振り向けば大宮の夜が明ける。 少し変わった角度から眺めるの!

大宮在住。
伸び行く大宮市、
その時々の目に留まったことなどを楽しくユーモアも交えて
書きたいと思います。

ジェノバのペスト感染の原因は陰謀策略

2020-05-02 18:13:10 | ブログ


フィレンツェのペスト
1839年
ペストで死んで行く子供と嘆く母親
作者は下に名前があるが読めない。


1347年から1351年にかけて黒死病(ペスト)を流行させたのは、ペストだけでなく人の手にもよると言われている。

また異常な致死率からエボラウィルスか炭疽病の一種ではないかとも近年推測されているそうだ。


この大過の原因も1330年代初頭に中国湖北省で発生し、1350年には8つの省に広がって行った。

イタリア北部にある沢山のブランド製品中国工場労働者は、湖北省から来ている中国人だという。
今回のコロナウィルスは生存日数5日間も。


西洋にペスト菌を運んだクラスターはシルクロードを行き来していたモンゴルの商人だと言われている。


この時期ヨーロッパ諸国は、1337年百年戦争に突入、天候不順と食料不足で飢餓餓死病気の状態で、すでに人口の10-30%が死んでいたという。

こんな食料がなく飢餓の時期にクラスターが来たのだ。
700年ぶりの疫病到来だった。



🔵ジェノヴァ人が疫病ペストを移された時の話をしよう。

戦争であり策略であり化学兵器だったのは?。

クリミア半島の港町カッファを守っていたのはジェノヴァ人。

カッファを包囲していたのはキプチャクハン国の王ジャニペクハン。

1346年その軍勢に疫病が発生した。
撤退をせざるをえなかったジャニペクハンは、疫病に感染した兵士の亡骸を、投石機で城壁ごしにカッファ市内に放り込み、カッファにいたジェノバ人たちに感染させた。致死率の高い生物兵器のようだった。


ジェノバ人が船で故郷にたどり着いたとき、ほとんどの人が死んでいたがその生き残りが致命的な疫病を祖国へ広めた。

その後の3年間でヨーロッパでは黒死病で総人口の半分以上が4000万人以上が亡くなった。

ヨーロッパの都市では人口の70%が失われた所もあった。

黒死病が何度も流行したイングランドは
1400年頃には700万人いた人口が僅か200万人になった。


700年間もの間疫病が無かったんですって。

イタリアでスペインでフランスでコロナが爆発したとき、思わずローマ街道だ。
古代から戦争の道じゃないの。

国境が無いのも、幸不幸のタロットナンバーね。

イタリアは幸運の招き猫を呼んだつもり
だった。
植民地支配の楽して❗思想がまだ残っていたのね。


古代から城壁を蛮族に包囲されると、戦うことを諦めて敵の条件を鵜呑みにし開門してしまう。その結果は悲惨なもの。

イタリアの景色が随分とyoutubuで流れたけれど、川の水位が低くなっているの。川両端の地層がくっきり浮き出て、木の種類も少なくてびっくりね。

よく分からないけど、雨が降らなくても
上流に植林出来ないものかしらね。

地下水が心配ね。

岩盤固くても隙間はあるし、分からないけどやーね。古代から船作りすぎて木を切りすぎて戦争し過ぎて、あのコバルトブルーの色の下には?
地中海も内海で海の流れ良くないし。
残ったのは混血多種の美男美女。


イタリアのカンツォーネ久しぶりに聴きましたけど、アツアツピザになった感じ。
イタリアのスパゲッティーも缶トマトも
オリーブも買うから頑張ってください。
可哀想にね。


🔵そうそう面白いことも書いてありました。

この黒死病を境に中世英語と近代英語で発音が異なるようになった。
makeはマクと呼んでいたのが、メイクと母音を伸ばすようになったのは、黒死病の流行後に地方の人口が激減して農民が都市へ移動し、様々な方言が混ざり合い新しい発音が生まれたのだそうだ。

だから英語の発音とつづりが不一致なのね。メチャクチャ、だからこそ日本人には学習大変。
大変学習❗


水と日本人用の食料だけはキープしておかないとね。

日本の土の上に立っている日本人には、
日本の地層のお野菜がピッタンコ❗
お野菜カボチャもさつまいも沢山あまるほど日本で作れます。
日本農業ファースト。
お花畑より木を植えてね。

まだブログ製作気力が出ない❗
みんな頑張って無口で家で味噌汁飲みましょう。

ありがとうございました❗

[人は良心に従って行動するほど
快きはなし。]















最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。