エチゾラムの断薬による1-2週間の認知。
嗅覚を除く四感が減衰している。夢の中のようなぼんやり感の中で日々を迎える。ウクライナでは、旧宗主国のロシアが戦車のキャタピラによる轍を刻んでいる。その瞬間をぼんやりと過ごしている。戦争における一瞬。その前後の事象の差異は圧倒的なものだ。
エノラ・ゲイがマリアナから広島へ飛んで帰る時間には、大きな結果が伴う。
エノラ・ゲイは原爆を落として、一瞬で十万人の広島市が壊滅した。が、エチゾラムの断薬では人は死なない。そんなドラマチックな事象は人生では起こりづらい。起こりにくい。
1-2週間の長さで人生が大きく狂うことなどは、まず、ない。焦らずにゆったり楽しめる時間であることを理解して楽しみを享受しよう。少なくとも、この境遇は9歳の時に克服していたドラマなのだ。なんという気付きだ。くだらないが尊い。
このような四感の衰えで見える世界。それは、気付きの連続である。
ハンドリングの妙はあるが、他人のいろいろが見えてもくる。
あのおじさん、なぜ公道で大声で世間に話しかけていたのか。サヴァン症候群という名の天才病。祖母の認知症。全て概ね理解できるようになる。そういう意味では、たった2週間でこれほどの学問を習得することなどまずはない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます