くまがい桂子 の  エッセイ  「木もれ日あびて」

「民報ゆうばり」に隔週で掲載している
エッセイ「木もれ日あびて」です。

本館 くまがい桂子のHPもよろしく!

議員の仕事

2003年07月27日 | Weblog
 市議会議員になって三ヶ月、『自分自身の発言が、多少なりとも行政を動かしていく』この、議員として当たり前のことに、今ワクワク・ドキドキしています。

 定例議会の中で取り上げ、委員会の中でも質問してきたことが『バス利用者へのアンケート調査』という形で実を結びました。
 アンケートは、今回のバスダイヤ改正で一番生活に支障をきたしている真谷地約二百世帯と、地域の医療施設が閉鎖された、南部の約五百世帯の全戸が対象です。

 しっかりと住民の声を聞き、対応策を考えようという市民福祉部みなさんの熱意が伝わってきます。
また、市立総合病院の給食の民間委託についても、私の要望した食品の安全性について、厚生労働省だけでなく、WHOの指摘も含めて、現在の栄養士さんが安全面でのチェックをされることになりました。

 ここでも『入院患者さんたちに、より安全なものを』という職員の方たちの姿勢が、うれしいではありませんか!

 私のような新米の市議会議員の発言でも、市政が変わっていくこの仕事。
にもかかわらず、国会の閣僚やベテラン議員たちの度重なる時代錯誤の発言。

 ついに「イラクのどこが安全か、私にわかる訳がないじゃないですか!」の小泉発言、そしてイラク特措法の参議院通過。

 戦後最大の失業率。医療・税金・年金の改悪が生活を直撃します。
 将来の見えない不安に、いやおうなく揺さぶられる中学生の事件が続きました。
 自公保政権の賞味期限がとっくに切れて、一気に腐敗が進んでいます。

人が死んで残るものは…

2003年07月14日 | Weblog
七月十二日の北海道母親大会に参加しました。
記念講演は女性史研究者の山崎朋子さんの『女性史の窓からー今を考える』です。

八歳のとき、大型潜水艦の艦長であったお父さんは、乗組員とともに潜水艦ごと開戦前に沈没。
マスコミ報道の転換で、非国民から、一転悲劇の英雄へ、さらに映画化までも。何と戦意高揚のためでした。
「これからいろんな理由をつけて、自衛隊の派遣、徴兵制へ…。いつか来た道にそっくり…。」と。

 東大法学部の最優秀の学生であったにもかかわらず、朝鮮人であったがゆえに、卒業後は一切の職にもつけず、不条理な別れを余儀なくされた最初の夫。

 朝鮮語を教えることさえも奪った、植民地政策。そして、侵略戦争の中で利用され、従軍慰安婦という非人間的で悲惨な運命を強いられたアジアの女性たち。

 民間人を人柱として送り込んだ満州開拓と大陸花嫁。
敗戦時、軍の上層部だけが逃げ帰り、民間人には敗戦も知らされず、悲惨な逃避行と、多数の残留孤児。

 なぜ、軍国主義・戦争への道を防ぐことはできなかったのか。
婦人選挙権を獲得する闘いでの、反戦決議を大衆は支持しませんでした。

 …当時流行っていたのは、エログロナンセンス、そして三S(セックス・スポーツ・スクリーン)…「無関心こそが平和の敵、戦争への道。一番大切なのは自分の暮し、戦争は他人事。今とよく似ています。」

「人が死んで残るものは、生きている間に何をしたか、何をしなかったか、ではないでしょうか…。」
日本を戦争する国に変えないために、何をしますか?