とあるキビ人の旅日記

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小浜~岩と海の歴史(2021.05.24)

2022-05-22 19:15:46 | 旅行
今回は福井県・小浜市に関する記事をお送りします。
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9時頃、東舞鶴駅から毎度おなじみ小浜線に乗車。

1時間ほどで小浜駅に到着しました。

小浜は舞鶴と敦賀のほぼ中間に位置するので、この前敦賀に行った時の半分くらいの時間ですね。

実は5月15日に「蘇洞門(そとも)めぐり遊覧船」に乗るつもりで小浜に行ったのですが、強風のため欠航となっており、名物の鯖を食べて足湯に入って帰りました。

今回はそのリベンジです。

駅から徒歩20分ほどの所にある若狭フィッシャーマンズワーフに向かいます。
天気は曇りだったものの風は弱く、遊覧船は運航されるとのこと!


船は小浜湾の外に出ていき、奇岩群を右舷側に見ながら航行していきます。


ちなみに蘇洞門の由来は、地元の漁師たちが「そとも(外面)」と称していたものを、江戸時代の文人が中国風の雅な字を当てたことによるそうです(諸説あり)

船は切り立った崖の中に作られた波止場にゆっくりと入り込み、我々乗客はそこで上陸して15分ほど滞在。


小型船舶免許を持っている身としては「船長さんの操船技術すげえな…」と感嘆するばかりでした。

それにしても海の透明度が非常に高い!



1時間ほどの遊覧が終わり、小浜港に戻ってきました。充実したクルーズだった。


昼ごはんを食べた後は、レンタサイクルを使って「象繋ぎ岩」を見に行くことに。

実は、遊覧船での放送でこの岩についての案内があり、「何年か前のヒストリアで見たやつだぞ…!」と思い出し、居ても立っても居られなくなりました。

雨に打たれながら自転車を東へと走らせます。到着した時は思わず「TVで見たやつだ!」って叫びそうになりました。


案内板には以下のような記載がありました。

概要としては、「1408年、スマトラ島の旧港(パレンバン)の帝王「亜烈進卿」が派遣した船が小浜に着岸。船に積まれた室町幕府将軍への献上品の中には象が1頭おり、その象を繋ぎとめたのがこの岩である。この亜烈進卿は1407年に明朝から宣慰使に任じられた施進卿という人物である」と…


「宣慰使」「施進卿」という二つの単語を目にして、とある思い出がフラッシュバック。

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2年ほど前、大学院のゼミにて14~15世紀の東南アジア華僑に関する英語論文を読んでいた時のこと、
教授が「この英単語(確か "intendant" )が指す漢語の官職名って何だと思う?」と問いかけてきた。

答えは「宣慰使」であり、この時に施進卿の名や、彼が明朝からパレンバンの宣慰使に任命されたことを知った。

もともとパレンバン周辺では陳祖義という華僑が強い勢力を誇っており、それに対抗する勢力が梁道明だった。
施進卿は彼の娘婿にあたる。鄭和が第一次遠征でパレンバンを訪れた際、陳と梁の抗争に介入した。
結果として陳は捕らえられ、梁・施がこの地域の覇権を握った。
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これらの記憶が岩の前でつながって、私はとても興奮したのでした(笑)

この象は将軍足利義持に献上された後、1411年には義持から朝鮮国王・太宗に贈られたそう。
日本初の生きた象は、朝鮮初の生きた象でもあったわけです。

ちなみに「亜烈」という称号はアラビア語Aliに相当するという説やジャワ系の称号であるとの説があるようです。

小浜が大陸との玄関口であることを実感し、船に乗ることで港町・小浜の歴史に思いを馳せた旅でした!



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