とゆーわけで、ユーカリ、志津、臼井をはねのけて、来月から堂々と特急停車駅になる大佐倉に出掛けてみた。
京成沿線の住民なら、旧博物館動物園と合わせ、噂にはなるクセに誰も降りたことがないという駅で知られる。存在は知っていても、実際問題全く用事がないし、不便だから使わない。
博物館動物園だったら、素直に京成上野まで乗っちゃうから、わざわざいつ来るかわからない4両編成の各駅停車を待って博動で降りようなんて考えないし、大佐倉なんて、知り合いが近所にでも住んでいない限りは、通りがかるだけで誰も使わない。
今、京成沿線住民の間で、ある意味一番ホットな話題の大佐倉。
電車を降りたらまず、鬱蒼と茂った山林が出迎えてくれる。
電車が発車してしまうと、まるで駅に取り残されたような、いわれのない寂しさに襲われることだろう。
あたりはぽつんぽつんと民家があるだけ。
何十年もタイムスリップをしたかのような感覚に陥ることを証明するかのように、15年前に細長いものに取り替えられた駅名標が、まだ旧式のまま残っている。
同じようなタイプは、新千葉にもひっそりと残っている。
おいらは、大佐倉は初降りになる。新千葉でさえ使ったことがあるというのにwww
大佐倉は、現代の駅の象徴である、やれエスカレーターだのエレベーターだの、やれエキナカだのといった、一切の着飾りを完全に拒否している。
いたってシンプルに、改札は一個だけ。
雨に濡れることをいとおしんではいけない。素直に傘をさせばよい。
ホームの屋根だっていたってシンプル。1両分しかいらぬだろう。
駅舎もいたってシンプル。
このサイズの駅舎に、定期券発行機能付きの券売機があるのがとても不釣り合いだ。
そういえば、1988年発行の京成電車時刻表には、各駅の電話番号などが掲載されていたが、ここ大佐倉は一般の電話でさえ設置されていなかった。まあこれは、珍しいというわけでもなく、当時でも大佐倉、博動のほかに、西登戸と新千葉といった小駅に電話はなかった。
そんな小さな駅に、駅員なんかいるのか…。
これがいるんだな。
しかもなぜか二人もいた。
勤務シフトの都合か何かは知らないが、こんな小さな駅に二人も駅員がいたのがびっくりだ。
駅前には、昨今流行りのコンビニなんか似合わない。
シャッターを閉じた酒屋が一軒あるだけ。
まさに、京成が残した遺産というべきか、1960年代の京成沿線の駅前の光景が、21世紀になった今も、大切に残されていると言っても過言ではない。
駅の改札数十メートルの範囲にトラクターが置いてあるのは、京成沿線広しといえど、間違いなくここだけである。
駅前の脇には、中がどこに続いてゆくかもしれない道が、不思議と続いていた。
大佐倉駅上野方の踏切。
思いっきり幅員が狭い。
うちのマークⅡ号だったら、多分通れないかも…?
ちなみに、駅名は「おおさくら」だが、行政上の町名の読み方は「おおざくら」と濁る。
一帯はまさしく農村だが、それだけに旧跡も数多く、平将門と佐倉惣五郎の怨念が眠る地でもある。佐倉惣五郎は堀田藩の重税に耐えかね、農民を率いて百姓一揆を指導し、将軍に直訴したまではたどり着いたが、自身は死刑にされてしまう。その佐倉惣五郎を祀ったのが、二駅先の宗吾参道最寄りの「宗吾霊堂」とされている。
千葉氏最後の居城、本佐倉城もこの近く。
この近辺の歴史を紐解くと、千葉県の歴史が見えてきて興味深い。
そんな由緒ある歴史の駅、大佐倉。
皆さんも特急で途中下車してみてはいかがだろうか。
↑千葉の歴史を紐解きたくなった貴方はクリッククリック。
京成沿線の住民なら、旧博物館動物園と合わせ、噂にはなるクセに誰も降りたことがないという駅で知られる。存在は知っていても、実際問題全く用事がないし、不便だから使わない。
博物館動物園だったら、素直に京成上野まで乗っちゃうから、わざわざいつ来るかわからない4両編成の各駅停車を待って博動で降りようなんて考えないし、大佐倉なんて、知り合いが近所にでも住んでいない限りは、通りがかるだけで誰も使わない。
今、京成沿線住民の間で、ある意味一番ホットな話題の大佐倉。
電車を降りたらまず、鬱蒼と茂った山林が出迎えてくれる。
電車が発車してしまうと、まるで駅に取り残されたような、いわれのない寂しさに襲われることだろう。
あたりはぽつんぽつんと民家があるだけ。
何十年もタイムスリップをしたかのような感覚に陥ることを証明するかのように、15年前に細長いものに取り替えられた駅名標が、まだ旧式のまま残っている。
同じようなタイプは、新千葉にもひっそりと残っている。
おいらは、大佐倉は初降りになる。新千葉でさえ使ったことがあるというのにwww
大佐倉は、現代の駅の象徴である、やれエスカレーターだのエレベーターだの、やれエキナカだのといった、一切の着飾りを完全に拒否している。
いたってシンプルに、改札は一個だけ。
雨に濡れることをいとおしんではいけない。素直に傘をさせばよい。
ホームの屋根だっていたってシンプル。1両分しかいらぬだろう。
駅舎もいたってシンプル。
このサイズの駅舎に、定期券発行機能付きの券売機があるのがとても不釣り合いだ。
そういえば、1988年発行の京成電車時刻表には、各駅の電話番号などが掲載されていたが、ここ大佐倉は一般の電話でさえ設置されていなかった。まあこれは、珍しいというわけでもなく、当時でも大佐倉、博動のほかに、西登戸と新千葉といった小駅に電話はなかった。
そんな小さな駅に、駅員なんかいるのか…。
これがいるんだな。
しかもなぜか二人もいた。
勤務シフトの都合か何かは知らないが、こんな小さな駅に二人も駅員がいたのがびっくりだ。
駅前には、昨今流行りのコンビニなんか似合わない。
シャッターを閉じた酒屋が一軒あるだけ。
まさに、京成が残した遺産というべきか、1960年代の京成沿線の駅前の光景が、21世紀になった今も、大切に残されていると言っても過言ではない。
駅の改札数十メートルの範囲にトラクターが置いてあるのは、京成沿線広しといえど、間違いなくここだけである。
駅前の脇には、中がどこに続いてゆくかもしれない道が、不思議と続いていた。
大佐倉駅上野方の踏切。
思いっきり幅員が狭い。
うちのマークⅡ号だったら、多分通れないかも…?
ちなみに、駅名は「おおさくら」だが、行政上の町名の読み方は「おおざくら」と濁る。
一帯はまさしく農村だが、それだけに旧跡も数多く、平将門と佐倉惣五郎の怨念が眠る地でもある。佐倉惣五郎は堀田藩の重税に耐えかね、農民を率いて百姓一揆を指導し、将軍に直訴したまではたどり着いたが、自身は死刑にされてしまう。その佐倉惣五郎を祀ったのが、二駅先の宗吾参道最寄りの「宗吾霊堂」とされている。
千葉氏最後の居城、本佐倉城もこの近く。
この近辺の歴史を紐解くと、千葉県の歴史が見えてきて興味深い。
そんな由緒ある歴史の駅、大佐倉。
皆さんも特急で途中下車してみてはいかがだろうか。
↑千葉の歴史を紐解きたくなった貴方はクリッククリック。
それだけに、大手民鉄の駅にあって、秘境ムードが漂う駅になっていますね。
TBですが、古い記事にエロトラバがつきやすく、削除するのも面倒なら、トラバがついたエントリを探し当てるのも一苦労…という状態でしたので、一ヶ月以上前のエントリにはTBが付けられないような設定をしています。ご了承下さい。
ご紹介感謝致します。ありがとうございました。
当ブログでもこの大佐倉駅の記事を書きますのでトラバを…と思いましたが、古い記事(失礼)なのでそれができないのですね。なので、トラバに代えて当ブログの中で御紹介させていただきます。
こんな古い記事にコメントを寄せて下さいましてありがとうございます。
大佐倉に京成を通す時に、土地を提供する見返りに、この集落近辺に駅を作ることを交換条件とした…という話は聞いたことが御座います。元々は古くからある集落ですので、駅があっても不思議ではないのですが、ほとんど時が止まったままという光景は、なんともいえない風情がありますね。
あの大佐倉に特急が止まる時代が、本当に来てしまったのですよねえ…。
でも、特急はびっくりだったよ!
「元」地元の方ですね。
遠足で谷津遊園とはまた、貴重な体験ですね。谷地干潟ではなかったのですか?
谷津遊園が生きていた時代、京成の車内放送はテープでしたよね。
>Fumi氏
おお、誉められるとは珍しい(笑)。
確かに車を持っちゃうと、夜中にさいたまから大和田まで出るとなると、1時間で行ける車を選ぶよねえ。
たまには電車で大和田に来るように(笑)。
船橋も踏切が無くなるし。特急が大佐倉に止まるし、京成も変わったもんだ。
さいたま市に住んでからかれこれ3年以上になり、月に1度程度の割合で大和田に行く際にも車という事もあり、京成を使うことが無くなりましたが、その間にも色々変わってるんですねー。
なんでも船橋駅の高架工事も完了したんだとか?
旧跡が多く存在するこの土地は、本文に書いたとおり、歴史好きな方なら、けっこう惹かれる土地だと思います。
駅前周辺に2車線の道路がないのもこの駅だけかと(笑)。