カトリックコミュニティ掲示板

分野・種類に限らず、カトリック関係の記事を掲載します。

煉獄(れんごく)とはなんですか?

2022-09-04 15:34:58 | 日記
【煉獄(れんごく)とはなんですか】

煉獄とは、神との親しさの中に死ぬ一方で、永遠の救いは確実であるものの、天国の至福に入る前に、清めを必要としている人びとの存在する霊魂の場所または状態。これらの霊魂は、この世において恩恵の助けによって行われた愛徳による痛悔(注1)の祈りによって小罪(注2が浄化されるのと同じように、煉獄において小罪が浄化される。

しかし、罪に対する悲しみは罰に影響は及ぼさない。というのは来世では功績を積むことができないからである。煉獄の霊魂は、神から与えられた苦しみを喜んで受けることによって罪に対する有限の罪の償いをすることで確かに浄化される。煉獄での苦しみはすべての人にとって同じものではなく、各人の罪に応じたものである。

 さらに、煉獄での苦しみの期間と厳しさは、地上の信者(生者)の祈りと善業とによって短縮・軽減される。(注3)煉獄の霊魂は、神を心から愛していて、天国に到達できるのが確実であるため、苦しみは心の平安と喜びを乱すものではない。『苦しむ教会』の一員として、煉獄の霊魂は地上の人びとのために(神に祈りを)取り次ぐことができる。(注4)そのため、地上の信者は煉獄の霊魂の取り次ぎを祈り求めるように勧められている。浄化が終わると霊魂はすぐに、天国に引き上げられる。(「煉獄」の語源はラテン語purgatio(清めること、浄化))(コンペンディウム、現代カトリック事典)

 ー 注 ー

(1)痛悔(つうかい)とは自分の犯した罪を悲しむ徳の行為。痛悔の行為は、犯した罪を忌み嫌い、これを悲しむと同時に、罪を再び犯さないという決心を含む自由意志の決定である。

(2)小罪(しょうざい):罪には、大罪と小罪の二つがある。大罪とは、重大な事がらについて、はっきり意識し、完全に同意して神のおきてにそむくことである。そして小罪とは、小さな事がらについて、あるいは重大な事がらであってもはっきり意識せず、あるいは完全に同意しないで神のおきてにそむくことである。

大罪は、神に対するはなはだしい忘恩と侮辱となり、成聖の恩恵を失わせ、天国のためのすべての権利を奪い、地獄の終りのない罰を招く。これに対して小罪は、成聖の恩恵は失わせないが、神に対する愛を冷やし、徳の進歩を妨げ、この世または煉獄の罰を招く。(成聖の恩恵→神により、人間の永遠の救いのために人間に、超自然的に与えられる恩恵)

(この理由により自分の罪が大罪であると思ったら教会に行き神父に「ゆるしの秘跡(告解)」をお願いしなければなりません。また大罪がなく、小罪だけならば「聖体拝領」によって小罪を消すことができます。(カテキズム1394))

(3)煉獄の霊魂は、神の恩恵の状態でこの世を去ったが、小罪と赦された罪に対する罰を十分に償っていないため、一時的に煉獄にとどめられている。この人びとの霊魂は信者の祈り、とくに煉獄の霊魂のために捧げられるミサ聖祭の対象である。11月2日の「死者の日」と11月いっぱいは死者を記憶する月と教会から指定されている。この世に生きる信者は煉獄の霊魂のために祈るよう典礼の中で注意をうながされている。

 (4)『苦しむ教会』は、煉獄で清めを受けている人びとの教会をあらわし、『地上の教会』と『天上の教会』と交わりをもっている。(第2バチカン公会議、教会憲章第49項)➡参照ブログ3.煉獄の霊魂の解放者である聖母マリアについて(付:煉獄援助修道会について)



◎煉獄に関する関連ブログ

1.煉獄(れんごく)についての聖ドン・ボスコの教え
2.煉獄(れんごく)について(カトリック教理対話)
3.聖ヨハネ・ボスコ(ドン・ボスコ)の煉獄の霊魂のための祈り

4.煉獄の霊魂の解放者である聖母マリアについて(付:煉獄援助修道会について)
5.免償について 

6.免償のある祈り

【7.死者の月の動画】https://www.youtube.com/watch?v=RlvbFUXsVC4&feature=share
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第1部 信経

第2部 秘跡

         -以上ー

煉獄(れんごく)について(カトリック教理対話)

2022-09-04 15:34:17 | 日記
『教理対話』第14章 煉獄(れんごく)

カトリックの司祭と求道中の青年との間にかわされる対話の形で要理の
説明が進行します。

ノル⼤司教/ファロン師共著
(1956年[昭和31 年]中央出版社刊)

14 章 煉獄(れんごく)

ー教会の教えの内で⼀番わかりよいものー

⻘年
 神⽗さん、煉獄につき教会がどう説いているのか私は全然知りませんが、
煉獄という観念は、⼈々から、ひどい⾮難をうけていますね。

 神⽗
 それは私達の教えが正しく理解されていないからです。煉獄は、⾮常に
理屈にも合い、慰め多い教えです。そして、これは神の正義によって
要求されています。天国には最善の⼈だけが死後直ぐに⾏くことができ、
また最悪の⼈は地獄におちる、という点は、すでにあなたもお認めでしよう。

⻘年
認めます。

神⽗
 それでは、最善の⼈の部類にも最悪の⼈の部類にも⼊らない⼤多数の⼈は
どうなります︖ この⼈達の霊魂は死後どこに⾏くのでしょう︖

 ⻘年
 そんなことは今までに考えたこともありません。どこかに⾏くことは
たしかです。

 神⽗
そうですよ、煉獄へ⾏くのです。

⻘年
 そんなら、私にも、わかります。⼤多数の⼈は天国に直接⾏ける程、
罪がないとは云えませんし、⼜、地獄で永久に罰せられるほど悪くは
ないのですから。

神⽗
 あなたの考え通りです。これは⼈間の審判と神の審判のやり⽅を
⽐較しますと、もっとよくわかります。⼈間の審判は神の審判を
模範にしなければ、その名を以て呼ばれる価値さえありません。
⼈間の正義は⼤罪⼈、⼩罪⼈の区別を認め、それに従って罰を加えます。
⼈間の審判には、⼀⽇、⼗⽇、⼀カ⽉という⾵に犯⼈に罰を加える
刑務所と、無期刑を⼊れる刑務所があります。この町で⼆⼈の⼈が、
⼀⼈は殺⼈、もう⼀⼈は規定以上の速⼒で⾃動⾞を⾛らせたという
ことで逮捕され、⼆⼈とも取調べを受け、無期で刑務所に⾏く宣告を
受けたらどうですか︖

⻘年
それはそういう不公平をしたら誰も⾮難するに決まっています。

神⽗
 煉獄を否定してご覧なさい。そうすれば、神が不従順な⼈間を、
今述べた例のように不公平に処理をしたからとて神を⾮難する
ことはできませんよ。

⻘年
 では、煉獄は⼩罪を償わずに死んだ⼈達が、⼀時的に罰を受ける
ところですか︖

神⽗
 そうです。ですが、煉獄に⾏く⼈も恩恵の状態で死ぬ者である、
ということに注意して下さい。この⼈達は神の友ですが、死ぬ前に、
⼩罪(容易に赦される罪)を犯したままになっているか、でなければ、
罪は赦されたものの、まだその罪の償いを⼗分に果してなかったのです。

 ⻘年
 少しでも理性のある⼈なら、こういう場所の存在する必然性はわかる
はずです。

神⽗
 また、それは⼼の⽬から偏⾒の霧を取り去りさえすればわかります。
キリスト信者はどれほど猛烈に煉獄を⼝で攻撃しましても、⼼の中では
煉獄の存在を信じています。このことは、災いにあった友⼈や親族の
ために、ほとんど無意識のうちにお祈りをあげることから⾒ても
明らかです。祈りのないキリスト信者の葬式はほとんどありません。
これは⾏いが⾔葉以上にものをいう⼀つの実例です----- もし煉獄が
ないなら、お祈りしたところで何の役にたちますか︖ 故⼈の霊魂が
天国にいるのでしたら、祈りは全然いりません。もし地獄に
おとされているのでしたら、祈りもこれを救うことはできません。

⻘年
では、煉獄のことは聖書にのっているのですか︖

神⽗
 そういう場所のことは述べていますが、「煉獄」という名では呼んで
いません。「煉獄」という名が聖書に出ていないからとて反対するのは、
反対論の中では⼀番薄弱です。霊感の書の中に「聖書」という名が
⾒当らないから、聖書という本はないというのと同じ筆法です。
そういう筆法なら、三位⼀体、御託⾝(受肉)などは、聖書の中に
そういう⾔葉が⾒当らないからという理由で否定されましょう。
名前は場所を作りません。まず場所が存在しなければなりません。
それからこれに名が与えられます。⼀時的な罰を加えるこの
 場所はどんな名前で呼んでもかまいません。カトリックはこれを
煉獄と呼んでいます。これは浄める場所という意味です。神の聖なる
御前に⾏く妨げになっている罪の⼩さな汚れを、霊魂はそこで
浄められるからです。

⻘年
 その場所のことが聖書に出ているとおっしゃいましたが、どこに
出ていますか︖

 神⽗
 聖マタイは五章⼆六節で来世の監獄のことを述べ
「最後の⼀円をかえすまで」霊魂はそこから逃れられないと
云っています。ところで、最後の⼀円は、天国では返す必要は
ありません。⼜地獄から絶対に逃れられないのです。ですから、
話は当然第三の場所に持って⾏かなければなりません。同じ
福⾳史家聖マタイは第⼗⼆章の第三⼆節の中で、聖霊に対する罪
について、この罪は「この世、後の世、共に赦されない」
といっています。

 これは⾔外(げんがい)に「後の世で赦される罪もある」という
意味を含んでいます。ですが、これは絶対に放免のない地獄のこと
でもありません。また、天国でもありません。天国は「清くない者
ははこれに⼊れない」(黙⽰録⼆⼀ノ⼆七)ですから。⼀時的に
死後の罰を受ける場所のことは、神は⼈の働きに従って報い、
あるいは罰し給うということを述べている多くの聖句の中に、
はっきりいっています。

 かりに、煉獄はないとしてみましょう。その時、私やあなたは
どうなりますか︖ 聖書は⼀⽅では、汚れた者は天国に⼊ること
ができない、また⼀⽅では、無益なる⾔葉(⼩さな罪)も霊魂を
汚すといっています(マタイ⼀⼆ノ三六)。⼀時的に罰を加える
場所がないと、⼩罪を犯した⼈まで地獄に送られることとなり、
誰が⼀体救われますか︖

 ⻘年
 そうなってしまいますね。ですが、神⽗様、死者のために世間では
祈るならわしがあると先程お話しになりましたが、祈祷によつて
煉獄の霊魂を助けることができる、というのですか︖

 神⽗
 そうです。祈祷、善業、贖宥によって、殊に、神のお定めになった、
御ミサとよばれる教会の犠牲によりまして、助けることができます。
免償と御ミサのことは後でお話します。

⻘年
たしかに慰めになる教えですね----- 私達が死者を助けることができるとは。

神⽗
 そう、その通りです。この教えを聞いただけで多くの⼈がカトリックの
信仰に回⼼しました。丁度、私があなたに代って⼋百屋や⾁屋のあなた
の借りを⽀払うことができますように、私は、煉獄の霊魂が神に負うて
いる償いの最後の⼀円までお返しする為に、私の善業をこれに捧げる
ことができます。キリストは、おん⾃ら、主を信ずる者の中のいと
⼩さきものになすことは、これ主のためになすことである、と
⾔われましたが、ある意味では、煉獄の霊魂はキリストを信ずる者の
中のいと⼩さきものであります。それは、煉獄の霊魂は祈りを以て
他の者を助けることはできても、⾃分を救うことができないからです。
御存じのように、死ぬと同時に、痛悔(つうかい:犯した罪をくやむこと)
をなす時期も御慈悲を受ける時期も終ります。死後は、神は正義だけを
⾏使されます。こういうわけで、最後の⼀円まで⽀払わなければ
なりません。

⻘年
祈りは死者を助けるということは、聖書にのっていますか︖

神⽗
 のっています。旧約聖書マカべ後書の第⼀⼆章第四六節に、煉獄が
存在することの聖書的証明と、ユダヤ⼈が戦場で死んだ同信者のために、
いけにえを捧げたということの証拠があります。------ これは、
「その罪のゆるされんとて、死者のために祈るは、
聖にして益ある思念なり」であるからです。天国や地獄にいる
死者のためなら祈って何の役に⽴ちますか︖ 彼等が祈ったと
いうことは、まだ死者の救われる場所(私達はこれを煉獄とよんでいます)
があるというととと、⽣ける者の祈りが彼等を救うことができるという
ことを信じていた、ということを現わしています。この聖句は、明かに
カトリック側の⾏いの利益になりますので、これを含んでいる篇を全部、
プロテスタント側の聖書から取り除かれました。しかし、そうしても
彼等の⽴場は有利にはなりません。この本は、たとえ神感によるもの
でないとしても、神の選⺠の中に、どんな習慣があったかを語っています。
今⽇でもユダヤ⼈は死者の為に祈ります。

⻘年
 しかし、どういうわけでカトリックでない⼈達は、こういう慰めに満ちた
教えを排斥しようとするのですか︖

神⽗
 そうですね。その⼈達は、主を信ずる罪⼈にキリストの御功徳が
あてがわれるとその⼈の罪は全部除かれる、だから、信ずる者は
すぐ天国に⾏く、ということを信じたいのです。⽣命に⼊る為には、
⼈は掟を守り、教会に聴き、神なる御⽗のみ旨(みむね:お考え)
を⾏わねばならないと、キリストはいっておられますから、
これは反聖書的です。

⻘年
煉獄に⾏く⼈は、どれ位い⻑い間そこにおらなければなりませんか︖

神⽗
 私達にはわかりません。その霊魂の状態によって⼀切はきまります。
多分あなたは、カトリック外の⼈が、「司祭は知っているふりをして、
なにがしの⾦を受取れば霊魂を煉獄から救い出すために祈って
あげようと云っている」と、しゃべっているのをお聞きになった
ことがあるでしょう︖

⻘年
ええ、聞いたことがあります。

神⽗
 煉獄には誰がいるのかいないのか、⼜どれ位い⻑い間そこにいるのか、
司祭にはわかりません。限りなく正義にまします神は、各⼈の霊魂に
相当した罰を宣告されなければなりません。罰のきぴしさと⻑さは
どんなものかということは、神だけが知っておられます。ですが、
私達は祈りによって煉獄の霊魂を助けて、早く天国に⼊らせる
ことができる、ということを固く信じています。

(以上) 

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カトリックの修道会のなかには、煉獄にいて清めを受けながら苦しんでいる霊魂のために
特別に創立された修道会があります。それは煉獄援助修道会と呼ばれています。

その創立者(エウジェニ・スメット)の解説と、援助修道会で働いているシスターの
 寄稿文がありますのでご紹介いたします。

福者エウジェニ・スメット(み摂理のマリア)修道女(1825年-1871年)

エウジェニは、フランス、リールの信仰深い家庭に生まれた。あるとき祈っていると「清めの教会の魂の救いのために神の道具になるように」との神からの促しを受けた。それ以来エウジェニは修道生活への望みを持ち、祈りと犠牲をもって時がくるのを待った。


〈福者エウジェニ・スメット(み摂理のマリア)修道女〉

そして「練獄の霊魂の会」という信心会を作り、1856年に「練獄援助修道会」(現在の「援助修道会」)を創立した。そして数名の同志とともに聖イグナチオの会則に従い「神の栄光と練獄の霊魂のために祈り、苦しみ、働く」ことを目的とし、パリの貧しい一室から活動をスタートした。病人の看護、キリスト教要理教育、施設などの事業へと会は発展していった。

 同会は1935年に来日し、東京、広島、北九州などで、幼稚園、老人ホーム、寮、黙想の家を経営し、司牧、看護、教師、ケースワーカーなど、社会のただ中にあってその使命を果たしている。

聖ヨハネ・ボスコ(ドン・ボスコ)の煉獄の霊魂のための祈り

2022-09-04 15:33:31 | 日記
十 聖ヨハネ・ボスコの煉獄の霊魂のための祈り



全能の神よ、あなたは人間を愛されるあまりに、人性をまとって苦労に満ちた生活を送られました。最後に非常に苦しい御受難を耐えしのび、十字架上に息絶えられました。どうか尊い御血によって得られた数多い功徳を考えて、煉獄の幸せな霊魂が受けている苦しみに、あわれみ深い眼差しを向けて下さい。

これらの霊魂は、あなたの恵みでこの涙の谷を去り、神としてのあなたの正義に対して、まだ残っている負債を償うために煉獄の燃え盛る炎の中で苦しんでいます。
それで、限りなく憐れみ深い神よ、私がこれらの霊魂のために、へりくだって捧げる祈りを受け入れて、暗闇の牢獄から苦しむ霊魂達を引き出して、天の光栄にお呼び下さい。


いとも聖なるおとめ、悩む人々の慰めであられる憐れみ深い御母聖マリアよ、どうか
煉獄の霊魂のために御取次ぎ下さい。
あなたの最も力ある御取次ぎをもって、その霊魂達が準備されている天国の喜びに
辿り着けますように。

主よ、お願い致します。尊い御血をもって、あがなわれたしもべ達を御助け下さい。


           ー終ー

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☆おしらせ(1)
 
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第1部 信経

第2部 秘跡

✰おしらせ(2)
 聖母信心書の決定版である「聖母マリアへのまことの信心」をご紹介します。➡ 
https://ameblo.jp/cha6ku6/entry-12533328485.html
歴代の教皇からの推薦もあります。全11巻となっていますので、第一巻からお読みください。>



ー以上ー

煉獄(れんごく)についての聖ドン・ボスコの教え

2022-09-04 15:32:50 | 日記
煉獄(れんごく)についての聖ドン・ボスコの教え
 
牧師
「カトリックの公会議で宣言されていることの中には、"煉獄に関する教えが聖書にもとづいている"といっていますが、実は、聖書の中にわたしは煉獄についての記事を一つも見つけないのです」。
 
この第一の注意に対して、ドン・ボスコは、まず、力トリック教会は、聖書と聖伝を同程度に尊敬していることを前提としていいました。
 
ドン・ボスコ
「その結果、聖書が提供する真理が聖書にもとづくものであるという教えと、カトリック教会が聖伝にもとづいて認めて提供する真理の教えとは、両方とも神のみことばとして認められねばならないものです。しかし、あなたとの会話では、聖書だけを引用することにします」。
 
こうして、ドン・ボスコは、旧約聖書のなかに、煉獄のことを考えさせるいろいろの箇所を引用し、カトリック側が伝統的に解釈しているところを紹介しました。そして次に新約聖書に移り、マタイ福音書第5章(25-26節)に出るイエズスのことばを引用します。
 
「反対者と、道の途中で和解せよ。そうしないと、相手はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、ついに牢に入れてしまう。まことに、わたしはいう。一厘の残らず返すまで、あなたはその牢を出られない」
 
という福音書のこのところは、いつも最近のプロテスタントが認めていますが、カトリック解釈者は、このように解釈しています。すなわち、反対者とは神であって、わたしたちは、神に対して犯した罪をつぐなうために全力をつくさねばなりません。道とは、地上における生活であり、裁判官は、キリストです。また、下役とは悪魔のことで、牢は煉獄のことです。最後の一厘というのは、煉獄でつぐなわれる小罪を意味します。それから、同じ福音書の12章に、これはたとえの形でなく、決定的な教えとして、イエズス・キリストは、次のように断言しておられます、
 
「ことばで人の子にさからう者は許されるが、ことばで聖霊にさからう者は、この世においても、来世においても、許されることはない」(マタイ12章32節)
 
と。救い主のこの教えで来世において許される罪のあることが明らかになります。もし、そうでないなら、イエズスのみことばは、無意味なものとなってしまいます。でも、大罪は、その神に対する侮辱のうえからも、永遠の罰ということからしても、来世において、もう許されることはあり得ません。すると、すでに許していただいた罪だけが、一時的な罰として来世で許されることができます。しかし、これは地獄においてではあり得ません、なぜなら、地獄におちた人にとって、もう救いはないからです。それで、来世で許されるのは、煉獄においてだけです」。
 
 (「死者のための祈り- 聖ドン・ボスコの教え」アロイジオ・デルコル神父編より)
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煉獄の霊魂の解放者である聖母マリアについて(付:煉獄援助修道会について)

2022-09-04 15:32:25 | 日記
煉獄の霊魂の解放者である聖母マリアについて

<聖アルフォンソ・マリア・リゴリオ司教教会博士の解説>

マリアの忠実なしもべたちは幸いである。本当に幸いである。 この最も
憐れみ深い御母の助けは、彼らが地上に生きている時だけに
限らず、 煉獄にまでその保護が及び、御母は、煉獄における彼らに、
助けと慰めをもたらされるからである。

煉獄の霊魂は、大変大きな苦しみを味わっており、しかも、自分で自分を
 救うことが出来ない。それ故、憐れみに満ちた御母は、これらの霊魂を
特別に御心にかけてくださるのである。

<聖女ビルジッタへの啓示 >

 幸いなおとめマリアは仰せになりました。

      煉獄でのスカプラリオをもつ聖母子

『私は、煉獄で苦しむ全ての霊魂の母です。
 煉獄の霊魂が、地上にある間に犯した罪のゆえにしのぐ苦しみは、
 私の御心の母性愛から発する祈りのために、
 毎時間種々の方法により軽減されているのです。

 悲しみに打ちのめされ、苦しみの床に遺棄されている哀れな病者が、
 慰めの言葉によって力づけられるように、
 煉獄の霊魂は、私の名を聞いただけでも喜ぶのです』


 主は、御母に向かって仰せになりました。

『あなたは私の御母、憐れみの御母、煉獄の霊魂の慰めです』

(煉獄の霊魂のための聖母への祈り) 

 十 煉獄の霊魂の解放のために、聖母の取次ぎを願い求めて祈りましょう

 煉獄の霊魂の解放者であるマリアよ、
 あなたの祈りと功徳の効果を彼らにもたらし、
 彼らの苦しみを和らげ、浄めの期間を縮め、
 彼らをそこから解放してください 。アーメン。

     天使祝詞またはアヴェマリアの祈り 3回


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*すべての人が創られた目的に達するよう死を超えた世界まで絆を生きる
 (煉獄援助修道会の説明)

カトリック教会では、毎日、ミサの中で、必ず 死者の為に祈り、
生者と死者との交わりを深め ますが、特に 11 月は、諸聖人に
続いて死者の 為に祈るよう私たちを招いています。

それによ って、わたしたちが、3つの教会との交わりを深 め、
愛による清めのプロセスを生きていることを 思い起こさせます。

第2ヴァチカン公会議の教 会憲章の中で、3つの教会を次のように
表現しています。
神の栄光に入った天上の兄弟たち旅する人々の地上の兄弟たち
すでにこの世を去 って清めを受けている兄弟たち」 (教会憲章49)
私達は、キリストの過ぎ越しの神秘を日々生 きるよう招かれていますが、ここの三つの教会と 出会い、助け合って、ともに歩みます。
愛によ る清めの道を、ともに、いま、ここで生きるのです。

援助修道会の創立者・ウージェニー・スメット(福者み摂理のマリア)が、
受けたインスピレー ションを紹介しましょう。それは、すでにこの世 を
去って清めを受けている兄弟たちとの連帯 を生きるよう皆が招かれて
いることを示している からです。正式には煉獄援助修道会と言いま すが、
それは会の創立の目的を表す為です。

フランス人女性・ウージェニー・スメットは、北 フランスの小さな町
ロースに住んでいました。小さい時から、当時の社会的背景
(産業革命で多くの人々が生活苦にあり、死者も多く、歴史的に
大変動の時 代)と教会の信心の影響で、「煉獄の霊魂」
(死後 清めを受けている霊魂)に関心を持ち、生活の中で 
幼いながらも死者の為に祈りと犠牲を捧げていました。
遊ぶことが大好きで、いたずらっ子 の彼女が、煉獄の霊魂を
次のように、友達に話しています。
 
「もし友達の一人が牢獄に閉じ込められていて、私が扉を開くことが
出来るのに、彼を牢獄から出してあげないで、蝶を追い かけたり、
遊んだりして、扉の前を知らん顔して通り過ぎるとしたら、彼は
どんなに悲しがること でしょう。そう、これが、友達から
忘れられた煉獄の霊魂の苦しみなのよ」と。

 28 歳に成ったウージェニーは、1853 年 11 月 2 日死者の日、
ミサの中で、聖体拝領後の 祈りの時に、次のようなインスピレーション
を受 けました。 「戦いの教会(この世の教会)のあらゆる必要に応える
修道会がある。しかし、苦しみの教 会(死後、清めを受けている人々)
 に熱誠と愛 徳の業によって余すところなくささげられた修 道会は一つ
もない。」彼女は、受けたこのインスピレーションが神 からのものか
どうか確認する為に、5 つのしるし の実現を神に求め、2 年のうちに
すべてが実 現しました。

 そこで神の招きに応える為に、教皇様に修道会の創立の許可を求めました。「この共同体の唯一の目的は、第四誓願によって、戦いの教会が要請する
熱誠と愛徳にあふれる業を実践しつつ、苦しみの教会を助け るために、
自らを奉献することにあります。」教 皇ピオ 9 世への嘆願書)

 全教会への奉仕の為に受けたこの恵みを 分かち合う為に、創立者は、
さらに、修道生活を選ばなくてもこの精神に参加できるよう、
援助在俗会やこの精神を信徒と共に生きる方法を絶えず探究するよう
提案しています。 死者の月、すべての人が創られた目的に達するよう
死を超えた世界まで絆を共に生きまし ょう。

 (シスター 小野島照子:カトリック幟町教会広報誌「平和の鐘」
 2009年11月号 №413 より転載)

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