かやのなか

あれやこれやと考える

ゆるキャン@家

2020-07-31 01:50:00 | ショートショート
ゆるキャン△という漫画を読んで無性にキャンプに行きたくなっている。
もう完全に作者と出版社の思う壺なのは承知の上です。
まだ序盤の2巻分くらいしか読んでないけど、山の空気感が冷たくていいんですよね。この漫画。良い意味で画面が乾いてて、実際はくさかったり泥で汚れたり虫がいたりと大変なんだろうけど、スカッと清浄な山の空気がすべてを浄化してくれるような、実際はそんなことないだろうとわかりつつもそんな気にだけはさせてくれるところが好きです。
キャンプというだけで、まず人集めなきゃ、ご飯を炊かなきゃ、あれもしなきゃ、これもしなきゃ、と考えてしまって、もうそれだけで疲れてしまうの、私だけじゃないと思うんだけど。林間学校を経験したことによる弊害なんだと思うけど、キャンプ自体が目的になるってことがどうも心許ない。でも、ゆるキャンの女の子たちは、火を焚いて、日没まで本読んで、飯を食うくらいしか行動らしい行動をしていないので、なんかそれだけでもホッとする。
秋から冬にかけての寒い時期、実家の庭で父や弟が、ただ薪をパチパチくべながら椅子に腰掛けてぼーっと炎を眺めてる事がときどきあるんだけど、やってることはゆるキャンと同じな気がする。あの時間を作ることが大事なんだろうな。
...あれ、すると別に山に行ってテントはらなくても、わたしの場合実家に帰ればできるか、ゆるキャン。それか、せめて庭にテントをはるか。ニワトリに突かれて穴があきそう。うーん、早く帰りたい。


ひしめきデッド

2020-07-29 02:10:00 | ショートショート
ときどき、現在までにこの世に生まれてきて死んでいった人の数を知りたいと考えることがあるけど、実際どうやったら計算できるんだろう。
ネアンデルタール人とか類人猿とかは含めるかどうか微妙なところだけど、私が知りたいのは可能性として出現可能な幽霊の数なので、それなりに自我が芽生えているかどうかで線引きをしたい。
相当な数にのぼるだろうから、幽霊がもし実在するなら、踏み場もないほどぎゅうぎゅうにひしめいているはずだ。なんでそんなことを考えたんだろう。久しぶりにウォーキングデッドの記事を読んだからだ。

負の遺産

2020-07-28 01:18:19 | ショートショート
団扇が壊れたので補修した。タダの団扇ではない、今は亡き京都の河原町のマルイで購入した、無駄に和紙の地紙に、無駄に竹の骨と柄が用いられた和な一品で、確か1300円くらいした。こういう物はショッピングモールとか駅のコンコースとかでタダで配っているのを使えば十分であろうというご指摘はもっともで、今よりも更に頭のねじがユルユルだった時代に散財した名残、負の遺産のうちの一つだ。この団扇、柄の要の部分に溝が切ってあり、そこに頭を差し込む構造になっているが、使っているうちにぐらぐらと頭が揺れてきて、ある日すぽっと外れてしまった。もったいないので木工用ボンドで補修しながら根気よく使い続けているうちに、徐々に「1300円もしたのに・・・」みたいなもったいなさだけでない、本当の愛着のようなものが湧いてきつつある。
ちなみにこういう”負の遺産”は他にもあり、無駄にドイツ製の鉛筆削りとか、無駄にACTUSのグラスとか、無駄に岩波の理化学辞典とか、無駄にポールスミスのスカートとか・・・書いてて頭が痛くなってきた。

お金の話

2020-07-27 02:45:26 | ショートショート
都内のコンビニでもらう釣銭が、最近なんだかキラキラしている。令和のコインの流通が始まっているっぽい。
このひと月のうちに私の手元に来ただけでも、令和元年の五百円玉が1枚、令和2年が2枚、令和2年の百円玉が1枚、令和元年の5円玉が1枚。
なんでそんなものをいちいち確認しているのかというと、もともと意味なく平成元年の5円玉を集めているからだ。いや、集めるというほど積極的ではなく、手元に来たら使わずにとっておくというだけですが。そこで考えたんだけど令和の硬貨を見つけたら貯金するという縛りで貯金を始めたら結構いいペースで貯められるのではないでしょうか。まだそんなに流通してないし、キラキラしてるし、小さいころに意味もなく海岸で拾ったきれいな石とかを収集するのと同じ気持ちで出来るのではないかしら。ガチで貯めたい人は平成か昭和で縛れば良いし。
そういや紙幣の発行年はどこに・・・と思って調べたら、印字されておらず日銀で紙幣番号? を調べないとわからないらしい。
ふと小学6年まで住んでいた古い家の、母親の持ってたオルゴールの箱に板垣退助の百円札が1枚入っていたのを思い出したが、あれはやっぱりもう捨ててしまってるんだろうな、母。

たまには芥川賞

2020-01-27 01:56:22 | ショートショート
昔ほど小説を読まなくなってきた。
社会人になったことにより時間的制約が学生時代より厳しいのと、本に変わる娯楽、例えば動画サイトやSNSに費やす時間が増えたことが理由だが、子供の頃から一応一般人よりは活字を読む方だと思う。
普段私が読むのは、純文学にしろSFとかミステリとかにしろエッセイにしろ、圧倒的にすでに死んでいる人の遺した本ばかりで、存命中の現代作家で特にいま若手でイケイケな人の小説などほとんど読まない。そういうの、読まないのはあんまりよろしくないのでは?という天の声が定期的に脳内に聞こえてくるので、その都度文芸雑誌、またはいろんな作家の短編集を一冊だけ買ってみて読んでみる。

春頃に購入した文藝春秋の後半部分に、芥川賞の「むらさきのスカートの女」が収録されている。
これのために買ったのに、前半部分と選評と受賞作家のインタビューだけ読んでなんとなく放置していたのだが、土曜日の昼にようやく本編を読んだ。
主役の「むらさきのスカートの女」はもちろん謎の人物だが、それを影から観察している語り手もまた謎だらけで、二重のミステリになっているのでミステリ好きとしてはどんどん引き込まれていった。謎の語り手の語り口も軽妙で読みやすい。むらさきのスカートの女という謎めいた存在は語り手の策略によってどんどん人間として肉付けされていき、いよいよ社長の愛人という俗オブ俗みたいな属性を身につけるのだが、物語の終盤、その社長とのデート中に一人でベンチで座って爪を眺めるところのくだりなんかすごく良かった。しかしそれ以降はよくある展開とよくある結末に向かって一気に収束していった。
昔、現代作家のことを勉強しようと思って買った文芸雑誌に載っていた読み切り短編小説たちは、きれいな起承転結ときれいなオチをつけることのみを目的として書かれた感じがあって、私にはそれがたいそう気持ち悪かった。むらさきのスカートの女は、それのみを目的として書かれていない作品なことは明白だけども、じゃあ最後もそんなにがんばって終わらなくてもいいのに、と思った。

ちなみに漫画はわりと新しいものを読む方だが、これもたまに、新人作家の読み切り集なんかをコンビニで買って読む。
だいたいは似たりよったりだが、だいたい1人か2人、面白い視点だったり面白いセリフを書くなぁと感じさせられる人がいる。
漫画に関しては、小説よりは保守的でないかもしれない。