人の仕事にケチをつける暇があったら自分の仕事をせよと偉い人が言ったとか言わないとか。人の作品を観たり読んだりしているだけであっという間に二十年も経過してしまった。作るのをやめて、しばらく人のだけ観てみるというのも良いものだ、なんて思ったあの日のことをつい数年前のように感じるが、実際は二十年前だ。語彙力は低下し、人の顔は思い出しても名前が出てこなくなり、暑いと寒いを間違える。人は脳を使わずとも生きていける、なんてことの生きる証人になりつつある。
今年の芥川賞を獲った「推し、燃ゆ」という小説を読んだ。途中からは流し読みだが、作者の集中力と紡がれる単語の濃密さにくらくらした。
彼女の感性はむしろあまり好きになれなかったが、作品の堅牢さとかイメージの豊かさとかに、わたしゃもう無理かもしれない、私の脳みその解像度が二百万画素だとしたら彼女のそれは一億画素だ。私は平成のコンパクトデジカメで彼女は令和のiPhone12だ。インプットもアウトプットも敵わないとなると、何で勝負すればいいのだろう。困った。
しかも、最近の私にとって、スキマ時間に愛犬とワンワン語を交わすのが退屈な日々を忘れるために何より大事であり、そのために衰えた脳が更に加速度的に単純化されたとしても止めることはないだろう。ワンワン。じょじょじょ。
このブログもいずれ、ワンワンとじょじょじょしか打ち込まれなくなるかもしれない。じょじょじょ。大丈夫、少なくとも生存確認はできる。
今年の芥川賞を獲った「推し、燃ゆ」という小説を読んだ。途中からは流し読みだが、作者の集中力と紡がれる単語の濃密さにくらくらした。
彼女の感性はむしろあまり好きになれなかったが、作品の堅牢さとかイメージの豊かさとかに、わたしゃもう無理かもしれない、私の脳みその解像度が二百万画素だとしたら彼女のそれは一億画素だ。私は平成のコンパクトデジカメで彼女は令和のiPhone12だ。インプットもアウトプットも敵わないとなると、何で勝負すればいいのだろう。困った。
しかも、最近の私にとって、スキマ時間に愛犬とワンワン語を交わすのが退屈な日々を忘れるために何より大事であり、そのために衰えた脳が更に加速度的に単純化されたとしても止めることはないだろう。ワンワン。じょじょじょ。
このブログもいずれ、ワンワンとじょじょじょしか打ち込まれなくなるかもしれない。じょじょじょ。大丈夫、少なくとも生存確認はできる。