かやのなか

あれやこれやと考える

たまには芥川賞

2020-01-27 01:56:22 | ショートショート
昔ほど小説を読まなくなってきた。
社会人になったことにより時間的制約が学生時代より厳しいのと、本に変わる娯楽、例えば動画サイトやSNSに費やす時間が増えたことが理由だが、子供の頃から一応一般人よりは活字を読む方だと思う。
普段私が読むのは、純文学にしろSFとかミステリとかにしろエッセイにしろ、圧倒的にすでに死んでいる人の遺した本ばかりで、存命中の現代作家で特にいま若手でイケイケな人の小説などほとんど読まない。そういうの、読まないのはあんまりよろしくないのでは?という天の声が定期的に脳内に聞こえてくるので、その都度文芸雑誌、またはいろんな作家の短編集を一冊だけ買ってみて読んでみる。

春頃に購入した文藝春秋の後半部分に、芥川賞の「むらさきのスカートの女」が収録されている。
これのために買ったのに、前半部分と選評と受賞作家のインタビューだけ読んでなんとなく放置していたのだが、土曜日の昼にようやく本編を読んだ。
主役の「むらさきのスカートの女」はもちろん謎の人物だが、それを影から観察している語り手もまた謎だらけで、二重のミステリになっているのでミステリ好きとしてはどんどん引き込まれていった。謎の語り手の語り口も軽妙で読みやすい。むらさきのスカートの女という謎めいた存在は語り手の策略によってどんどん人間として肉付けされていき、いよいよ社長の愛人という俗オブ俗みたいな属性を身につけるのだが、物語の終盤、その社長とのデート中に一人でベンチで座って爪を眺めるところのくだりなんかすごく良かった。しかしそれ以降はよくある展開とよくある結末に向かって一気に収束していった。
昔、現代作家のことを勉強しようと思って買った文芸雑誌に載っていた読み切り短編小説たちは、きれいな起承転結ときれいなオチをつけることのみを目的として書かれた感じがあって、私にはそれがたいそう気持ち悪かった。むらさきのスカートの女は、それのみを目的として書かれていない作品なことは明白だけども、じゃあ最後もそんなにがんばって終わらなくてもいいのに、と思った。

ちなみに漫画はわりと新しいものを読む方だが、これもたまに、新人作家の読み切り集なんかをコンビニで買って読む。
だいたいは似たりよったりだが、だいたい1人か2人、面白い視点だったり面白いセリフを書くなぁと感じさせられる人がいる。
漫画に関しては、小説よりは保守的でないかもしれない。

寝る前のつぶやき

2020-01-21 00:06:06 | 日々のこと
衝動的に生きていきたいという思いは年々強まってくる。
ときどき考えるが、どうしてこの世界は一つしかないのだろう
二つ三つ、他の平行世界が存在していていいはずだし、時間に軸があるとしたら、マイナス方向に動かすことができないはずがないと思う。
平行世界の私は大学時代に好きだった人と結婚しているかもしれない。
結婚できたはいいが、その後離婚してシングルマザーになっているかもしれない。
10歳くらいで海で溺れるなどして死んでいるかもしれない。
25歳くらいで自殺しているかもしれない。
そういえば、本当はあのとき死んでたかもな、という体験を認識すると、その後の人生はおまけのように、あるいは幻のように感じることがある。
今私の生きている時間が幻で、どこかの並行世界で別の私が別の人生を生きているのかもしれない。そんな夢想をすると心が安らぐ。

2019年末観劇ラッシュ

2020-01-20 00:35:38 | 
あけましておめでとうございます。

年末から年始にかけ、わりと多く舞台を鑑賞しましたが、感想を書くスピードが間に合わず。
とりいそぎ年末観た芝居について、覚えているだけのことを記します。

・イキウメ 終わりのない@世田谷パブリックシアター
前川知大氏の舞台の初観劇。散歩する侵略者の映画版のみ予習済。
円形の舞台が美しかった。
オデュッセイアは読んでいない。
現代から宇宙空間へと突然舞台が飛ぶ。それ自体はワクワクしたが、宇宙の話が始まってから膨大な説明セリフのターンになり、ちょっと冗長かもと感じ始めてふと隣を見たら一緒に来た一般人の連れは寝落ちしていた。
主人公の苦悩に対して、祖先のような老人から、イマドキ古臭い激励の言葉が与えられるが、舞台上でそれを聞いた客が感じる若干の居心地の悪さはもちろん計算の上だろうし、この居心地の悪さを体験するのが演劇の醍醐味かもしれない。
中絶され、生まれてこなかった主人公の子供についても絡めていくかと思ったら、そんなことはなかったのは、なんだかもったいないような。
一種の生命賛歌なのだと思う。

・inseparable 変半身@東京芸術劇場シアターイースト
友人の勧めで観劇。
近未来のゾンビものだが、まず登場人物が森の中を歩き回る気があると思えない衣装。
特に足元がおろそかなので、虫に噛まれたらどうすんだとか、ひょっとして虫とか消滅した世界なのか?とか余計なことを考えて、世界観を飲み込むのに時間がかかった。デザイン重視なのかもしれないがかえってスッキリしない。
セリフが説明的にならないようかなり気を使っていたような感じがしたふが、セリフで頑張らない部分をビジュアルで説明できたのではと思う。
ゾンビものだった。
儀式に使われる小道具や、儀式の作法やなんかは、あまりにもテンプレすぎるのだが、作者のインタビューを読むと狙ってやったものらしい。
しかし、なんとなくだが全体的に「土着の文化」をただ上から目線で馬鹿にして扱っている感じがし、私はあまりいい気持ちではなかった。

去年の青年団の「分子が小説を書く」的な話といい、イキウメといいこれといい、
「スピリチュアルなことをふわっと科学っぽくやるのが、演劇界の流行りなのかな?」と、友人が言っていて、笑ってしまった。
私は前川氏は他の作品とはアプローチが異なると思うけど、青年団とこれについては同意で、スピリチュアルなものに説得力をつけるのに、熱量とか生命力ではなく、科学を採用しようぜということだろうか。そのほうがスマートにみえるんだろうなとは思う。

・シスター・アクト@池袋シアターオーブ
ありがたくもチケットをもらったので鑑賞。
さすがはブロードウェイ・ミュージカル、全体の舞台の構成は練り上げられてた。照明と舞台装置の大移動と役者の着替えと、もろもろの連動。
でも話自体は映画のほうが面白かった。
出演者のほとんどが50オーバーとあとから知って驚愕した。
終演後に観客も一緒になって踊るノリにはついていけなかった。
エンターテイメントを成立させるには、技術力が必須ですね。

・ワラフラミンゴ 12月のワワフラミンゴ「くも行き」@東京芸術劇場シアターイースト
友人の勧めで鑑賞。
これは12月に観た芝居の中で私的に一番おもしろかった。
おお、これぞ東京の”笑い”・・・と途中ではっとするタイミングがあった。
単純に面白いとあまり語ることがない。
途中、自分がどれほどの鳥目なのかを試されるシーンがある。
シスター・アクトの真逆に位置するような作品だったが、楽しかった。
ときには客を信頼し客に無茶振りさえすることの大事さを学んだ。

・根本宗子 今できる、精一杯。@新国立劇場
アイドル出身の子を初めて生で観た。
ヒモ男が歌い出したらうますぎて(音楽担当だった)、お前スーパーなんかで働かなくともその歌で十分食ってけるよと心のなかで突っ込んだ。
ミュージカル的に始まり、会話劇となり、音楽劇っぽいのも挟まり、バレエ踊る人もいたりしたが、ラスト10分で一斉に叫び系になる。
この人の芝居は若い人に受けていると聞いていた。
ここまでウワーって全部言葉にして叫ばないとやってらんないのか、若い人はそういう行為に共感しちゃうのか、と考えていくと、ずいぶんやばい世の中だなと暗い気持ちになった。
でも二十代三十代の人間が「私”が”!今!!!こう感じてるんだよ!認めてよ!!!!」とジタバタすんのはいつの世も同じかもしれない。そんなもんか。
このブログもそうですし。
ラストはさておき、会話劇のやりとりは面白いしテンポもよいし、二十代でこれをお書きになったと思うとただただ嫉妬・・・いや、よかったです。

・赤堀雅秋 神の子@本多劇場
友人の勧めで。
いわゆるテレビでよく見る芸能人が沢山出ている芝居で、笑いをとりにくるネタもそれ系が多かった。
更にでんでんがしゃべるたびに観客が笑うのだが、笑っちゃいけない場面でも笑われてしまっていた気が。
赤堀雅秋氏が演じる、急に怒り出すじじいが良かった。
あの二人が(おそらく)新興宗教団体の家庭に生まれた子であるという設定は、本当にラスト付近まで隠さなければいけなかったんだろうか?
ストレートなストーリーに観劇直後はちょっと拍子抜けしたが、一月経つうちに、あとからふと思い返してあのシーンは・・・と考えることがある。
楽日あたりにもう一度観たら、結構変わったものになってそう。

いっぱい観たな。

1月分は明日以降。