春ですね~🌸
引きこもりを自称する私でも
さすがに外を歩きたくなるいい陽気が続いています😊
今日は桜のちらほら咲く道を歩き、後加工が完了した型紙を受け取りに行ってきました。
もちろん頭に手ぬぐい巻いたいつもの恰好で行ってきました。
ぽかぽか陽気でした〜😊
私思うんですけど、春って何故か、世にはびこる不思議な人たちが無駄にお外を出歩く季節ですよね😰
皆さんもどうぞお気を付けください。
あ、そうか私みたいなね。
(年齢性別不詳・平日ど昼間・頭に手ぬぐい)
なるほどな!
ってオイ
さて
春といえば新🍀生🍀活。
岐阜市から鈴鹿市に引っ越し
どうしてもやりたくて始めた伊勢型紙の修行でしたが
修業当初よく思ったことがあります。
手作業で行う果てしない複製や
謎の反復運動(小刀研ぎ)の数々
こういうの
あいつらの方が絶対うまい気がする
私なんかがやってていいのかな....
あいつらというのは地元の工業高校で出会ったデザイン科の仲間たちのこと。
絵が描けて
手先が器用で
物覚えの勘がよくて...
........
私は小さい頃から自分から周りに声をかけるのが苦手で、絵が描けることを頼りにコミュニケーションを図ってきたタイプでした。
なので地元岐阜の工業高校のデザイン科に入ってからは、趣味が合い、興味の方向が近い人間が集まる場というのはこんなにも楽しいものなのかと!
高校3年間は本当に充実した時間を過ごさせてもらいました。
その後、それぞれ大学や就職で進路が分かれましたが、今に至るまでぼちぼち交流が続いている同級生もいます。
特に20代中盤の頃(今から15年ほど前)は、環境に慣れ、時間とお金と技術のバランスが取れてくる年頃。
思いついたことを何でも思う存分実行してみる
『真面目にバカ騒ぎをする』仲間として悪友5人が絶頂期を迎えていた気がします。
バカ騒ぎと言っても酒の席でハメを外したりするのとは種類が異なりまして。
数ある悪行
例えば....
恥ずかしい“顔はめパネル”を各種用意して撮影ツアーで市内を回ったり
(ラーメン姿はまだしも、パンツや腹巻きとか...)
動物の仮装で一人ずつに登山道に待機し、サプライズで主役(金太郎)を山頂からパラグライダーで飛ばしたり
(登山道での待機中が恥ずかしく、ハイカーが来るたび目を逸らす)
マフィア映画のごっこ遊びで謎解きをしながら各地を移動、その後記録音声と写真が立派なディスクセットになったり
(売り物かと思う完成度)
主役を知らない人にまで大量に招待状を送って、ピクニックで誕生会をしたり、、、
(40人近く来た。しょうがないからだるまさんころんだをした)
突然謎の招待状が送られてきて
那須(型屋2110)が那須(栃木県)に目隠しで拉致されたり...
などなど
ここには書ききれませんが
イラストや料理
グラフィックデザイン
イベント企画
大工仕事やお裁縫など
5人の中で誰かの誕生日のたびに、それぞれの得意分野を駆使して、テーマを決め演出の小道具を準備してと...
仕事や課題の傍ら、まぁよくやったものだと思います。
特筆したいのは、そのほとんどは世の中にあるサービスを使うだけではなく、自分たちで一から作り上げることを楽しむという、なんとも手作りなバカ騒ぎだということ。
(あ。パラグライダーはインストラクターの方と一緒に飛んでもらいました。お誕生日おめでとうと書いたシートを手作りして地上でお出迎えしました。)
スマホもSNSもない時代ですから、今の環境でやったらまた違うんだろうな〜と感慨深いです。
そんな手作りバカ騒ぎを繰り広げた悪友たちのセンスの良さ・手先の器用さに日々尊敬の念を抱き、もはや劣等感さえ感じていただけに、三重で伊勢型紙の修行として「謎作業」や「謎道具の扱い」を始めた頃は、
私よりもあいつの方がきっとずっとコツを掴むのが早くてさっさと上手くなるんだろうなあ〜
私の方が向いてないんだろうな〜
なんてことを思う時が実はしばしばありました。
修行を始めた頃は、全く未経験からのスタート。
伊勢型紙に対し自信の欠片もなく
修行をしたくても親方に出会えずにいた為、やっっっと教えてもらえる!!という楽しみが大きい反面、伝統工芸という敷居の高い未知の世界に不安もありました。
尊敬する悪友たちに限らず、世には私より器用な人はたくさんいる。
でも実際に取り組んでいるのは彼女らではなく、少し器用でしかない自分。
私程度の人間が伊勢型紙を修行したいなんて、分不相応なことを望んでしまったのではないかと考える瞬間もありました。
でも世の中ってそんな合理的に適材適所が成り立っているわけでもなくて...
ある人がいて
その人に似合う服があって
でも本人は違う服を着たいと望んでいる。
似合う服と着たい服は違うということってありますよね。
どれだけ型紙が斜陽産業と言われても、
仕事がないからやめておけと言われても、
フリー商業イラストの仕事で食っていけたとしても、
その当時出会った伊勢型紙が“私の”琴線に触れた。
驚愕 畏怖 憧れ 闘志🔥
世にたくさんの器用な人々あれど、この湧きあがる強い情動はたしかにここに、
自分の中に在る。
強い情動が湧いた本人でなければこのなんの保証も無い道を征く覚悟はできないと思うのです。
ならば大丈夫。
私にも修行させてもらう権利はある!
いや、他の誰でもない私がやるべきなのだ!多分!
と謎の根拠が私を支えています(笑)
あと
世の中には手先は器用だけど自分みたいな一つのことを極めたいタイプと、あれこれいろんなことをしたいタイプと、様々な人がいるのも感じています。
ということは
私は一つのことを長く愛せる、ねちっこいタイプなのかもしれません。
世のねちっこいみなさん、どうぞよろしく。
・・・・・・
それなしでは生きていけないと思わせるもの
何かを捨てても絶対に手に入れたいと思うもの
ただただ涙が溢れるもの
何かがその人の琴線に触れたとき、どんなことが起こるのでしょうか?
一生できる手仕事を!と探していた2009年、無職の当時。
伊勢型紙は私の琴線に触れました。
結果
移住して職人を目指しました。
とりあえず12年半は続いているのですから、あのとき感じた情動は一時の勘違いではなかったと思ってみても
...そろそろいいですよね?
春は初心を思い出しますねー
では今回はこの辺で〜(^o^)/
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【伊勢型紙を知る】
資料1 ウィキペディアより
資料2 伝統的工芸品産業振興協会より 伊勢形紙