新しいお札が発行された。すでに新札を手にされた方も少なくないだろう。小生はいまだ手にしていないが、遠からず手にするはず。
そんな新札の顔になった渋沢栄一だが、大河ドラマ「青天を衝け」でも取り上げられていた。そのドラマを見ていた人から、こんな質問を受けたことがある。
「渋沢栄一は庄屋とはいえ、お百姓さんだったが、なぜ苗字があるのか」と。確かに我々は歴史の授業の中で、「江戸時代、苗字帯刀は武士の特権」と習った。
そしてその流れの中で、日本人のほとんどは明治以降にお坊さんなどにつけてもらった苗字を名乗っていると思っていないか。
その一方で、日本で一番多い佐藤は地方公務員の藤原さんがそのルーツとか、鈴木は熊野権現が由来で、黒潮に乗って太平洋の東海岸に広がったなんてのは有名だ。
すると日本でもっとも多いこの二つの苗字は明治以降に広がったのか・・・否、ともに江戸時代以前にすでに広がっていた。
そう、我々は歴史の授業で(意図的かどうかは別に)、江戸時代の庶民には苗字がなかったと思い込まされてきた。個人的には暗黒の江戸時代、明るい明治という印象操作もあったと考えている。
前置きがな長くなったが、正解を申し上げよう。江戸時代、庶民も基本苗字は持っていた。「ただそれを公的に名乗ることが許されなかった」というのが本当だ。
したがって、地元の神社への寄進の連判などには皆姓名で記載されているのが多い。一方で公的な書類である、宗門人別改帳には、「蒲田村、百姓 宗右衛門」というように、名前だけが記載されている。
これを見て、「ほら見ろ、江戸時代には苗字がなかったんだ」と明治の為政者が使ったことは想像に難くない。
以前から何度か取り上げているが、我々は少なからず明治以降日本はよい時代になったと思い込まされている・・・
それだけは間違いない。しつこいが改めて書いておきたい。江戸時代の庶民は食うや食わずの日々を送っていたわけではない。
身分に縛られて農民が商人になることができなかったこともない。ましてや、農民が転居も許されなかったこともない・・・
ちなみに、そうしたことは宗門人別改帳にも記載された事実である。
ああ、なんて真面目なことを書いてしまったんだあ・・・(汗)
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