人間の自覚する時間。それは、私の年齢になると恐るべき速さで過ぎていくものだ。誰しも、子供の頃の時間の経過と社会人10年目では、全く異なるものだという認知があるだろう。
子供と大人では、1分あたりに吸収すべき知識がまるっきり異なるものだ。身体が成長するか、老化現象に任せるか、その時点で吸収する知識の質は、まるで異なる。
生きる術と生きる時間の記憶では、性質が異なる。
横道に逸れることも善しとしよう。エチゾラムの断薬の記憶を全て忠実に残すこと。それは、自身の記憶として残すべき有意義なものだ。
そして、他人とシェアすることで、他人の認知の一助となれば、この上なく嬉しいものである。
エチゾラムの離脱症状があるとされる1-2週間。
即断すると、非常に長い。昨日のことと記憶しそうになる事象が今日のことになる。やたらと時間の経過が遅いのだ。
昼に見た久本雅美のTV番組が、3日も前のことのように思えるほどに、時間の経過が遅い。
ちなみに、久本雅美のTV番組は、八丈島観光のプログラムであった。
私は、普段はTV番組は見ない。
寧ろ、人生においてはくだらないTV番組は、雑音でありノイズであるとの認識で、徹底的に排除している。
言ってしまうが、TV番組の有用性に気づいたのも断薬のおかげである。私程度の意識でも、断薬の苦しみは、総じて新たな経験として有効活用できるものだと思うのだ。
断薬の1-2週間。これは、社会人としての1年レベルの長さだと思える。寧ろ、そういう類の時間軸の存在を定義して、世に広く認知されてみれば面白い。
その遅い時間。失われた(感度の減衰した)四感を埋める作用があるのか、やたらと子供の頃の記憶が脳内に去来する。昔の出来事や考え方、辛かったこと。そして、それらの乗り越え方。断薬による四感の衰えを以て、成長途上の子供の身体に起きた異変と心の認知の記憶が蘇るのだ。大の大人が取り組む悩みも、既に9歳の自分が克服していたと分かれば、それは大きな励みとなる。
子供の頃、肉体的、精神的な発達の過程で、その2局の和か積か、いろいろなことにぶつかっている。私の中で、四感が減衰した状態。つまり、今、最も重大なトラブル案件にも対峙し、克服した記憶がある。実にあっけらかんとした記憶である。
こういう脳の皺に刻まれた記憶。それがピンチになるとどうにかしようとする仕組みは面白い。
30年を越えてやってくる。そう思うと長生きはするものだ。経験は生きてくる。人は等しく生きている。
いろいろな気付きがある。のだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます