仏道

SRKWブッダによる内容を主になぞるものとなります。

2 SRKWブッダをブッダとして認められるのか?

2020-01-05 06:22:00 | 日記
前回、SRKWブッダがブッダであり、ブッダとはどのようなものかということについて、書きましたが、

そもそも、

SRKWブッダをブッダとして認められるのか?」という問題があり、人によって認識が異なるものと思われます。

SRKWブッダをブッダと認識するかについては、一般的には、次のいずれかに分かれると考えられます。

🔵認める
🔵よく分からないかな
🔵認めない(認められない)けど興味はある
🔵認めないし興味がない

初めの「認める」という考えの方は、SRKWブッダの何がしかの記述を見るなどして、「うん、これはブッダに違いない。」などの認識が生じたものと思われます。

私もSRKWブッダの記述を見て「これは間違いない」と確信しましたし、他にもそのように感じた方もいるようです。ただ、そのように確信した根拠となるSRKWブッダの記述なりは、人それぞれ異なるようです。

一方、そうでない方もいらっしゃるようです。

2番目と3番目の「よく分からないかな」「認めない(認められない)けど興味はある」という考えを持つ方です。

このような考えをお持ちの方は、どうなのかというと、それはそれで全く問題ないと考えます。

今、仮に認められなかったとしても、段々と「そうに違いない。」「そうに決まっている。」など思えばいいのです。でも、仮に「いや、ブッダであるはずがない。」という思いに帰着したとしても、それはそれで全く問題ないと考えます。

他の仏による過去からの仏典や、他のブッダに縁があればいい

と私は考えます。


4番目の「認めないし興味がない」という考えをお持ちの方も上と同じように、他の仏による過去からの仏典や、他のブッダに縁があればいいのです。

そうはいいつつも、私としては、とりあえずでいいので、SRKWブッダによるものを見るなどして、触れていただきたく思います。

さて、どのような認識をお持ちの方でも、SRKWブッダの記述を見ると、貴方自身がブッダになるべきだというコンセプトで書かれていると感じると思います。

ツイッターから
「こころある人は、覚りを目指す人であれ。自らの因縁によって覚りの機縁を生じ、善知識を得て、ついにこの円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達せよ。」

では、SRKWブッダをブッダに違いないと感じることや、そのような認識が直ちに生じることが、ブッダになる上で何か、アドバンテージになるのでしょうか?

私はアドバンテージになるとは全く思いません。最終的にブッダになるのであれば、そこにアドバンテージとか何かとか、そもそも何ものもないものと思います。

SRKWブッダをブッダとして認めるかどうかにかかわらず、私を含めどなたも、ブッダになってほしいと思います。

六祖壇経から
「私は代金を受け取ってから外に出ると、一人の人が『金剛経』を読んでるのを見た。私はそれを聞いただけで、心はたちまちからりと開けた。」
(六祖慧能は文字を読めなかったとのことですが、人が読んでる経典を聞いただけで、心が開けたとのことです。)



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