大天井岳(おてんしょうだけ)に登るのはこれで3回目。特に印象的な山ではないが、槍・穂高の展望がすばらしい。残雪期の登山が意外と面白いので、山仲間と2年連続の山行となった。昨年登った際には5月に大量遭難があったことを聞いていたが、たいして気にもとめなかった。
〈 燕山荘から見た燕岳 〉
初日は燕山荘泊。600人収容の山小屋に宿泊者はわずか5名。シーズンオフはゆったりして快適だ。夜、山小屋から安曇野の夜景が美しい。翌朝、燕岳に登頂。昨年より雪が少ないので、今日のうちに大天井岳から常念岳まで足を伸ばせるかも知れない。所々雪田はあるものの登山道に雪はほとんどなく、鼻歌交じりの夏山気分でペースを上げることが出来た。
〈 燕山荘の朝 〉
雪煙が舞う大天井岳の頂上付近に大天荘が見えてきた。しかしそこに至る登山道の大半が深い雪に埋まっている。たった2時間歩いただけで風景が変わってしまった。私たちの装備でとても登れるものではない。結局、直登をあきらめて山の反対側にあるもうひとつの山小屋を目指した。そのとき見落とした分岐の看板にはかすれた文字で、今から目指す山小屋が閉鎖中だと書いてあったのだが・・・。
大天井岳の北斜面は予想以上の急傾斜で、道は新雪で覆われている。踏み跡がわずかに残るものの、雪庇の上に足を置いたら谷底に滑落してしまうだろう。深い雪に太股まで埋まりながら悪戦苦闘の末やっと乗り越えると、次の雪が行く手を阻む。今度は完全に道を見失ってしまった。雪の下のハイマツに足をとられて身動きが取れない。ハイマツに手をかけた時、眼鏡が枝に触れ雪の中にふっ飛んでしまった。
〈 大天井岳と大天荘 〉
腰まである深い雪に閉じ込められた。しかも時間はどんどん過ぎ去り、陽は西に傾きはじめる。幸い雪の中から眼鏡を見つけ出すことができた。やっとの思いでハイマツを乗り越え雪渓を脱出して、登山道に復帰したがまだ山小屋は見えてこない。延々と雪の道を歩くこと1時間あまり。遠くから屋根を見つけて、これで助かったと声を上げたのも束の間、山小屋は去年から閉鎖されたままだった。風雨に体力は消耗し、全身の力が抜けていくのを感じる。
気を取り直し、当初目指した大天荘に向けて歩くしかない。次々と思いが頭をかけめぐる。一刻も早く暖かい部屋で体を休めたい。陽が落ちるまでに山小屋に着けるのか。このまま雪の中で夜を迎えたら大変なことになる。そんな時、雪の斜面にひょこり雷鳥が姿を現し、張りつめていた気持ちが少し落ち着いた。やがて山頂が現れ、その下に山小屋が見えた時には心身ともにぐったりと疲れ切っていた。宿泊者は私たち以外に4名。ストーブで濡れた衣類を乾かすが、雷で発電機は動かない。夜、吹雪となる。気温は一桁。
〈 槍・穂高の稜線 〉
翌朝、快晴。しかし、槍・穂高はガスで見えない。大天井岳山頂を経由して燕山荘に戻る。途中、また雷鳥が現れた。燕山荘で昼食後に視界が回復。下山を始めると雲が晴れ、槍が完全に見えた。最後の最後に槍が姿を現したのが嬉しかった。雪におおわれた北アルプスの絶景が広がる。最終日は麓の中房温泉泊。
【1993.6.9-11】
私が道を間違えたことに気づいたのは、山小屋を出て1時間も歩いた頃だろうか。分岐点で地図を引っ張り出してはじめて分かったのだが、今更引き返すのも面倒だと思ったのがいけなかった。まだ、この時は何とかなるさと、かなり楽観的に考えていた。
〈 坊ガツル 〉
私たち2人は初日の朝、別府でフェリーを降りてバスで登山口まで行き、2時間の登りで法華院温泉に到着。温泉でゆったり過ごし、翌日は薄曇りの空を眺めながら久住山めざして小屋を発った。地図で何度も進路を確かめるが、道が次第に曖昧になってきた。さらに空模様まで怪しくなってきた。天気予報は晴れのはずだが。分岐では確信をもって直進したのだが、ここで間違えた。天候はますます悪化。霧と風雨が強くなってきた頃、山頂に到着。しかし、そこに予想していなかった文字を見た。なんと、私たちは違う山の頂に立っていた。
風雨はますます強まり、砂粒を飛ばす。立っていることさえ困難だ。濃い霧が行く手も、来た道も覆い隠してしまった。冷たい雨が体温を急速に奪う。ケルンの陰で小さくなって天候の回復を待ったが、時間は無為に過ぎて行くばかり。とにかく来た道を戻ろうとするが、完全に道を見失ってしまった。目の前は崖。進むことも戻ることもできない。血の気が引いていくのが感じられた。記憶をたどり行ったり来たり、何度も道を探すが、この霧では絶望的だ。晴れてさえいれば難なく道が見つかるはずだが。
大きな岩陰を見つけて雨宿りをしようともぐり込むと、中に人の気配。彼は麓のキャンプ場に家族を残して久住山めざしたところ、私たちと同じように道に迷ったという。3人であたりを何度も調査するが、やはり道はない。突然彼は焚き木を集めだした。今夜はここでビバークするつもりらしい。残した家族が捜索隊を呼ぶかもしれないなどと、落ち着いた口調で言う。「久住山中で3名遭難!」新聞の見出しが頭をよぎる。冗談じゃない。私は「方向は間違っていない。こっちに進めば必ず道に出るはずだ」と主張し、協力を要請した。
ここで別々の行動は取れない。しぶしぶ彼も私に従い、歩き始めて10分ほどで道に出た。感激で涙が出そうだった。そこにもう一人、道に迷った登山者が現れた。いったいこの山域はどうなっているのだろう。標識さえ整備されていれば、こんな低山で同時に4人も道に迷うはずがない。先の男性はキャンプ場めざして下山していった。雨で道が崩れているので、私たち3人はまたしても道に迷ってしまった。ようやく法華院温泉を見つけ出したときは、あれほど私たちを苦しめた濃い霧は晴れ、雨も止んでいた。悪夢のような一日だった。
【1994.5】
立山室堂はいつものように観光客であふれている。ここから立山を経て五色ヶ原までのんびり歩くのが今回のコース。雷鳥沢から稜線まで最短の大走りを登ることにする。標高差600m。分岐には標識があったのだが、途中から途絶えてしまった。
〈 槍ヶ岳遠望 〉
何本目かの沢を見当つけて登り出したものの崩壊したガレの急坂で、進むにつれて道の状態は悪くなる。両手両足で岩にしがみつくが次々と崩れ落ち、進むに進めず戻るに戻れずの状態。どうやら完全に迷ったと気づいた時、少し離れて若い男女のペアが後ろに見えた。私のあとを追ってきて私同様、道に迷ってしまったようだ。
〈 内蔵助山荘から 〉
夕暮れがせまる頃、ひょっこり稜線上の縦走路へ出た。登り始めてすでに2時間。暗くなる前に道が見つかりホッとした。少し進むと道の脇に消えかかった踏み跡と標識。こちらが本当の道らしい。今夜は内蔵助山荘で宿泊。翌朝、小屋前で後立山から昇る御来光をながめることができた。雄山神社でお祓いを受け、龍王岳、獅子岳、ザラ峠とアップダウンの大きいコースを経て、2日目の宿は五色ヶ原山荘。
〈 大汝山から雄山神社 〉
午後2時半という早い時間に着いたので、コーヒーでもできないか従業員に聞くと忙しいという。この時期に忙しいはずがない。ガイドブックに風呂有とあったのを思い出してさらにたずねると、今日は石鹸がないから沸かさないという意味不明の返事が返ってきた。山小屋によって従業員の接客姿勢がずいぶん違う。彦根の人と同室となり、この先、最終日まで行動を共にする。
〈 五色ヶ原と薬師岳 〉
北アルプスも最近は若い女子が多い。私がヘトヘトになっているのに、すぐ横を涼しい顔で通り過ぎていく姿を見ていると本当に感心する。復路の龍王岳で巨大なザックの女子が独り。親不知(おやしらず)からだと言う。親不知は日本海。今、彼女は北へ向かって歩いているので方向が逆だ。
〈 龍王岳から雄山三山 〉
親不知から北アルプスを一周して剣沢で仲間と合流し、親不知まで帰ると言う。頭の中に日本地図を思い浮かべた。新潟県、長野県、岐阜県、そしてここは富山県。歩いた距離はいったい何キロだ。今日がテント泊で25日目だとさらりと言ったのには驚いた。どう見ても普通の女子だ。1カ月も山の中で生活しているとはとても思えない。
〈 縦走路から雄山三山 〉
最近は大学山岳部も不人気らしいのに、若い女性が独りで北アルプスの大縦走とは。山に登るといろんな人に出会うものだが、時にはとんでもないツワモノと出会うこともある。
【1990.9.22-24】
山仲間と雪の燕岳に登ることにした。雪の状態がよければ大天井岳まで足を伸ばしたい。登山口の中房温泉は雪がないが、第三ベンチから上は雪道となる。アイゼンを装着。合戦小屋を過ぎると積雪50センチ。合戦尾根までの登山道は完全に新雪に埋もれている。燕山荘まで2時間、中房温泉からトータルで5時間かかった。 気温2度。
〈 雪をまとった槍と小槍 〉
翌朝、外はガス。午後には雪から雨に変わった。今日一日、小屋で停滞することにした。GWに大量遭難があったそうで今年は天気が安定していないようだ。ガスは濃くなる一方で展望がきかない。小屋にはテレビも新聞もないので、談話室の本棚から写真集や雑誌を取り出してのんびり時を過ごす。外界から隔絶された世界で一日何もしないのも結構いいものだ。
〈 燕山荘で停滞 〉
3日目。外は相変わらずガス。気温1度。今年は例年になく残雪が多いうえ、昨夜からの降雪で天気は冬に逆戻り。一向にガスが晴れないので、大天井岳までの稜線歩きをあきらめて下山することにした。
〈 雷鳥のカップル 〉
合戦尾根で足元のハイマツの中を赤いものがチョロチョロしている。よく見ると雷鳥のカップルだ。夏や冬の雷鳥は珍しくないが、この時期の雷鳥の雄は色あざやかで美しい。思わずシャッターを押し続けたが、撮影中も逃げようともせずポーズをとってくれた。眼の上の赤い肉冠は繁殖期の雄にだけ現れる。羽毛の白い部分は6月中には完全に抜けて黒い羽毛に変わる。
〈 オスの赤い肉冠 〉
下山後、中房温泉入浴。穂高駅前のそば屋一休で昼食をとる。
【1992.5.29-31】
今回は蓮華温泉から雲の上の湖、白馬大池を経て白馬岳に登り、黒部峡谷の祖母谷温泉に下ります。秘湯と秘湯をつなぐ白馬岳横断コースで、登山者が少なく静かな山歩きを楽しめます。1日目はJR大糸線平岩駅からバスで蓮華温泉へ。ここは新潟県側から北アルプスに入る玄関口で、白馬岳蓮華温泉ロッジが建ちます。ロッジ周辺の山中には4つの野天風呂があります。ここが今日の宿。
〈 白馬大池のお花畑 〉
蓮華温泉から白馬大池までゆるやかな登りです。天狗ノ庭でガスが晴れて雪倉岳、朝日岳など北アルプス最北部の山々が眼前に現れました。白馬大池は標高2,380m。白馬大池山荘の前は広大な高山植物の群生地です。ここで休憩したのちに雷鳥坂、小蓮華山を越え、白馬岳へ。2泊目の宿は山頂直下の白馬山荘。日が沈むと富山の夜景が美しい。
〈 白馬岳山頂から 後立山連山〉
翌朝、白馬岳山頂から北アルプスのパノラマを一望。杓子岳から鹿島槍までの稜線、槍・穂高も見えています。今日は祖母谷温泉までの長い下り。途中にエスケープルートも山小屋もないロングコースです。白馬岳を北に進み、雪田を越えて高山植物の咲く旭岳へ。ここまでは白馬岳に登った登山者も訪れるようですが、この先はほとんど人の立ち入らない山域です。
〈 清水尾根のお花畑と日本海 〉
足元のコマクサを踏みそうになりました。眼を凝らすとあちこちに可憐なピンクの花を咲かせています。清水岳を越えて、見渡すかぎり高山植物で埋め尽くされた尾根道を下ります。まるで雲上の花園。尾根からは遠く富山湾や能登半島が望めます。不帰岳避難小屋の近くで登山者とすれ違いましたが、人に会ったのはこれが最初で最後。百貫の大下りを過ぎても単調な樹林の下りが延々と続きます。
〈 秘湯・祖母谷温泉 〉
まる一日の下りで奥黒部の一軒宿、祖母谷(ばばだに)温泉にたどり着きました。ここは標高780mなので朝から2,152m下ったことになります。手前の河原が露天風呂です。山旅のフィナーレは黒部の湯、猿飛山荘。翌日は欅平から黒部峡谷鉄道で宇奈月温泉へ。残雪、花、展望、そして温泉の静かな山旅でした。
【1993.8.7-10】
昨年と同じ槍ヶ岳を今回は単独で目指します。初日は徳沢ロッジ泊、2日目は槍沢を槍の肩まで登り槍岳山荘泊、最終日は同じコースを戻り上高地泊。
槍沢は高山植物の最盛期です。
残雪がまぶしい。気持ちのいい登行です。
上高地から9時間。槍の肩から見上げる大槍は迫力があります。山頂にはひしめくように大勢の人影。
槍から南へ標高3千mを超える山々が連なる。ここから見る穂高は圧巻。
槍の肩に建つ槍岳山荘は増築を繰り返した複雑な建物です。
朝の山頂で笠ヶ岳の手前に現れたブロッケンです。朝日の反対側に霧が出るのはブロッケンの好条件です。私のカメラを構える手まではっきり写り、周囲に虹のリングが見えています。あまりの神々しさに昔の人が仏の姿だと信じたのも納得できます。
往路を戻ります。天気がいいので、青い空と白い雪とハイマツの緑の組み合わせが印象的です。
【1993.7.20-22】
上高地はいつ訪れても観光客であふれています。その観光客が仰ぎ見る穂高が今回の目的地です。河童橋の雑踏からわずか10分で道は静かな針葉樹林の登りになります。ここから今日の宿、岳沢ヒュッテまで3時間。穂高は涸沢経由でゆっくり登るのが一般的ですが、今回は吊尾根に向けてせり上がる岳沢から前穂高岳を直登する最短コースをとります。標高差は1,590m。
〈 岳沢から穂高の稜線 〉
しばらく進むと樹々の間からは切り立った穂高の岩稜、振り返れば焼岳と梓川、眼下には上高地が広がります。夕方早い時刻に標高2,230mの岳沢ヒュッテに到着。上高地を見下ろす小屋のテラスは、これから穂高を目指す人や穂高を登り終えて上高地に降りる人たちでにぎわっています。この小屋には風呂があるので、明日の厳しい登高に備えて早めに休むことにします。
〈 眼下に梓川と上高地 〉
今日は大半の荷物を小屋に預け、約7時間かけて重太郎新道を往復します。最後まで岩場が連続し、クサリやハシゴを使わなければ進めない急登です。事故が多いので気が抜けません。巨大な一枚岩を乗り越えると奥穂高岳との分岐点、紀美子平。ここは前穂高岳の山頂を目指す人たちが休憩しています。左は重量感ある奥穂高岳、右はノコギリの歯のような明神岳の岩稜が続きます。
〈 紀美子平 〉
両手両足を使って最後の岩場を登りつめると前穂高岳の頂上です。岩の積み重なった頂上は意外に広く、多くの人が展望を眺めながらくつろいでいます。北は槍ヶ岳から北穂高岳、奥穂高岳にかけて一望のもと。眼下は残雪の涸沢カール。東は常念山脈の穏やかな稜線。360度の大パノラマにこれまでの疲れが吹っ飛びます。槍・穂高を縦走してきた登山者にとってはここが最後のピークです。
〈 前穂高岳から槍ヶ岳 〉
眺望を満喫した後は、重太郎新道の垂直に近い急下降を経て上高地に戻ります。下山後、河童橋の上から観光客にまじって降りてきたばかりの穂高を見上げるのは、少し誇らしげな何とも心地のよいものです。
【1996.8.4-5】
近畿の秘境・大杉谷から百名山・大台ヶ原山を目指す。大阪から近鉄とJR、バスを乗り継いで登山口までなんと6時間。関西から北アルプスに行くより遠い。
JR三瀬谷駅近くの道の駅から登山バスで登山口へ。紅葉には少し早いのか、乗客は少ない。
バスの途中休憩で協力金の徴収がある。記念品の手作りキーホルダーを頂いた。
12時、登山開始。断崖絶壁をくりぬいた道が出現。心の準備なしにいきなり秘境が始まる。
大杉谷の名物は滝と吊り橋。屋久島とともに日本一雨が多い。水が造った渓谷が美しい。
空から降ってくるような千尋滝は落差135m。大杉谷最大で、あの那智の滝より高い。
肩幅ほどの登山道をクサリを頼りに進む。黒部の水平歩道を思い出した。滑落事故多し。
3時間余りでシシ淵。大杉谷といえばこの風景。まるで山水画のようで、勝手にパワースポットに認定。同じバスに乗り合わせた夫婦はこれを見るためだけに来たようで、ここから引き返した。
シシ淵の奥に見えるのがニコニコ滝。みんな笑顔になりそうな名前。
延々とアップダウンが続くが、渓谷が美しいので飽きない。
登山口からのんびり写真を撮りながら歩いたので、桃の木山の家に着いたのは7時。
なんとも風情のある山小屋。創業80年とか。秘境の山小屋だけど檜のお風呂がある。
こだわりの夕食は、三重県産コシヒカリとフライ。日替わりです。
この広い部屋に今日は4人。どこから侵入したのかヒルを発見。食いつかれたら大変なことに。
ツアー客が早朝から下山。濡れた岩場での滑落が多いので、登りコースが一般的。
日本百名瀑の七ツ釜滝。落差は120m以上。岩の塊が後退して7段の滝になったそうな。
渓谷沿いの道はスリル満点。油断をしたら数十m下の谷底へ。クサリを握る手に力が入る。
大杉谷の最後を飾るのが堂倉滝。ここから大台ヶ原山まで800mの急登が始まる。
樹林の登りはどこまで続くのか。景色が見えないので疲れる。途中に一軒、山小屋がある。
4時間で山頂へ。晴れていれば熊野灘や富士山が見えるが、歩き疲れてどうでもいい気分。観光客が、登ってきた私たちを見て驚いていた。大杉谷から登ってくる人は少ないようだ。
大杉谷~大台ヶ原山は行きも帰りもバスの本数が少ないので注意。大阪まで4時間。
たった1泊2日の山行でしたが、滝のマイナスイオンを胸一杯吸い込んで、すがすがしい気持ちになりました。公共交通機関が不便で、帰りに恒例の温泉に立ち寄れなかったのが残念です。
今回は久しぶりの三千m峰、南アルプス仙丈ヶ岳に登る。20代の頃、北沢峠のテント2泊で甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳を登ったが、最近はすっかり温泉泊付き極楽登山になってしまった。始発電車を名古屋で乗り換え、木曽福島から仙流荘行の直行バスに乗り込む。関西から南アルプスに向かうには乗り換えが大変だが、このバスのおかげで甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳は1泊2日でも登れるようになった。
そばを目当てに高遠で途中下車。高遠のメイン通りは閑散としているが、信州そば発祥の地なのでそば屋だけは人が多い。乗継時間を利用して桜で有名な城跡公園を散策する。山全体が桜の木ばかりだが、この時期は当然ながら観光客はいない。夕方、バスで仙流荘へ。バスターミナルには皇太子時代の天皇陛下が仙丈ヶ岳に登った際の写真が展示してあった。
今回歩くのは北沢峠から藪沢ルートを登り、翌日に稜線ルートを戻る周回コース。大平山荘は趣のある山小屋で、周囲に薪が積み上げられている。玄関に熊出没注意の看板。林道バスの運転手が熊を2回見かけたと車内放送していたのを思い出し、大きな声で話しながら登ることにしたが、樹林の登りがしんどくてやめた。途中から雨。急登を終えて雪渓の下で藪沢を渡り対岸へ。ここから沢沿いを登る。
雨脚は強まるばかり。トラバース道の分岐を過ぎて沢を離れ、鹿よけネットの間を進むと馬の背ヒュッテ。森林限界の下にある静かな落ち着いた小屋で、晴れていれば山頂が見えるはず。ここはNHK番組で湊かなえさんと工藤夕貴さんが訪れた小屋で、食堂には日本酒の一升ビンがずらり並んでいる。山小屋には珍しくスタッフ全員女性で、山の居酒屋という感じ。
森林限界を抜けると視界が開けハイマツの道に変わる。藪沢カールは涸沢と同じ氷河圏谷で、モレーンの上に今日の宿、仙丈小屋がある。背後は仙丈ヶ岳。前面は白い花崗岩の甲斐駒ヶ岳や八ヶ岳など広がり眺望が良い。小屋の2階は食堂や談話室。寝床のある3階へは階段でなくハシゴを使う。頭上に「南アルプス最難関・滑落注意」との貼紙。たしかにここから落ちたら無事ではすまない。
夕食前に管理人からお話があった。大腿骨を骨折したそうで、ポールを支えにリハビリ中。今年は7月に入ってから天候不順で荷揚げのヘリが飛ばないため、女性スタッフが30㎏の食材を荷揚げしているとか。ここも管理人以外は全員女性。北アルプスに比べて南アルプスの山小屋は設備や食事で見劣りするが、この小屋は快適だ。しかも小屋の前から絶景というのがいい。
翌朝は、管理人に聞いた場所でご来光を待つ。南に富士山、北岳、間ノ岳と標高ワンツースリーが並ぶ。結局、富士山が見えたのはこの時だけだった。東にはギザギザの鋸岳とそれに連なる甲斐駒ヶ岳、その奥に八ヶ岳、さらにその奥に噴煙を上げる浅間山が折り重なっている。浅間山はこの2週間後に噴火した。甲斐駒ヶ岳の右手は鳳凰三山。北は伊那谷。やがて雲海の彼方から日の出。
山小屋の前には展望を楽しむ人たちが。ハイマツの中を稜線に向けて登山道が延びる。いつものことだが私たちの出発は遅い。山小屋の掃除が始まったので追い出されるように山頂を目指す。急登をつめると快適な稜線の道。山頂からは360度の展望。大勢の登山者。ここに来るのを夢にまで見ていたという女性がいた。北岳の陰に隠れて富士山は見えない。
1時間ほど大展望を満喫してから山小屋に戻り、預けた荷物を取って小仙丈ヶ岳へのコースをたどる。途中の稜線でガアガアと鳴き声がするので目を凝らすと雷鳥の親子が散歩中。小仙丈の山頂はルートから離れるが、ここからの仙丈ヶ岳の姿がいい。ここで大休止。五合目までは急な下りが続く。下山に選んだルートはメインの登山道なので昨日と違って登山者が多い。
森林限界を過ぎて樹林帯に入ると五合目。さらに急な下りが続く。北沢峠の山小屋で私たちと前後して下山したグループがバス待ちしていた。林道バスで再び高遠へ。今夜は高遠さくらホテルに宿泊。ここ伊那谷はローカル線が通るだけなのでのんびりした街だ。最終日は名古屋行きのバスを馬籠で途中下車。妻籠と比べるとこじんまりして、外国人と子供の団体でにぎわっていた。ここでも名物はそば。
今年の夏は新潟県妙高連山の最高峰、火打山をめざす。初日はJRで名古屋、長野を乗り継ぎ、妙高高原へ。ここからバスで池の平温泉へ行き、宿なごみに宿泊。初日から温泉はありがたい。道沿いはアジサイの最盛期で、ウグイスの鳴き声も聞こえてきた。夕方から雨が。標高が800mなので涼しい。近くの温泉で火事があったようで、夜中にサイレンが鳴り響いた。
登山バスで標高1,310mの笹ヶ峰へ。広大な草原には牧場やキャンプ場が広がる。ここは火打山と妙高山の登山口で、小さな門をくぐると緩やかな木道が続く。今日は高谷池ヒュッテまで9㎞の行程。ブナ林の道は森林浴ができて心地よい。黒沢橋は渓流が美しい。河原に下りて水の補給にちょうどいい。しばらく進むと十二曲りと呼ばれ傾斜がきつくなる。12回コースが曲がるが、意外と短く20分で登り詰めて休憩。ここから先が稜線までの最大の急坂となる。大きな岩に手をかけながら、かなり登りづらい。
傾斜が緩くなってしばらくで尾根道になり、富士見平と呼ばれる分岐に出る。ここで高谷池方面と黒沢池方面の道に分かれる。左の高谷池への道を進む。ここから先は標高2千mの水平道。やがて左手に三角屋根の高谷池ヒュッテと湿原が見えてきた。お昼にヒュッテ到着。標高2,105m。まだ早いが、宿泊を申し込む。改築工事が終わったばかりで、ホールは真新しく、トイレは水洗。ただ、公営施設のためか機能重視の感じがする。
ここで軽装になり火打山を目指す。山頂まで4㎞。高谷池は森の中の高層湿原で、木道が山頂方面まで延びている。少し歩いて振り返ると、三角屋根のヒュッテと湿原が北欧の風景のようで美しい。高山植物の最盛期は7月なので、花はもう少ない。秋は草紅葉が美しいらしい。岩の道を登り、一段高い台地に出る。ここは天狗の庭と呼ばれ、メルヘンの風景が展開する。さらに稜線の急坂を登るとライチョウ平。ライチョウ生息の北限で、運がよければ出会えるらしい。ベンチがあり、ここで休息。
ここから先さらに急坂。天気が悪いので山頂は見えないが予想外の登りにかなり疲れる。突然、標高2,462mの山頂に到着した。1時間ほど滞在して雲が晴れるのを待った。北に日本海、西に白馬連峰が望めるはずだったが、焼山方面と天狗池の眺望が見えただけで、360度のパノラマとはいかなかった。登りでは気づかなかった風景を写真に収め、時間をかけて下山。途中、正面に特徴的な山容の妙高山が雲間から姿を見せた。
夕食、朝食ともに5時半というのは山小屋にしては早い。夕食はカレーとハヤシライス。ライスを皿の中心にし、左右にそれぞれ取り分けるのが通のやり方らしい。8時消灯、だが完全消灯が9時なので発電機がうるさくて眠れない。
5時前から出発準備の登山者がいて、目が覚めた。朝食後にゆっくりくつろいでいたら、皆出発してしまって、私たちが最終組になってしまった。今日は笹ヶ峰まで15㎞を下るだけ。時間が十分あるので、茶臼山の北を黒沢池方面へ回って下山することにする。左手は日本海や糸魚川の町並みかも知れない。途中で雨が降ったりやんだり。1時間足らずで右手に黒沢池の巨大な高層湿原が現れた。黒沢池ヒュッテはドーム型の珍しい山小屋だ。ここで、昼食を兼ねた休憩をとる。
雨が本降りとなったが、妙高山をめざす登山者が何組かいる。私たちは黒沢池を経て下山する。雨は一向に収まらず、雷鳴がとどろき始めた。池塘が広がり晴れていえば美しい風景だろう。1時間足らずで高谷池からの道と合流して、笹ヶ峰へ下る道となる。雨の中、急坂で何度か転倒しかけた。やがて高度を下げるに従い雨が上がった。岩の急坂を経て十二曲りを下り黒沢橋で休憩。子供たちの集団が登ってくるのとすれ違った。山上は雨なのに火打山に登るのだろうか。この先は快適な木道が登山口まで続く。
近くの明星荘でそばを食べ、また降り出した雨の中、バスを待つ。黒沢池ヒュッテから妙高山をめざしていた登山者が、登頂をあきらめて下山してきた。雷鳴がとどろく中の登山は危険だ。この先、バスで妙高高原駅へ戻り、ホテルの送迎バスで赤倉温泉の赤倉ホテルへ。湯につかり、2日間の山の疲れを癒す。3日目は長野で善光寺に参詣し、直行バスで新大阪に向かう。
新幹線と特急を乗り継ぎ伊予西条へ。バスに乗り換え石鎚山ロープウェーの下谷駅へ。バスは山間部をだらだら進み、乗客は数えるほど。街はさびれた店や温泉宿が建ち、登るにつれお堂や役行者の像が現れた。古くからの宗教の山だと感じる。ロープウェーで一気に1,300メートルへ。山上駅から20分で旅館街を過ぎると立派な成就社へ。ここで昼食をとる。
12時40分出発。いきなりの下りでもったいない気分。鞍部で登り返し、やがて階段の急登。下山者が、おのぼりさんです、というのを不思議に思っていたが、登山者に対する挨拶らしい。子供連れや軽装の登山者が多いのは、日帰り登山だからか。試しの鎖が現れた。過去に登った時は一の鎖や二の鎖などすべて登ったが、最近は登る人が少ないのか、鎖場の登り口が不明瞭。
15時40分、ちょうど3時間で頂上小屋へ。すぐ上が奥宮で、眼前に天狗岳の尖峰がそびえる。宿泊の申し込みを終えて外で過ごしているとブロッケンが現れた。美しい山並みの向こう、遠くで海が赤く染まっている。奥宮で夕拝が始まるというので参加した。神事が始まり、全員で祝詞を読み上げる。貴重な体験ができた。夕食はカレーライス。消灯前に外に出ると頭上に夏の大三角がずいぶん大きい。
翌朝、ご来光は地平線に雲があり望めなかった。やがて朝拝が始まった。今回も祝詞を読み上げる。最後に3体の御神象を触り礼拝する。7時50分、下山開始。過去に登った時と道が変わったようで、桟道や階段が多い。10時10分、成就社到着。お宮では神職が神事を行っていた。登りのロープウェーは臨時便が出るほどの大混雑。皆、山頂を目指すのだろうか。
伊予西条までは来た道を戻る。バスの乗客は私たち以外に一人だけ。ここから松山へ。今では珍しい市電で道後温泉へ。路面を走るSLとすれ違った。街は平日にもかかわらず大勢の人でにぎやかだ。松山は四国で一番大きな町かもしれない。商店街を通り抜け今日の宿、宝荘へ。温泉で旅の疲れを癒すことに。
20代でテントを担いで登った白山は、雨中の山行だった。ガスで視界のない中を、ただひたすら山頂目指したことしか記憶に残っていない。昨年の北岳に続いて今回も、私のとってリベンジ山行となった。
白山は、始発を利用してもその日のうちに山小屋にたどり着けない。夜行バスを利用するか、前泊するか、どちらにしてもアクセスが大変だ。しかも金沢駅からの登山バスはお盆までの運行だから不便なこと。関西人にとっては近くて遠い山だ。ということで今回は、前泊に白峰温泉、後泊に一里野温泉と、のんびり温泉三昧の登山となった。
新大阪からの高速バスが事故で1時間遅れ。金沢駅はお盆の週末ということで、大勢の観光客で混みあっていた。ニュースによると、この日は兼六園が無料開放され、新幹線開通の影響もあってか観光客は例年の50%増だったそうだ。今や金沢のシンボルとなった鼓門では記念撮影の列ができていた。名物店の回転寿司で昼食をとり、JRで西金沢駅へ。
金沢から一駅でまるで片田舎の無人駅。金沢の賑わいが嘘のようだ。ここから北陸鉄道のレトロな電車で鶴来へ。文化財のような鶴来駅から路線バスに乗り込んだのは、私たち以外にたった1人だけ。バスは手取川沿いを、人家のない山あいを進んでいく。今日の宿は、白山麓の白峰温泉にある桑島温泉ホテル八鵬。夕食は囲炉裏を囲んでの炭火焼料理。
翌朝、一風呂浴びてから白山登山バスで登山口へ。お盆を過ぎると一転してシーズンオフのようで、座れないと思っていたバスは10人も乗っていない。古い板壁の街並みが保存された白峰地区を通り、川沿いの断崖絶壁の道を走る。ビジターセンターのある市ノ瀬を過ぎ、1時間の乗車で別当出合へ。立派な休憩所があり、ここで準備を整える。
標高1,260mの別当出合から、室堂への最短コースの砂防新道を登る。暑い。しかも無風。20分歩いて休みのペースでブナ林を黙々と登る。砂防新道という名前の通り、面白味のない道だ。途中で下山者が、大蛇が出たというので、疲れが一気に吹っ飛んでしまった。池にはサンショウウオのオタマジャクシ。中飯場の手前で不動滝が見えてきた。
環境省が建てた甚之助避難小屋は、木材をふんだんに使った立派な小屋でトイレもきれい。登山道の標識に環境省の文字が目立っている。ここから先、標高2千mを超えると樹林帯を抜け、展望が広がり高山帯の景観になってきた。気温も一気に下がって気持ちがいい。道の随所に豊富な湧き水があり、色とりどりの高山植物が咲き乱れている。
十二曲りの急登は、斜面を覆いつくすお花畑の群生地。延命水で気のせいかパワーが回復した。一口で10年長生きだとか。黒ボコ岩を過ぎると道は一変して穏やかになり、広大な弥陀ヶ原の湿原では木道を進む。正面には最高峰の御前峰がそびえる。さらに五葉坂の急坂を登りきると突然、眼の前に室堂ビジターセンターが姿を現した。標高2,448m。
一般の宿泊棟は4つもあり、750人収容というのは白馬山荘に次ぐ規模。公営施設のためか1泊2食8,100円。いまどきこの料金は驚き。ただし、ここで購入したビール缶やカップなどすべて持ち帰り。スタッフも登山客もマナーがいい。自然解説員が常駐しており、一日に何回か自然観察会が開かれる。センターの周りには散策道がいくつも設けられている。
荷物を預けて、山頂を目指す。白山神社の横を通り、青石を過ぎるとそこから先は天上界。ハイマツと岩の急坂を1時間足らずで奥宮の建つ山頂2,702mへ。大汝山、剣ヶ峰、三つの火口湖が美しい。私たちの後を登ってきた子供たちがすごい、きれいだ、と大騒ぎ。1時間あまり過ごすうち、東の空が晴れて遠く北アルプスや乗鞍岳、御嶽山が見えてきた。
山小屋の食事はセルフサービスの自由席。広々した食堂は気持ちがいい。20人収容の二段ベッドの部屋は半分を私達ふたりで独占状態。混雑時はひとり肩幅程度しかスペースがないそうだが、今日は宿泊者が少ない。いつもなら暗くなったら星空を観察するのだが、今夜はその元気もなく、すぐ就寝。1日で1,500m登ったのだから疲れた。20時30分消灯。
翌朝は未明から大雨。朝食は私たちが最終組。部屋に戻ったら掃除が始まっていて、荷物が廊下に出されていた。特にすることもないので10時までゴロゴロ過ごす。BS番組で小野寺昭さんを案内した自然解説員が、また来週、と言って下って行った。週末だけ室堂に滞在するようだ。エコーラインから砂防新道を下り、別当出合へ。下山後豪雨となる。
登山バスとコミュニティバスを乗り継ぎ、一里野高原温泉ろあんへ。ここは白川郷から金沢へのルート上にあるためか、宿泊客が多い。夕食は今回も炭火焼料理。林に囲まれた露天風呂は珍しい畳敷き。翌朝、温泉直行バスで金沢駅へ。今回は岩場、湿原、お花畑、残雪、火山湖、展望など、北アルプスに劣らず変化に富んだ山旅だった。
この夏は日本で2番目に高い南アルプス・北岳を目指す。30年前、三峰川を遡行して三峰岳・北岳を縦走したが、ほとんど記憶に残っていないので再チャレンジとなった。7月8日の土砂崩れで夜叉神峠・広河原間が不通のため、やむをえず夜行バスで甲府に入る。翌朝、代替バスで奈良田を経由し、3時間かけて広河原に向かう。奈良田では40人余りの団体が来ないので、バスが右往左往することとなった。
広河原山荘で入山届を投函し昼食。13時5分出発。ここから展望のない急登をひたすら登る。大樺沢との分岐で外国人が迷っていたが、日本語も話せず、英文の地図しか持っていないのには驚いた。急傾斜の連続で途中にベンチが2か所あり、合戦尾根を思い出す。ときおり樹林帯を吹き抜ける涼風が心地よい。夜行バスの疲れが出てきた頃、急登が終わり小さなアップダウンの続く水平道となる。
16時、標高2,230mの白根御池小屋に到着。最近建て替えられた小屋は清潔で快適に過ごせそうだ。ほとんどが女性スタッフで、随所に細かい気配りが感じられた。この小屋を舞台にした小説を読んだと伝えると、「何冊読みましたか」「私は主人公と同じ名前なんです」と元気な声が返ってきた。道路不通の影響か、最盛期にもかかわらず布団一枚に一人というのはラッキー。真っ白なシーツにも感激。
木立に囲まれた小屋の周囲はテント場が点在し、正面に明日登る山頂がはるかに望める。夕方、広い談話室でストレッチをして、山のビデオを見て過ごす。雪渓で転倒した人が手当てを受けていたが、今年の大樺沢は事故が多いようだ。ここは水が豊富なので水洗トイレや洗面所がありがたい。南アルプスの天然水も飲み放題。小鳥のさえずりを聞きながら、ここで数日過ごすのもいいかも。20時消灯。
草すべりを経て北岳肩ノ小屋、北岳頂上へ
ここから日の出は見えないが、東の鳳凰三山が明るくなり、まもなく朝を迎えた。6時25分出発。いきなり草すべりの急登に取りつく。周囲は高山植物の宝庫で、花々が斜面を埋め尽くし、疲れが癒される。背後の鳳凰三山がどんどん低くなり、高度を稼いでいるのが分かる。このコースは樹林帯を登るので日差しがなくて快適だ。やがて鹿よけのネットで囲われたシナノキンバイの群落が現れた。
8時20分、二俣への道を左に分けてひと登りで稜線に出た。ここから一転、快適な展望の尾根歩きとなる。甲斐駒、仙丈、槍・穂高、木曽駒、御嶽、乗鞍、…。9時40分、北岳直下の肩ノ小屋に到着。標高3,000m。昨年の槍ヶ岳に続いての3千超えだ。ドラム缶に囲まれた小屋は水不足を象徴している。なんと小屋の受付に大きなビールサーバーが。
10時20分、荷物を預け山頂へ。ライチョウが一羽。人懐っこいイワヒバリが近づく。足元には高山植物が花を咲かせている。荷物もなく、展望の稜線を歩くのは最高に楽しい。やがて見えてきた山頂は登山者でびっしり。11時、標高3,193m、北岳山頂到着。ここより高いのは富士山だけ。眼下に北岳山荘、稜線の先には間ノ岳や塩見岳が見える。東側はガスに覆われ、富士山の頭がほんの一瞬見えた。
伊那谷は晴れているが甲府側のガスがなかなか消えない。登山者が北から南へ、南から北へ通り過ぎていく。ここは南アルプスで一番賑やかな山頂だ。1時間あまり過ごして肩ノ小屋へ。気温14度。下界の暑さを思うと別世界だ。夕食は入れ替えが3回あったので100名は超えているが、これでも今夜は少ない方だ。この小さな小屋のどこでこんな大量の食事を作るのだろう。夕食後ストーブに火が入る。
隣の人がデジカメで夕日を見せてくれた。昼は寝て夜に行動すると言っていたが、夜の写真が目的で登る人がいるとは。20時過ぎ、星を見るため外へ。頭上には夏の大三角、天の川を南にたどると射手座、蠍座、天秤座、…。星空を眺めていると消灯時間を過ぎてしまった。枕が4つ並んだスペースに3人だから、今夜もゆったり眠れる。夜中に寒さで目が覚めて、毛布を3枚重ねてやっと眠りにつけた。
右俣から大樺沢を下る
4時45分、鳳凰三山の彼方から日の出。墨絵のように八ヶ岳や富士山が雲海に浮かび美しい。北アルプス、中央アルプス、南アルプス、…。手前の山は鳳凰三山、地蔵岳のオベリスクが見える。その奥の山並みは奥秩父。小屋の前ではトイレの新設工事中。3千mの高所でパワーショベルの作業というのは珍しい光景だ。最近、どこに行っても小屋のトイレは見違えるほど綺麗になった。
小屋の近くでシーズン最後のキタダケソウが朝日を浴びていた。世界でこの山にしか咲かない貴重な花だとか。ここのテント場はロケーションが抜群だ。北穂高や槍の肩のテント場も標高3千mだが、景色はここが最高。700mも高い富士山がなぜか低く感じられる。富士山は下から見上げるより同じ高さで見る方が美しい。小屋の前で富士山を眺めながら贅沢なコーヒータイム。時を忘れる至福のひととき。
7時20分、下山開始。8時25分、草すべりとの分岐を大樺沢に向けて下る。こちらの登山道も高山植物が多く、下るにつれて花の種類が変わっていく。中高年の女性グループが花の名前を確認しながら登ってきたが、この山は花を目的に登る人が結構多い。ヘリが小太郎尾根や大樺沢の上空を旋回。大樺沢では7月に入ってすでに4名が事故に遭っているので、救助活動かもしれない。
10時55分、二俣。南アルプスにこんな大きな雪渓があるとは知らなかった。今日も初心者らしい団体が登ってきた。最近はどこに行ってもツアー客と出会う。一方、途中出会った外国人はわずか3組で、北アルプスに比べたら随分少ない。沢は倒木で荒れており、崩壊地を避けて道は右岸へ左岸へと続く。12時50分、広河原に到着。ぴったり二日間の山旅となった。山荘で昼食をとり、バスで奈良田へ。
南アルプスの秘湯、奈良田温泉へ
白根館は奈良田温泉の一軒宿で、源泉かけ流しの秘湯。泉質は含硫黄-ナトリウム-塩化物泉でツルツル、ヌルヌルしている。夕食は山人料理。主人が仕留めた鹿肉、ニジマスの燻製、蕎麦掻の揚げ出し、山菜の天ぷら、…。朝食は温泉粥。たまに熊肉や猪肉も出るとか。ここは農鳥岳の下山口に近いが、登山者よりむしろ秘湯目当てのリピーターが多いようだ。
電波の届かない場所で、超・早寝早起きの生活をたった2日過ごしただけで体調が良い。高齢の夫婦を何組か見かけたが、山の生活リズムが健康に一番だと思う。帰りのバスに乗ってきた地元のお年寄りも、毎日温泉に入っているそうですごく元気に見えた。7月に入って大樺沢で滑落事故が続発、さらに例年になく残雪が多いことからルートを変更したが、おかげでゆったりした山行が楽しめた。
大勢の観光客でにぎわう上高地から槍沢を登り槍ヶ岳まで、往復39km、高低差1,680mを4日間かけてのんびり歩く。
上高地は観光客には目的地だが、登山者にとっては玄関口だ。河童橋の喧騒を離れ、梓川の清流を左手に木立の中を進む。穂高神社のある明神を過ぎると観光客がぐっと減り、静かな登山者たちの世界となる。テントが並ぶ徳沢で蝶ヶ岳への道を分け、横尾で涸沢と穂高への道を分けてさらに上流へ。横尾からはさらに静かな道を進む。一ノ俣を過ぎると梓川は槍沢と名を変え、流れは狭く激しくなる。
上高地から4時間で今日の宿、槍沢ロッヂに到着。気温20度。山小屋前のベンチは槍を目指す登山者たちで混んでいる。この山小屋は標高1,820mに建つが、槍沢のおかげで風呂がある。夕食までの時間にひと風呂浴びる。廊下には部屋からあふれた外国人が陣取り、スペースが足りないのか大柄な男性がフトンを持ち出して寝ている。8時30分消灯。あすはいよいよ槍の穂先だ。
いざ!槍ヶ岳へ
山の朝は早い。まだ真っ暗な4時に出発の準備をする人も。部屋は畳2枚に3人という狭さだったので睡眠不足。昨日、コースの半分まで距離を稼いだので、大半の客が出払った後、のんびり6時半に出発する。朝の空気がすがすがしい。樹林帯を抜けババ平のテント場に出ると突然視界が開けた。槍はまだ見えない。進行方向の槍沢は、両側が垂直に切り立つU字谷。
大曲で雪渓の上に出ると吹きおろす風が心地よい。正面に大喰岳と中岳の稜線を仰ぎ見ながら、高山植物が咲き乱れるお花畑を歩く。南岳への道を分ける天狗原分岐から高山植物の群落を進むと、傾斜はさらに厳しくなる。グリーンバンドをジグザグに登り切ったモレーンの上で、青空に突き上げる槍の穂先が突然姿を現した。ここまでたどり着かないとその姿を見せないのは、心憎い自然の演出!
雲ひとつなく、日差しが強い。槍沢カールは雪渓の白、ハイマツの緑、そして空の青さがひときわ美しい。振り返るとピラミダルな常念岳と蝶ヶ岳が大きい。眼の高さより上だった常念岳が徐々に低くなり、高度をぐんぐん稼いでいるのが分かる。広大な槍沢カールの中では距離感が失われ、手が届きそうな槍はなかなか近づかない。これほど大きなカールを造った氷河の力に驚かされる。
傾斜はますますきつくなり、薄い空気と急登で息が切れて足が前に出ない。重力にあらがいながら、岩屑の斜面を10分歩いて3分休むペースが続く。ここから先が意外に長い。槍沢ロッヂから5時間半、豆粒のように槍の穂先にとりつく登山者が確認できるようになると、ようやく3千メートルの稜線に建つ槍ヶ岳山荘に到着。
槍の肩に屹立する穂先はまさに奇跡。自然の造形に驚かされる。槍沢を見下ろすテラスは多くの人で賑わっている。写真で見たマッターホルンの展望テラスを思い出した。槍沢の絶景パノラマを眼下に昼食は「キッチン槍」のカレーライス。あとは槍の穂先に登るだけなので、午後のひと時をテラスでのんびり過ごす。ここも外国人が多い。ヨーロッパ、東南アジア、台湾、韓国・・・、国際色豊か。
荷物を預け、外国人の後を山頂に向け出発するが、さっそく渋滞。山頂まで30分のところ混雑時には3時間かかるそうだ。クサリやハシゴを通過する際の高度感は抜群。危険な個所はさっさと通過したいが、渋滞のせいで同じ場所にとどまるためによけいに危ない。振り返るとまるで空中に投げ出されたような感覚で、緊張で動けなくなった人があちこちで渋滞を作っている。
頂上直下の9mのハシゴはほとんど垂直。まるでジャックと豆の木のように長いハシゴが天空にのびる。緊張感を振りはらって登りきると、そこは3,180mの頂。わずか10畳ほどの広さになんと40人以上の登山者があふれ、今にもこぼれおちそう。かつて槍の穂先でこんなにたくさんの人を見たことはない。いつの間にか祠の前には記念撮影を待つ人の長い列ができていた。
記念撮影の順番を待つ外国人たち。登頂の感激で泣き出す山ガール。父親にロープでつながれ、怖いよ、嫌だよと騒ぐ中学生。リーダーに一人ずつ握手で祝福されるツアー客。お神酒だと言って酒を飲み始める人。狭い山頂はドラマに満ちている。眼下には槍ヶ岳山荘と小槍。北は遠く立山、白馬岳。西は昨年登った双六岳、鷲羽岳。ちょうど1年前の今日、私たちは鏡平からこの槍を見上げていた。
東は燕岳、大天井岳、常念岳。南に穂高連峰、乗鞍岳、御嶽山。ぐるりと見わたすと懐かしい山ばかりだ。眼下には燕岳へと続く表銀座縦走路がのびる。次回はこの道から槍をめざしたい。外国人パーティの後、クラブツーリズムの団体が2組も登ってきた。360度の絶景をこころゆくまで満喫した後、団体が下山するのを待って山小屋まで降りる。
夕方、日没が近づくと山頂が赤く染まった。下界は例年にない猛暑で40度近いが、ここは14度。食堂に長蛇の列ができていたので時間をずらして行くと、料理を温めなおしてくれた。山小屋のサービスは随分よくなってきた。今夜の宿泊者は多そうで、広い食堂は4回も入替している。山小屋の収容限度650人に近いのかもしれない。夕食後は広い畳の談話室でくつろぐ。
8時過ぎ、空一面を星が埋め尽くす。消灯時間が迫っているにもかかわらず、大勢の人が出てきた。撮影のため暗闇でカメラをセットしていると、懐中電灯が前を通過したり、槍の穂先がフラッシュに照らされたり、…。槍の左手のカシオペア座、頭上の夏の大三角、穂高にかかる蠍座まで、雲のような天の川がのびる。天の川に埋もれた星雲や星団まで確認できた。
横尾に下山
翌朝、あたり一帯が白くガスで覆われた。御来光は見られなかったが、幻想的な風景だ。視界がない中、山小屋を発つ人も多い。私たちは下山だけなので、チェックアウト後ものんびり談話室で過ごす。ガスが途切れたころ隣の3千m峰、大喰岳まで散策する。この山、高さではトップ10に入るものの、マイナーな山なので山頂に立つ人はほとんどいない。ここから見る槍は穂先を少し右に傾けている。
山小屋の隣の崖っぷちに、日本一高いテント場がある。眺めは素晴らしいが、ここで一晩を過ごすのは勇気がいる。寝相の悪い人は一気に谷底だ。右足小指を痛めたので慈恵医大診療所を訪ねる。昨夏のサマーレスキューを思い出して、ワクワクしながら部屋に入るが、結局バンソコと包帯だけ。初診料千円と材料実費300円也。槍の穂先から時々落ちる人がいるそうで、大変な仕事だ。
槍の穂先は昨日以上の渋滞で、まるでガリバーによじ登る小人のようだ。昼前、名残を惜しみつつ槍を後に。今日も大勢のツアー客が登ってくる。モレーン台地で槍に最後の別れを告げ、横尾山荘へ一気に下る。ここは3年前、北穂高登山で泊まった山小屋で、きれいで居心地がいい。身体を伸ばせる大きな風呂がありがたい。今日はお盆前の土曜日なので、これから槍穂高を目指す人たちで大混雑。
ふたたび上高地へ
お盆休みに加え最近まで大雨が続いたので、普段は静かな横尾が登山客でいっぱいだ。私たちに前後しているクラブツーリズムのツアーが追いついてきたので、先を急ぐ。徳澤園の名物は濃厚なソフトクリーム。おしゃれな標識がいい雰囲気だ。河童橋の上も大混雑で、聞こえてくるのは外国語ばかり。上高地温泉で山の疲れをいやし、村営食堂で昼食。2時過ぎ、関西直行のバスで京都へ。
夏のひととき下界の猛暑を忘れ、岩、雪、星、そして花に囲まれた雲上の別天地で過ごした。槍は私にとって20年ぶり6回目だが、何度訪れても心に残る山だ。日頃からランニングや低山歩きなどでトレーニングしていたが、足の小指に靴擦れができ、最終日は激痛に耐えながらの下山となった。ただ、心配していた膝の方はレッグマジックXのおかげで何の心配もなく歩けた。
広河原から北岳へ2014年夏
広河原→白根御池小屋[泊]→北岳・北岳肩ノ小屋[泊]→二俣→広河原→奈良田温泉[泊]
槍沢から槍ヶ岳へ2013年夏
上高地→横尾→槍沢ロッヂ[泊]→槍ヶ岳・槍ヶ岳山荘[泊]→大喰岳→横尾山荘[泊]→上高地
黒部源流の山へ2012年夏
新穂高温泉→わさび平小屋[泊]→鏡平→双六小屋[泊]→双六岳→三俣蓮華岳→鷲羽岳→双六小屋[泊]→新穂高温泉
涸沢から北穂高へ2010年夏
上高地→横尾小屋[泊]→涸沢→北穂高岳・北穂高小屋[泊]→涸沢→横尾→徳沢ロッヂ[泊]→上高地
燕岳から大天井岳へ2008年夏
中房温泉→合戦小屋→燕山荘[泊]→燕岳→大天井岳→燕山荘→中房温泉
徳沢から蝶ヶ岳へ2006年夏
上高地→明神館[泊]→徳沢→蝶ヶ岳・蝶ヶ岳ヒュッテ[泊]→徳沢→上高地
槍沢から槍ヶ岳へ1993年夏
上高地→横尾[泊]→槍ヶ岳・槍ヶ岳山荘[泊]→大喰岳→ヒュッテ大槍→徳沢ロッヂ[泊]→上高地
白馬から黒部へ1993年夏
蓮華温泉[泊]→白馬大池→白馬岳・白馬山荘[泊]→清水岳→祖母谷温泉→名剣温泉[泊]→欅平