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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第4部・第27章)

2022-09-04 15:21:45 | 日記
第二十七章 苦しみと救霊の絶頂

〈苦しみを耐え忍ぶこと〉

コンソラータも救い主のように、殉難の最高頂である「すべてはなしとげられた」という最後の瞬間に達するだろうが、精神、心、肉身の苦しみを完全に忍耐することによって、すでに忍耐の絶頂に達していた。だがその殉難の最高頂を迎えるため、更に準備することが必要だった。「殉難の絶頂はまだ遠い。私はまだまだ不完全ないけにえです。でも絶え間ない愛の心と、完全な献身の誓約によって殉難の絶頂へ向かう準備は着々進んでいます。」
(一九三七年)

「神の恵みに導かれ、まず神と人に対する愛を完成させ、次に苦しみの忍耐を完成し、その次に私の『すべてはなしとげられた』がきて、私の道は終わるでしょう。」(一九三八年三月)

コンソラータはトリノで愛の完成に努め、モリオンドで愛において苦しみを耐え忍ぶことを完成するようがんばった。一九三九年十月、神の光に照らされて、コンソラータは苦しみのよい忍び方を悟り、実生活にあてはめた。「各々の苦しみを、神の道具にすぎない被造物からではなく、直接に神の御手から受けること、そしてその苦しみを、イエズスのご受難に一致させ、愛においてイエズスと御母に感謝しつつ、『兄弟』のためにささげること、そしてそのささげものを決して取り消さず、それについて全然考えないこと。苦しみのすべてについて純粋な沈黙を守ること、苦しみは貴重なとうとい賜ものであることを確信し、あらゆる努力を傾けて、苦しみのすべてを微笑で隠すこと。自分を苦しめる人に、あらゆる隣人愛をもって報いること。」

その月の終わりごろの黙想会の時、コンソラータは恵みに励まされて忍耐の誓約を立てた。

「ゲッセマニからカルワリオまでのイエズスのご忍耐にならいながら、深い沈黙のうちに、全然不平、悲嘆、文句なしに忍耐します。」

〈緩和なしに耐え忍ぶ〉

やがてコンソラータは、全然緩和することなく苦しむという、よりむずかしい誓約を立てるよう恵みによって要求された。前には単なる決心によってそのことを励んだが、今や、精神、心、肉身の三倍の殉難が始まるにあたり、この最も守りがたい誓約によって、コンソラータの意志は強められねばならなかった。

一九三九年十一月十三日指導司祭に書いた。「……私は自分のからだのことを少し心配しすぎ、ある日の午後、気分の悪いため、負けて、眠りました。またその晩も九時にならないうちに寝ました。その時、神の光は、にせのいけにえと、本物のいけにえの羊の差別を悟らせてくださいました。ゲッセマニからカルワリオまで、はずかしめられた精神、苦悶された聖心、弱り果てた御からだにもかかわらず、少しも緩和をお求めにならなかったイエズスを、常に眼前にじっとみつめること。イエズスにならって、どんなに気分が悪くとも、居眠りをしたり、早く寝たりすることによって楽になろうと全然しないことを誓約いたします。その誓約を立てる日は、無原罪の御やどりの祝日と、恵みによって定められました。神父様、この誓約がむずかしいことは、よくわかっております。けれども神の御助けにより、その準備をいたします。」

指導司祭はこの誓約はむずかしすぎるし、コンソラータの悪い健康状態を考えた場合、許可を与える勇気が出なかった。それでまず普通の約束で満足するよう勧めた。コンソラータは服従したが、やがて、コンソラータが、生来の望みを克服して勝利をうるためには、どうしても誓約によって意志を強めなければ困難であることが、いろいろな出来事によって明白となった。コンソラータは謙遜にその困難を打ち明けた。一九三九年十二月九日指導司祭へ書いている。

「……貪食の罪あるいは不摂生でしょうか? 私にはわかりません。自分の個室におります時、あんまりくちびるが渇いて燃えるようでしたので、少し冷やそうと思って洗面器の水に浸しましたが、思わず負けて水を飲んでしまいました。無原罪の御やどりの祝日の前夜、また祝日の日にも祝日だからという口実に負けて食事の時、かわきをとめ、みなさんに分配する十分な分け前を私もいただこうと思いました。神父様、その後の良心の苛責がどんなにひどく耐えがたかったか、書くことができません。私は自分の臆病を強く感じ、どうしても生活を直さねばならないと固く決心しました。一瞬間でもそんな自己非難を経験するくらいなら、のどがかわいて苦しさのあまり泣くほうがよほどましだと思います。イエズスは私が英雄的であることを望んでおられます。それに寒さとかわきを忍ぶことは、修道会則によって勧められています。さあ、私はその会則を守ることを初歩から始めます。」

もちろんこれは貪食の罪ではなかったが、イエズスのご要求に全面的に従わなかったことは明らかだった。そこでコンソラータは恵みに照らされ、待降節の第一主日に、神に文字どおりすべてをささげ、犠牲と愛を完全に尽くす誓約を立てる決心をした。そしてこの守りがたい誓約を立てる日を、恵みによって、ご降誕祭と定めた。

「……朝課のあとですぐ準備を始めました。個室の寒さを防ぐものはすべて取り、ベッドの上のマットもはずしました。その夜は非常におそく眠りましたが、前夜十分掛けていても寒くてたまりませんでしたのに、それほど苦しくありませんでした。もしイエズスにある目的があれは、必ず主張なさり、同時にその目的に達しうるよういろいろ助けてくださいます。イエズスの主張に反対すればどうしても良心は苛責を受けます。明らかに私は弱く女々しく恐れていたため、イエズスは強制なさいませんでしたが、良心の苛責を続けて受けていました。けれどもイエズスは、私の善意を見、イエズスの新しい御招きに従えば、私の状態を直してくださると知らせてくださいましたので、私の心は平安と喜びを得、神の御助けによって、このすべてをささげ尽くす雅量の道を歩む覚悟をいたしました。それで神父様、どうぞ、この新しい誓約をご降誕祭に立てますことを許可してください。私が心、精神、肉身の苦悶において、一度も緩和を求めませんように。」

神のおぼしめしはあまりに明白だったので、コンソラータは指導司祭の許可を得て、一九三九年の聖夜に、イエズスの要求された誓約を立てた。

〈緩和なしの霊魂の苦悶〉

新しい誓約を立てて、まずコンソラータは、心と霊魂の苦悶において一度でも考えやことばによる緩和をしないことを約束した。これ以上心と霊魂をささげることは不可能である。この聖性の高さまで、コンソラータは絶え間ない愛の心によって達することができたのである。だがその絶え間ない愛の心を起こすための絶え間ない努力こそはコンソラータの十字架であった。一九四二年七月十七日書いている。

「イエズスがご受難の時、一歩一歩すべての自由を奪われていって、遂に苦痛に硬直されたように、私の霊的生活も一歩一歩すべての自由を奪われてゆかねばなりません。それは絶え間ない愛に硬直して、動けなくなるためです。」

「もし私の愛が絶え間ないものであれば、私は最も完全な燔祭のいけにえとなるでしょう。なぜなら絶え間ないものとするためには、必然的にすべてを焼き尽さねばなりませんから。」

わずか一時間でも絶え間なく愛の心を起こすには、霊魂、肉身の最も元気な時でさえ、非常な努力を要する。それなのにコンソラータは一日じゅう、絶え間なく純粋な愛の心を起こすことを一度も怠らなかったばかりではなく、何ヶ月、何年間も、しかも霊肉ともに最悪の状態の時にも一日も休まず休憩時間の間すら続けたとは、なんという偉大な英雄心だろう?

〈緩和なしの肉身の苦しみ〉

霊魂と肉身の苦痛に少しの緩和もせず、自分をまかせた結果はまもなく表われた。一九四四年十一月二十四日書いている。「私の顔が青いだけではなく、透き通るようになったので、母様はけさ非常に驚きました。」 だがコンソラータは自分に緩和を許さなかった。

一九四〇年一月絶え間ないかわきの殉難についてしるしている。

「母様は台所に『沸騰散』がある間よかったら使いなさいとおっしゃいましたので、私は従順のためその緩和剤を使うことを承知いたしました。けれども聖堂にいる間じゅう、至るところで沸騰散をとかしたびんのことばかり考えました。しかも沸騰散をとかせばびんに八十本ぐらいもあるのです。そのことを考えて心は苦しみました。殉難の一週間が過ぎ、聖櫃の前で聖福音を開くと、『あなたの目があなたをつまずかすなら、それを抜き出しなさい』とありました。本を閉じるとすぐに母様の部屋へとんで行って、沸騰散水によってどんなに困っているかを打ち明けました。『それなら、やめてください。』 のどのかわきはもどってきましたが、緩和なしの苦痛は、私に深い平安と絶えざるいけにえである喜びを返してくれました。その緩和なしの苦しみこそ、神と一致させる唯一のものです。」

緩和なしの空腹の殉難に対しても特別の誓約を立てて意志を強めた。

「饑饉のため神をのろい侮辱する人々の上に神の御あわれみをいただく意向で、贖罪と償いのため、私は死ぬまで、全然不平を言わず、愛と喜びをもって、少しも緩和することなく、飢えを耐え忍ぶ誓約を立てます。イエズスが私のうちに働いておられるので、御助けによって、緩和を求めるよりも、餓死することのほうを求めます!」(一九四二年七月二二日)

この誓約の実行は、上長者に対する従順にかかっていた。だがイエズスの御はからいにより、上長者は全然気がつかなかった。そして、イエズスは、ご自身のいけにえなるコンソラータが、その飢え、かわき、疲れを少しでも緩和することを不可能にしてくださった。

「時々あまり疲れ果てて『ああ、今ちょっとベッドにはいることができたら……』という考えがうるさいほど心に浮かんできます。でも幸いにしてイエズスは私を甘やかさず、優しいおかあさんのような上長のかたがたが、私の状態に気づかないようにしてくださいます。」(一九四三年七月三日)

「あんまり疲れきって立っていることができなくなり、小室へ退いてちょっとベッドの上に横になり、寝こんでしまいそうになった時、ノックの音がしました。起きて戸を開けてみるとだれもいないので、また固いベッドに寝ますと、すぐまたノックの音がします。その時、神のおぼしめしを悟りました。すぐに起き上がり、力がないままで仕事をし始めますと、だんだんまた元気になりました。」(一九四三年七月二二日)

何度もそんなことがあった。トリノではコンソラータの弱さを親切にゆるしてくださったイエズスもモリオンドでは容赦なく、コンソラータが誓約を守るのにちょっとでも油断すると、直接間接に干渉してすぐに完全な忠実へもどしてくださった。

「私が女々しかったことを、イエズスよ、おゆるしください。ずっと何ヶ月もの間、私はほとんど声が出ず、たいへん苦しみました。それが二週間前から私の声は全然消えて、夜寝る時背中と胸がひどく痛みました。ずっと黙っていればよかったのに、きのう母様に、『頭と足がたまらないほど痛みますので寝てもよろしいでしょうか』と言いました。母様は、母よりも親切に私を取り扱ってくださいましたが、愛の心は、犠牲が欠けたため、弱くだらけてきました。

ご公現の祝日のけさ、私は心を集中させたいと思いましたが全然できませんでした。ごミサの間『恵みの声』は私に聞きました。『あなたは、こわれきるまで黙って苦痛を耐え忍ぶというあなたの誓約を守る意志があるのか。』 正直にいって私にはその誓約を更新する勇気はありませんでした。足はほとんどきかず、もうからだも運べないほどでした。でも思いきってご聖体拝領の時、その誓約を改めて立てようとした瞬間、なくなった元気がまたすぐもどってきました。そして治療を全部やめ、共同生活のすべての義務を守りながら、台所での犠牲生活を続けました。」(一九四四年一月六日)
 
一九四〇年七月、「この状態で生き続けるためには、神の豊かな絶大な力が必要です。」とすでに書いたコンソラータは、一九四一年八月「神が犠牲を要求なさる前に、神の御手はまずペン先をイエズスのとうとい御血に浸し、続いてコンソラータの血の中へ浸して、すべての要求に対して『はい、承知します』とお書きになりました。

その時、イエズスの御血がコンソラータの血と混ざり、コンソラータの血はイエズスの御血におおわれるのをたびたび霊的に見ました。」と書いた。

ゆえにコンソラータは英雄的に神の御力に信頼して、心、精神、からだの犠牲に励まされることができたのである。そして神に対して『はい』というたびにだんだん新しい頂上へ導かれ、上へ上へと登って行った。

「イエズスは私に清い、偉大な他の頂上を直感させてくださいました。そしてそれこそ完全な自己放棄でした。イエズスよ、あなたは私にこの頂上を指してくださいましたから、御助けによって、最後の息をひきとるまで、この頂上めざして進むことを決意いたします。」

「私はいつも台所で働いていましたので、リクリエイションのため、時々祝日の午後など修道院の公園を散歩しました。けれども私は今からもっと雅量の豊かな人になりたいと思いますので、この散歩も犠牲にします。そして祝日の暇な時間もすべて、聖堂かあるいは個室で過ごします。イエズスと、人々の不滅な霊魂のため、たったひとりで愛の祈りを唱えながら。それは時々弱い私の心臓には無理かもしれませんが、絶対的自己献身にのみ、私の喜びはあるのです。」(一九四三年五月)

〈喜びをもって耐え忍ぶ〉

心、精神、からだの苦しみを少しも緩和ぜずに受け、自分の望みを一度も満足させないという決心についてコンソラータは書いている。

「カルワリオの生活とは、どんなに小さいとうとい満足であっても、それが、天から来たものにしろ、地から来たものにしろ、あらゆる満足を受けないことであることがますます深くわかってきました。しかし私はこのカルワリオの生活を好んでいます。神父様、あなたは、すべてのものが私にとって十字架と殉難になるだろうとお書きになりました。七月の間(一九四四年)、全くそうでしたと答えたいと存じます。わずか二日、日光に満ちた戦いのない愛の日を過ごしただけでした。でもその二日は私にとって少し変な気持ちでしたので、また苦痛にあこがれると、すぐに願いを聞きいれていただきました。」

普通、人々が喜びに飢えかわくように、コンソラータは苦痛にあこがれていたのである。「神が与えたもう賜ものの中で苦痛こそ最も貴重なものであると悟った時、自然に次の祈りが私のくちびるをついて出ました。

『神よ、私に与えてくださる苦痛の大きさによって、あなたが私を愛してくださる程度がわかります!』

コンソラータにとって、その苦痛と愛はいつも足りず、もっともっとほしかった。

「私の霊魂は悩んでいますが、より以上悩むことができると感じます。どうぞ、イエズス、苦痛をもっと増してください。私は決して恐れず、疑わず、深く信頼しつつ神が苦しみの絶頂へ登らせてくださることを願っています。そしてそれは神のおぼしめしだから必ず登らせてくださると確信しています。」(一九四三年八月)

愛に満ちて苦痛を受けることは、コンソラータにとって深い喜びであった。

「神父様、私が悲しんでいると思わないでください! 私は歌いながら、カルワリオを登って行きます。イエズス、マリア、ヨゼフが私を愛しておられることがよくわかりますので、彼らといっしょに生活することで十分で、それ以外は望みません。」(一九四二年二月)

愛によって純粋な苦しみを、純粋な喜びに変えるためには、完全な放棄によって、その愛を完全な愛にしなければならなかった。「よく苦しみを忍ぶためには、少しの同情も受けずに、自己と、自分のすべての望み、権利を常に蹂躙されなければなりません。」

この完全な愛によってコンソラータは完全に変化し、十字架につけられながらも一心に愛の歌を歌い続けるのである。

「イエズスは私の心に聖なる愛の火を燃し、喜びをもって苦しむという大火炎となって燃え上がるように励ましてくださるようです。私もその火がますます熱く燃えるよう努めています。どうして悲しみながら、苦しむのでしょうか?いいえ、私は神の御助けによって、自然に心から流れ出るかぎりのあらゆる喜びと愛を尽くして、苦しみを忍びたいと望んでいます。泣きながらもくちびるに歌をのせつつ、登山いたしましょう。」(一九四二年八月)

生涯の終わりごろに至ってその愛の火は実際聖なる大火炎となっていった。心、精神、からだの三つの殉難の炎に清められたコンソラータは次のように証言している。

「悲しみの時は過ぎ去りました。イエズスの聖心に育てていただいたこの小さな花は、『愛の最も小さい道』のご要求を全部簡単にひと言にまとめました。『微笑をもって愛すること』 私はどんな嫌悪、倦怠、嘔吐しかもようさない暗やみにおいても、どんな試練にも負けず、ただ霊魂を求めながら、常に、イエズスに微笑のみささげます。各々の苦痛を喜びに変えるために、私は、常に、ほほえみます。」(一九四四年三月)

〈コンソラータの神秘的群れ〉

コンソラータの完全なる愛と、あらゆる苦しみに報いて、イエズスは、すべての霊魂をほうびとしてお与えになった。そればかりではなく、コンソラータの神秘的群れとして、その上にコンソラータが絶え間ない祈りと犠牲の恵みの効果を降らせ、また彼らのために命をささげる一群の霊魂をも、特別にコンソラータに委託された。生涯の最後のころコンソラータは、自分の『兄弟姉妹』、全世界のすべての『最も小さい霊魂』『みどりごたち』のために絶えず祈ったが、イエズスに導かれ、すすんでその他の多くの霊魂のためにも祈るようになった。

すでに一九三五年、イエズスの要求に従って、全世界の毎日死ぬ人を祈りの中にいれたが、一九四二年三月、イエズスがどんなに救霊に飢えかわいておられるかを深く経験してからは、特にサタンの大きな口の奥から臨終の霊魂を救い出すため、熱心に祈りと犠牲をささげた。

一月たった一九四二年四月、コンソラータは、全世界の青年たちを祈りの中にいれるよう恵みによって勧められた。特に、無経験な若い人たちが、初の大罪からのがれるように、コンソラータは力を尽くして彼らの上に愛の祈りをそそいだ。

また、泥にまみれた女たちの運命を考え、罪の女たちに対するイエズスの慈悲深い態度を黙想して、自分は深く貞潔を愛していたので、貞潔の罪は考えるのもいやだったが、克己心をもって、彼らを自分の心に燃える隣人愛の中にひたし、彼らが大ぜいでよいサマリアの婦人や、マリア・マグダレナのように改心して、イエズスを熱く愛するように、熱心に祈った。

また、すべての布教地の宣教師、宣教女、伝道協力者たちのため、祈りと犠牲によって熱心に助力した。「イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください。」という祈りは、全く使徒職的なものであって、観想生活と活動生活を合併させ、両者の理想を最も適当に表わしている。それでこの祈りは伝道と宣教を非常に効果的に助けるものである。

また、コンソラータは全世界の司祭職志願者たちを自分の祈りの中に入れたことについて、次のように語っている。

「きょう、Ⅹさんという司祭職志願者が面会にきました。私が彼に『熱心に聖化に励む聖職志願者は多いでしょうか』と聞きますと、『多いでしょうが、自分の経験によると、彼らのうち特別熱心で信心深いものはみな、姉妹か親類のかたが修道院におられます。』と語りました。あとで私が聖櫃の前にひざまずいていますと、またそのことばが頭に浮かんできました。そして全世界のすべての司祭職志願者が司祭職への聖なる準備をするよう助ける修道女になりたい熱望が燃えてきました。それは神のおぼしめしだと感じ、彼らのすべてを各々胸の底におさめ、私の日常生活をその目的にささげました。」(一九四三年七月十九日)

また、五日後の一九四三年七月二十四日、全世界のすべての修練者たちのために祈ることも受けもった。「ご聖体拝領後、恵みに燃やされ、全世界の司祭職志願者のためばかりでなく、すべての国々のあらゆる修道会の修練者たちを私の群れに加えました。」

続いて同じように、まだ若い中学生や高校生の神学生たちのために祈る責任も受けもった。「ある日神学生が応接間の格子窓の所へきたとき、この若草の貴重さをすぐに直感しました。そしてこの若草を大切に守って、彼らが悪魔の誘惑の台風をのがれ、無事に勝利をうるよう、自分の群れにすべての神学生と修道生活の志願者たちを加えることにしました。」

そのうえすべての投獄された人たちと苦悩するものも、その群れに加えたから、群れは非常に大きなものとなった。そしてその群れに属するすべての霊魂のために、コンソラータは絶え間なく愛し、祈り、苦しみ、自己をささげたのである。一九四三年八月書いている。

「一日の、二つの時間は、私にとって非常に貴重な、また大好きな時間です。ひとつは朝のごミサの時間で、そのご聖体拝領の時、私は霊魂の救いのため、自分をイエズスにささげます。もうひとつは夜、自分の個室へ休みに行く時間です。その時私は沈思のうちに神と霊魂のことばかり考えます。そして仕事をしようという気持ちがおきないように、あかりをつけず、星の光をたよりに、ゆっくり十字架の道行をします。各留ごとで私は自分の大きな群れの中からひとつの組をイエズスに紹介し、彼らのために救い主のご受難にあわせて、私の祈りをささげます。最後に自分の群れをすべて聖母マリアにゆだね、私が最高の頂に達しられるようにお助けを願います。このように一日の始めと終わりに、祈りによって全世界をめぐり、昼の間は全世界の霊魂のために、自分をいけにえとして提供いたします。」

「私にはまだ自分の群れのための一心こめた祈りの効果がみえません。でも私の祈りはすべて、イエズス、マリア、天使たち、聖人たちの祈りと一致しているので、兄弟姉妹、兵隊、受難者、絶望者、青少年、罪の女らのうち、だれも私の祈りに反対できないだろうと確信しています。いつの日か彼らはいうでしょう。『コンソラータが私を愛して祈ってくれたので、私はよい道へもどって、神を愛し、“ 愛の最も小さい道” を歩みながら神に達することができる!』と。神は全能ですから私はこのことを固く信じ、希望しています。」

〈コンソラータと教皇〉

いうまでもなくコンソラータはその祈りと犠牲によって、キリストの群れの最高位の牧者であられる教皇に、非常な熱心をもって協力した。時の教皇ピオ十二世聖下が第二次世界大戦のため非常に苦しんでおられたとき、コンソラータはその苦しみに深く参加した。そして毎日の自己放棄の生活をまず第一に教皇のために送り、一九四一年九月二十一日には恵みに勧められて、自分の命を教皇のためにささげた。

〈コンソラータの神秘的な「私は渇く」〉

コンソラータが、偉大な愛とともに自己のすべてをささげ、その涯を知らぬ救霊へのかわきも、遂にあらゆる限度を越え、できるだけすべての霊魂を救いたいと熱望したので、イエズスは一九三四年四月預言されたとおりに、コンソラータの全身が文字どおり使い尽くされた今、霊魂の世界をお与えになった。

「けさ私の心は全世界のすべての霊魂を受け入れるため無限に広くなったと感じました。すべての霊魂のひとつひとつに私は母のような深い愛を感じ、哀れな世界の、あらゆる苦しみと悲しみの波が私の心に押し寄せ、打ちつけるような印象を受けました。夜、降福式の時、聖母マリアの御手をとおして、地球上のすべての霊魂各々のために、自分をいけにえとして提供するようイエズスが要求なさいました。」(一九四〇年六月二十日)

そこでコンソラータは全世界のあらゆる悩みを心に入れるのみではなく、霊魂の世界全部を抱擁するようになった。イエズスはこれ以上大きな賜ものをお与えになれず、またコンソラータもこれ以上完全な愛をささげ得ずこれ以上苦しみを耐え得なかった。すなわち賜ものも、極限に達し、ささげる愛と殉難も極限に達して、イエズスなるホスチアの無限の愛にこたえ、コンソラータも完全なホスチアとなりおおせたのである。

一九四四年ご降誕祭、恵みに励まされたコンソラータは世界平和のため、自己をいけにえとして神の正義に奉献した。それによって、ちょうど死刑の宣告を受けた人が最後の希望をなんでもとおしてもらえるように、自分もなんでもいただけると感じて、コンソラータは十字架につけられたような形に腕を広げて次のように祈った。その姿は、あらゆる苦しみとともにあらゆる霊魂を抱擁する十字架上のキリストに似て、そのことばはイエズスのかの「私はかわく」そのものであった。

「……全能なる神よ、この小さなホスチアを燔祭にして焼き尽くし、聖母マリアと聖ヨゼフの御取り次ぎによって、世界に『愛の最も小さい道』をお与えください! 罪に落ちた世にあなたの真の平和と愛の福音をお与えください!

人々がそれを受け入れ、この哀れな地球上にあなたの愛のみ国が来たらんことを!

 信仰を捨てた人と汚聖を行なった人をすべておゆるしください! 彼らを改心させ、あなたの聖心と御愛の熱烈な使徒に変えてください! 無邪気な青少年たちが初の大罪を犯さぬようお守りください! 悲しみ、絶望する人を慰め、彼らの流す涙の川をかわかしてください。教皇様が平和な時代の再来するのをごらんになり、この世にずっと長くとどまられますように。……すべての霊魂を救うためにすべての愛とすべての苦痛をお与えください。アーメン」

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