いろいろと体に支障が出てきている。もうこの歳になれば 完治、は無かろう。いまの不具合をいかに工夫して楽に生活するか、そしてそう長くも無いだろう、これからの余生をいかに生活するかが もっぱらの考え事だ。 世間を見ると、社会貢献など立派にされている人を見るが、私には無理であり、考えていることは、自分のことばかりである。
 こうして、久しぶりにDiarioを書くのも、迷う自分をこれで良いのだと安心させるためなのかな?
 仕事は続けよう、できればもう一段減らして。これは自分の体を維持するために。これまで、飽きもせずにやってきたことは、続けよう。上手い下手は関係ない、自己満足で十分なのだ。 自分の役割?それは子供たちに迷惑を掛けないで、好きなことを楽しんで老後を送っている姿を見てもらうことかな。
 そしてこれが己の人生、己の器だったんだと思い悔やまずに死んでゆこう。

Diario:10.4  50年ぶりの同級生と二人飲み会

2021-10-04 16:29:58 | 日記


 彼とは高校1年時に同じクラスだったでけでした。それ以来、約50年ぶり、時にクラス会で顔を合わし声を掛け合う程度でした。それが、急に軽井沢でゴルフをした後、こちらに来るので軽く夕食でも一緒に取ろうということで会うことになった。 はて?何の要件なんだろうといぶかしんでいた。実は同じクラスの時より、それほど相性が良い間柄では無かったと、私は思っていたのだ。
 さて、いざ会ってみると実に如才ないと言って良いのか、何のわだかまりもなく彼が話を進めてくる。
彼は大学を出てから商社に入り、世界の様々な土地を巡り、また多くの部下を率いるようになり、そして今は退職し、いくつかの子会社の顧問をして小遣いを得ていると。話は、彼の実家の状況から、大学受験、初恋、海外生活、妻との出会い、息子たちの件、そして今の状況と、たまに私が相槌を入れながらも、彼が決して自慢でもなく正直に話しているのが、聞き手にもわかる。
 4時から8時半まで、ほとんど彼が話していたように思う。。コロナで人と会うこともできずにいた時にこの様な出会いが、とても楽しかった。 これだけの時間、話し続けたのは彼にとっても楽しかったのであろう。
 彼がわざわざ、長野まで足を運んだのは私の仕事に関連したことについてちょっとしたアドバイスを聞きたかっただけようだ。
 私は、3人ほどの従業員と細々と仕事をしているのだが、50年前には同じ教室で学んだものが、その後のそれぞれの生き方でこれほどまで違う人生を歩んできたのかと、何か胸に来る思いがあった。
彼の生き方は、彼の話し方からして、彼にあった人生送ってきたように思う。
わが身に振り返ってみると、大きなことは出来なかったけれど、自分らしく、それに満足しながらこれまでやってきたと思える。
人の人生は、人それぞれに一番ふさわしい生き方があるのでしょう。  
以前、ブログで教えてもらった言葉を実感した。

Diario 10.1 最近気づいたこと

2021-10-01 17:00:29 | 日記





バックの湖は 木崎湖
さてこれは何でしょう?
これは8月の原子感覚芸術祭で展示された 小林テイさんの作品  放置されままで面影は無いが。  展示された当時は最初の展示物には紅白の帯が巻き付けられており、何かを感じさせてくれそうであった。



 ちょうど1週間前か、お袋がショートステイで入所している施設から、Spo2が 77%まで低下したので 酸素吸入を始めましたと連絡が入った。月曜日に酸素ボンベをお供に帰宅し、酸素生成器につながれた生活に戻ってしまった。これは1月退院してから約2か月同じ状況で、その後外すことができた。今回もそうなって欲しいと願っている。
 昨年までは、私は仕事場まで片道15分間の歩きでしたが、母の自宅介護が始まってからは、毎日介護サービスの方が来られ、駐車スペースが他に無いので私は車で通勤するようになった。9か月経ち、ふと気付いたことは、なんと自分の脚の衰え。 まだまだ母の介護は続きそうだし、どのようにリカバリーしようか?思案中。
 7月にプレドニンを10から9ミリに減らしたのだが、8月に入り痰の増加、足の痛みなどが出てきて また振り出しに11ミリの服用。
 明日、高校時代の同級生が会いに来る。これまで、同窓会少し言葉を交わした程度だったのが、なぜか不思議な縁?を感じる。 この件については後日書き込みたい。