新装!中島賢介研究室

勤務大学における授業内容や雑談に関する説明などを中心に綴ります。よかったらお立ち寄りください。

俳句の解釈

2010-11-30 09:16:28 | 研究
 昨日、研究室にテレビのクイズ番組から1本の電話が入りました。
 問題にしたい俳句がどうやらキリスト教に関する俳句なのだが、一つ解釈をお願いしたいとのことでした。
 電話応対であったため、充分に話ができたかどうか不安になり、
 ブログで確認しておきたいと思います。

 まず、最初にお断りしておきたいのは、
 俳句は十七音で構成された極めて短い言葉で表現されているため、
 解釈が非常に難しいという点です。
 ましてや、それが中学や高等学校の入試問題ということであれば
 解釈が余計に難しくなります。
 さらに、それがキリスト教に関連する句であれば
 その難易度たるや凄まじいものになります。
 恐らく、著名な俳人や評論家の方々に聞いても答えづらかったため、
 無名な研究者にお鉢が回ってきたのでしょう。
 
 恐らく、その番組が放映されれば、
 私の解釈ではクレームが殺到するのではないかと予想されるため、
 放映前に「予め」ブログに自分の考えを示しておきます。

 有馬朗人氏の
 柚子風呂に聖痕もなき胸ひたす

 この句にある「聖痕」は、中村草田男の句
 冬空に聖痕もなし唯蒼し (昭和18年)

 という句にも用いられています。
 後者については、
 草田男はいわゆる「聖痕現象」を一通り説明した上で、
 戦時中、慌しさの中で冬空が蒼く澄み切った空を見て、俳人川端茅舎の姿を思い出します。
 草田男は茅舎を自分が関わったたった一人の「聖者」と考えていました。
 それはあの正岡子規と同じ病を患った茅舎が苦痛の中にも句作の道を突き進んだ、
 その姿に感銘を受けたからでした。
 その茅舎も1941(昭和41)年44歳の生涯を終え、今こうして空を眺めていると
 草田男は次にドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』の物語を思い出します。
 アリョーシャが奇蹟のあらわれることを信じて待ち続けているとゾシマ長老の
 柩(ひつぎ)から腐敗した臭いがしてきたという話です。
 恐らく草田男も、空しい思いの中で戦時下の状況を眺めていたのではないでしょうか。

 勿論、草田男と自句自解については、有馬氏もご存知のはずです。
 「聖痕もなし」という言葉に、信仰の世界と現実の世界との乖離を考えるのであれば、
 有馬氏の作品も
 「信仰の世界と乖離した状況の中で、香り豊かな柚子風呂で心身を温めている」という
 解釈が成り立ちます。
 
 私は、この問題を出した学校がキリスト教主義であるということから
 敢えて異なった方向から解釈を試みた次第です。
 すなわち、「聖痕」はキリストが十字架で負ったその傷そのものであり、
 その傷を負うこともない私、イエスによって許された私は今、こうして風呂で温まることができる。
 それが延いては神への感謝につながるというものです。
 祖母がお風呂に入る度に、「極楽、極楽」と繰り返していたことを思い出すと、
 この考え方はあながち間違っているとは思いません。
 何も風呂に入ってまでもキリスト教を否定することはないだろうと考えるからです。
 キリスト教否定の句であれば、それこそ「逆説的なキリスト教俳句」であるといえます。
  
 クイズ番組の中で、もし私の名前が出るようであれば、
 私なりの見識を示す必要があるということから
 ブログに書かせていただいた次第です。

 もっともこの問題が番組内でオンエアされなければ、
 なんでこんなことを書いたんだということになりますが。
 
 取材を通して自分の考えを整理するよい機会に恵まれました。
 

3世代が絵本を介して

2010-11-07 19:30:53 | 子育て
 玉川図書館で、3世代の絵本読み聞かせに関する講演と実演がありました。
 祖父母が絵本を読み聞かせるという行為は、幼児期学童期の孫たちと
 心を通わせる上でとても大切であり、孫の成長のみならず自分たちの心の
 栄養にもなるというお話を聞くことができました。
 先日義母が子どもたちに絵本を読み聞かせたり、昔話を聞かせているのを
 聞いて、思わず自分の子ども時代のことを思い出しました。
 祖父母との語らいは、父母ともまた違ったぬくもりや優しさがありました。
 核家族が当たり前になっている現在、こうした3世代で絵本を親しむことの
 大切さを改めて感じることができました。 

大学祭無事終了

2010-11-04 08:37:57 | 日々新
 先週金曜から土曜にかけて、本学にて栄光祭が行われました。
 天候の悪化にも関わらず、多くの来場者を迎えることができました。
 顧問をしている演劇部も、何とか新作を披露いたしました。
 前作より子どもたちとのコミュニケーションがとれる場面を設けたのですが、
 なかなか思うようにはいかなかったようです。
 これも一つの経験、次は子育て支援メッセに向けて新たな気持ちで
 取り組んでほしいと思います。