ブログにたびたび顔を出しておられるシノビッチ姉さんが、こんなことを書いていらっしゃったので、自分も自分なりの経験を元に英会話の経験などを語ってみよう。携帯でご覧の方。「こんなことを書いていらっしゃったので」というところにリンクが入ります。携帯から見ている分にはなんの意味もなさない説明ですが。
舞浜の鼠園近くにある、某外資系リゾートホテルに働きだして、アルバイト時代を含め通算約7年。4年通っていた、徳島に本社がある某英会話学校に通っていた俺は、今となっては、外人シェフに「なんだこの野郎」と言い返すくらいのはした英語力は身につけたつもりだが、この英語、別に必要に駆られて習い始めたわけでもなんでもなく、理由はただ一つ。
ふられた人に一歩でも近づくためだった。
一歩でも近づくといったってことは容易ではないし、近寄れるわけもない。そりゃそうだ。
5年前にふられた彼女。
立教大英文学科卒!
外資系企業で経理勤務!!
TOEIC760点!!!
夢は米国公認会計士資格取得!!!!
かたや相手の男はフリーター。
とまあ、まったく身分不相応な、こちらが劣等感で打ちひしがれる人と付き合っていたわけなんである。
はっきり言えば、そーゆーような人とは所詮土台が違うわけだからかないっこない。なんせ相手は、イギリスにホームステイに行ったすきに現地で男(当然外人)を作るほどの英語力なのだから。
そんなことははなっから分かってはいても、フリーターとはいえせっかく外資系企業に勤めているのだから、英語のえの字くらいはできなきゃ恥ずかしいだろう。
じゃあそれまでがどうだったかといえば、外人シェフに向かってここは日本じゃ!と毒づく始末。もちろん、相手が俺に何を話しかけているのかなど、とんと理解できるはずもない。英語は中学時代はそこそこ得意だったのに、高校時代に挫折してからは全くの食わず嫌い。外資系企業であるにも関わらず、英語なんぞ聞きたくもないという体たらくぶりだったのだ。
それが変わったのも、結局はダメになったけれども、出会いからだった。
これじゃいかんと。
ちっとは勉強して、外人シェフの言うことくらいは理解できるようにならなきゃなあ。
まあ、他人様に「勉強した」と言えるほど勉強したわけではないが、とにかく英会話学校の教材のCDは車の中で何度も何度も聞いた。高校時代から全くと言っていいほど勉強してこなかった英語をやりなおそうってんだからことは半端じゃない。中学高校で習う英文法はひとまず無視して、とにかくCDでしゃべっているネイティブの人の発音を聞けるようにした。小難しい英文法の解説なんぞ二の次三の次だった。
そのうち、J-sportsでやるWWF(現WWE)、アメリカのプロレスに興味を持ち、それも当然のごとく教材にした。今でもそうだけれど、全部が全部聞こえるわけではないが、せめて大筋で何を言っているのかというのは理解しようと。まあ、こんな番組を見ているから、スラングから覚えちゃうのだが。とにかく悪い言葉しか覚えない。子供がドリフを見て変な言葉しか覚えていかないのと一緒かもしれぬ。
俺のケツを舐めろ
タコ
お前気○がいだな
などなど、英会話学校で外人教師相手にどうやって使えばいいのか悩む、あんまり実用的ではない単語しか覚えなかった(爆)。
こんなろくでもない勉強方法でも、TOEIC400点は取れるんだへぇ~と思いながら、徐々に手応えは掴んでいった。
英会話学校は、習いに行くところではなく、話しに行くところだと思うようになったのは、習い始めて1年くらいたった頃だろうか。とにかく英語を話すには、場慣れしなければならぬ。場慣れする為に俺は金を払っているのだと。確かに職場で外人シェフと口をきくことなど、月に一回あるかないかくらいだが、週に1、2回、外人講師と話をすることによって、外人に対する畏怖心をなくす。とにかくなんでもいいから、単語の羅列だけでもいいから話すんだという度胸。これが後々、野球観戦に生きてくることになろうとは、習っている当時はまさか夢にも思わなかった。
昨年春、たまたまマリンスタジアムの外野席で、俺たちの席の後ろに座っていたアメリカ人達と、試合そっちのけで国際交流の場になった時、どーゆーわけか通訳になっていたりした。通訳の実力も怪しいものだが、ごくごく簡単な、それこそ中学レベルの話しかしていないし、アメリカ人もこちらの話すことは理解してくれていたようで、長い文章の会話はできないけれど、それなりに会話は楽しんだ。「試合はすっげーつまんないけど、あんたらは今日ここに来てラッキーだね」「旅の途中? 楽しんでいってね。当然明日も来るんでしょここに!?」みたいな。
昨年秋、西武ドームで行われたマリーンズ最終戦。かえりにたこすけさんと、西武ドームから六本木への行き方が分からない親子連れが車掌さんに聞いて、車掌さんも四苦八苦していたところへ二人で助け船を出したこともあった。親子連れといっても息子さんはなんとアメリカ2Aのピッチャー。母を連れて日本に観光しにきたついでの野球観戦で、明日は横浜球場に行くんだみたいなことを話していた。
今は勤務体系の都合で時間の折り合いがどうしても合わず、英会話学校はやめている。その頃の経験がどれほど価値がある物なのかはわからないけれど、少なからず「国際交流の架け橋」たり得たことは、数少ない価値なのかなと思う。
今となっては、昔ほどの実力があるかどうかすら怪しいけれどね。今TOEICを受けたら、400点すら取れないだろうな。元同僚の友人に点数の話をしたら、私だって590点取れるよ!!と鼻で笑われちゃったからなあ。600は取って鼻をあかせてやりたいが、無理だろうな…。
舞浜の鼠園近くにある、某外資系リゾートホテルに働きだして、アルバイト時代を含め通算約7年。4年通っていた、徳島に本社がある某英会話学校に通っていた俺は、今となっては、外人シェフに「なんだこの野郎」と言い返すくらいのはした英語力は身につけたつもりだが、この英語、別に必要に駆られて習い始めたわけでもなんでもなく、理由はただ一つ。
ふられた人に一歩でも近づくためだった。
一歩でも近づくといったってことは容易ではないし、近寄れるわけもない。そりゃそうだ。
5年前にふられた彼女。
立教大英文学科卒!
外資系企業で経理勤務!!
TOEIC760点!!!
夢は米国公認会計士資格取得!!!!
かたや相手の男はフリーター。
とまあ、まったく身分不相応な、こちらが劣等感で打ちひしがれる人と付き合っていたわけなんである。
はっきり言えば、そーゆーような人とは所詮土台が違うわけだからかないっこない。なんせ相手は、イギリスにホームステイに行ったすきに現地で男(当然外人)を作るほどの英語力なのだから。
そんなことははなっから分かってはいても、フリーターとはいえせっかく外資系企業に勤めているのだから、英語のえの字くらいはできなきゃ恥ずかしいだろう。
じゃあそれまでがどうだったかといえば、外人シェフに向かってここは日本じゃ!と毒づく始末。もちろん、相手が俺に何を話しかけているのかなど、とんと理解できるはずもない。英語は中学時代はそこそこ得意だったのに、高校時代に挫折してからは全くの食わず嫌い。外資系企業であるにも関わらず、英語なんぞ聞きたくもないという体たらくぶりだったのだ。
それが変わったのも、結局はダメになったけれども、出会いからだった。
これじゃいかんと。
ちっとは勉強して、外人シェフの言うことくらいは理解できるようにならなきゃなあ。
まあ、他人様に「勉強した」と言えるほど勉強したわけではないが、とにかく英会話学校の教材のCDは車の中で何度も何度も聞いた。高校時代から全くと言っていいほど勉強してこなかった英語をやりなおそうってんだからことは半端じゃない。中学高校で習う英文法はひとまず無視して、とにかくCDでしゃべっているネイティブの人の発音を聞けるようにした。小難しい英文法の解説なんぞ二の次三の次だった。
そのうち、J-sportsでやるWWF(現WWE)、アメリカのプロレスに興味を持ち、それも当然のごとく教材にした。今でもそうだけれど、全部が全部聞こえるわけではないが、せめて大筋で何を言っているのかというのは理解しようと。まあ、こんな番組を見ているから、スラングから覚えちゃうのだが。とにかく悪い言葉しか覚えない。子供がドリフを見て変な言葉しか覚えていかないのと一緒かもしれぬ。
俺のケツを舐めろ
タコ
お前気○がいだな
などなど、英会話学校で外人教師相手にどうやって使えばいいのか悩む、あんまり実用的ではない単語しか覚えなかった(爆)。
こんなろくでもない勉強方法でも、TOEIC400点は取れるんだへぇ~と思いながら、徐々に手応えは掴んでいった。
英会話学校は、習いに行くところではなく、話しに行くところだと思うようになったのは、習い始めて1年くらいたった頃だろうか。とにかく英語を話すには、場慣れしなければならぬ。場慣れする為に俺は金を払っているのだと。確かに職場で外人シェフと口をきくことなど、月に一回あるかないかくらいだが、週に1、2回、外人講師と話をすることによって、外人に対する畏怖心をなくす。とにかくなんでもいいから、単語の羅列だけでもいいから話すんだという度胸。これが後々、野球観戦に生きてくることになろうとは、習っている当時はまさか夢にも思わなかった。
昨年春、たまたまマリンスタジアムの外野席で、俺たちの席の後ろに座っていたアメリカ人達と、試合そっちのけで国際交流の場になった時、どーゆーわけか通訳になっていたりした。通訳の実力も怪しいものだが、ごくごく簡単な、それこそ中学レベルの話しかしていないし、アメリカ人もこちらの話すことは理解してくれていたようで、長い文章の会話はできないけれど、それなりに会話は楽しんだ。「試合はすっげーつまんないけど、あんたらは今日ここに来てラッキーだね」「旅の途中? 楽しんでいってね。当然明日も来るんでしょここに!?」みたいな。
昨年秋、西武ドームで行われたマリーンズ最終戦。かえりにたこすけさんと、西武ドームから六本木への行き方が分からない親子連れが車掌さんに聞いて、車掌さんも四苦八苦していたところへ二人で助け船を出したこともあった。親子連れといっても息子さんはなんとアメリカ2Aのピッチャー。母を連れて日本に観光しにきたついでの野球観戦で、明日は横浜球場に行くんだみたいなことを話していた。
今は勤務体系の都合で時間の折り合いがどうしても合わず、英会話学校はやめている。その頃の経験がどれほど価値がある物なのかはわからないけれど、少なからず「国際交流の架け橋」たり得たことは、数少ない価値なのかなと思う。
今となっては、昔ほどの実力があるかどうかすら怪しいけれどね。今TOEICを受けたら、400点すら取れないだろうな。元同僚の友人に点数の話をしたら、私だって590点取れるよ!!と鼻で笑われちゃったからなあ。600は取って鼻をあかせてやりたいが、無理だろうな…。
何度か飲みにいきましたが、やはりシノビッチさんの申すとおり、「スラング」は結構教えてもらいましたね。
二つほど紹介したいのですが、ヤバイので…。(略)
やはり外国語習得はスラングから!
日本にいる日本語わからない外国人の
方達も、「バカ」とか「アホ」とかは
理解しますもんねえ。
勉強しだしたきっかけが、ロマンチックで
良いですね
習得には、外人の恋人を作るのが
一番早い。。。とバイリンガルの友人が
申しておりました。