小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

極私流ブログ術

2008-10-28 03:03:41 | Weblog
せっかくこういう雑誌を仕入れて読んでしまったので、たまにはおいらなりの本当に「極私的」なブログ術でもつらつらと書き連ねることにしましょうかね。

あれは先月だったか、今月アタマだったかに、休憩中に神田駅前の本屋で、めぼしそうな本や雑誌をあれやこれやと目を付けていったら、たまたまこの雑誌が目に飛び込んできてしまったので、ついつい手が伸びて気が付いたらレジに雑誌を差し出していた。

仕事ができる人の実践言葉力 (日経BPムック)

日経BP社

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タイトルと版元でお分かりいただけるように、明らかにこの雑誌はビジネス向きに書かれていて、内容もメール術からクレーム対応、レポートの書き方に至るまで、あらゆるビジネスシーンに対応できるようなヒントがずらずらと書かれている。
おいら自身も、日本語の書き方、或いは使う単語一つ、指示の書き方一つで、あらゆる受け取り方をされることが多々あり、そのたびに「ああ、失敗したなあ…」と日々反省する毎日を送っているのだけれども、その中のワンコーナーで、ある証券会社の社長さんが、ネット発の情報発信ツールとして毎日書かれているというコラムに関して、「書けないとき」の秘技というものが書かれていて、かたやビジネスコラム、かたやごくごく私的な吹けば飛ぶような泡沫ブログ、両方を比べるのはいくらなんでもこの社長さんに対して非礼極まるのは百も承知なのだけれど、それがまた思わずヒザを叩くような内容だったので、ちょっとご紹介。

この社長さんのコラムは、1999年8月以来、7年以上(この雑誌が発売されたのが今年1月なのでこの計算になる)コラムを毎日休まず書き続けているのだそうだけれど、その心得が公開されている。

即ち、

1、読み手に不快な思いをさせないようにする
2、時には暗号のようにして言いたいことを伝える
3、困ったときには長く書く
4、読者からの批判に耳を傾ける
5、毎日書くことを「義務」とする


うーん…。

思い当たることばっかりだ…。

そういえばおいらも、ブログの運営方針に関しては、おいら自身の頭の中ではあれやこれやと考えることはいろいろあり、思ったことに関してはその都度文章に起こすようには努めてきたけれど、これら全てをしっかりとブログ上に明文化したことは、今まで一度たりともなかった。
そもそも、改めて明文化するほどのものでもないし、そんな御大層なことを書いているブログでも、ましてやこの社長さんのように、オフィシャルな立場で好きなようにものを書くという立場でもなんでもない、小馬太郎兵衛こと◎○▲△という人間の、ごくごくプライベートな胸の内をここに書き連ねているだけだから。

そう考えると、おいらも卑怯というか姑息というか能なしというか、己で明文化することはせず、専ら他人様の文章をそのまんま己自身にトレースしているだけというのは、少なからず罪悪感に苛まれるのだけれど…。
だって、そのまんま見事に言い当てられちゃっているんだもん。

1、読み手に不快な思いをさせないようにする
これはまず大前提というか、焼かれないための第一歩ですわな。
この時点で「焼かれないため」と自己保身に走るのはいかがなものかと思うのだが(笑)、焼かれた挙げ句に素性までネット上にバラされた…、いわゆる「祭り」に遭う可能性だって、書き方一つでは否定できないし、おいらがブログを始めてからというもの、そんなブログは腐るほど見てきたから、どうしても「焼かれないため」には、どう書けばよいか…という事に腐心するのはいわば必然なわけで、その中でどうやって主張を盛り込むか、どうやって読者の皆さんに受け取ってもらえるかが、書き手側の腕の見せ所なのだろう。
そのためにはまず、「冗長気味になってもいいから、言いたいことは余す事なく書け」という原則が、おいらの中にはある。
一番怖いのは、言いたい言葉を端折ってしまった、或いは3つ4つと説明しなければならないことを1つの言葉でまとめてしまったが故に、読者にあらぬ勘違いをさせてしまうこと。
こうした時に、えてして「行間を読め」だの言い訳がましく読者に当たる人がいるけれど、読者にそこまで読ませるくらいなら、真意を汲み取ってもらえるような書き方をする方が遙かに生産性が高いのではないか。そこで生じるすれ違いのデメリットは、「4」の項目にも共通してくるから、これについては後述。
真意を汲み取ってもらうのは、書き手側の責務だとおいらは考える。

2、時には暗号のようにして言いたいことを伝える

うーん。

暗号じゃなくても書いちゃって(以下略

こればっかりは、さすがにおいらも文才がないので、暗号めいた文章を遠回し遠回しに書いて、読者の皆さんに受け取って貰おうと思っても、この辺は仕掛けをちりばめても難しいねえ…。
たとえばマリーンズの記事一つにしたって、言いたいことをそのままではとても文章に出来ないということが、往々にしてありますからねえ…。
あとは「分かる人(ry」シリーズで書いている通りかな。
受け手を限定して書くネタみたいな。

3、困ったときには長く書く

これは1で述べた、「誤解を与えそうなときは冗長気味でもいいから長く書け」というところと共通している。自分の主張を理解して貰うには、格好つけている場合ではないし、そんな文才も器量もないのだから、理解して貰うところをとうとうと書き連ねるのみ。
事はネット上だから、極端な話、主義主張が違えば「議論」は成り立たないとさえ考えているので、いかにして「あなたの主張はよく分かったが、私の主張はこうなんです」ということを、相手に理解して貰うか。主張する姿勢も、「1」の「相手に不快な思いをさせない」ところと、実はイコールで繋がっている。
もちろん、悪意がある「叩き」が存在するのは間違いないし、おいらとていつその餌食になるかは分からないが、そうでないのなら、思うところを不格好でもいいからぶつけるべきではないか。

4、読者からの批判に耳を傾ける

ただし「暑苦しい」だの「チビ」だの「デブ」だのとゆー批判は(以下略

それはともかく。
ある意味最大のキモは、この項目ではないかと。
というのは。

「批判」から「アンチ」になることが往々にしてありますから。

たとえばあの人のこの主張がおかしい。
私はこう思う。
それを抱えたまま「まいっか」で済ませるのも、「いや、ここは書き手に一丁もの申してみよう」と思うのかは人それぞれだけれども、そこでの対応一つで、「こんなに丁寧に受け答えしていただいて…」と思われるのか、「嫌なら読まなくて結構」「分からなければ読まなくて結構」と批判を突き放して読者を怒らし、その瞬間に「アンチ」と誕生させるのかでは、自ずと読者層、読者数、或いは付けて頂くコメントの質も違ってくるだろうし、ひいてはいざというとき、読者という「味方」がいなくなってしまう。
「アンチ」を生むのも「味方」を生むのも書き手次第なら、「味方」を付けた方が断然いいに決まっている。
明らかに悪意のある叩き行為ならどうしようもないが、批判に応えていけば、主義主張も「ある一定の」理解は得られると思うし、マクロ的な視点でいえば、ものの見方、書き方、考え方、或いは題材の切り取り方一つをとっても否応なく鍛えられると、おいらは信じている。鍛えられて文章が上達しているかどうかは甚だ疑問だけどねorz

5、毎日書くことを「義務」とする

おいら自身はこのブログを、体調が悪い日以外は毎日更新…というルールは、別に作った覚えはないのだけれど、特に2006年3月以降、特に理由はないのに、「毎日更新」が基本になっちゃってるねえ…。。。
基本になっているから、「義務」を「義務」と思わなくなってしまっているのかもしれない。
ネットのニュースチェックとブログのネタ探しが、ブログを始めてからというもの、ほぼイコールで結ばれたようなものだしねえ…。
琴線に触れたニュースを選んでネタにする。
それが蓄積されれば、「このニュースはいつの話だったかな」と、即席のデータベース…と言っては綺麗すぎるが、自分で書いたものは少なからず覚えているから、「書く」という行為そのものが、「情報」から「知識」へと己の体内へ取り込んでいく変換作業の工程なのだろう。「情報」はアタマでしか理解できないけれど、「知識」は血となり肉となって身体のどこかで吸収するものだから、一旦「知識」になってしまえば、そうそう忘れることはない。
読者を置いてきぼりにする書き様は問題だけれど、毎日書くというメリットは、つまるところ「情報」から「知識」への変換作業と言って差し支えない。
だからこそ「継続は力なり」うるのだろう。

続かせるためには、やはり意味づけが出来ることを、たえず頭の中に意識して続けないと、もっても3日が関の山…ということなんでしょうなあ。
だからこそおいらも、このブログを懲りもせず、飽きもせず4年も続けていられるんだろうねえ…。

最後に余談を一丁。

「ネタ切れ気味」と、自分で言うのはなんでもないのに、他人様に言われると、なぜか無性にこんな気分になるのは、なぜなんでしょ?(笑)



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3 コメント

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なるほど~♪ (なお★)
2008-10-28 15:39:29
記事おもしろかったです。
自分はどうかなって、たまには思ってみたりしました(笑)

1・4は、基本、気をつけてるつもり(^^;
自分が逆の立場だったとき、いやだから。

2は、難しくって私にはムリかな~(^^;

3は、目からウロコかも!
私のまわりは、長い文章は読まないっていう人がわんさかいるので、なんとなく、短く書いた方がよいっていう気分になっていたのですけど、確かにそれで誤解を生んでしまうことが多いので、考え変えることにしました~♪

5は、私もなんとなく毎日更新って感じになっています。
私の場合、一度休むとサボりぐせがつきそうだからかも(^^;
返信する
Unknown (コヤマリン)
2008-10-28 21:21:14
こういった本は「当たり前」の事が書いてあるんですけど、なかなか実践できる(している)か、というと難しいものです。
「当たり前の事を当たり前にやる事が一番難しい」と社会人になったときから特に感じていること。
そして、いかに「当たり前の事を当たり前にできるようになるか」
これが私の永遠の課題です。

1~5。
これは常に頭に入っていた事だけど、特に1に関してはなかなか難しいですね。どんなにいろいろな考え方の人達に配慮したつもりで書いても、難しい問題であればあるほど本当に伝えたい事を書こうとすると、えてして誰かを否定することになってしまうから。
それなら書かない、という手もあるのだけど、ブログの場合は(笑)仕事じゃ無理ですけどね。
返信する
当たり前だからこそ難しい (小馬太郎兵衛)
2008-10-29 01:22:37
>なお★さん

長い文を読みたがらないのは、特定の掲示板のように、一言レスで慣らされているからなのかしら?
だらだら長すぎるエントリを、ゆっくりと時間をかけて読んでくれる人もなかなかいないけれど、自分の思いを伝えようとするなら、この手順は省略しない方がいいでしょうね。
もちろん、簡潔にまとめられて、且つ要点をズバリとつけられれば、それに越したことはありませんが…。

>コヤマリンさん

全部が全部を納得させる文章は、なかなか書きづらいものですね。
時にはなかなか主張しづらい話題になることもあるのですが、このようなときは腹をくくって、この文面をアップすることによって、「自分がどう思われるか」ではなく、「他人はどう思うか」をたえず念頭に置いて書いています。
それで返ってきた反応は、他者に下駄を預けた結果なのですから、どう転んでも納得するしかないわけです。
主張が入るときは、得てして誰かを泣かすことも往々にしてあるのですが、結果そうなっても致し方ないと、どれだけ腹をくくれるか…ということになるのでしょう。
それでもいろいろありそうな時は、あえてスルーという手もよく使ってます(笑)。

当たり前のことなんですが、このさじ加減がとても難しくて…。
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