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【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第2部・第8章)

2022-09-04 15:29:05 | 日記
【シスター・コンソラータ ー 愛の最も小さい道 ー】(第2部・第8章)

第八章 絶え間ない愛の祈りによる愛の生活の実行

〈絶え間ない愛の心〉

道が多くの小さな石の集まりで、私たちの生涯が各瞬間の集まりであるように、愛の道も、絶え間ない愛の心に満された地上の生活の各部分から成り立っている。それを実行するため、イエズスは次に述べる愛の祈りをコンソラータに教え、人々に伝えるように仰せられた。

小さい聖テレジアのように特別の愛の祈りのことばを使わず、日常生活のすべてを愛と信頼の心をもって神にささげることは、多くの霊魂にとって適当な愛の道だと思われる。だが、日常生活において、心を散らさずに神と一致するため、短くわかりやすい完全な愛の祈りのことばを用いることは、非常に助けとなる。

母が小さな子どもの上に身をかがめ、子どもに教えたいことばや文章を何度も何度も繰り返し教えるように、イエズスは、コンソラータの小さな霊魂に身をかがめて、絶え間ない愛の祈りを、口うつしに教え、絶え間なく神を愛し、その祈りを絶え間なく神にささげるように要求された。その時から、この愛の祈りはコンソラータの信心生活の中心となり、愛の道を歩む最も重要な手段となった。

〈絶え間ない愛の祈りのことば〉

イエズスがコンソラータに口うつしに教えてくださった愛の祈りは次のことばである。

「イエズス、マリア、あなたを愛します! 霊魂を救ってください!」

この愛の祈りの価値について簡単にまとめてみよう。

1、このことばよりもっと短いことばで、完全な愛の心を表わすことは不可能である。これはあらゆること、すなわちイエズスへの愛、マリアヘの愛、霊魂への愛を含んでいる。

2、これは純粋な愛を表わすことばである。このことばによって人は神に対し、あらゆるものの中で最もすぐれたささげもの、すなわち愛と霊魂をささげるから。

3、同時に、このことばは隣人愛を表わしている。他の霊魂のために、絶え間なく祈るこのことばには、隣人愛の最高の表現がある。そしてイエズスが仰せられたとおり、煉獄の霊魂をも含むすべての霊魂を救うという目的のため、イエズス、マリアと協力することを表わす。

4、次に述べる意味において、この愛のことばは絶え間がない。すなわち「心を尽くし、霊を尽くし、力を尽くし主なるあなたの神を愛せよ。」との第一のおきてを完全に、この愛の祈りが守らせるのである。

「心を尽くし」 愛の祈りは心からわき出てこなければならない。絶え間なく熱烈に愛するのは心であり、心は愛の中心である。

「精神を尽くし」 絶え間ない愛の祈りは、自由意志からのあらゆる無益な思いを自然に遠ざける。

「霊を尽くし」 聖トマが解釈したように、これは全意志を尽くしての意味である。絶え間ない愛の祈りは感情によらず、激しい意志によってささえられる。

「力を尽くし」 できうる最大限の間、絶え間なく熱烈に愛するためには愛の一致に霊魂の全精力を集中しなければならない。

5、この愛の祈りは完全な祈りであり、「常に祈れ」(ルカ18-1)という主の命令を文字どおり実行することになる。

6、この愛の祈りによって、霊魂はきわめて偉大な克己、浄化、静かな自己献身の生活を送り、神の愛のいけにえなる小さな霊魂の列に加わる。

〈絶え間ない愛の心とは〉

イエズスが「絶え間ない愛の心」についてコンソラータに教えられたことは非常に重要なもので、まちがったやり方にならないようにしなければならない。

1、まず、愛の心を起こすとは、簡単に愛の祈りを普通の射祷のようにたびたび唱えることにすぎない、と思うことはまちがいである。それも悪いことではなく、多くの霊魂にとっては、それで十分である。だがイエズスがコンソラータに教えられたのはそれだけの目的ではなかった。イエズスは新しい射祷を教えてくださったわけではなく、愛の生活を容易にする霊的な道を、霊魂に教えてくださったのである。絶え間なく愛の心を起こすことが、生きている霊的生活における霊魂の呼吸として、絶え間ないものとなるよう、意志を用いて努力せねばならない。

2、次に日常生活の仕事や義務の間に、どのようにして愛の心を絶え間なく起こすことができるだろうか。イエズスがそれに答えておられる。(一九三四年聖土曜日)

「コンソラータ、私があなたの考えとことばの責任をとってきたように、愛の祈りにも責任をもってあげよう。あなたが私に他の祈りをする時も、書く時も、黙想している時も、愛の心は絶え間なく続いている。心はその時、ことばとして愛の祈りを唱えられなくとも、祈り、働く時間を、絶え間ない愛の心の続きとみなしてあげよう。」

修道院でも家庭でも、学校職場でも、共同生活のいろいろな義務がある。また会則によって命じられたり、自分できめた信心の務めもある。だが絶え間ない愛の心は、その祈りかつ働く生活とは全然抵触せず、日常の仕事も愛の祈りによって妨げられないし、仕事、務めの許すかぎり愛の心を起こすことを続ければ、霊魂も仕事、務めに妨げられない。祈り、黙想をしても、仕事、務めに励んでも、隣人愛、礼儀作法のため会話しても、精神を全部集中しなければならない仕事をしても、愛の心は、常に絶え間ないものである。

3、最後のヒントは非常に重要である。絶え間なく愛の心を起こすことを、コンソラータは愛の賛歌といっている。それを習慣的、機械的に何度もきまった祈りのことばを唱えるにすぎないと思ってはいけない。事実、愛の祈りをくちびるで唱えることすら必要でない。愛の心を起こすとは単に口で唱えることばの羅列ではなく、心の内的行為である。愛したいと望み、愛している意志の行為である。それは自然に、続いて、絶え間なく、静かに心の愛があふれてくるのである。愛の祈りは、霊魂が完全な愛に集中しうるように助ける以外の何ものでもないことを、忘れてはならない。その点についてイエズスは仰せられた。

「もし善意に満ちた人が、私を愛し、生涯を唯一の絶え間ない愛にしたいと望み、起床の瞬間から眠るまで、心底から、それを実行するよう励んだならば、その霊魂のため、
 私は信じられぬほど偉大なことをするだろう。これを書いておきなさい。」


心の底から愛することが必要である。絶え間なく愛することによって、霊魂が愛の甘美、喜びを感じ、味わうことは少しも必要でなく、ほんとうに愛したいと望み、愛の心を続けるために努力をすれば十分である。それが絶え間ない愛である。愛したいと望み、実際に愛することは意志の行為で、神に全く自己をささげるに妨げとなるすべてを遠ざける時、人は常に完全に愛するのである。

〈絶え間ない愛の祈りに対するイエズスの要求〉

 コンソラータは書いている。「カプチン修道院での最初の黙想会の時、イエズスは絶え間ない愛の祈りを私に要求し、その時以来ずっと数えきれないほど何度も、その要求を繰り返されました。そしてその絶え間ない愛の光の中では、すべての妨げ、あらゆる欲望、あらゆる欠点が根こそぎされるだろうと保証してくださいました。着衣式の日、『私はあなたにただひとつの要求をする。絶え間ない愛の祈りのみ。』と仰せになり、最初は、『イエズス、あなたを愛します!』後に『イエズス、マリア、あなたを愛します。』遂に『イエズス、マリア、あなたを愛します! 霊魂を救ってください。』と完成するよう要求されました。」

 まず忘れてならないことは、愛の生活をより完全に送るため、イエズスがご自分で、この絶え間ない愛の祈りを教えてくださったことである。それはコンソラータが自分で考え出したことばでないことである。また魚を水から出せば死に、水の中におけば生きてどんどん成長してゆくように、恵みの生命も、絶え間ない愛の祈りの中で成長し、完成して遂に完全な自己放棄、すなわち神秘的死に至るのである。言いかえれば、この愛の祈りは自己放棄への最も強い助けとなり、自分の考え、ことば、希望、趣味、心配、行為などを全部なくして、愛の祈りの中に溶け込み、愛の祈りとひとつになって、自分がさながら愛の祈りの象徴そのものになってゆくのである。その英雄的な自己放棄に達すると、イエズスはなんの障害もなく霊魂の中で、主権者として働くことがおできになる。

─イエズス─「あなたの自己放棄のうえに私はすばらしいことを行なう。自己放棄にはどうしたら達しられるだろうか? 絶え間ない愛の祈りによって! 絶え間ない愛の祈りによってあなたのものは何もなくなり、すべてが私のもの、私のためだけのものとなる!」(一九三五年九月七日)

─イエズス─「沖へ乗り出しなさい!(ルカ5-4)地上のあらゆるもの、すべての被造物に永遠の別れを告げ、絶え間ない愛の祈りによって広い海原へ前進! 前進!永遠の岸へ向かって!」(一九三六年六月二八日)

愛の祈りは気分に関係なく、石のように愛を少しも感じなくとも、また氷のように冷く暗黒に閉ざされ、誘惑と戦っていても、変わらず忠実に続けなければならない。それは本性に反する必死の努力を要し、いわば内的殉教である。多くの人は愛がないのに愛の祈りを続けることは真実でないとおそれてやめてしまう。それこそサタンの謀略である。

─イエズス─「コンソラータ、悪魔や、情欲がありとあらゆる攻撃を試みても少しもかまわない。雷鳴、嵐、雷光など気にかけてはならない。自分にいいきかせなさい、『私はあるご聖体拝領から次のご聖体拝領まで、決して落胆せず愛の祈りを続けます。それこそ私の義務です』と。」(一九三五年十月十日)

─イエズス─「絶え間ない愛の祈りはあなたの軍旗である。あなたの命にかけてこの旗を、敵に向かって守り抜きなさい。」(一九三六年九月六日)

─イエズス─「旗手は軍旗を愛さなければならない。旗が決して敵の手に落ちないよう、何がなんでも守り、旗のもとに生き、旗を胸にしっかり抱きしめて死ぬ。あなたも『絶え間ない愛の祈り』の旗をそのとおりにしなさい! どんな必死の努力を要しても決してやめず、絶え間なく愛の祈りを私にささげなさい。」(一九三六年九月七日)

失敗や人間的弱さのため、愛の祈りを時にやめても、決して落胆せず、戦闘を放棄してはならなかった。全力を尽くして鉄のような固い意志をもって悪の誘惑や反対と戦いながら、絶え間なく愛の心を起こすよう、どこまでもがんばらなければならなかった。そのための戦いが激しくなればなるほど、功徳もふえるはずだった。

─イエズス─「最高度まで奮励努力しなさい。ただひとつの愛の祈りもおろそかにしないと、断固として決心しなさい。愛の祈りがとぎれても勇気を落とさず、また新たな努力をもって戦闘を開始しなさい!」

そのような絶え間ない戦いにあきないことがはたして人間に可能だろうか。

─イエズス─「あなたが私の全能を信ずるなら、絶え間なく愛の祈りを唱えることができるよう私があなたを助けてあげることも信ずるだろう。」(一九三四年十月十五日)

神はこれほどまでの努力を、すべての人に要求されるわけではないが、もしある選ばれた霊魂たちにそれを要求なさるなら必ず果たしうる助力をも与えたもう。コンソラータは愛への特別な使命を与えられ、愛の祈りを忠実に唱えるかどうかの一点にその使命の成就がかかっていた。

─イエズス─「あなたの使命のため、イエズスが要求しているだけのことを、あなたはイエズスに与えねばならない。すなわち愛の祈り。それが全部である。そしてこの絶え間
 ない愛の祈りに全部がかかっている。」
(一九三五年十二月十六日)

 イエズスが望みたもうのは人間の努力だけで、その努力によってイエズスは満足したもうのである。成功、不成功は、イエズスの御助けにかかっている。だからイエズスはコンソラータに力の限りまで努力すること、それ以上は望みたまわなかった。「私に絶え間なく愛の祈りをささげるよう自分のできるかぎりを尽くしなさい。失敗しても私が償ってあげるから安心しなさい。私はいつでも優しい。」

イエズスはひと飛びにコンソラータを、目ざす頂上へ導いてもよいはずであったが、決してそうなさらなかった。

─イエズス─「あなたが戦い、転び、また立ち上がり─つまり努力しているのを見ることは私の喜びである。あなたがどれくらいやれるかをみるのが好きだ。とりわけ、あなたが、たとえ何が起ころうとも、泰然自若として起き上がり、また愛の祈りを続けることを見ることが私の一番の喜びである。」(一九三六年九月十六日)

この愛の祈りに霊魂の総力を瞬時の休みもなく打ちこむことは、真にすべてを(とりとめない無益な思いのひとつすら)打ちくだくのだから、言語に絶する十字架であった。この困難な道を進むコンソラータを勇気づけるため、イエズスは過去、未来のことを思わず、ただ現在の瞬間、愛をもつて生きるよう勧められた。

─イエズス─「目前のその一瞬間を愛をもって生きなさい!一日ではあなたに長すぎるから!」

イエズスがコンソラータの霊魂のうちで働きたもうた目的は、おもに不動の愛へ導くことであった。ある日コンソラータがイエズスに聞いた。

「同じご要求を何度も繰り返し、新しいことばでおっしゃって、単語が足りなくなりはしませんか?」

─イエズス─「私は全能だから、永遠に至るまで、同じ要求を、絶えず新しいことばで与えることができるのだ。」

「同じご要求を何度もなさって、お飽きになりませんか?」

「いや飽きない。いつまでもいつまでも飽きないだろう。なぜなら私の望みはただひとつ──私を愛してくれること!」

〈絶え間ない愛の祈りの霊的効果(本人のため)〉

愛の祈りの中には、礼拝、感謝、贖罪、祈願が含まれている。それでイエズスは、コンソラータに会則に命ぜられた祈り以外できるだけ愛の祈りを唱えるようお勧めになった。また、コンソラータが、イエズスや聖母マリアに何か特別のものをささげたいと決心するたびごとに、イエズスは愛の祈りを要求された。

─イエズス─「イエズスに偉大なことをささげたい? 愛と救霊より偉大なことがあろうか?」(一九三五年六月)

─イエズス─「なぜ私はあなたにあまり多くの声祷を唱えることを許さないか? 愛の祈りは声祷よりも、特に贖罪のため効果的だから。たった一度『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください。』と祈っても、千の呪い、侮辱を償う。」(一九三五年十月八日)

また愛の祈りは、願いの祈りとしての効果があり、愛の祈りのひとつひとつによって、イエズスは霊魂のほうへ引き寄せられ、霊魂と一致し、聖心の無限な賜ものをお与えになる。だから絶え間なく愛するよう努力する霊魂は、どんなに恵まれるだろうか。絶え間ないイエズスとの一致によって、霊的なすべての実を結ぶのである。「われなしに、あなたたちは何もできない。」(ヨハネ15-5)との聖句をイエズスは説明してくださった。

「この句はあなたにとって、聖福音の中でも最も慰めを与える句である。この句はあなたの無能を全部ゆるすと同時に、イエズスの聖心に完全に献身するようあなたを励ます。聖心において、あなたは自分を捨てたまま、愛の祈りによって、なんでも望むままに願いをかなえられるだろう。」(一九三五年十月二六日)

そして数えきれぬほどたびたび愛の祈りの報いとして「すべて、真にすべてを与える」ことを約束された。神はすべてをささげ尽くす被造物の雅量に負けることを好まれず、完全に自己献身する霊魂には、完全にすべてを望むままに与えたもうのである。

愛の祈りそのものは、神を喜ばせ、功徳をふやす最も完全な行為である。愛の祈りによって霊魂の愛は完成し、それによって善業は、より多くの功徳を招くようになるからである。そこで毎日できるだけ、愛の祈りのひとつも怠らぬよう努力すれば、信心生活は完成し、功徳はどんどん増加する。

─イエズス─「絶え間ない愛の祈りで過ごした一日のほうを、あなたが果たしたどんな善業、またささげたあらゆる犠牲よりも好む。」

 また愛の祈りは霊魂の成聖(注1)に非常に効果的である。愛の祈りによってすべての善徳の泉にましますイエズスの聖心と一致し、聖心からすべての善徳の大河が絶えず、愛を尽くす霊魂に流れこむからである。─イエズス─「私のうちにあなたをなくしなさい。そしてあなたの全力を愛の祈りに打ちこみなさい。そうすれば豊かな実を結ぶだろう。」(一九三五年十月二六日)

神の恵みのご指導に対して、忠実に従えば従うほど、愛の祈りはより豊かな実を結ぶのだが、愛の祈りを忠実に絶え間なくすればするほど、その忠実さも増してゆくのである。そして他のどんなことにも、忠実となる。

─イエズス─「あなたの愛の祈りのひとつひとつは、あなたのうちへ忠実を招き寄せるだろう。なぜなら、忠実そのものである私を招き寄せるから! 霊魂が雄々しく恵みに忠実に従えば、どんどん進歩して遂に頂上へ達するだろう。」(一九三六年七月十四日)

─イエズス─「愛の祈りをひとつも怠らぬ努力によっていつも勝利をうることができる。」(一九三六年五月三十日)

〈絶え間ない愛の祈りの使徒職的効果(人のため)〉

だれが霊魂を救うことができるだろうか? それは確かに私たちではない。過去、現在、未来にわたって、血のいけにえなるご苦難の無限の功徳によって、霊魂を救い続けたもうのは十字架上のイエズスである。イエズスの恵みによって私たちは、救霊の協力者となるが、それもイエズスを愛し、イエズスと一致する度合いに比例して協力するのである。つまり、イエズスに対する愛なしには、私たちの努力は全然価値も効果もないのである。この愛なしに何もできないことの真実性を、コンソラータの生活は実証した。

 コンソラータは、神と霊魂に対する愛に燃えていたがために、イエズスとともに無数の霊魂を救うことができた。十字架の聖ヨハネ(注2)は、純粋な愛の最も小さなひとつでも、神のみ前に、外部的なわざのすべて(例えば説教、苦業、教理の教授など)を足したよりも、教会と霊魂にとって効果的であるといっている。愛は使徒職の最高位、かつ、最も効果的な方法であるから、コンソラータは絶え間ない愛によって、最も絶え間なく使徒職に尽くしたわけである。

イエズスはコンソラータに大切な約束をお与えになった。

─イエズス─「ただひとつの愛の祈りによってひとりの霊魂の永遠の救かりが決定されることをよく覚えなさい。ひとつひとつの愛の祈りが、ひとりひとりの霊魂の救いをきめるのだから、一度でも怠けて、『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください。』と祈ることを怠れば、良心の苛責を感ずるはずだ。」(一九五三年十月八日)

同じような約束を後にたびたび、いただいた。

─イエズス─「少しも時をむだにしてはいけない! ひとつの愛の祈りがひとつの霊魂なのだから!」

また聖母マリアも同じようにコンソラータを励ましてくださった。

「天国にはいってはじめて、あなたは、愛の祈りの価値と、その救霊への豊かな効果とを理解するでしょう!」

ここに二つの例をのせよう。何年間も、コンソラータは、兄のニコラと伯父フェリチェ・ビアノの改心のため祈っていた。(ニコラは一九三六年の復活祭に、遂に改心し、一九四七年十二月聖なる死をとげ、伯父も改心した)

─イエズス─「コンソラータ、あなたの苦業と犠牲によって、ニコラとフェリチェが改心したのでなく、ただただ、あなたの絶え間ない愛の祈りによって、私が彼らをあなたに与えたことを忘れてはならない。私が被造物に望むものは、ただ愛だけだから!」(一九三六年七月)

一九三六年ソ連の共産軍の陰謀でスペインに内乱が起きた時、共産党が勝って政府をとることがないよう、コンソラータは一生懸命愛の祈りによって祈った。その時イエズスは次の約束をお与えになった。「はい、私は、スペインにおける共産党に対する勝利を、あなたに与えよう。だがあなたはいっそう全力を尽くして愛の祈りをささげなさい……。」 ほかにも多くの例があるが、いかにイエズスが、絶え間ない愛の祈りを重んじたもうかを知るには、この二つの例で十分であろう。

もちろん、救霊のために犠牲は非常に大切だが、愛こそ霊魂に犠牲を覚悟させる。だから愛の祈りは犠牲と苦しみへの飢えかわきを増す最も効果的な手段である。イエズスはこのことをたびたびコンソラータに教えたもうた。

─イエズス─「コンソラータ、絶え間なく愛の祈りを唱えることにすベてを集中しなさい。この唯一の決心こそ、私の犠牲への招きにすべて従う力を与えるのだ。」(一九三五年九月二四日)

─イエズス─「愛の祈りはそのものが十字架ではないが、どんな状態にあっても、愛の祈りをひとつも怠らぬよう努力することは十字架である。だがこの十字架が、他のすべての十字架を担うことができるように助けるだろう。コンソラータ、私はあなたの肩の上に負わせるこの十字架をたいへん好む。

 この十字架こそ、あなたを完全な自己放棄へ導き、会則と修道院の日課をちゃんと守らせてくれるのだ。この十字架は非常に恵み豊かなものであり、すべての十字架の中で、この愛の十字架こそ私と霊魂のため、最も効果的なものである。」
(一九三五年十一月十五日)

苦しむ霊魂は多いが、その苦しみを自己聖化と救霊のため、有効に使う霊魂は少ない。苦しみが愛へ導くのではなく、愛が、犠牲精神へ、苦しみを感謝と喜びをもって耐え忍ぶことへ導くのである。そしてそのとうとい苦しみは、愛の増加の源となる。

─イエズス─「絶え間ない愛によって、きたるべき苦しみに備えなさい。愛することをもしやめたら災いなるかな!私はあなたを愛のいけにえとして選んだ。コンソラータ、私はあなたを愛と苦しみの絶頂へ導くことを約束する。あなたはただ『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救ってください』と絶え間なく繰り返しなさい。ただそれだけ、そのほか、何も考えてはいけない!」(一九三五年十月九日)



(注1)成聖(せいせい):神の聖性にあずかり、聖なるものとされること。

(注2)十字架の聖ヨハネ(1542~1591年)はスペインのカトリック司祭、神秘思想家。アビラの聖テレジアと共にカルメル修道会の改革に尽力し、『暗夜』などのすぐれたキリスト教神秘主義の著作や書簡を残した。カトリック教会・聖公会で聖人であり、教会博士の一人。記念日は帰天日の12月14日。

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