「今年限り」であることは、戦前から分かってはいたことだけれども、いざ現実が目の前に迫ると、やはり寂しさは拭えません…。
王監督、笑顔で勇退「本当にいい人生」(サンケイスポーツ) - goo ニュース
ホークスの再建を託されて14年、見事にホークス黄金時代を築いたその手腕は、もっと評価されていいとさえ思います。
御身体の具合もあることでしょう。
シーズンが終わったら、ゆっくり身体を休めてください。
おいらがパリーグの野球の世界に戻ったのは1996年。
当時、ガラッガラの9月のデーゲームの消化試合。
日生球場の生卵事件はうっすらと知っていただけに、周辺もいろいろと騒がしい状況で、マリーンズファンから「辞めるな貞治!」コールが起こっていたのを、つい昨日のように思い出します。まあ、当時としては「ホークスがその地位でいてくれるから俺たちが5位でいられるんだよ」という、とてつもなく屈折した形のコールだったわけですが(笑泣)。当時のロッテファンが、如何に屈折しながら鍛えられていったかが、よくお分かりいただける1シーンかと。
それから3年の1999年。
七夕にマリーンズが首位に立つも、その後いともあっさり失速。結局Aクラスにも残れない4位でシーズンを終えたマリーンズの替わりに優勝したのは、、3年前にはマリーンズと最下位争いを演じていたはずの、ホークス。
その後、長きに渡ってホークス黄金時代が続くわけだけれども、個人的にどの年が一番強かったか…といえば、2003年の、特に後半。
9 柴原
5 川崎
4 井口
3 松中
2 城島
7 バルデス
D ズレータ
8 村松
6 鳥越
考えてみれば末恐ろしい打線。
一旦繋がれば1番から8番まで全く切れ目なし。
9番は違うのかとゆーヤボな突っ込みは(以下略
1999年あたりも、メチャクチャ打つようなイメージはあったのだけれど、この繋がりほど怖くはなかったような…。ニエベスはマジで怖かったけど。千葉マリンでジョニーが完封目前で、ニエベスにバックスクリーン横の照明にぶち当てるHRを見たときは、どうせ大勝は揺るぎないのだからと、態度では余裕をぶっこいて拍手なんかしてたりしたけれど、内心はマジでビビッた、たじろいだ。
これまで14年間、讀賣という看板をかなぐり捨てて、ホークス再建、そして黄金時代、福岡への地域密着を実現した功績は、長く讃えられるべきものと思います。
そんなホークスがあったからこそ、我々も「打倒ホークス」を胸に戦ってこられたのだと思います。
最後に、今週土曜日に千葉へお越しの際は、せめて園川様の格を認めて頂ければと存じます。
まだシーズンは残っておりますが、14年間、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
P.S.
昨日22日付の朝刊各紙は、
「王監督、勇退」
その昼に並べられた東スポの見出し。
「王監督、WBCで復帰」
さすが東スポwww
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王監督、笑顔で勇退「本当にいい人生」(サンケイスポーツ) - goo ニュース
いい野球人生だった-。ソフトバンクの王貞治監督(68)が23日、日本ハム24回戦(ヤフードーム)後に、今季限りでの退任を発表した。2006年に胃の全摘出手術を受けており、健康面の不安が理由で「プロ野球で50年、本当にいい人生を歩ませてもらった」。現役時代はプロ野球記録の通算868本塁打。指揮官として2度の日本一を含む4度のリーグ優勝(巨人で1度、ホークスで3度)を果たし、06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)も制した「世界の王」がついにユニホームを脱ぐ。
身を包んだグレーのスーツが、かすかに震えていた。解任が多いプロ野球界で、退任の意志を貫いた。24日は今季の本拠地最終戦(対オリックス)。地元のファンに別れのあいさつをするためには、この日どうしても退任会見を行う必要があった。
巨人のユニホームを着て30年(現役22年、助監督3年、監督5年)、そして福岡に拠点を移して14年。王監督は自らの今後について、ゆっくりと口を開いた。「チームのためにも大きな転換期とも思い、チームが変わるため、本来の道筋に戻るためにも監督交代はなくてはならないものだと思いました。14年間、大変お世話になりました」
WBCを制した06年、7月に胃がん手術を受けた後は苦難の連続だった。レギュラーシーズンは2年連続3位に終わり、今季は楽天との最下位争い。20日の西武戦(ヤフードーム)前、竹内孝規COO(47)に「今季でユニホームを脱ぎたい」と打ち明けた。
孫正義オーナー(51)は必死の慰留に努め、笠井和彦オーナー代行兼球団社長(71)を福岡に送って必死の説得を3日間続けた。だが、「おれは頑固者だから」という王監督は信念を曲げず、この日、球場入り後の午前8時、孫オーナーと電話で会談し退任が正式に決定。試合前のミーティングでは、王監督自ら「来年からユニホームを着ないことになった」と選手に報告した。
2001年12月に恭子夫人(享年57)を胃がんでなくし、野球に打ち込む時間がさらに増えた。自身の胃がん手術から2年2カ月が経過したが、不安定な体調は回復しなかった。手術前83キロあった体重は現在68キロ。春先の熊本遠征では体調不良で移動バスの中で横たわり、福岡に到着後、市内の病院へ直行。盛夏に行われたロッテ戦では千葉市内の宿舎で昼食のまつたけご飯が「5時間も腹に残った」と、術後初めて休養した。
今後は固辞した第2回WBCの監督問題も含め、球界の“相談役”として野球に携わっていくことになる。そのためにもひと休みして、体調を戻さなければならない。
グルメ本、観光ガイドを読みあさり、九州の観光地には詳しい。「本当にいい人生を歩ませてもらった。これからはのんびりさせてもらいたい。黒川温泉(熊本)に嬉野温泉(佐賀)。温泉はいくらでも知っているんだ。ただ行く時間がないから。ゆっくりできる時間があれば」
プロ野球一筋、50年間走り続けてきた指揮官は福岡に住み続け、一人の人間に戻る。
ホークスの再建を託されて14年、見事にホークス黄金時代を築いたその手腕は、もっと評価されていいとさえ思います。
御身体の具合もあることでしょう。
シーズンが終わったら、ゆっくり身体を休めてください。
おいらがパリーグの野球の世界に戻ったのは1996年。
当時、ガラッガラの9月のデーゲームの消化試合。
日生球場の生卵事件はうっすらと知っていただけに、周辺もいろいろと騒がしい状況で、マリーンズファンから「辞めるな貞治!」コールが起こっていたのを、つい昨日のように思い出します。まあ、当時としては「ホークスがその地位でいてくれるから俺たちが5位でいられるんだよ」という、とてつもなく屈折した形のコールだったわけですが(笑泣)。当時のロッテファンが、如何に屈折しながら鍛えられていったかが、よくお分かりいただける1シーンかと。
それから3年の1999年。
七夕にマリーンズが首位に立つも、その後いともあっさり失速。結局Aクラスにも残れない4位でシーズンを終えたマリーンズの替わりに優勝したのは、、3年前にはマリーンズと最下位争いを演じていたはずの、ホークス。
その後、長きに渡ってホークス黄金時代が続くわけだけれども、個人的にどの年が一番強かったか…といえば、2003年の、特に後半。
9 柴原
5 川崎
4 井口
3 松中
2 城島
7 バルデス
D ズレータ
8 村松
6 鳥越
考えてみれば末恐ろしい打線。
一旦繋がれば1番から8番まで全く切れ目なし。
1999年あたりも、メチャクチャ打つようなイメージはあったのだけれど、この繋がりほど怖くはなかったような…。ニエベスはマジで怖かったけど。千葉マリンでジョニーが完封目前で、ニエベスにバックスクリーン横の照明にぶち当てるHRを見たときは、どうせ大勝は揺るぎないのだからと、態度では余裕をぶっこいて拍手なんかしてたりしたけれど、内心はマジでビビッた、たじろいだ。
これまで14年間、讀賣という看板をかなぐり捨てて、ホークス再建、そして黄金時代、福岡への地域密着を実現した功績は、長く讃えられるべきものと思います。
そんなホークスがあったからこそ、我々も「打倒ホークス」を胸に戦ってこられたのだと思います。
最後に、今週土曜日に千葉へお越しの際は、せめて園川様の格を認めて頂ければと存じます。
まだシーズンは残っておりますが、14年間、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
P.S.
昨日22日付の朝刊各紙は、
「王監督、勇退」
その昼に並べられた東スポの見出し。
「王監督、WBCで復帰」
さすが東スポwww
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ロッテファンになりたての頃は、ロッテの途中経過をチェックするために巨人戦を見てましたが(結局、巨人ファンでもあったという事です、笑)、王さんのホームラン狂騒曲に子供ながら感動を覚えました。
兄貴が南海ファンで、よくケンカしてまして、両チームとも優勝には程遠い低迷が続き、むしろ南海の方が80年代は酷かった、だから99年のダイエー優勝の時は、結構嬉しかったんですよ。近年ウチとホークスがこうやって優勝争い(というよりCS争い)出来るのも・・・。大人になって、兄貴ともお互いを尊重出来るようになったからでしょうね。
だからウチがダメだったら鷹に勝って欲しい、そんな気持ちもあります。王さんの胴上げ、もう一度見せてもらいたかった。やっぱり城島が抜けたのが一番痛かったんじゃないでしょうか?
当たり前の事ですが、05年のプレーオフ、一生忘れられません。06年のWBCも・・・。
王さんには、とりあえずは、しばらくゆっくりして欲しいですね。
我がマリーンズは、とにかく目の前の試合を一つ一つ勝つのみ
初コメで長々と書いてしまいましたが、以後、宜しくお願いします
コメントありがとうございます。
ちなみに、過去1度だけ着用された侍ユニの試合は生で観ております。
おーい、
マリーンズ、
今日の、
ユニフォームは、
ダサすぎるぞ~!!
このコールも未だによく覚えております(笑)。
敵ながらこんな事を考えるのもどうかとは思うのですが、私も、マリーンズがダメなら、今年こそ絶対にホークスさんに行って欲しかったですね。
チーム状態云々は抜きにして、私のシーズン前の優勝候補はホークスだったんですが、まさかの失速…。
城島の穴はもちろんなのですが、やはり松中小久保のまま10年近く過ごしたことが、今になってツケが回ってきたのでしょうか。決して二人が悪いというわけではないのですが、この二人に頼らざるを得なかったのは、ホークスにとっても辛かったでしょう。
王さんなくして、ホークス再建はあり得ませんでしたし、ひいてはパリーグがこれだけ盛り上がれるのも、強いホークスがあるからだと思います。
お疲れ様でした。
シーズンが終わったら、まずはゆっくり休んで下さい。
今後もどうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m