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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第2部・第13章)

2022-09-05 13:06:10 | 日記
【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第2部・第13章)
第十三章 「愛の最も小さい道」とイエズスの聖心

〈聖心の慈悲〉

全世界の人々の心の中の、神に対する愛が冷えたため、イエズスは、幾世紀にもわたり、聖人たちや教皇たちを神の愛の象かたどり徴として賜わることによってその御愛を表わし、それにこたえるよう、聖心の信心を繰り返し、せつに勧められた。全世界の人々の心の中に神に対する愛を燃やすとは、神の愛なる聖霊に対する尊敬と、その導きに対する従順、つまり愛の道を歩むことを奨励することにほかならない。

 イエズスは、コンソラータをとおして、聖心に対する信心の実行が、浅薄なやり方から、だんだん日常生活に根本的な影響を与える方法に向かうよう望んでおられた。そのため初金曜日の信心(注1)、家庭を聖心にささげること、罪人の改心のために聖心に祈ることなどを、繰り返しお勧めになったが、特に神の優しい御あわれみを人々に深く感じさせたいということを目ざしておられた。

─イエズス─「私が聖であることは皆知っているが、慈悲深いことを皆が知っているわけではない。コンソラータ、『小さな霊魂』や、あなたの『兄弟姉妹』に、私の言うに言われぬ無限の慈悲のことを話しなさい。世界の人々に、私がどんなに優しく母のようであるかを知らせなさい。」

イエズスはコンソラータに対して、日常生活の些細なことにまで、どんなに優しく気を配ってくださるかを何度も表わしてくださった。二、三の例をのべよう。

「一九三五年六月の初金曜日、私は病気で寝ていました。そして夕食の時、飲みものをとらないことを、犠牲としてイエズスにささげようと、心の愛と喜びを尽くして決心いたしました。しかしイエズスの優しい聖心によって、看病のシスターが大きな茶碗一杯のコーヒーを病床に持って来てくださいました。

─コンソラータ─『イエズスよ、今晩私はあなたにこの犠牲をおささげいたしました。あなたから飲みものをいただきたいとは少しも思いませんでした。』

─イエズス─『さあ、あなたはいただくことよりも与えることのほうが好きだね? 私の心も同じように、与えることのほうが好きだ。』

のどのかわきのため苦しんでいる自分の子を、それほどかわいそうに思っていられる大きな御慈悲に対して、私は何も答えることができませんでした。」

コンソラータは病気のために激しいのどのかわきで絶えず苦しんでいたが、イタリアの暑い夏にも食事の時のほか、少しも飲まなかった。そのうえそれで満足せず、食事の時も飲まない許可を指導司祭に求めた。彼は金曜の夕食の時だけしぶしぶ許可を与えたが、前述のことがあったので、その許可を取り消した。

「ある晩、私は病気になっても少しも楽にしない決心をたて、何がなんでも守りたいと思いました。しかし状態は悪くなって祈りもできないほどになりましたので、悲しんで、英雄的な聖人たちにならい、負けまいと決心しました。ところが私の個室にもどった時、イエズスは仰せられました。

『だめだ、コンソラータ、そんな無理をしないで! 自分のからだを少しは大切にして、余計なことをしないように。さあ少し水を飲みなさい。私が、祝福して元気を出させてあげよう』

自分の決心を破ることは恥ずかしかったが、その一杯の水によってからだも心も落ち着いてきました。

 また、カルワリオに登りたもうイエズスにならいたいと思って、聖堂で腰かけないことと、祈り台に腕をかけない決心をしました。しかし長い祈りの間に、ひざの一方がはれて痛み、もうがまんができぬほどになった時、イエズスは母のように優しく『コンソラータ、腰掛けなさい』と仰せられました。『イエズスよ、聖時間の間、どうして腰掛けることができましょう。しません。』と申し上げ、続いて聖櫃(せいひつ)の前にひざまずいて、ひざを交互にしながら我慢していました。しかし負けぎらいなイエズスの御愛は、ひざの痛みを突然とめてくださいました。」

「院長様は重病のため、その重任を辞して回復をはかったほうがよくはないかと、あるシスターが、私の個室へ来て協力を求めました。私はイエズスの聖心のご絵をちょっと仰いで、『いいえ、イエズスは母様をお取りにはなりません。私たちが母様を要していることをご存じですから早く直してくださるでしょう。』と申しました。すぐに院長様の部屋にはいって『いかがですか。』と聞き、『今度はあなたこそ従順にしなければいけませんよ。早く直ってください。』と冗談申し上げました。母様は『直るように助けてください』とお答えになったので、思わずすぐに従って、母様の上に祝福の十字架をきりました。けれども母様が謙遜に腰をかがめて私の祝福を受けられるのを見て、はっと自分のしたことに気づき、大急ぎでお部屋を出ました。そしてイエズスに私の悪かったことをどうぞよくしてくださるように願いました。

 イエズスは答えて、『はい、あなたの母様は私が回復させるから、あなたの死後まで、もう二度と病気にならないだろう。時々気分が悪くなることはあるが、続いて任務を果たすことができるだろう。』と約束してくださいました。」この約束は文字どおり成就された。「ある朝、ごミサの間に、私は自分の望みや他の人の望みをたくさんイエズスに申し上げ、最後に『イエズスよ、私はあなたの吸血鬼ですね』といいますと、『あなたがどんなにたくさん要求しても、イエズスは、それ以上にたくさん与えたいと思っているのだよ』と心に聞きました。」

 「一九三五年九月から十二月の半ばごろまで、私の心が苦しみの暗やみにはいる前まで、イエズスの私に対するご親切は極致に近づいたようでした。コンソラータがイエズスに仕えているのか、イエズスがコンソラータに仕えておられるのか判断ができませんでした。イエズスはすべてのことを考えてよくしてくださいました。私の最も小さい義務まで、それを果たすべき時間と場所を思いつかせ、私の望みを全部果たしてくださいました。今は心の中にその御声が聞えませんが、イエズスが無限に深い御愛情を示して私の一歩一歩を導き、私の行ないを深い平和のうちに指導しておられるのがはっきり直観できます。きのうもきょうもあすも、最後の息をひきとるまで『私はあなたのすべて、ひとつひとつのこと、最も些細(ささい)なことまでよくしてあげる。あなたは私を愛することばかり考えなさい』というイエズスの約束は、すべてにおいて成就されるのです。」

「コンソラータ、私の心が全世界に勝利をうるため、あなたの霊魂は、祈りと自己献身によって、その道を準備する場所である。」とたびたびイエズスは仰せられた。コンソラータは書いている。「十二月の初金曜日の前晩十時ごろ、私はご聖体の礼拝時間のため聖櫃の前に行き、本を開けて次の所を読みました。

『あなたは使徒聖ヨハネや聖マルガリタ・マリア・アラコック(注1)と同じ席を取りなさい』……『イエズスよ、それでは足りません。私は彼ら以上あなたを愛したいと望んでいます。』と私は
思わず言いましたが、そのことばは僭越(せんえつ)なことばではないかと感じると不安になって泣けてきました。あんなに熱く望んでいた聖時間でしたが、自分の愛を言い過ぎたことが罪のように思われて、聖櫃の前に立ちつくしていました。

突然、私の周囲のものが全部見えなくなりました。私はイエズスを、──その無限に美しい聖心を観ました。また私の霊魂を六つぐらいの子どもとしてみました。イエズスは無限の情愛、いな、無限の愛熱をいだいてご自身を、──聖心のすべてを全部、私のうちに流しこんでおしまいになるようでした。その時、イエズスは私の僭越な大望をすべて全うしてくださり、私が愛と救霊の絶頂に確かに達すると、改めて約束してくださいました。

─イエズス─『ほんとうだよ、コンソラータ、ほんとうに死後、私はあなたを地上につかわし、無限に多くの善業を行なわせるだろう。そして、真珠、すなわちあなたの『兄弟姉妹』を集めさせる。……あなたを御父に帰すまで、ほんとうにあなたを一度も捨て去ることはない。あなたは死ぬとまっすぐに、あなたの個室から天国にはいるだろう。』

私の心は、愛の脱魂に奪われて、ご自分のすべてをお尽くしになっていられるイエズスの聖心の御声に耳を傾けました。

上からの光の壮大な滝にうたれて、私の心は歓喜にあふれて感きわまり、聖心の愛が真に無限に広大無辺であることを悟ってきました。同時に、私が味わっていることは、イエズスを愛するすべての人に用意されてあると、直観し、聖心が、イエズスを愛するすべての人を、水遠に、無限な愛をもって確かに抱擁なさることを強く感じました。

 真夜中ごろ、朝課のはじめに脱魂(だっこん)状態(注2)
からさめました。顔は涙で濡れていました。地上でこれほど大きな喜びを味わいましたが、ましてや天国の喜びはどんなでしょう。……とその時一番はじめに考えました。熱望を持っているのみで、使徒として何も持っていない私のような者のために、イエズスの聖心がこんなにたくさんのことを用意しておられるなら、ましてや、自分の努力と骨折りによってイエズスのみ国を広めるほんとうの使徒たちには、どんなに多くのものをお与えになるのでしょうか?……その夜、努力して朝課を祈りながら、何日も続いて神から触れられ、さし貫かれたように感じ、私の心はまるでおしつぶされたようでした。──ほんとうにそういう祝日は心の中に痕を残します。そして私の心に輝いている痕跡が残りました。」

〈私の心に上りなさい〉

しかし、それよりもはるかに大きな恵みが与えられた。一九三六年七月、自分の生涯を絶え間ない愛の心に変化する誓約を立てた時である。コンソラータの日記から(一九三六年七月二二日)

 「朝課の時、イエズスを絶えず愛そうと努力しながら、十字架にくぎづけられた御足の傷口にくちびるをつけました。その瞬間、突然、『私の心に上りなさい。』という声を聞きました。脱魂状態になって、イエズスの聖心によりかかりますと、イエズスは私の住み所がイエズスの聖心の中だと知らせてくださいました。それですぐにその中にはいりました。

─イエズス─『ここ、私の心の中であなたは登頂を終わって最高の頂に達するだろう。私の心はあなたの心の上にすべての愛とすべての苦しみを注ぐだろう。その苦しみとはあなたの〝兄弟たち〟が私に与える苦しみなのだ。』……」

─イエズス─「今あなたは私の心の中にいて、そこで私とともに永遠に治めるだろう。サタンがいらない考えをあなたの心にいれようと攻撃しても、この世のものに愛着しないように、あなたの精神を集中し注意していなさい。今から私のことだけを考えなさい。私があなたのすべてを考えてあげるから、あなたは絶え間なく私を愛することにかかりきりになっていなさい。そのことだけを私はあなたにゆだねる。」

─イエズス─「ごらんなさい! 私が与える苦しみこそ、あなたを私にまで運び上げ、善徳と聖化を増し加える。しかし悪魔からくる苦しみには地獄の悲しみがついているから、それが心にはいると失望し、悪くなるだろう。」

─イエズス─「私の心にとどまり、私が要求することをしなさい。地上でイエズスは何をしたか。御父のおぼしめしのみ。聖母マリアは何をなさったか。御父のおぼしめしのみ。私の心にいるあなたはこれから何をするか。御父のおぼしめしのみ。」

─イエズス─「イエズスの聖心はコンソラータの心である。コンソラータの心はイエズスのものである。私たちの心は一致しているので、だれも私たちを分けることができない。あなたは私に、私はあなたに。私が御父におり、御父が私におられるように。」

─イエズス─「信頼しなさい。神の愛の太陽は、あなたと共に最後までその道を歩み続けるだろう。今はあなたの生涯の午後だがまもなく夜が来るであろう。けれどもあなたのよい模範の光は輝き続けて、死後にも人々に善を励まし、新たに私の聖心に対する愛と信頼を燃えたたせて、使命を果たし続け、それによって私の聖心は勝利を得、すべてを治めるであろう。」

コンソラータは、自分の使命が死後完成されることを知って、次のように書いた。「私の修道生活は修練期であり、死は誓願式で、天国において使徒としての働きが始まるでしょう。一粒の麦は死ななければなりません。死んでまた新たに芽ばえてくるでしょう。今の試練の年月ののち、私は全世界で、全世紀にわたってイエズスの聖心の宣教師となります。イエズスよ、あなたは全能で慈悲にましますがゆえに、その御恵みを下さることを希望しております。」

コンソラータの使徒職的努力は、特に霊魂をご聖体拝領に導くこと、また初金曜日の信心を行なわせることをめざしていた。

─イエズス─「コンソラータ、私の聖心の功徳によって、人々のために尽きぬ恵みを取りなした時、感謝としてご聖体拝領をするように、いつでも要求しなさい。死後にもあなたは霊魂をご聖体へ導くだろう。特別大きな御恵みには、感謝として九ヶ月間続けて初金曜日にご聖体拝領をすること、また奇跡的な恵みをいただいた時は毎月初金曜日に贖罪のご聖体拝領をすることを要求しなさい。」(一九三五年十一月二六日)

─イエズス─「私は、あなたの激しい使徒職的希望をすべて、ほんとうにすべて全うしよう。あなたは世の終わりまで私の聖心の使徒として働くだろう。あなたは信者たちに非常に親しまれる聖人になり、すべての人がすべての必要において、信頼に満ちてあなたの取りなしを求めるだろう。あなたはすベての人の慰コンソラータめ手となり、子どもにも、老人にも、罪のない人にも罪人にも、汚れなき白百合にも、汚れた百合にも、ほんとうにすべての人のコンソラータとなるだろう。」

 ─イエズス─「この世においてあなたはいつも神のおぼしめしに従い、イエズスの勧めに、いつも雄々しく『はい』と言ったね。天国では私があなたの命令を全うし、あなたの希望に『はい』と答えるだろう。」


コンソラータは、世間的立場から見たら特別なことは何もしなかったが、忠実にイエズスを愛し続けたことによって真に偉大なことを絶えず行なった。そのためイエズスは一九三五年十一月三日次のことを強調された。

「私の功徳はあなたのものになる。その功徳は無尽蔵のものだから、どこどこまでもあなたは恵みを分配することができるだろう。求めれば求めるほど私は喜ぶ。」

 また一九三六年四月二十日仰せられた。

「私はかつて聖マルガリタ・マリア・アラコック(注1)を私の聖心の宝物の持ち主と係に任命したように、今晩あなたを、私の聖心、私の血、私の功徳の、世の終わりまで、いな、永遠までの持ち主、係に任命する。」

コンソラータはイエズスの望みに従ったので、イエズスもコンソラータのすべての希望を全うしてくださった。

一九三五年一月三日イエズスは仰せられた。

「あなたの希望は大きく、ほとんど無限である。自分の小さな被造物によっても、偉大なわざをなしうる神が、あなたの希望を全うすることは、神の栄光を表わすことになるから、神の御慈悲を少しも疑わず、絶えず忠実を尽くし、慈悲深く優しいイエズスに盲目的に信頼しなさい。」


(注1)聖マルガリタ・マリア・アラコック(イエズスの聖心の信心)

1673年12月27日聖母訪問会のシスター聖マルガリタ・マリア・アラコック(1647年~1690年)にイエズス・キリストが御出現され「私の神的な心は人々に対する愛で燃え上がっている・・・・滅びの深淵から人々を引き離すために・・・・聖心があなたによって広められ、人々に明らかにされなければならない。・・・・この偉大な計画の達成のために・・・・あなたを選んだ。」と、告げられました。



1674年6月にイエズスは再び御出現になり、「毎月最初の金曜日(第一金曜日)の聖心に対する信心」についてお告げになりました(初金曜日のミサ)。

1675年6月イエズスは聖心の信心をする人のために、聖マルガリタ・マリア・アラコックに約束されました。

1. 彼らに必要なすべての恵みを与える。
2. 彼らの家庭の中に平和を確立する。
3. 彼らをすべての困難において慰める。
4. 彼らは生涯、特に臨終の時、私の聖心のうちに避難所を見出す。
5. 彼らのすべての企ての上に豊かな祝福を注ぐ。
6. 罪人は聖心のうちに無限の憐みの源を見出す。
7. 生ぬるい霊魂は熱心になる。
8. 熱心な霊魂は大きな完成にたっする。
9. 聖心の御像や御絵を掲げ尊敬する場所を祝福する。
10. 救霊のために働く人びとに頑なな心を感動させる力を与える。
11. この信心を広める人は私の聖心の中にその名前が書かれる。
12. 九か月間続けて告解をして初金曜日に聖体拝領をする人々に死の時の最後の痛悔の恵みを与える。彼らは私に嫌われて死んだり、秘跡を受けることなく死んだりしない。私の聖心は彼らの最後に確実な避難所となる。


(注2)脱魂(だっこん)状態

全般的に言って、非常に感動的な、なんらかの体験によって「忘我」の状態になること。神秘的現象として、この恍惚(こうこつ)状態は「脱魂」状態と呼ばれ、ふたつの要素、ひとつは内的、ほかは外的要素を含む。内的で目に見えない要素は知性が宗教上の主題に釘付けにされることにある。外的つまり身体的側面としては感覚の機能が停止され、外部からの知覚が霊魂に影響を及ぼさないだけでなく、外的知覚を感じるのが非常に困難になる。多くの聖人は神からの超自然の賜物として脱魂状態におちいった。ただし、脱魂状態それ自体は聖性の判断基準ではない。(現代カトリック事典)


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