さて、予告通りに「識名園」です。
識名園は、「俗に、シチナヌウドゥン」と呼ばれています。此処はね、琉球王家最大の別邸でして、国王一家の保養や、外国使臣の接待などに利用されたんです。(^◇^)
では、まず入って行きましょうね。大人は400円です。(笑)
入口には、世界遺産を明記された石碑がありますよ。
木々の中を通って行きます。18世紀の終わりに造られて、1800年に尚温王(しょうおんおう)冊封(さっぽう)の為に訪れた正使趙文楷(せいしちょうぶんかい)、副使李ていげん(ふくしり)を招いているそうです。
木々の中は、幾分、涼しげでしたね。(^◇^)
これは「番屋」と言います。たぶん、この別邸を守る番人さんがいたのでは?
「正門」 国王一家や冊封使などが出入りしたようですね。通用門ともヤ―ジョウ(屋門)と呼ばれる屋根のついた形式のものですね。
ヤ―ジョウは、格式のあるお屋敷のみ許されていたそうですよ。識名園のヤ―ジョウは、王府時代の格式を踏襲した趣のある門なんですよ。(^O^)/
この木は、「デイゴの木」です。島唄に歌詞にありますよね?あれです。
では、この木は?・・・そうです。「ガジュマルの木」ですよ。キジムナーが住んでいるかどうかは、貴方のロマンを想像を広げてみてくださいね。(笑)
枝が綺麗にみつ編みされています。自然になったのか?はたまた、人の手が入っているのか?夢を描いてみましょうね。(笑)
こういう雰囲気が大好きです。良いですね。うんうん。
奥様が、嬉しそうに歩いてられました。(^◇^)私もテンションが上がっています。
http://noriislow.blog.fc2.com/ ノリーのスローライフ ご覧くださいね。(^◇^)
実は、三脚を用意していたのですが、結局、この旅では全く使用せず!(^◇^) 重たかっただけ!今後は考えないと!十分、手持ちでこれだけの画像が撮れるんですから。カメラが賢いのです。腕ではないです。(笑)
綺麗ですね。空の色が全然、違います。
この別邸は、17世紀の後半、首里の崎山村(現在の首里崎山町)に御茶屋御殿(オチャヤウドゥン)が造られて、首里城の東に位置したので、御茶屋御殿は、「東苑」(とうえん)とも呼ばれたそうです。識名園は、南に位置するので「南苑」(なんえん)とも呼ばれていたそうです。
この識名園の造園形式は、池の回りを歩きながら、景色の移り変わりを楽しむ事を目的とした、「廻遊式庭園」(かいゆうしきていえん)になってます。
で、写真中央に見える「石橋」は、池の中に配された島に、大小二つの掛けられています。いずれも橋の中央が高くなったアーチ橋で中国風のデザインだそうです。これだけも、中国文化の交流が生きづいていることがわかりますよね。
御覧の皆さんは、こういう庭園形式は内地にもあるよ!と、思われるかもしれませんが、この形式を真似ようと日本の諸大名が競って作るようになったのが、近世なんですよ。この事から、琉球王国の技術は、本土に大きな影響をもたらしていた。と言えますね。
「育徳泉」(いくとくせん)
清冽な水をたたえて、池の水源の一つになってます。琉球石灰岩を沖縄独特の「あいたか積み」にして、巧みな曲線が優しい美しさを感じさせてくれます。
これは井戸です。泉をたたえていたんですね。その泉をたたえた石碑が最初の写真にある「育徳泉碑」なんです。
1800年に作られたものなんですが、戦災を受けて、下部が破損したんで、1980年に拓本を元に復元されたのです。
御殿(ウ ドゥン)
赤瓦屋根の木造建築で、往時の上流階級のみに許された格式あるつくりですが、雨端(あまはじ)などに民家風の趣を取り入れています。
六角堂(ろっかくどう)
池に浮かぶ島につくられた六角形のあずまやです。屋根の形や瓦を黒く色づけているところに、中国的な趣を感じさせます。
島へは、一つ石(琉球石灰岩)でつくられたアーチ橋がかけられています。
どうですか?この識名園。行ってみたくなったでしょう?(笑) では、この先は御殿の中を紹介しましょうね。
今日は、ここまで。今日も訪問有難うございます。
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