某巨大掲示板の競馬板に、「初めて競馬場に行った時のメーンレースの勝ち馬」というスレがあり、記憶の奥底に眠っていた、初めての競馬場の記憶が揺れ動いた。
競馬場に初めて足を踏み入れたのは1986年夏、小学校6年の頃の阪神競馬場。
といっても、別に競馬を見に行ったわけではなく、阪神競馬場で宝塚市と協賛して毎年行われる「宝塚祭り」を見に行った。コース上だったかに設えられたステージでは、浜村淳が軽妙な語り口で司会をしていたっけな。阪神競馬場があるのが仁川、当時住んでいたのがその隣の小林だったから、親はたった一駅電車に乗るのがバカバカしかったと見え、阪神競馬場まで延々3キロ近く歩かされた。ずっとあとになった1999年4月、競馬帰りの阪神競馬場から、当時住んでいた家まで歩いたことがあったが、それはそれは疲れた。なにせ仁川から小林まで約2キロ、それから千種の丘を登るのだから疲れた。当時はそれでも体力があり、そこからさらに山の手沿いを歩いて仁川駅まで歩いて戻った。山坂道を上って下って下って上って約6キロほどだろう。2時間ほどの散策で仁川駅に戻ったら、かなりバテバテだったww
ちなみに1986年当時の阪神競馬場は、いうまでもなく今のような大スタンドが建っているわけではなく、3階建ての比較的こぢんまりしたスタンドで、それでもコースのだだっ広さと相まって、今まで想像したことのない広さにただただ圧倒されたことは覚えている。
初めて「競馬を開催している競馬場」に足を踏み入れたのは、某巨大掲示板のように表現すれば、1991年3月17日、ナイスパーワーの勝ったダービー卿チャレンジトロフィーの日だが、競馬ファンには、トウカイテイオーが勝った若葉ステークスと言った方が通りが良いだろう。トウカイテイオーは、当時を知る方ならご存知の通り、皐月賞、ダービーの2冠を成し得た後骨折、その後復帰してもまた故障して「ガラスの脚」(元祖はサクラスターオーだろうが)と呼ばれ、93年の有馬記念で、1年のブランクをものともせず、4歳(当時の年齢表記)最強のビワハヤヒデを並ぶ間もなく差しきり、鞍上の田原成貴が号泣したエピソードは今に語り継がれる。
当時は高校生でカネも持っておらず、馬券を買うことはしなかったが、目の前を地響きを立てて駆ける駿馬を見て、またただただ圧倒されていた。
ただどうだろう。おいらみたいに、競馬自体は1988年からテレビで見ていたが、競馬場デビューは3年以上経った後というファンっているのかしらん。
競馬自体は「ファミリージョッキー」から興味を持っていて、1987年11月初旬に、阪神競馬場で行われた「愛馬の日」というイベントが行われるということを、サンテレビの競馬中継の告知で知っていてでかけたから、ニッポーテイオーが勝った天皇賞・秋は見ているはずなのだが、あいにくとその頃に行われたGⅠレースは、人気2頭が競走中止して大波乱になった有馬記念以外は、まったく記憶にない。おそらく当時は、やれ重賞レースだGⅠレースだ…といった概念すらなく、ただただテレビの前を馬が駆けていればそれで良かったのだろう。
しかし、当時の記憶からして、かえすがえすももったいねえ…orz
祭りの目玉イベントとして、「有名騎手サイン会」なんていうものが、パドック裏の広場で行われたのだが、参加騎手が「河内、南井、山田和広、岩元、武豊…」
貰えばよかったよママン…。・゜・(ノД`)・゜・。
何事も物事に無知というのは恐ろしくて、サイン会は結構な列が出来ていたし、当時はまだ競馬もかじりたてで、正直どの騎手が有名か…だなんて、今のように情報に溢れているわけではないから与り知らぬから並ばなかった。知識がもうちょっとあったら、ダメもとで並ぶだけ並んだぞ。なにせ武豊がデビューした年で、飛ぶ鳥を落とす勢いだったとはいえ、まさか世界の武豊になるなんて、当時はこれっぽっちも考えてなかったんだもん…。もったいねー、もったいねー。返す返すももったいねー。あの時、騎手からサインを貰っていたら、俺の競馬に対する情熱も、もうちょっと違った形になったんだろうなあ…。
そうかそうか。
おいらって、齢31にして競馬ファン歴20年目になるのかww
年はとりたくねえなあ…(笑)。
みなさんの「初めての競馬場」は、いつ、どこなんでしょうね。
↑「はじめましての競馬場」というあなたはここをクリッククリック。
競馬場に初めて足を踏み入れたのは1986年夏、小学校6年の頃の阪神競馬場。
といっても、別に競馬を見に行ったわけではなく、阪神競馬場で宝塚市と協賛して毎年行われる「宝塚祭り」を見に行った。コース上だったかに設えられたステージでは、浜村淳が軽妙な語り口で司会をしていたっけな。阪神競馬場があるのが仁川、当時住んでいたのがその隣の小林だったから、親はたった一駅電車に乗るのがバカバカしかったと見え、阪神競馬場まで延々3キロ近く歩かされた。ずっとあとになった1999年4月、競馬帰りの阪神競馬場から、当時住んでいた家まで歩いたことがあったが、それはそれは疲れた。なにせ仁川から小林まで約2キロ、それから千種の丘を登るのだから疲れた。当時はそれでも体力があり、そこからさらに山の手沿いを歩いて仁川駅まで歩いて戻った。山坂道を上って下って下って上って約6キロほどだろう。2時間ほどの散策で仁川駅に戻ったら、かなりバテバテだったww
ちなみに1986年当時の阪神競馬場は、いうまでもなく今のような大スタンドが建っているわけではなく、3階建ての比較的こぢんまりしたスタンドで、それでもコースのだだっ広さと相まって、今まで想像したことのない広さにただただ圧倒されたことは覚えている。
初めて「競馬を開催している競馬場」に足を踏み入れたのは、某巨大掲示板のように表現すれば、1991年3月17日、ナイスパーワーの勝ったダービー卿チャレンジトロフィーの日だが、競馬ファンには、トウカイテイオーが勝った若葉ステークスと言った方が通りが良いだろう。トウカイテイオーは、当時を知る方ならご存知の通り、皐月賞、ダービーの2冠を成し得た後骨折、その後復帰してもまた故障して「ガラスの脚」(元祖はサクラスターオーだろうが)と呼ばれ、93年の有馬記念で、1年のブランクをものともせず、4歳(当時の年齢表記)最強のビワハヤヒデを並ぶ間もなく差しきり、鞍上の田原成貴が号泣したエピソードは今に語り継がれる。
当時は高校生でカネも持っておらず、馬券を買うことはしなかったが、目の前を地響きを立てて駆ける駿馬を見て、またただただ圧倒されていた。
ただどうだろう。おいらみたいに、競馬自体は1988年からテレビで見ていたが、競馬場デビューは3年以上経った後というファンっているのかしらん。
競馬自体は「ファミリージョッキー」から興味を持っていて、1987年11月初旬に、阪神競馬場で行われた「愛馬の日」というイベントが行われるということを、サンテレビの競馬中継の告知で知っていてでかけたから、ニッポーテイオーが勝った天皇賞・秋は見ているはずなのだが、あいにくとその頃に行われたGⅠレースは、人気2頭が競走中止して大波乱になった有馬記念以外は、まったく記憶にない。おそらく当時は、やれ重賞レースだGⅠレースだ…といった概念すらなく、ただただテレビの前を馬が駆けていればそれで良かったのだろう。
しかし、当時の記憶からして、かえすがえすももったいねえ…orz
祭りの目玉イベントとして、「有名騎手サイン会」なんていうものが、パドック裏の広場で行われたのだが、参加騎手が「河内、南井、山田和広、岩元、武豊…」
貰えばよかったよママン…。・゜・(ノД`)・゜・。
何事も物事に無知というのは恐ろしくて、サイン会は結構な列が出来ていたし、当時はまだ競馬もかじりたてで、正直どの騎手が有名か…だなんて、今のように情報に溢れているわけではないから与り知らぬから並ばなかった。知識がもうちょっとあったら、ダメもとで並ぶだけ並んだぞ。なにせ武豊がデビューした年で、飛ぶ鳥を落とす勢いだったとはいえ、まさか世界の武豊になるなんて、当時はこれっぽっちも考えてなかったんだもん…。もったいねー、もったいねー。返す返すももったいねー。あの時、騎手からサインを貰っていたら、俺の競馬に対する情熱も、もうちょっと違った形になったんだろうなあ…。
そうかそうか。
おいらって、齢31にして競馬ファン歴20年目になるのかww
年はとりたくねえなあ…(笑)。
みなさんの「初めての競馬場」は、いつ、どこなんでしょうね。
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ヤエノムテキ@天皇賞・秋
一緒に行った友人がヤエノムテキから流した。しかしメジロアルダンとの枠連4-4は買っていませんでした。私はオグリから買いましたが何か?
トウカイテイオーのフォームは美しかったですねぇ。
確か中山競馬場が改装工事中だったか、ストライキだったかうろ覚えです。
もともとテレビ観戦はこれ以上前・・・
杉本清アナが「菊の季節に桜が満開!・・・サクラスターオーです!」が印象に残ってます。
ちょうどヤエノムテキの勝った天皇賞の週に、深夜番組(プレステージだったかな?)で、大学の競馬研究会を集めた検討会があったんですが、世論がオグリ一辺倒だった時、どこかの大学が「ヤエノムテキで間違いない」と言い切ったことは強烈に覚えてます。あの大学の人たちは、すこぶる儲けたんでしょうかね。
>MM723線さん
あの頃の東京開催は、中山競馬場のスタンド改築工事の影響です。
実はヤエノムテキの新馬戦は、テレビで見たのをはっきり覚えていて、皐月賞は、馬券が買えたら間違いなくヤエノムテキの単勝から買っていたでしょう。あの頃は関西馬はいろいろ覚えてましたから。シヨノロマンのチューリップ賞とか。