第二十二章 精神のカルワリオ
〈墓地の静寂〉
トリノの修道院で、イエズスはコンソラータにきびしい口の慎みを命じたが、モリオンドでは、更に、神への愛を完全に純化するため、共同生活に参加しながらも、ほとんど死んだ人のような静寂を命じた。今や生涯の最後が近づき、頂上の、険しい、狭い、危険な道を歩むことに全精神と全力を集中しながら、周囲から完全にはずされ、落ち着いてひたむきに一路邁進した。
一九三九年十月二十一日から二十九日までの、モリオンドでのはじめての黙想会のことを日記にしるしている。
「私がモリオンドにいる唯一の理由と目的は神のおぼしめしを果たすことです。イエズスは修院の皆さんやすべてのものから完全に離脱することを要求なさいます。イエズスは私が完全にひとりでただイエズスのみとともにあることをお望みになります。絶え間ない愛の心のために、イエズスは、私の精神、心、舌を聖別し、すべてのことについて完全に沈黙することをお命じになりました。イエズスは私をまっ白なホスチア(注)にしてくださいましたので、どうして、不必要なことばや、イエズス以外の考えで、そのホスチアの輝きを暗くすることができましょうか。」
コンソラータは、「私たちはキリストの死へと向かう洗礼によって、イエズスとともに葬られた。」(ロ―マ6-4)という聖書の句を文字どおり生き、洗礼によって古き自分の死へと向かってひたむきに歩き続けたのであって、具体的にこれ以上実現できぬほど完全に自己を葬ったのである。
「イエズスは私に墓地の静寂を命じ、イエズス以外のことは何ひとつ考えず、質問された時だけ最も必要なことのみ答えるよう要求されましたが、それは聖母マリアの模範にならうことを指しておられます。マリアは受胎されてから、ひどい嫌疑を免れないことを見、聖ヨゼフが離縁することを知っても、沈黙しておられました。聖母はたったひと言で聖ヨゼフを安心させ、苦しみを除くことができたのに、隣人愛によって命じられているようなその必要なひと言すら、口にお出しになりませんでした。沈黙のうちに神がみなよくしてくださる時を待ち、隣人愛とか、自分でこの事態をどう直したらよいかという自分の考えを少しもお入れにならず、同情を見せず、どんな口実があってもヨゼフにひと言もお話しになりませんでした。絶えざる愛の心に聖別されたホスチアも沈黙の完全な慎みを守らなければなりません。」
隣人愛に反しても、墓地の静寂のような、完全な沈黙が、神に要求されることがあることは、これによって明らかだが、非常に危い登山をする場合のように、ただ自分の進む道だけに集中するためには、それが必要であったし、事実、それによって、コンソラータは暗やみの最中でも安心して頂上への道を歩み続けることができたのである。
「私の唯一の喜びは、墓地の静寂にますます入りこむことです。それによって無事に自分の道を続けることができます。でも時々被造物から逃げ出すことに失敗して、絶えず警戒することができなくなります。その時、私の哀れな心は、悲しみに沈み、言い表わせぬ虚無を感じます。ああ、私は絶えざる愛によってのみしあわせになります。」(一九四〇年十一月)
一九四〇年十二月終わりごろ三日間の黙想会の時、コンソラータは神に照らされて、完全な口の慎みによってすぐにすべての欠点に勝つことができること(ヤコブ3-2)を深く悟り、よく考えたうえで、死ぬまで、どんな口実があっても、隣人愛のためでも、質問されたほんとうに必要な時だけを除き、全然話さないという誓約を立てた。
一九四一年一月十九日指導司祭に報告した。「黙想会の時に立てた決心は、いくらか極端に感じられるかもしれません。また私の状態にいない霊魂にとっては確かに大げさでしょう。神は大切な理由のためその誓約を立てるようお導きになりました。それは近いうちに、私は死にますから、絶えざる愛のために、残り少ないすべての時間を尽くさねばならないからです。神に照らされ次のことを悟りました。イエズスは、いととうとき御母を慰めるため、十字架からお下りにならなかったように、どんな理由があっても、たとえ隣人愛のためでも、私は絶え間ない愛の神秘的十字架から下りてはいけないということです。」
この誓約は、自己放棄と熱心と非常な警戒を要し、またコンソラータは心の深い孤独に沈められた。
「私はみなさんを一心に愛し、またみなさんも私を好んでいます。けれども完全に周囲からはずされていて、周囲のものはある意味で全然存在しないように、自分がひとりであることを保つことができます。
ずっと前からイエズスは、たびたび『絶え間ない愛の祈りとそれに伴う完全な慎みは、自己をなくしてしまうだろう!』と仰せられましたが、完全な慎みを実行し、絶え間ない愛の祈りになりきるためには、どうしても、自分で消え失せて人々にとってなき者となるばかりでなく、完全に神のものになるように、自分の目、考え、ことばにとって、人々も消え失せてなくなることが必要です。」
一九四一年六月、しるしている。
「私は自分の死が近いことを知っています。私がすべてをささげ、その捧げものを保たないなら、目的に達することができないことも知っています。イエズスが、ご自分の恵みのみわざを、私の完全な自己放棄に基づいて、なさることを知っています。イエズスはその御愛を、無数のはずかしめの犠牲と、そのとうとい御血の金貨を払って証明してくださいましたので、私もそのとおりに、イエズスに対する私の愛を証明しなければなりません。だから自分の家庭や修道院に関する考え、希望、反省、判断、興味などを全部捨てること、それらがほんのひとつでも心にはいることを絶対許さず、愛の祈りのみ!
舌を捨てること。質問された時、単に必要なことのみ答えることを除き、いかなる理由があってもだれにも全然話さないこと! その代わり絶えず愛の心を起こすこと。
目を捨てること。目を常に伏せて、好奇心を捨て、沈思を保って、その瞬間の仕事に全心をこめ、熱心に、注意力を集中し、どんな行ないも完全によく果たし、どの祈りも、最上に祈ること。
完全な自己放棄。飲食、服装、風味、嗜好などにおいて、一度も自分を追求しないこと。生来の望みを満足させず、すべてについて、いつも神の指導に従うこと。自分の権利、希望、仕事において完全に自己を捨てること、いつでも母様と姉妹たちににこにこしながら『はい』と答えること、どんな苦しい要求でも、肉身が疲れ果てても。」
〈誤解〉
墓地の静寂によって絶えざる愛に燃え、コンソラータは、たとえ肉身は火あぶりの殉難に会わなくとも、精神的、霊的には火刑に処せられていた。コンソラータは自然的にそういう自己全滅を嫌悪していたので、いけにえの大司祭なる救い主が、ご自身でそれを執行された。
刑の執行のため誤解が用いられた。神の御慈悲は、煉獄、罪の有限の罰などの代わりに、人々の性格、意見、感情、態度などの差別を、霊魂の純化と聖化のために利用なさる。教会の歴史、特に聖人や修道生活の歴史の中にそういう例をたくさん見ることができる。清い、最も正しい目的も、たびたび他の人にはそうとは認められず、反対が起きる。だから片方がよくて、他方はまちがったなどの批判は、大きな誤りで、たいていは両方ともよく、無罪なのである。ただ一方は他方を理解できず、他方は自分が誤解されていると思うだけである。人間は表面だけしか見られず心の底まで見抜くことができないからである。
コンソラータはモリオンドで七年間暮らしたが、そのうち五年間台所の係だった。そして年下の姉妹が助任コックを勤めた。二人とも熱心に完徳に励み、強い意志を持ち、活動力に満ちていたから、同じ台所に二人の上長がいるようだった。時々仕事について意見が相違し、衝突したことは当然だろう。だがそんな場合はすぐにひとりまたは両方がお互いに、へりくだって詑びた。だから、その状態は、その謙遜や、二人が感じた悲しみによって多くの功徳の源となった。
一九四二年二月二十日「私の修道生活を通じて、他の姉妹のためにそれほど多くの苦しい涙を流したことはありません。」と指導司祭に報告しているが、相手の姉妹も確かに同じことを言い得ただろう。どちらが悪かったのか。両方とも悪くなかったのである。コンソラータは「私の生活は神秘的なもので、他の人に対してベールのようなものが私の心を常に隠しているようです。相手の姉妹が悪いと思ったことを私は自分で悪かったと認め得ません。」と書いている。
この誤解されがちだったことによって、コンソラータは、早く人の前に肉体的でなく、人格的に何も価値のないものになった。あんまり苦しくなってどうしたらよいだろうと一心に祈ると、一九四二年のご託身の祝日に、光と指導をいただいた。「天を去り、聖母のご胎内に、人間となるためお降りになった神の御ことばにならうこと。具体的には、すべてを捨てること、すなわちすべての望み、権利、喜び、傾きを犠牲にして、いつも自分に譲歩したり、自己弁解したりせず、常に相手の望みを認めて自分の望みは捨て、抗弁せず、ひと言で言えば常に愛すること。」
一ケ月後コンソラータは書いた。
「悟ったとおり実行しますとすべてが変わってきて、心に深い平安を感じます。優しい神は直接心の中でおはからいになっておられます。」
しかしどこまでがんばっても、なお、時としていくらか感情にかられることがあった場合、コンソラータの自己放棄は、その経験によって、ますます以前より深まった。
「ああ、あの姉妹が私の意向を知ったならば……でももし知ったなら自己放棄は何もできなかったでしょう! イエズス、あなたはすベてをよくしてくださいます。そして時としてあなたはご自身をあなたの弱い被造物の弱点の裏に隠しておいでになられます。」(一九四二年九月)
コンソラータは相手の姉妹を批判せず、自分の欠点のことのみ言っている。
この誤解の中にも、巧みな、火事どろぼうを試みる、悪魔の謀略があることに気づき、一九四二年十二月二十四日書いている。
「サタンはすべての武器を用います。ある日私たちがちょうど切り麺を切っていた時、突然私は相手の姉妹に対してたいへん激しい嫌悪を感じ始めました。その瞬間がまんしなかったら、お腹の中であまり怒ったため、その姉妹を打ったでしょう。それに気づいて、自分に驚いてしまいました。それでできるだけ落ち着くようにして、『私にとってこの姉妹はイエズスです』と何度も心の中で繰り返しました。そしてこの簡単な考えによって誘惑に勝つことができました。イエズスだけは私がこの姉妹をどんなに愛し敬っているかご存じです。その愛は戦いが終わったあとでは、愛着の感じを抑えねばならぬほど大きいものです。」
このように激しく戦ったけれども決して一度も罪を犯さなかったことがコンソラータの日記によって明らかにわかる。
「相手の姉妹は病床で、自分の見た夢の話をしてから、『もう死ぬと思った時、シスター・コンソラータにお詑びしなければ、ということだけが心配でした。』と話しました。
私はその話について考えたあとで、神の御勧めに従い、今晩、自分で夕食を持って姉妹の病床に行き、私のほうこそ、すべてについてあやまりましょうと決心しました。」(一九四三年三月四日)
「昨夜、姉妹の足下にひざまずいてお詑びしました。そのあとで純粋な喜びを感じました。」(一九四三年三月四日)
コンソラータが死んで七年後(一九五一年六月十九日)、この姉妹はサーレス師に次のような手紙をよせた。「私たちの誤解は、ほんとうに神の慈悲深いおはからいでした。シスター・コンソラータにとっても、私にとっても。この神秘的な誤解がなかったら、私たちは、イエズスとの一致を妨げる大きな危険に踏みこんだでしょう。私たちはイエズスについて語り合うためにイエズスとの一致を中止しがちですから。」
またコンソラータも次のように書いている。
「私は天にはいってから、あの姉妹が神の御手の中で、私の欠点をなくす道具となって働いてくださったことを感謝するでしょう。」
コックとして、また院長ともいろいろむずかしい問題にあった。戦時ちゅうであったから、食糧不足のため、修道院は非常に困っていたので、コックの責任は重く、じょうずに家計をきりまわさねばならなかった。一方、院長は、恩人たちの補助がなければ、修道院も生活できないので、時々畑の産物を恩人たちに贈らねばならない義理を感じていた。それで野菜を取ろうと思って、コンソラータが畑へ行くと、とるものが全然ないことがたびたびあった。そのたびごとに心の中はカッと燃え上がって戦いが始まり、時として自分の感情を完全に抑えることができぬことも数回あったが、そのたび、新たな深い謙遜を実行した。すぐに院長の意見とやり方に同意するほうがよかったことはもちろんだが、自分の務めと正しい望みに衝突して激しい苦しい戦いとなった。一九四四年六月指導司祭に報告した。
「ご存じのとおり、私は姉妹たちがみな元気であることを望んでいます。一方母様が恩人たちに親切を尽くすことも理解できます。恩人たちの施しがなければ、どうして修道院を保持できましょうか。」
コンソラータが院長の意見に、頭では賛成できなくとも、意志で意見を同じくしようとして服従するためにどんなに猛烈な戦いを毎日繰り返したかを日記から拾ってみよう。
「玄関の受付係に選挙されました。イエズスは、私の英雄心を望んでおいでになります。玄関で、私の沈黙はほんとうに英雄的になるべきですから。母様が、くだものと野菜を全部恩人に上げてしまっても、私は沈黙を守って、決して口をあけてはいけません。母様のすべての意見と完全に一致することが必要です。そうしなければ私の良心は、神の御前に安心することができません。むしろこう言いたいと思います。母様と一致すればするほど、イエズスと一致しています。」(一九四四年八月)
これは、コンソラータが長年戦った経験のうえでの、輝かしい偉大な勝利だったのである。
〈霊的に火葬されて〉
完全な自己放棄は、自己の無価値と空虚、神の御助けなしには、善業を果たすことも絶対不可能なことを、しみじみ深く信ずることを前提している。すなわちすべてのみわざにおいて神のみが栄えるよう、神のみ前に自分の無価値な状態を、甘んじて認め、へりくだって承知するのである。だが霊魂が、自分の絶対的な弱さとつまらなさを実際に経験しないなら謙遜のこの段階に達し得ない。
コンソラータは非常に高い程度の聖化に達し、深くイエズスと一致していたが、人の目には不完全な修道者に見られていたばかりでなく、自分でも、いつも自己の欠点、貧弱さを指摘して自分を心から責めていたことは当然である。全生涯の間いつもそうだった。
死ぬ一年ほど前、指導司祭にこのことについて自分の心を打ち明け、あっさり書いている。
「イエズスが前もって仰せられましたので、私はあんなにたくさんのよい決心をしてがんばったあとでもなお、時々自分の貧弱さを嘆いて、神経が圧倒されることがあっても全然驚かないでしょう。
このコンソラータをよい修道女だとみなすためには、英雄的な信仰が必要でしょう。全く聖人とは全然違う者です。イエズスが私のような者を耐え忍んでくださることをほんとうに不思議に思います。イエズスがそれをお望みになりますから、イエズスにおいて隠れている生活を、神父様のほかだれも理解できません。」(一九四五年八月四日)
コンソラータは人々から完全に見られることについては全然無関心だったが、人々にいつもよい模範を示すように努力した。また自分に対する人々の批判を平気で受け入れ、自分の不自由な外部的欠乏によってはずかしめられても別に悲しまなかった。
「私の霊魂は二つの大きなおもりでおされています。ひとつは神の無数の恩恵、もうひとつは自分の弱さと心変わり。神のみはからいによって、私は自分の心変わりにおしつぶされて暮らしながらも、また進歩するよう責められます。」(一九三九年十一月十三日)
「私が実行する最も大きな善徳は、一度も落胆せず、失敗してもまた新たに始めることです。私は近いうちに死ぬことを知っています……。まだすべきことがいっぱい残っているのをみて私はふるえています。またそれらをがまんと嫌悪のうちで実行することばかり経験するのは、私を落胆させるはずですが、イエズスに信頼しますから、心の幸福と平安を失うことはありません。」(一九四〇年二月)
自己放棄と神に対する信頼は互いに励ましあう。絶えず自分が何もできないことを苦しみ経験するたびに神を信頼することによって、だんだんコンソラータは完全な自己放棄ができるようになっていった。
一九四二年六月二十六日の日記に書いている。「さあ、コンソラータ、あなたはいつも地に付着していなさい。私が忠実になろうと熱心に励んだと思うたびごとに、サタンは私の中により激しい戦いを起こします。
午後できるだけ早く愛の祈りを始めました。けれども夜、落胆への誘惑にかかりそうになりました。もし私がいつも地に付着していれば失敗してもすぐに起き上がり、『私はあなたを愛し、あなたに依り頼みます。』と、言い続けられます。」(一九四二年六月二六日)
コンソラータは神の恩恵によって、自分をへりくだって考えるようになったので、本気で、自分はあの十字架の右の盗賊のような者だが、神の御慈悲により頼んで、最後をとげたいと望んでいた。
〈絶え間ない戦い〉
コンソラータの生活は、外部的にも内部的にも絶えざる戦いだった。特に貞潔に対する悪魔の絶えざる攻撃は、それ以上だれも堪えることができぬほど激しかった。一九四一年七月二十四日指導司祭に報告した。
「戦いは激しさの極致に達したため、健康を害して発熱し、病床につかねばなりませんでした。私の状態では、道はただ二つしかありません。最高の信頼か、さもなければ絶望。私は信頼のほうを選び、戦いにおいて英雄的なほど信頼と献身とをささげました。……イエズスと協力して、私のかわいそうな『兄弟姉妹』が心の清さをまた新たにうるように助けることができますなら、最後の瞬間までがんばります。」
一九四二年の黙想会の終わりの日にしるしている。「毎日起床から就床まで絶えず続く苦しい頑固な戦いに対して覚悟しなければなりません。精神、舌、心を汚れなく守るための無益な思いとの戦い、絶え間ない愛の心のための戦い……イエズスよ、あなたが助けてくださいますから私は全然この戦いをやめません。どうしても進まねばなりませんから、決してぐずぐずしておりません。進まずとどまることによって、悪魔に笑われるようなことができましょうか。決して今からそんなことはしません。御助けによって私は進む──それもどんどん進む決心です。そして『愛の最も小さな道』で転んでも、それが千回でも、一日の最後の瞬間でも、やっぱり何事もなかったように起き上がって愛の歌をうたい続けます。」
〈濃い暗やみ〉
イエズスからの特別の御助け、賜ものもなく、孤独な、深い沈黙、退屈、辛苦などに悩まされながら戦いを続けていたコンソラータは、一九四〇年三月十七日書いている。
「最近のある日の午後でした。地下室の台所新築のため、私は穴倉の鉄の格子の間から、シャベルと十能(じゅうのう)で砂をすくっては、外から地下室へ投げていました。寒いために砂は硬く氷っていたので、くわとシャベルを使っても、仕事はなかなかはかどらず非常につらいでした。けれどもその苦労が全部人々の救霊の恵みに変化することを考え、非常に熱心に仕事をしておりました。四時少しすぎまではよかったのですが、聖務日祷を唱えるため、十五分後には鐘が鳴るはずで、もう少しがんばれば砂は全部地下室へいれられたはずなのに、ちょうどその瞬間、仕事に対してひどい嫌悪、反感、倦きを感じて、突然、仕事を続けることが全然できなくなってしまいました。幸いなことにその状態が自分の生活の写しだと突然悟ってきました。仕事を終わらすためにたった十五分以下で足りるのに、倦怠のためにできなくなるとは──最後の十五分間のためにこそ全力を尽くして戦うべきだと悟りましたので、ちょっとお祈りして聖母マリアの御助けを願い、最後の全力を尽くしますと、やっぱり鐘が鳴るまでに砂は全部地下室へ移されました。この悟りは、今は実際生活となり、いつもその最後の十五分間のように、最後の力を尽くしながら、反感、嫌悪にもかかわらずがんばって進みます。」
コンソラータの心は、今や神から見捨てられたような苦しさのため、底知れない深渕に落ち、濃い暗やみに閉ざされた。一九三九年十月の初金曜日に「恵みの声」によってイエズスはあらかじめコンソラータを覚悟させたが、一年後の一九四○年十月八日、「わが神よ、わが神よ、なぜ私を見捨てられたのですか。」(マルコ15-34)というイエズスの十字架上の七つのことばの中、最も苦悶に満ちたことばを聖福音書で読んだ時、コンソラータは恵みに照らされ、イエズスが今こそその苦悶に参加させておいでになる最中であると悟った。
神を捨てた「兄弟姉妹たち」が、この神から見捨てられた苦悶に責められているのを見、コンソラータは彼らを救うため、死ぬまで彼らに代わってこの最もひどい責め苦ちゅうの責苦を忍ぶことを、その年(一九四〇年)の王たるキリストの祝日、恵みに勧められて覚悟した。
カプチン会にはいる直前、コンソラータが経験した地上の地獄の責め苦は今改めてコンソラータの上をおおった。王たるキリストの祝日の前晩すなわち一九四〇年十月十六日、聖堂で十字架の道行をしている時、「私は、イエズスが、今までその聖心に休んでいた私の小さな小さな霊魂を、聖心から離して床におき、見えなくなってしまわれたことを、霊的にみました。私はイエズスの御ために、すべてのもの、すべての人を捨て去りましたが、今、イエズスは、私を捨て去りました。私はあまり苦しくて、十字架の道行の祈りをやめて、泣きました。」
「ふるえるような喜びをもってあすの祝日にあこがれながらも、同時に恐しい気がします。絶え間ない強い誘惑に責められ、自分を恐れながらあすの準備をしました。イエズスに祈ると、一度も罪を犯さないという恵みをいただきました。」 翌日、一九四〇年十月十七日に書いた。「……優しいイエズスはごミサの初め、私の心に新たな深い平安を与えてくださいました。けれども聖変化の瞬間から濃い暗やみは私の霊魂をおおってきました。……ただ愛の祈りのみによってすべての苦しみをとおり、『兄弟姉妹たち』のために、立って神のほうへ近づいてゆきました。」
この神に見捨てられた責め苦は毎日毎日続き、臨終(一九四六年七月十八日)の時まで、殉難のカリスの一番下の苦い滓(かす)まで飲まねばならなかった。一九四一年五月二十日にしるした。「……ああ、神から捨て去られたこの悩みと心の凍結! それによってすべての悩める人に対する同情が私の心に刻まれます! どんなに濃い暗やみ、乾燥、恐怖、失敗の最中でも私はいつか自分がすべての人の慰め手(コンソラータ)になることを感じています。」 地獄の責め苦の中でサタンが狡猾と謀略の限りを尽くして猛烈な攻撃をしかけ、コンソラータの神に対する信頼を奪い、勇気を落とし、その霊魂を正しい道から迷わせようと戦ったが、コンソラータの信望愛はそれにまさっていた。
「私は愛の祈りなしにはこの乱戦に立ち向かうことができなかったでしょう。私はしっかり愛の祈りにすがりついていましたので、天が私を少しも励まさなくとも、私のまわりから敵はくずれ去り、敗退しました。愛の祈りは私のすべてになってきました。いつも『イエズスよ、おぼしめしのままにしてください! 私はあなたに信頼いたします!』と祈り、献身しました。あなたが見えず、あなたが感じられなくとも、私はあなたを堅く信じ、あなたに信頼します。」(一九三九年三月)
「全く孤独で、私の中には猛烈な戦いが荒れ狂い燃えています。わが神よ、あわれみたまえ! 私を造り出し、救いたもうたあなたよ……この大きな苦しみを感謝し、ひれふしてお詑びいたします。」(一九四一年八月)
「ご聖体拝領の時、最も大きい苦しみを感じます。絶えず『愛しています』と申し上げている神に対して嫌悪、恨み、反抗などを感じ、堪えられないほどひどい胸さわぎがして、難儀しています。この私を焼き尽くし、苦痛のあまり叫ばせるこの苦悩を書きしるすことはできません。祈っても全然慰められず、すべては思い違い、侮辱のように思えてくるのです。ほんとうに十字架につけられて、カルワリオで、神に見捨てられたように感じます。」(一九四二年四月)
(注)ホスチア
(Hostia:ラテン語:いけにえ、犠牲の意味)
①聖変化ののちパンの外観のもとに現存するキリスト。
②ミサ聖祭にもちいられる聖別されていないパン(種なしパン)
〔キリスト教百科事典〕
トリノの修道院で、イエズスはコンソラータにきびしい口の慎みを命じたが、モリオンドでは、更に、神への愛を完全に純化するため、共同生活に参加しながらも、ほとんど死んだ人のような静寂を命じた。今や生涯の最後が近づき、頂上の、険しい、狭い、危険な道を歩むことに全精神と全力を集中しながら、周囲から完全にはずされ、落ち着いてひたむきに一路邁進した。
一九三九年十月二十一日から二十九日までの、モリオンドでのはじめての黙想会のことを日記にしるしている。
「私がモリオンドにいる唯一の理由と目的は神のおぼしめしを果たすことです。イエズスは修院の皆さんやすべてのものから完全に離脱することを要求なさいます。イエズスは私が完全にひとりでただイエズスのみとともにあることをお望みになります。絶え間ない愛の心のために、イエズスは、私の精神、心、舌を聖別し、すべてのことについて完全に沈黙することをお命じになりました。イエズスは私をまっ白なホスチア(注)にしてくださいましたので、どうして、不必要なことばや、イエズス以外の考えで、そのホスチアの輝きを暗くすることができましょうか。」
コンソラータは、「私たちはキリストの死へと向かう洗礼によって、イエズスとともに葬られた。」(ロ―マ6-4)という聖書の句を文字どおり生き、洗礼によって古き自分の死へと向かってひたむきに歩き続けたのであって、具体的にこれ以上実現できぬほど完全に自己を葬ったのである。
「イエズスは私に墓地の静寂を命じ、イエズス以外のことは何ひとつ考えず、質問された時だけ最も必要なことのみ答えるよう要求されましたが、それは聖母マリアの模範にならうことを指しておられます。マリアは受胎されてから、ひどい嫌疑を免れないことを見、聖ヨゼフが離縁することを知っても、沈黙しておられました。聖母はたったひと言で聖ヨゼフを安心させ、苦しみを除くことができたのに、隣人愛によって命じられているようなその必要なひと言すら、口にお出しになりませんでした。沈黙のうちに神がみなよくしてくださる時を待ち、隣人愛とか、自分でこの事態をどう直したらよいかという自分の考えを少しもお入れにならず、同情を見せず、どんな口実があってもヨゼフにひと言もお話しになりませんでした。絶えざる愛の心に聖別されたホスチアも沈黙の完全な慎みを守らなければなりません。」
隣人愛に反しても、墓地の静寂のような、完全な沈黙が、神に要求されることがあることは、これによって明らかだが、非常に危い登山をする場合のように、ただ自分の進む道だけに集中するためには、それが必要であったし、事実、それによって、コンソラータは暗やみの最中でも安心して頂上への道を歩み続けることができたのである。
「私の唯一の喜びは、墓地の静寂にますます入りこむことです。それによって無事に自分の道を続けることができます。でも時々被造物から逃げ出すことに失敗して、絶えず警戒することができなくなります。その時、私の哀れな心は、悲しみに沈み、言い表わせぬ虚無を感じます。ああ、私は絶えざる愛によってのみしあわせになります。」(一九四〇年十一月)
一九四〇年十二月終わりごろ三日間の黙想会の時、コンソラータは神に照らされて、完全な口の慎みによってすぐにすべての欠点に勝つことができること(ヤコブ3-2)を深く悟り、よく考えたうえで、死ぬまで、どんな口実があっても、隣人愛のためでも、質問されたほんとうに必要な時だけを除き、全然話さないという誓約を立てた。
一九四一年一月十九日指導司祭に報告した。「黙想会の時に立てた決心は、いくらか極端に感じられるかもしれません。また私の状態にいない霊魂にとっては確かに大げさでしょう。神は大切な理由のためその誓約を立てるようお導きになりました。それは近いうちに、私は死にますから、絶えざる愛のために、残り少ないすべての時間を尽くさねばならないからです。神に照らされ次のことを悟りました。イエズスは、いととうとき御母を慰めるため、十字架からお下りにならなかったように、どんな理由があっても、たとえ隣人愛のためでも、私は絶え間ない愛の神秘的十字架から下りてはいけないということです。」
この誓約は、自己放棄と熱心と非常な警戒を要し、またコンソラータは心の深い孤独に沈められた。
「私はみなさんを一心に愛し、またみなさんも私を好んでいます。けれども完全に周囲からはずされていて、周囲のものはある意味で全然存在しないように、自分がひとりであることを保つことができます。
ずっと前からイエズスは、たびたび『絶え間ない愛の祈りとそれに伴う完全な慎みは、自己をなくしてしまうだろう!』と仰せられましたが、完全な慎みを実行し、絶え間ない愛の祈りになりきるためには、どうしても、自分で消え失せて人々にとってなき者となるばかりでなく、完全に神のものになるように、自分の目、考え、ことばにとって、人々も消え失せてなくなることが必要です。」
一九四一年六月、しるしている。
「私は自分の死が近いことを知っています。私がすべてをささげ、その捧げものを保たないなら、目的に達することができないことも知っています。イエズスが、ご自分の恵みのみわざを、私の完全な自己放棄に基づいて、なさることを知っています。イエズスはその御愛を、無数のはずかしめの犠牲と、そのとうとい御血の金貨を払って証明してくださいましたので、私もそのとおりに、イエズスに対する私の愛を証明しなければなりません。だから自分の家庭や修道院に関する考え、希望、反省、判断、興味などを全部捨てること、それらがほんのひとつでも心にはいることを絶対許さず、愛の祈りのみ!
舌を捨てること。質問された時、単に必要なことのみ答えることを除き、いかなる理由があってもだれにも全然話さないこと! その代わり絶えず愛の心を起こすこと。
目を捨てること。目を常に伏せて、好奇心を捨て、沈思を保って、その瞬間の仕事に全心をこめ、熱心に、注意力を集中し、どんな行ないも完全によく果たし、どの祈りも、最上に祈ること。
完全な自己放棄。飲食、服装、風味、嗜好などにおいて、一度も自分を追求しないこと。生来の望みを満足させず、すべてについて、いつも神の指導に従うこと。自分の権利、希望、仕事において完全に自己を捨てること、いつでも母様と姉妹たちににこにこしながら『はい』と答えること、どんな苦しい要求でも、肉身が疲れ果てても。」
〈誤解〉
墓地の静寂によって絶えざる愛に燃え、コンソラータは、たとえ肉身は火あぶりの殉難に会わなくとも、精神的、霊的には火刑に処せられていた。コンソラータは自然的にそういう自己全滅を嫌悪していたので、いけにえの大司祭なる救い主が、ご自身でそれを執行された。
刑の執行のため誤解が用いられた。神の御慈悲は、煉獄、罪の有限の罰などの代わりに、人々の性格、意見、感情、態度などの差別を、霊魂の純化と聖化のために利用なさる。教会の歴史、特に聖人や修道生活の歴史の中にそういう例をたくさん見ることができる。清い、最も正しい目的も、たびたび他の人にはそうとは認められず、反対が起きる。だから片方がよくて、他方はまちがったなどの批判は、大きな誤りで、たいていは両方ともよく、無罪なのである。ただ一方は他方を理解できず、他方は自分が誤解されていると思うだけである。人間は表面だけしか見られず心の底まで見抜くことができないからである。
コンソラータはモリオンドで七年間暮らしたが、そのうち五年間台所の係だった。そして年下の姉妹が助任コックを勤めた。二人とも熱心に完徳に励み、強い意志を持ち、活動力に満ちていたから、同じ台所に二人の上長がいるようだった。時々仕事について意見が相違し、衝突したことは当然だろう。だがそんな場合はすぐにひとりまたは両方がお互いに、へりくだって詑びた。だから、その状態は、その謙遜や、二人が感じた悲しみによって多くの功徳の源となった。
一九四二年二月二十日「私の修道生活を通じて、他の姉妹のためにそれほど多くの苦しい涙を流したことはありません。」と指導司祭に報告しているが、相手の姉妹も確かに同じことを言い得ただろう。どちらが悪かったのか。両方とも悪くなかったのである。コンソラータは「私の生活は神秘的なもので、他の人に対してベールのようなものが私の心を常に隠しているようです。相手の姉妹が悪いと思ったことを私は自分で悪かったと認め得ません。」と書いている。
この誤解されがちだったことによって、コンソラータは、早く人の前に肉体的でなく、人格的に何も価値のないものになった。あんまり苦しくなってどうしたらよいだろうと一心に祈ると、一九四二年のご託身の祝日に、光と指導をいただいた。「天を去り、聖母のご胎内に、人間となるためお降りになった神の御ことばにならうこと。具体的には、すべてを捨てること、すなわちすべての望み、権利、喜び、傾きを犠牲にして、いつも自分に譲歩したり、自己弁解したりせず、常に相手の望みを認めて自分の望みは捨て、抗弁せず、ひと言で言えば常に愛すること。」
一ケ月後コンソラータは書いた。
「悟ったとおり実行しますとすべてが変わってきて、心に深い平安を感じます。優しい神は直接心の中でおはからいになっておられます。」
しかしどこまでがんばっても、なお、時としていくらか感情にかられることがあった場合、コンソラータの自己放棄は、その経験によって、ますます以前より深まった。
「ああ、あの姉妹が私の意向を知ったならば……でももし知ったなら自己放棄は何もできなかったでしょう! イエズス、あなたはすベてをよくしてくださいます。そして時としてあなたはご自身をあなたの弱い被造物の弱点の裏に隠しておいでになられます。」(一九四二年九月)
コンソラータは相手の姉妹を批判せず、自分の欠点のことのみ言っている。
この誤解の中にも、巧みな、火事どろぼうを試みる、悪魔の謀略があることに気づき、一九四二年十二月二十四日書いている。
「サタンはすべての武器を用います。ある日私たちがちょうど切り麺を切っていた時、突然私は相手の姉妹に対してたいへん激しい嫌悪を感じ始めました。その瞬間がまんしなかったら、お腹の中であまり怒ったため、その姉妹を打ったでしょう。それに気づいて、自分に驚いてしまいました。それでできるだけ落ち着くようにして、『私にとってこの姉妹はイエズスです』と何度も心の中で繰り返しました。そしてこの簡単な考えによって誘惑に勝つことができました。イエズスだけは私がこの姉妹をどんなに愛し敬っているかご存じです。その愛は戦いが終わったあとでは、愛着の感じを抑えねばならぬほど大きいものです。」
このように激しく戦ったけれども決して一度も罪を犯さなかったことがコンソラータの日記によって明らかにわかる。
「相手の姉妹は病床で、自分の見た夢の話をしてから、『もう死ぬと思った時、シスター・コンソラータにお詑びしなければ、ということだけが心配でした。』と話しました。
私はその話について考えたあとで、神の御勧めに従い、今晩、自分で夕食を持って姉妹の病床に行き、私のほうこそ、すべてについてあやまりましょうと決心しました。」(一九四三年三月四日)
「昨夜、姉妹の足下にひざまずいてお詑びしました。そのあとで純粋な喜びを感じました。」(一九四三年三月四日)
コンソラータが死んで七年後(一九五一年六月十九日)、この姉妹はサーレス師に次のような手紙をよせた。「私たちの誤解は、ほんとうに神の慈悲深いおはからいでした。シスター・コンソラータにとっても、私にとっても。この神秘的な誤解がなかったら、私たちは、イエズスとの一致を妨げる大きな危険に踏みこんだでしょう。私たちはイエズスについて語り合うためにイエズスとの一致を中止しがちですから。」
またコンソラータも次のように書いている。
「私は天にはいってから、あの姉妹が神の御手の中で、私の欠点をなくす道具となって働いてくださったことを感謝するでしょう。」
コックとして、また院長ともいろいろむずかしい問題にあった。戦時ちゅうであったから、食糧不足のため、修道院は非常に困っていたので、コックの責任は重く、じょうずに家計をきりまわさねばならなかった。一方、院長は、恩人たちの補助がなければ、修道院も生活できないので、時々畑の産物を恩人たちに贈らねばならない義理を感じていた。それで野菜を取ろうと思って、コンソラータが畑へ行くと、とるものが全然ないことがたびたびあった。そのたびごとに心の中はカッと燃え上がって戦いが始まり、時として自分の感情を完全に抑えることができぬことも数回あったが、そのたび、新たな深い謙遜を実行した。すぐに院長の意見とやり方に同意するほうがよかったことはもちろんだが、自分の務めと正しい望みに衝突して激しい苦しい戦いとなった。一九四四年六月指導司祭に報告した。
「ご存じのとおり、私は姉妹たちがみな元気であることを望んでいます。一方母様が恩人たちに親切を尽くすことも理解できます。恩人たちの施しがなければ、どうして修道院を保持できましょうか。」
コンソラータが院長の意見に、頭では賛成できなくとも、意志で意見を同じくしようとして服従するためにどんなに猛烈な戦いを毎日繰り返したかを日記から拾ってみよう。
「玄関の受付係に選挙されました。イエズスは、私の英雄心を望んでおいでになります。玄関で、私の沈黙はほんとうに英雄的になるべきですから。母様が、くだものと野菜を全部恩人に上げてしまっても、私は沈黙を守って、決して口をあけてはいけません。母様のすべての意見と完全に一致することが必要です。そうしなければ私の良心は、神の御前に安心することができません。むしろこう言いたいと思います。母様と一致すればするほど、イエズスと一致しています。」(一九四四年八月)
これは、コンソラータが長年戦った経験のうえでの、輝かしい偉大な勝利だったのである。
〈霊的に火葬されて〉
完全な自己放棄は、自己の無価値と空虚、神の御助けなしには、善業を果たすことも絶対不可能なことを、しみじみ深く信ずることを前提している。すなわちすべてのみわざにおいて神のみが栄えるよう、神のみ前に自分の無価値な状態を、甘んじて認め、へりくだって承知するのである。だが霊魂が、自分の絶対的な弱さとつまらなさを実際に経験しないなら謙遜のこの段階に達し得ない。
コンソラータは非常に高い程度の聖化に達し、深くイエズスと一致していたが、人の目には不完全な修道者に見られていたばかりでなく、自分でも、いつも自己の欠点、貧弱さを指摘して自分を心から責めていたことは当然である。全生涯の間いつもそうだった。
死ぬ一年ほど前、指導司祭にこのことについて自分の心を打ち明け、あっさり書いている。
「イエズスが前もって仰せられましたので、私はあんなにたくさんのよい決心をしてがんばったあとでもなお、時々自分の貧弱さを嘆いて、神経が圧倒されることがあっても全然驚かないでしょう。
このコンソラータをよい修道女だとみなすためには、英雄的な信仰が必要でしょう。全く聖人とは全然違う者です。イエズスが私のような者を耐え忍んでくださることをほんとうに不思議に思います。イエズスがそれをお望みになりますから、イエズスにおいて隠れている生活を、神父様のほかだれも理解できません。」(一九四五年八月四日)
コンソラータは人々から完全に見られることについては全然無関心だったが、人々にいつもよい模範を示すように努力した。また自分に対する人々の批判を平気で受け入れ、自分の不自由な外部的欠乏によってはずかしめられても別に悲しまなかった。
「私の霊魂は二つの大きなおもりでおされています。ひとつは神の無数の恩恵、もうひとつは自分の弱さと心変わり。神のみはからいによって、私は自分の心変わりにおしつぶされて暮らしながらも、また進歩するよう責められます。」(一九三九年十一月十三日)
「私が実行する最も大きな善徳は、一度も落胆せず、失敗してもまた新たに始めることです。私は近いうちに死ぬことを知っています……。まだすべきことがいっぱい残っているのをみて私はふるえています。またそれらをがまんと嫌悪のうちで実行することばかり経験するのは、私を落胆させるはずですが、イエズスに信頼しますから、心の幸福と平安を失うことはありません。」(一九四〇年二月)
自己放棄と神に対する信頼は互いに励ましあう。絶えず自分が何もできないことを苦しみ経験するたびに神を信頼することによって、だんだんコンソラータは完全な自己放棄ができるようになっていった。
一九四二年六月二十六日の日記に書いている。「さあ、コンソラータ、あなたはいつも地に付着していなさい。私が忠実になろうと熱心に励んだと思うたびごとに、サタンは私の中により激しい戦いを起こします。
午後できるだけ早く愛の祈りを始めました。けれども夜、落胆への誘惑にかかりそうになりました。もし私がいつも地に付着していれば失敗してもすぐに起き上がり、『私はあなたを愛し、あなたに依り頼みます。』と、言い続けられます。」(一九四二年六月二六日)
コンソラータは神の恩恵によって、自分をへりくだって考えるようになったので、本気で、自分はあの十字架の右の盗賊のような者だが、神の御慈悲により頼んで、最後をとげたいと望んでいた。
〈絶え間ない戦い〉
コンソラータの生活は、外部的にも内部的にも絶えざる戦いだった。特に貞潔に対する悪魔の絶えざる攻撃は、それ以上だれも堪えることができぬほど激しかった。一九四一年七月二十四日指導司祭に報告した。
「戦いは激しさの極致に達したため、健康を害して発熱し、病床につかねばなりませんでした。私の状態では、道はただ二つしかありません。最高の信頼か、さもなければ絶望。私は信頼のほうを選び、戦いにおいて英雄的なほど信頼と献身とをささげました。……イエズスと協力して、私のかわいそうな『兄弟姉妹』が心の清さをまた新たにうるように助けることができますなら、最後の瞬間までがんばります。」
一九四二年の黙想会の終わりの日にしるしている。「毎日起床から就床まで絶えず続く苦しい頑固な戦いに対して覚悟しなければなりません。精神、舌、心を汚れなく守るための無益な思いとの戦い、絶え間ない愛の心のための戦い……イエズスよ、あなたが助けてくださいますから私は全然この戦いをやめません。どうしても進まねばなりませんから、決してぐずぐずしておりません。進まずとどまることによって、悪魔に笑われるようなことができましょうか。決して今からそんなことはしません。御助けによって私は進む──それもどんどん進む決心です。そして『愛の最も小さな道』で転んでも、それが千回でも、一日の最後の瞬間でも、やっぱり何事もなかったように起き上がって愛の歌をうたい続けます。」
〈濃い暗やみ〉
イエズスからの特別の御助け、賜ものもなく、孤独な、深い沈黙、退屈、辛苦などに悩まされながら戦いを続けていたコンソラータは、一九四〇年三月十七日書いている。
「最近のある日の午後でした。地下室の台所新築のため、私は穴倉の鉄の格子の間から、シャベルと十能(じゅうのう)で砂をすくっては、外から地下室へ投げていました。寒いために砂は硬く氷っていたので、くわとシャベルを使っても、仕事はなかなかはかどらず非常につらいでした。けれどもその苦労が全部人々の救霊の恵みに変化することを考え、非常に熱心に仕事をしておりました。四時少しすぎまではよかったのですが、聖務日祷を唱えるため、十五分後には鐘が鳴るはずで、もう少しがんばれば砂は全部地下室へいれられたはずなのに、ちょうどその瞬間、仕事に対してひどい嫌悪、反感、倦きを感じて、突然、仕事を続けることが全然できなくなってしまいました。幸いなことにその状態が自分の生活の写しだと突然悟ってきました。仕事を終わらすためにたった十五分以下で足りるのに、倦怠のためにできなくなるとは──最後の十五分間のためにこそ全力を尽くして戦うべきだと悟りましたので、ちょっとお祈りして聖母マリアの御助けを願い、最後の全力を尽くしますと、やっぱり鐘が鳴るまでに砂は全部地下室へ移されました。この悟りは、今は実際生活となり、いつもその最後の十五分間のように、最後の力を尽くしながら、反感、嫌悪にもかかわらずがんばって進みます。」
コンソラータの心は、今や神から見捨てられたような苦しさのため、底知れない深渕に落ち、濃い暗やみに閉ざされた。一九三九年十月の初金曜日に「恵みの声」によってイエズスはあらかじめコンソラータを覚悟させたが、一年後の一九四○年十月八日、「わが神よ、わが神よ、なぜ私を見捨てられたのですか。」(マルコ15-34)というイエズスの十字架上の七つのことばの中、最も苦悶に満ちたことばを聖福音書で読んだ時、コンソラータは恵みに照らされ、イエズスが今こそその苦悶に参加させておいでになる最中であると悟った。
神を捨てた「兄弟姉妹たち」が、この神から見捨てられた苦悶に責められているのを見、コンソラータは彼らを救うため、死ぬまで彼らに代わってこの最もひどい責め苦ちゅうの責苦を忍ぶことを、その年(一九四〇年)の王たるキリストの祝日、恵みに勧められて覚悟した。
カプチン会にはいる直前、コンソラータが経験した地上の地獄の責め苦は今改めてコンソラータの上をおおった。王たるキリストの祝日の前晩すなわち一九四〇年十月十六日、聖堂で十字架の道行をしている時、「私は、イエズスが、今までその聖心に休んでいた私の小さな小さな霊魂を、聖心から離して床におき、見えなくなってしまわれたことを、霊的にみました。私はイエズスの御ために、すべてのもの、すべての人を捨て去りましたが、今、イエズスは、私を捨て去りました。私はあまり苦しくて、十字架の道行の祈りをやめて、泣きました。」
「ふるえるような喜びをもってあすの祝日にあこがれながらも、同時に恐しい気がします。絶え間ない強い誘惑に責められ、自分を恐れながらあすの準備をしました。イエズスに祈ると、一度も罪を犯さないという恵みをいただきました。」 翌日、一九四〇年十月十七日に書いた。「……優しいイエズスはごミサの初め、私の心に新たな深い平安を与えてくださいました。けれども聖変化の瞬間から濃い暗やみは私の霊魂をおおってきました。……ただ愛の祈りのみによってすべての苦しみをとおり、『兄弟姉妹たち』のために、立って神のほうへ近づいてゆきました。」
この神に見捨てられた責め苦は毎日毎日続き、臨終(一九四六年七月十八日)の時まで、殉難のカリスの一番下の苦い滓(かす)まで飲まねばならなかった。一九四一年五月二十日にしるした。「……ああ、神から捨て去られたこの悩みと心の凍結! それによってすべての悩める人に対する同情が私の心に刻まれます! どんなに濃い暗やみ、乾燥、恐怖、失敗の最中でも私はいつか自分がすべての人の慰め手(コンソラータ)になることを感じています。」 地獄の責め苦の中でサタンが狡猾と謀略の限りを尽くして猛烈な攻撃をしかけ、コンソラータの神に対する信頼を奪い、勇気を落とし、その霊魂を正しい道から迷わせようと戦ったが、コンソラータの信望愛はそれにまさっていた。
「私は愛の祈りなしにはこの乱戦に立ち向かうことができなかったでしょう。私はしっかり愛の祈りにすがりついていましたので、天が私を少しも励まさなくとも、私のまわりから敵はくずれ去り、敗退しました。愛の祈りは私のすべてになってきました。いつも『イエズスよ、おぼしめしのままにしてください! 私はあなたに信頼いたします!』と祈り、献身しました。あなたが見えず、あなたが感じられなくとも、私はあなたを堅く信じ、あなたに信頼します。」(一九三九年三月)
「全く孤独で、私の中には猛烈な戦いが荒れ狂い燃えています。わが神よ、あわれみたまえ! 私を造り出し、救いたもうたあなたよ……この大きな苦しみを感謝し、ひれふしてお詑びいたします。」(一九四一年八月)
「ご聖体拝領の時、最も大きい苦しみを感じます。絶えず『愛しています』と申し上げている神に対して嫌悪、恨み、反抗などを感じ、堪えられないほどひどい胸さわぎがして、難儀しています。この私を焼き尽くし、苦痛のあまり叫ばせるこの苦悩を書きしるすことはできません。祈っても全然慰められず、すべては思い違い、侮辱のように思えてくるのです。ほんとうに十字架につけられて、カルワリオで、神に見捨てられたように感じます。」(一九四二年四月)
(注)ホスチア
(Hostia:ラテン語:いけにえ、犠牲の意味)
①聖変化ののちパンの外観のもとに現存するキリスト。
②ミサ聖祭にもちいられる聖別されていないパン(種なしパン)
〔キリスト教百科事典〕
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