今日は2008年の10月19日。
早いもので、「プロ野球史上もっとも熱く燃えた日」、1988年10月19日のロッテ対近鉄のダブルヘッダーから、20年が経とうとしています。
たまたまというかおあつらえ向きというか、今日という日が日曜日だったので、20年目の10月19日に、川崎球場に行ってまいりました。
思えばあの日のことを、おいらは何で覚えているのだろう。
1988年10月19日。
その日、具体的に何をしていたか…ということまでは、さすがに覚えていろよという方が無理があるけれど、たまたま通っていた進学塾が休みで、家で「10.19決戦」は見ていた。
ニュースステーションを見ようか…とテレビ朝日を付けたら、なんだか様子がおかしくて、普段は絶対に中継などしない川崎球場の様子が、ニュース番組で放映されている。
当時はロッテファンでも近鉄ファンでもなかったのだけれど、両チームの戦いはつぶさに見ていたと記憶している。
あの時、中学2年生だったおいら。
あれから20年…。
川崎球場では、社会人アメフトリーグ、Xリーグの、オービックシーガルズ対オール三菱ライオンズ、なんとまあ、あれから20年目にふさわしく、鴎対ライオンズという、まったくどーでもいいところでどーにもよろしくない対戦があるとならば、これは行かねばならぬ。
予め申し上げておきますが、当方はアメフトなど全くのド素人、見方すら分からぬという状態で出かけていることを、予めお断り申し上げます。
まずは、元ネット裏から見た、スタンドの全景。
エントランスにあった、川崎球場の案内図。
ほぼアメフト用に改造されていて、わずかに元の野球場のフェンスだったのかなあ…という仕切りの痕跡が残る程度。
元より耐震強度の関係で取り壊されたスタンドだから、むしろ痕跡を探す方が難しいかもしれぬ。そこが今のKスタ宮城と決定的に違うビフォーアフター。宮城球場は、元ある内野スタンドを叩き直してあれだけ綺麗なスタンドに仕立て上げていますからねえ…。
グラウンドの両脇には、「明らかに金をかけるのがめんどくさくて急ごしらえです」と言わんばかりの、市原臨海球技場も真っ青の、鉄骨仕立てのスタンドがそびえ立つ。
この鉄パイプの組み合わせは、見る人が見たらいろんな意味で萌えるかもしれない(笑)。
っつーか、あれじゃね?
旧スタンドだって震度6の地震が来たら倒壊の危険性があるっていうけれど、このスタンドだって同じくらいで(以下略
試しにフィールドでジントシオさんでも呼んで、この仮設スタンドの一角に客を入れてライブをやったらどうなることか、一度怖いもの見たさで試してみたいような気がする(笑)。っつーかシャレになってないぞorz
プロレスでも呼んできて、最近は武道館でもめっきり減ってしまった「重低音ストンピング攻撃」なんてやったら、耐震強度の試験にはもってこいかも。
思えば市原臨海球技場も、このようなスタンドで10年以上辛抱し続けたのだから、それなりには耐えうる代物だとは思うけどね…。
痕跡はバックスクリーンにも見ることが出来る。
球場外の写真を取っていないのが残念だが、バックスクリーンは当時のまま残されていて、建て直していないことは、球場外からバックスクリーンを見れば一目瞭然。
この両脇に、いびつな形の外野スタンドがあったのかと思うと、感慨もひとしお。
おいらは現役時代の川崎球場は経験がなく、最後の川崎球場のお披露目となった、2000年3月26日、横浜ベイスターズとのオープン戦で、最初で最後の経験をしただけだったから、強烈に脳裏に焼き付いている…ということではないのだけれど、あのいびつなスタンド、やたら高いフェンス、ボールがぶつかって壊れてもそのまんま放置のシート、張本さん3000本安打のレリーフなど、全てが川崎球場に染みついていたものだった。
今日のために、あの日に撮った写真を引っ張り出そうと思ったら、なんでこんな時に限ってあの写真達だけがどこかへ行ってしまうのか、見つからなかったのは誠に口惜しや。
あの日、小坂が2本もホームランを打ったんだよなあ…。
さて、グラウンド上では試合、試合。
アメフトでは、攻撃要員と守備要員の2つが入れ替わるんですねえ…。
4回攻撃して10ヤード進めたら攻撃続行とか、アメフトのごくごく基本的なルールも、見ていくうちになんとなく覚える。これがまた、ルールに関してバカ丁寧なアナウンスもあるから、「ルールなんて分かってるだろ」と言わんばかりの野球やサッカーとはえらく違うところ。
こちらはネット裏の芝生席。
この辺も、元のスタンドの痕跡を活かしているのかなあ…。
そして、画像が小さく、世の殿方にはひじょーに申し訳ないのだけれど、オービックシーガルズのチアリーダー。
このチアリーダー、なんとも気前が良くって、自軍がタッチダウンを決めるたびに、客席にミニボールを投げて回る。
…。
あのー…。
これって、「貰うのが今日3個目」とかないんですかね(笑)。
You Tube - 近鉄佐々木 ロッテに3被弾 客はぬいぐるみ3つゲット
そういえば、ここのチアガール、ドリフターズのあの「ビバノン・ロック」にノって、
♪ババンババンバンバン
♪ファースト・ダウン
とか何とか言っちゃっているのだが、川崎でチアガールがビバノン・ロックを流すのは、明らかに世の男性に対する挑発、いやセクハラだと思うよ(笑)。
嗚呼、近くて遠い堀之内(爆)。
試合は途中から一方的な展開になり、オービックシーガルズが、41対7でオール三菱ライオンズを圧倒。
詳細な試合結果はこちらから。
夕方に差し掛かる頃から、折りからの東風で一段と寒くなり、試合が終わると、客はさーっと引いて行き、あっという間にほとんど誰もいなくなる。
それでも、場外ではシーガルズの選手との交流イベントが行われていたので、スタンドからは追い出されることなく、今日をご一緒させて頂いた雷庵博人さんと、徐々に暗くなるスタンドを見ながら、しばしの感慨にふける。
思えば今は、CSに進出しない限り、この時期でも野球を楽しむということはまずないのだけれど、CSが始まる前は、この頃まで消化試合が長引くのは、ごくごく当たり前だったんだよなあ…。2002年の平井さんの引退試合だって10月下旬に差し掛かっていたし。
やはり川崎球場には、閑散としたスタンドがよく似合う。
思えば、バックスクリーンからレフト側に伸びているフェンス、これは多分当時の痕跡のままではないかしら。
写真だと小さくて分かりづらいとは思うけれど、横に黄色く伸びるテープが物語るかと…。
3基残っていた照明灯も、歴史の生き証人。
意外とあちらこちらに痕跡らしきものが伺えたのは、球場に入らなければ分からない収穫だったかなと。
あの日。
パリーグは間違いなく燃え上がっていた。
そして、極私的な10.19としては、パリーグの熱戦に沸く裏で、阪急ブレーブスがオリエント・リースに身売りを電撃発表したのも、同じ1988年10月19日のことで、この日をもって、おいらが帰るべきパリーグのチームを失った…ということからも、この日のことを記しておきたい。
今でこそロッテファンを名乗っているけれど、宝塚に住んでいた頃は阪急ブレーブスのファン。実際にブレーブスの試合を観たことがあるのは、小学校6年生だった1986年の3度限り、ファン感謝デーを含めると、実質1987年を最後に、ブレーブスを見に行ったことはないのだが、突然の身売りで、おいらの中では完全に、帰るべき「阪急ブレーブス」を失ったことは事実で、「オリックス・ブレーブス」を愛しようと思うに至らなかったことは、どれだけ心の中で阪急ブレーブスが好きだったのかな…と思う。だからこそ、阪急ブレーブスは心の中で永遠に封印しなければならなかったし、東西対抗が無くなってしまった今、あの頃の阪急ブレーブスには、2度と戻れないという寂しさも、10.19を振り返るときに、同時に去来するのだ。
あの日、間違いなく、川崎球場は、燃え上がっていた。
あの日のこと、古いこと、新しいこと。
どうでもいいこと。面白いこと。
それら全て…とはいえないけれど、せめてその当時の「語り部」になれればいいな…。
【※映像追記】
おそらく、どんな試合映像よりも、こちらの方がかなり胸にくるはず。
You Tube - 近鉄VSロッテ 10.19
↑映像は、祝勝会が行われる予定だった場所での残念会。
これが翌年の優勝に繋がっていくことになる。
10.19に関しての詳細はこちらを参照。
wikipedia - 10.19
早いもので、「プロ野球史上もっとも熱く燃えた日」、1988年10月19日のロッテ対近鉄のダブルヘッダーから、20年が経とうとしています。
たまたまというかおあつらえ向きというか、今日という日が日曜日だったので、20年目の10月19日に、川崎球場に行ってまいりました。
思えばあの日のことを、おいらは何で覚えているのだろう。
1988年10月19日。
その日、具体的に何をしていたか…ということまでは、さすがに覚えていろよという方が無理があるけれど、たまたま通っていた進学塾が休みで、家で「10.19決戦」は見ていた。
ニュースステーションを見ようか…とテレビ朝日を付けたら、なんだか様子がおかしくて、普段は絶対に中継などしない川崎球場の様子が、ニュース番組で放映されている。
当時はロッテファンでも近鉄ファンでもなかったのだけれど、両チームの戦いはつぶさに見ていたと記憶している。
あの時、中学2年生だったおいら。
あれから20年…。
川崎球場では、社会人アメフトリーグ、Xリーグの、オービックシーガルズ対オール三菱ライオンズ、なんとまあ、あれから20年目にふさわしく、鴎対ライオンズという、まったくどーでもいいところでどーにもよろしくない対戦があるとならば、これは行かねばならぬ。
予め申し上げておきますが、当方はアメフトなど全くのド素人、見方すら分からぬという状態で出かけていることを、予めお断り申し上げます。
まずは、元ネット裏から見た、スタンドの全景。
エントランスにあった、川崎球場の案内図。
ほぼアメフト用に改造されていて、わずかに元の野球場のフェンスだったのかなあ…という仕切りの痕跡が残る程度。
元より耐震強度の関係で取り壊されたスタンドだから、むしろ痕跡を探す方が難しいかもしれぬ。そこが今のKスタ宮城と決定的に違うビフォーアフター。宮城球場は、元ある内野スタンドを叩き直してあれだけ綺麗なスタンドに仕立て上げていますからねえ…。
グラウンドの両脇には、「明らかに金をかけるのがめんどくさくて急ごしらえです」と言わんばかりの、市原臨海球技場も真っ青の、鉄骨仕立てのスタンドがそびえ立つ。
この鉄パイプの組み合わせは、見る人が見たらいろんな意味で萌えるかもしれない(笑)。
っつーか、あれじゃね?
旧スタンドだって震度6の地震が来たら倒壊の危険性があるっていうけれど、このスタンドだって同じくらいで(以下略
試しにフィールドでジントシオさんでも呼んで、この仮設スタンドの一角に客を入れてライブをやったらどうなることか、一度怖いもの見たさで試してみたいような気がする(笑)。っつーかシャレになってないぞorz
プロレスでも呼んできて、最近は武道館でもめっきり減ってしまった「重低音ストンピング攻撃」なんてやったら、耐震強度の試験にはもってこいかも。
思えば市原臨海球技場も、このようなスタンドで10年以上辛抱し続けたのだから、それなりには耐えうる代物だとは思うけどね…。
痕跡はバックスクリーンにも見ることが出来る。
球場外の写真を取っていないのが残念だが、バックスクリーンは当時のまま残されていて、建て直していないことは、球場外からバックスクリーンを見れば一目瞭然。
この両脇に、いびつな形の外野スタンドがあったのかと思うと、感慨もひとしお。
おいらは現役時代の川崎球場は経験がなく、最後の川崎球場のお披露目となった、2000年3月26日、横浜ベイスターズとのオープン戦で、最初で最後の経験をしただけだったから、強烈に脳裏に焼き付いている…ということではないのだけれど、あのいびつなスタンド、やたら高いフェンス、ボールがぶつかって壊れてもそのまんま放置のシート、張本さん3000本安打のレリーフなど、全てが川崎球場に染みついていたものだった。
今日のために、あの日に撮った写真を引っ張り出そうと思ったら、なんでこんな時に限ってあの写真達だけがどこかへ行ってしまうのか、見つからなかったのは誠に口惜しや。
あの日、小坂が2本もホームランを打ったんだよなあ…。
さて、グラウンド上では試合、試合。
アメフトでは、攻撃要員と守備要員の2つが入れ替わるんですねえ…。
4回攻撃して10ヤード進めたら攻撃続行とか、アメフトのごくごく基本的なルールも、見ていくうちになんとなく覚える。これがまた、ルールに関してバカ丁寧なアナウンスもあるから、「ルールなんて分かってるだろ」と言わんばかりの野球やサッカーとはえらく違うところ。
こちらはネット裏の芝生席。
この辺も、元のスタンドの痕跡を活かしているのかなあ…。
そして、画像が小さく、世の殿方にはひじょーに申し訳ないのだけれど、オービックシーガルズのチアリーダー。
このチアリーダー、なんとも気前が良くって、自軍がタッチダウンを決めるたびに、客席にミニボールを投げて回る。
…。
あのー…。
これって、「貰うのが今日3個目」とかないんですかね(笑)。
You Tube - 近鉄佐々木 ロッテに3被弾 客はぬいぐるみ3つゲット
そういえば、ここのチアガール、ドリフターズのあの「ビバノン・ロック」にノって、
♪ババンババンバンバン
♪ファースト・ダウン
とか何とか言っちゃっているのだが、川崎でチアガールがビバノン・ロックを流すのは、明らかに世の男性に対する挑発、いやセクハラだと思うよ(笑)。
嗚呼、近くて遠い堀之内(爆)。
試合は途中から一方的な展開になり、オービックシーガルズが、41対7でオール三菱ライオンズを圧倒。
詳細な試合結果はこちらから。
夕方に差し掛かる頃から、折りからの東風で一段と寒くなり、試合が終わると、客はさーっと引いて行き、あっという間にほとんど誰もいなくなる。
それでも、場外ではシーガルズの選手との交流イベントが行われていたので、スタンドからは追い出されることなく、今日をご一緒させて頂いた雷庵博人さんと、徐々に暗くなるスタンドを見ながら、しばしの感慨にふける。
思えば今は、CSに進出しない限り、この時期でも野球を楽しむということはまずないのだけれど、CSが始まる前は、この頃まで消化試合が長引くのは、ごくごく当たり前だったんだよなあ…。2002年の平井さんの引退試合だって10月下旬に差し掛かっていたし。
やはり川崎球場には、閑散としたスタンドがよく似合う。
思えば、バックスクリーンからレフト側に伸びているフェンス、これは多分当時の痕跡のままではないかしら。
写真だと小さくて分かりづらいとは思うけれど、横に黄色く伸びるテープが物語るかと…。
3基残っていた照明灯も、歴史の生き証人。
意外とあちらこちらに痕跡らしきものが伺えたのは、球場に入らなければ分からない収穫だったかなと。
あの日。
パリーグは間違いなく燃え上がっていた。
そして、極私的な10.19としては、パリーグの熱戦に沸く裏で、阪急ブレーブスがオリエント・リースに身売りを電撃発表したのも、同じ1988年10月19日のことで、この日をもって、おいらが帰るべきパリーグのチームを失った…ということからも、この日のことを記しておきたい。
今でこそロッテファンを名乗っているけれど、宝塚に住んでいた頃は阪急ブレーブスのファン。実際にブレーブスの試合を観たことがあるのは、小学校6年生だった1986年の3度限り、ファン感謝デーを含めると、実質1987年を最後に、ブレーブスを見に行ったことはないのだが、突然の身売りで、おいらの中では完全に、帰るべき「阪急ブレーブス」を失ったことは事実で、「オリックス・ブレーブス」を愛しようと思うに至らなかったことは、どれだけ心の中で阪急ブレーブスが好きだったのかな…と思う。だからこそ、阪急ブレーブスは心の中で永遠に封印しなければならなかったし、東西対抗が無くなってしまった今、あの頃の阪急ブレーブスには、2度と戻れないという寂しさも、10.19を振り返るときに、同時に去来するのだ。
あの日、間違いなく、川崎球場は、燃え上がっていた。
あの日のこと、古いこと、新しいこと。
どうでもいいこと。面白いこと。
それら全て…とはいえないけれど、せめてその当時の「語り部」になれればいいな…。
【※映像追記】
おそらく、どんな試合映像よりも、こちらの方がかなり胸にくるはず。
You Tube - 近鉄VSロッテ 10.19
↑映像は、祝勝会が行われる予定だった場所での残念会。
これが翌年の優勝に繋がっていくことになる。
10.19に関しての詳細はこちらを参照。
wikipedia - 10.19
おっしゃるとおり、プレーオフ制が導入された今、このような光景を見ることは、もう無くなってしまうのでしょうか。
そのお陰で、1位争い、3位争いにも、今年のマリーンズのようなドラマがあるのだと思うし、勝ち負けの世界だからこそ、こうしたドラマをまず楽しまなければ、パリーグファンを続けていくことは、おそらく無理でしょうね。
毎試合「勝て勝て勝て勝て」では、絶対に「ファンとして」息切れしますから。
そういう意味では、最近ロッテのファンになった人は、こうしたドラマを楽しむ度量があるのかな…と思うことが多々あるわけで、それが、最近のファンに対する気質の変化とぬぐえない疑問にもなっているんですが…。
「ネタ」を「ネタ」と、身体でわかるのではなく、アタマでした分かってないから、どんな結果でもニヤニヤとしかできない…とか。
さすが!忘れじの“10.19に川崎球場巡礼”とは、なかなかツウですな。
恐れ入りましたm(..)m。
あの日は昨日のように覚えています。
当時、私は当然!ロッテファンでしたが、それ以上に“アンチ西武党”でしたんで、この時ばかりは…ロッテの応援半分、近鉄の応援も半分で⇒テレビ&ラジオの前でかじりついて応援しておりましたなぁ…。
そう!逆転の決勝点が入った時には‥「オイ!高沢!いつも肝心な時に打たず!こういう時に打つなよなぁ!」と叫んだ事を鮮明覚えてます。
確か、この時の川崎球場は超満員で球場外にもファンが大勢~詰め掛けてた様子。中には、近鉄ファンも沢山居たみたいなんで…おそらく、関西の近鉄ファンもかなり!駆けつけてた事だと思います。
プレーオフ制も導入された昨今。
このような究極的な劇場は…、なかなか演出されにくくなった様に思いますねぇ。
同じような世代だと、どこかでチャンネルを合わせるかラジオを聞くかで、脳裏に焼き付いているんですよね、あの日の光景は。
私は…どっちを応援していたかは忘れました(笑)。
>雷庵さん
日曜日はお世話になりました。
まさか20年後に鴎対ライオンズの試合が行われるたあ、野球の神様も粋な計らいで←違
日曜日の酒は本当に美味かった!
正直最近、マリーンズファンの気質の変化について行きづらい部分があったので、雷庵さんとお話しできたことで、改めて、パリーグファンの何たるかを認識することが出来ました。
また一杯行きましょう。ありがとうございました。
さすがに夕闇に包まれるフィールドを見たときは感傷にふけりました。
おかげ様でいい1日が過ごせました。
また一杯やりましょう。
懐かしいですね、10.19決戦。
本当にあの日は、手に汗を握ってしまいました。ラジオか何かの前で。
そして、何故か、オリオンズを応援してしまいました。