シービーで3冠達成、吉永正人・元騎手が死去 (読売新聞) - goo ニュース
ミスターシービーの菊花賞はこちらから。
ミスターシービーの天皇賞・秋はこちらから。
吉永正人といえばミスターシービー。
吉永正人といえばシービークロス。
吉永正人といえばモンテプリンス。
吉永正人といえばコウジョウ。
そして、吉永正人といえば寺山修司。
とにかく、寺山曰く「道中は死んだふり」をして、直線一気の追い込みで名を馳せた騎手である。
競馬歴20年目の若輩者(実年齢を突っ込むのはやめてね)なもので、生憎と、ミスターシービーも、吉永正人の現役時代も、残念ながら知らない。
しかしながら、昔の競馬関係の書籍を読めば、その乗り方には一癖も二癖もあり、ファンにどれだけ愛されていたかということが分かろうというもの。
特にミスターシービーが3冠を賭けた菊花賞など、三角手前からスパートして坂の下りで2番手に躍り出るという、淀の坂の常識を覆す騎乗で三冠を成し遂げた、というよりは、強奪した、といった方がいいのかも知れぬ。4角では普通なら失格(進路妨害による降着制度が生まれたのは1991年1月から)を取られてもおかしくないくらいの斜行までしており、その点でも物議を醸したと聞く。
著書の中で、時には「八大競走28連敗中」と揶揄し、時にはすし屋の政とトルコの桃ちゃんが、質流れを覚悟でカネを作り出しては吉永の馬に賭けていたほどまでに、吉永正人を愛してやまなかった寺山修司。その寺山は、ミスターシービーと吉永正人がダービーを勝つ瞬間を見届けることなく、この世を去った。
ちょっと話は脱線するが、ミスターシービーの代表産駒といえば、おいらは間違いなくヤマニングローバルを挙げたいところ。
武豊をして、来年のGⅠを4つ損したと言わしめたほどの逸材だったのだが、3戦目のデイリー杯3歳S(当時の年齢表記)を勝った後に骨折が判明、1年2ヶ月の休養を挟んで1991年1月に戦列に復帰するが、重賞勝ちは同年11月のアルゼンチン共和国杯まで待たねばならなかった。骨折した部分にはボルトを埋め込んだまま走っての勝利で、ボルトを埋め込んだ馬としても話題になった馬だった。
もしこの馬が順調にクラシック路線を戦っていたならば、アイネスフウジンの日本ダービー、伝説の「ナカノ」コールもなかっただろうし、菊花賞の「メジロはメジロでもマックイーンの方だ~!!」はなかっただろう。
厩舎としての吉永正人は、あたしゃ主に下級条件戦で穴馬を探すのに使わさせていただきましたよ。儲けたかどうかは覚えてない…ということは、当たったことはないのだろうな。
吉永正人の実家が鹿児島で競走馬の牧場を経営しているとのことで、関東で九州産馬が買える厩舎として、よく馬券を買わせてもらった。まあ、九州産馬が一般馬と混合で走れば、まず馬券の対象にはならないのだが、昨日も中山の浦安特別で、吉永厩舎の九州産馬イチライタッチが3着に激走して3連単の穴をかついだように、忘れきった頃に馬券の対象になるので注意が必要。しかもだいたいは穴だから。
しかも、俺が遊びで吉永厩舎の九州産馬を買うと、だいたい複勝にも届かずの4着とか5着が多いんだよねえ…。
今頃、天国では寺山修司の誘いを受けて、場末のバーの止まり木に腰をかけて、二人でグラスを傾けているところだろう。
謹んでご冥福をお祈り致します。
吉永正人氏(よしなが・まさと=中央競馬調教師、元騎手)11日、胃がんで死去。64歳。告別式は14日正午、茨城県美浦村美駒2500の2、美浦トレーニングセンター厚生会館本館。喪主は長男、護(まもる)氏。
騎手時代は後方から一気に追い込む個性的な騎乗で知られ、1983年にはミスターシービーで史上3頭目の三冠を達成した。ほかにモンテプリンス、モンテファストによる天皇賞・春の勝利もあり、通算で重賞37勝を含む461勝を記録した。86年に引退し、89年から調教師。
「気が付けば騎手の女房」の作家、吉永みち子さんは元夫人。
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吉永正人といえばミスターシービー。
吉永正人といえばシービークロス。
吉永正人といえばモンテプリンス。
吉永正人といえばコウジョウ。
そして、吉永正人といえば寺山修司。
とにかく、寺山曰く「道中は死んだふり」をして、直線一気の追い込みで名を馳せた騎手である。
競馬歴20年目の若輩者(実年齢を突っ込むのはやめてね)なもので、生憎と、ミスターシービーも、吉永正人の現役時代も、残念ながら知らない。
しかしながら、昔の競馬関係の書籍を読めば、その乗り方には一癖も二癖もあり、ファンにどれだけ愛されていたかということが分かろうというもの。
特にミスターシービーが3冠を賭けた菊花賞など、三角手前からスパートして坂の下りで2番手に躍り出るという、淀の坂の常識を覆す騎乗で三冠を成し遂げた、というよりは、強奪した、といった方がいいのかも知れぬ。4角では普通なら失格(進路妨害による降着制度が生まれたのは1991年1月から)を取られてもおかしくないくらいの斜行までしており、その点でも物議を醸したと聞く。
著書の中で、時には「八大競走28連敗中」と揶揄し、時にはすし屋の政とトルコの桃ちゃんが、質流れを覚悟でカネを作り出しては吉永の馬に賭けていたほどまでに、吉永正人を愛してやまなかった寺山修司。その寺山は、ミスターシービーと吉永正人がダービーを勝つ瞬間を見届けることなく、この世を去った。
ちょっと話は脱線するが、ミスターシービーの代表産駒といえば、おいらは間違いなくヤマニングローバルを挙げたいところ。
武豊をして、来年のGⅠを4つ損したと言わしめたほどの逸材だったのだが、3戦目のデイリー杯3歳S(当時の年齢表記)を勝った後に骨折が判明、1年2ヶ月の休養を挟んで1991年1月に戦列に復帰するが、重賞勝ちは同年11月のアルゼンチン共和国杯まで待たねばならなかった。骨折した部分にはボルトを埋め込んだまま走っての勝利で、ボルトを埋め込んだ馬としても話題になった馬だった。
もしこの馬が順調にクラシック路線を戦っていたならば、アイネスフウジンの日本ダービー、伝説の「ナカノ」コールもなかっただろうし、菊花賞の「メジロはメジロでもマックイーンの方だ~!!」はなかっただろう。
厩舎としての吉永正人は、あたしゃ主に下級条件戦で穴馬を探すのに使わさせていただきましたよ。儲けたかどうかは覚えてない…ということは、当たったことはないのだろうな。
吉永正人の実家が鹿児島で競走馬の牧場を経営しているとのことで、関東で九州産馬が買える厩舎として、よく馬券を買わせてもらった。まあ、九州産馬が一般馬と混合で走れば、まず馬券の対象にはならないのだが、昨日も中山の浦安特別で、吉永厩舎の九州産馬イチライタッチが3着に激走して3連単の穴をかついだように、忘れきった頃に馬券の対象になるので注意が必要。しかもだいたいは穴だから。
しかも、俺が遊びで吉永厩舎の九州産馬を買うと、だいたい複勝にも届かずの4着とか5着が多いんだよねえ…。
今頃、天国では寺山修司の誘いを受けて、場末のバーの止まり木に腰をかけて、二人でグラスを傾けているところだろう。
謹んでご冥福をお祈り致します。



大崎さんも宮崎出身ですが、吉永厩舎や関西の厩舎(橋口・島崎など)に精通してましたからね。
吉永厩舎の所属馬は、同じ九州熊本出身の松永幹夫厩舎に移籍するのかな?
吉永正人さん、ご冥福をお祈りします。
今朝の報道では、息子の護は正人師のつてがあった厩舎の数々から全面的なバックアップがあって、乗り鞍を増やしていたとのこと。
義理人情が垣間見える、いい話ですね。
天国で寺山と語り合っているのではないかと思います。
吉永正人は好きな酒を片手に、飲めない寺山は書を片手に・・。
ご冥福をお祈りいたします。
コメントありがとうございます。
吉永と寺山のそばにトルコの桃ちゃんがいて、カウンターで政が寿司を握っている姿が、容易に想像できてしまいます。何を語っているかは分かりませんが。
ご冥福をお祈り致します。