アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

古墳時代の大王の石棺、木ぞりに載せ1500人で引く

2005-08-30 12:30:08 | 薀蓄
歴史マニアを自認する小生であるが、わけても古墳がらみはけっこう好きだったりする。そんなマニアの気分をそそるニュースが目にとまった。

 大阪府高槻市の前方後円墳「今城塚古墳」(6世紀前半)そばで28日、熊本県宇土市から運ばれた約7トンの石棺を、古代の木ぞりに載せて引くイベントが行われた。
 古墳時代に近畿地方の大王(天皇)の石棺に使われた「阿蘇ピンク石」が、海路で運ばれたことを実証する「大王のひつぎ実験航海」(読売新聞西部本社などの実行委員会主催)の最後の行事で、市民ら約1500人が参加した。

 小生の田舎は、江戸城築城の際に石を切り出し、運び出したところであり、石曳きのイベントがあるが、なかなかハードだったことを思い出した。
 高槻市内の無職吉峯理さん(63)は「こんな重い石を遠く九州から運ばせるとは。大王の強大な権力を実感した」と話していた。

 うーん、コメントというには少しベタな感じだが、まあ実感である。石が動き出すまでが大変で、動き出すと意外に軽く動くものであるが…

 ときに、会場となった「今城塚古墳」だが、真の継体天皇陵との説も強い。実は、古墳の埋葬者というのはけっこうあてにならないのだ。
 というのは、明確な記録や墓碑があるわけではなく、古事記や日本書紀の記述に基づき、この古墳のことだろうと後世の学者が当てはめた(比定という)からだ。

 戦国時代には、古墳の丘陵を利用して、上に砦や城を築いたケースが多く、「今城」の名前もそこから来ており、仁徳天皇陵もかつてそう呼ばれたことがあるという。
 えっ、そんな罰あたりと思うかもしれないが、平城天皇の古墳などは、平城京の造営にあたり、一部壊されているのだから、推して知るべしである。

 もっとも継体天皇自体が異色で、天皇の後継者がいなくなったときに福井県の港から突然上陸してきたという出自の持ち主なのであり、ここで王朝交代があったというのが定説になっている。
 この天皇という呼び方も、天武天皇あたりからで、もともとは、大王(おおきみ)と呼ばれていた。よって正しくは継体大王である

 このイベントが偶然とはいえ、節目の継体大王陵の近くでやったのも興味深い
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5 コメント

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このニュースに (雪ダル)
2005-08-30 16:21:46
こんな奥の深い話があるとは。。。

σ(^_^;)私が読んで頭に浮かんだこと、こんなに重いもの引く綱は藁でしょうね、藁って、強いのね~でした。
返信する
ふ~ん (すぽっと)
2005-08-30 16:35:24
>こんな重い石を遠く九州から運ばせるとは。大王の強大な権力を実感した



って事は、やっぱり大王サマのような方は、もちろん自分が死んだ時の事を考えて、その前にこうした「事業」をやっておいた、って事なんですかね。。。

92歳で亡くなるず~っと前にお墓作って、毎年「ここに自分は入るんだぁ」と言い続けてお参りしていた祖母は大王サマと同じ事してたってわけね。。。(笑)



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意外な展開 ()
2005-08-30 22:56:52
雪ダルさん

藁って強いんですよね。

でも、こういう深いのって、お嫌い?



すぽっとさん

おばあちゃんは偉大です。

大王(おおきみ)と同じ、おばあちゃんとは・・・
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大好き! (雪ダル)
2005-08-31 01:06:23
雪ダルは、深いのがお好き

あれ? あれ!



継体天皇について、色々調べてしまいましたよ(笑
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高槻新スタジアムもこうやって造ります (松田聖菜子★彡(まつだみなこ))
2005-09-01 01:20:02
・・・・なわけないよねぇ。



高槻市民と島本町民全員が引っ張っても追い使いかなぁ。



 考えたら市原のゴール裏って、この人数よりも少なくてもできそうな。
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