かやのなか

あれやこれやと考える

前と後

2022-02-05 00:15:00 | 映画
テリーギリアムのドンキホーテを観た。
封切り時に劇場で観たのでこれが二回目だ。当時私は泣いた。今回も泣きそうだったが、それとは別の感想を抱いた。コロナ前に撮られた映画だな、と感じた。どこがどう変わったのかを説明するのは難しい。わかっているのは、少なくとも変わったのは映画ではなく鑑賞者である私の心の方だということ。
東日本大地震のときも、あれより前にはもう戻れないという論説の見出しをよく見かけた。そのときは正直ピンと来なかった。原子力のことも津波のこともその時初めて詳しく知ったから、そういう意味では昔と同じではないけど、世界観の変質みたいなものは自覚できなかった。コロナにも、自分としてはそんなに影響を受けたつもりはなかったが、どうやらだいぶ変わったらしい。

三連休

2022-01-11 02:08:00 | 映画
正月休みにあまり身体を休められなかったので、三連休初日の土曜日は怠惰に寝て過ごす。U-NEXTで二十年ぶりに初代マトリックスを再生し、その色褪せなさに驚く。とにかく構図がどこを切ってもカッコいい。ネオのイナバウワーポーズなどの一部笑えるところも含めて、毎秒にオリジナリティというか、新しいものを見せてやろうという気概が画に漲っている。勢い、夜は新作のレザレクションを日比谷か亀有のレイトショーで観るという選択肢もあったが感染者数の上がり方をみて流石に自重。

日曜日月曜日で短めの海外ドラマ2作品をマラソン感覚で観る。遅めの正月休みという事でホワイトベルクで一人乾杯。
セブンサイコパスやゾンビランドに出ていて好きだった役者ウディハレルソンと、プロデュース側に立ちながら自らも主演しているマシューマコノヒー*による「トゥルーディテクティブ」、見応えはあるものの全8話はちと長すぎると感じた。冗長な台詞を削って半分の長さにすれば締まって良かったかも。しかしアメリカの犯罪ドラマにありがちなテーマである悪魔信仰、いつまで経っても怖さがピンと来ない。信者は怖いけど、信仰の発想が体感的にわからないので勿体無いと感じる。透明な壁がある。「バリー」は全く前情報なく期待値がゼロだったせいか面白かった。とりあえずシーズン1は。受動的な性格の殺し屋の青年が、仕事先で偶然演劇と出会い、役者になるため暗殺から足を洗おうと四苦八苦するも、どんどん事態が悪くなっていくブラックコメディ。殺し屋の青年が恋に落ちてしまうヒロインの性格が実はそれほど良くない所が笑ってしまう。演劇の稽古場の雰囲気は万国共通らしい。いや、日本が輸入してるのか。
堪えきれず日曜夜、テアトル新宿でドライブマイカーを鑑賞。海外の賞レースを席巻しているせいか、座席は九割埋まっていた。春樹の描く「妻」、絶対夫を残して消えるし絶対ベッドでよく喋るし絶対浮気をしている典型的な春樹の妻が登場する前半は、うへぇ、という気持ちが先行した。文字で読むとそこまで気にならないが、映像化によって破壊力抜群の最終兵器細君が誕生していた。この女の一体何が、どこが良いんだ西島秀俊と岡田将生と小一時間問いたい。西島秀俊と岡田将生もまぁまぁキワモノなので案外破れ鍋にとじ蓋なのか。と一応突っ込みはするが、台詞にも展開にも沢山の隠喩が散りばめられ、一方で冒頭から終始ホラー映画のような緊張感が漂い、三時間の長丁場もほぼ飽きずに見られる。展開は全然違うがゴーンガールを思い出した。終盤の岡田将生の長台詞は聞かせる力があり、村上春樹の文章がそのまま喋っているかのようだった。
書き忘れたが、七草粥は六日に食材を購入し九日の朝に調理して食べた。土鍋でコンロにかけたら吹きこぼれたが上手に出来た。

*ウディハレルソンとマシューマコノヒーの名前を逆にしていたので訂正しました。。1/11

ゾンビとポー

2021-08-02 00:46:38 | 映画
ポー評論集を読み返す。「詩の原理」「某氏への手紙」が示唆に富む。
いま私が「脚本」をどうしても書けない理由はこれかな?というものが書いてあった。
スリはやる価値がない行為なのになぜ大昔からスリ行為はなくならないのか? 登場人物の言葉が真実らしいか? 扱うテーマは正しいか? 結論はもっともらしいか? そのような事に縛られるから何も書けなくなる。特に、自分ではない第三者の言葉を創造することをおこがましいと感じる、一見謙遜するような気持ちの裏には、正しいことを書かなければという強迫観念と、脚本は正しいことを書くべきものだ、わたしはそれができるはずだ、という二重三重に傲岸不遜な姿勢がある。

それから、いまさらながらDay of the Dead「死霊のえじき」をみる機会があった。(前二作は随分前に視聴済み)
この時代特有のグロさ満載のスプラッター映画なので、ゾンビの食事シーンは画面がやたら赤い。
脚本的には、入りでクーパー少佐が既に死んでいて、墓に埋められているところがよくできている。下手に予算があると、この辺のゴタゴタしたくだりも無駄に膨らませられて物語に入れてしまうところだけど。Wikiを読むと予算削減の結果ストーリーの規模を大幅に縮小したらしい。
ウォーキング・デッドでもゾンビそっちのけで濃密な人間ドラマを展開しているけど、原典の方も鬼気迫っていた。いやカット割りが少ない分、より濃かった。まぁバタリアンみたいなのも好きだけど。よく観るとアメフト選手みたいなゾンビや花嫁衣装着たゾンビも写り込んでいて、きっちりおふざけも入っている。
ロメロのゾンビ三部作の最終話にあたるわけだけど、ゾンビとは何か、どうしてこの世界にゾンビがもたらされたかを登場人物が語るシーンがあって興味深かった。ゾンビは神様から人類への絶縁状なのかしら。でもゾンビはロメロから人類みんなへのおもちゃ兼問いでもあるので、まだまだ遊ぶ余地がありそう。

スイス・アーミー・マン

2021-07-01 01:14:00 | 映画
決意表明ばかり書いても仕方ないので最近みた映画の感想など。(ネタバレしてます)

「スイス・アーミー・マン」
ダニエル・ラドクリフ君がハリーポッターのイメージを払拭しようと躍起になって謎映画に出まくっているのは有名な話だ。私は、ハリーポッターシリーズ自体を未だまともに観ていない人間だが、一昨年に渋谷の映画館で二人芝居「ギルデンスターンとローゼンクランツは死んだ」の舞台版を観た際、ローゼンクランツ役を演じている青年がラドクリフ君だということを偶然知った。
私はラドクリフ君がどう人からみられたく”ない”と考えているかを知らない状態の観客であり、彼をいち俳優としてしか考えていないため、ある意味彼にとっての理想的な客かもしれない。(自画自賛)つまり私のような人間からすると、別にわざわざ変なオファーを受けなくてもいいのに・・・と思うのだが、魔が差して受けてしまったのがこの作品だということになる。いや、真相は知りませんが。実際は脚本に惚れ込んだのかもしれないけど。だとしたら趣味が悪・・・なんでもないです。

無人島。遭難した男が一人。絶望し、海岸で自殺を試みる男の眼前に、漂着する一体の遺体(ラドクリフ)。遺体には変なガスが充満していた。突如、遺体はおしりからガスを噴出して高速船となり海を渡っていく。遭難した男は、便利な乗り物と化した遺体に乗って無人島から脱出。そして行き着いた先は故郷の海岸。世話になった遺体に愛着が湧いたので引きずって歩いていると、なんと遺体が喋りだす。のどが渇いたなと思っていたら、遺体が真水を吐き出す。なんて便利な遺体くん。まるでスイス・アーミー・ナイフみたいに便利!・・・・・・というのがあらすじですが、この遺体がおならで海を渡るというアイディア1本で映画化を強行採決したのではないかと思われる、一発ギャグのような映画だった。
一応中盤に、延々と哲学的なようなホモっぽいような男と遺体の青春物語が繰り広げられて映画っぽい雰囲気を出そうと頑張っていて、私はここらで「そうか、男は冒頭の自殺のシーンで自殺に成功し既に死んでいて、死体と旅するくだりはすべて男が人生を追体験しているんだな。ありがちっちゃありがちだけど、アイディアとしてはありだわ。そのわりに映像にあんまりこだわりがないようだけど・・・」なんて推測を立てていたが、ものの見事に裏外れていた。遺体は本当にただの便利な遺体で、この世界に実存していたのです。理由はわかりません。ううむ。
ラドクリフ君の遺体だけが本物で、主人公の男の姿は他の人間たちには見えないっていうのでも良かったと思うんですが、夢オチってやっぱり安易なのかしら。いやいや、うーん。あまり意味のない「やってやったぜ」感のある下ネタと、カメラや音楽のきれいすぎる感じがアンバランスで、あまりいただけなかった。ラドクリフ君はこんなにもおならを出したかったの? 下ネタをやりたかったの? 別にもう普通の役をやってもええんやで。

TENET

2020-10-03 02:26:57 | 映画
すぐに三日坊主になってしまう。上野のTOHOシネマズでTENET鑑賞。感想はTwitterに書いたけど、清く正しきセカイ系。押井守みたいな作家性の人だなと思うノーラン、共感はしないけども、映像と編集の力はすごい。夜はテレビでオリエント急行殺人事件をやっていた。ケネス・ブラナーを2本。朝はトーストとウインナー、昼は時間がなく、夜はよくわからんチャーハンを作った。深夜に仕事。エクセルの縦を横にするというむなしい作業。